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告白と招待状

 過ぎ去った嵐に心が落ち着くと、あたしは途端にまったく違う思念に囚われた。

両手でカップを捧げ持ち、喉の奥が不自然に乾いて幾度も舌を動かす。

母は疲れた様子で眉間に皺を寄せていたが、もともとの性格なのか軽く首を払うようしてそれまでの話題を打ち消した。


「まぁいいわ。そんなことより――」

 意識して口調を軽くして何かを提案しようとした母に、あたしは思い切って口を開いた。

「昨日、マーヴェルは何をしに来たの?」

 さりげなく口にするのは無理があった。

 あたしの言葉は少しばかり固かったであろうし、あたしの視線はうつむいて捧げ持ったカップの表面を見つめている。

 わざとらしくしないようになんていう配慮は到底無理で、けれどできるだけおだやかに言ったつもりだった。


 一瞬、その場の空気に奇妙な緊張が走った。

母は軽く動揺したようで、彼女らしくなく持とうとしたティカップを指の爪先ではじき、ついで無理に微笑もうとして失敗した。

 やがて深く長い溜息を吐き出すと、半眼を伏せて唇を引き結んだ。

「あなたの様子がおかしかったのはその為なのね。ええ、そうね。私はただ知らぬふりをしていただけだわ――あなたが気付いていることを気付かぬふりをしていただけ」

 ゆっくりと首をふり、先ほどまでアレが座っていたあたしの隣に席を移すと、母はあたしの肩を優しく抱き寄せた。

「あなたが気に掛けることではないのよ」

 あたしは母の柔らかな言葉を測りかねた。


 あたしに真実何の関係も無いことなのか、母が独断であたしが気にかける必要が無いと決め付けたことなのか。それを相手の言葉、そしてしぐさからさぐりだすことが難しく、あたしは慎重に言葉を選んだ。

「ティナのことなの?」

 あたしは昨日、自分のことばかり考えてしまったけれど、考えてみればそういうことだってあるはずだ。

 今更マーヴェルがあたしに用があると考えるほうが馬鹿らしい。

確かにあたしとマーヴェルは結婚間近だったけれど、その関係は破綻している。そんな相手があたしに用があるなんて、あたしも少し自意識過剰というものだろう。

 ならば、一番ありそうなことといえばティナのこと。


「ティナとの結婚の話?」

 あたしの言葉に、母はこくりと喉を動かし、ついで瞳を伏せたまま口を開いた。

「あなたには関係の無い話なのよ」

 かんで含めるようにゆっくりと告げられた言葉に、あたしはどこか心がふっと緩むのを感じた。


――やっぱり。

 結婚の承諾とか、もしかしたらティナに赤ん坊ができたのかもしれない。

そんな話、あたしに知られたくないと思うのは当然だろう。あたしは一度ゆっくりと唇の隙間から肺一杯に酸素を取り入れ、ついでその全てを時間をかけて吐き出した。


「今はまだ……少し無理かもしれないけれど、あたし、二人のことはちゃんと祝福するつもりだから。母さんも――あまり二人のことを悪く思わないで」


 大丈夫。

うん、大丈夫。あたしは大丈夫。


 あたしはカップの中の琥珀色の紅茶をただじっと見つめていたから、母が奇妙に眉を潜めてあたしを見つめ、そっと首を振ったことに気付かなかった。

 ただよりいっそう強い力であたしをの肩を抱き、母はやけに丁寧な口調で囁いた。

船長(ふなおさ)の息子はティナの元へ帰ったわ。ええ……もう二度とあなたは過去になど囚われなくていいの」

いいのよ。

 こつりとあたしの額に自分の額を押し当てて、母はまるで泣きそうな声でそう告げた。


――もう、いないんだ……


 あたしはその事実にお腹の中がもぞもぞするような奇妙な感覚を味わった。羽を持つ虫が腹部で暴れているような、あまり愉快とは言いがたい感覚。

顔を合わせて、きちんと向き合って――もう逃げることなく立ち向かおうと決意すれば、それは蝶のようにかろやかに手元をすり抜けていく。

 昨日の今日であればまだこの聖都にいるのではないだろうかと思ったけれど、いないといわれればほっと息をついてしまう。あたしは顔を合わせてきちんと過去に向き合って、そうして謝るべきだった。

 あんな風に逃げ出したのは、誰でない自分の為だったから。

もっと強い自分であれば、ティナに、マーヴェルにきちんと伝えることができた筈だ。


――二人の関係に気付いていること。

 あたしは、マーヴェルを好きだって。

ティナと戦うことも、マーヴェルを怒ることもしないで、あたしは逃げ出したのだ。後に残される者のことなど考えないで、ただ自分の為だけを思って。

 あたしは全てを見てみぬふりですまさずに、きちんと立ち向かえばよかったはずだ。


 二人は酷いと思うけど、結局自分も随分と酷かったのだと思う。


 そんな風に思うのは、今はあのぼけなす様がいてくれるから。

結局、それに尽きるんだろうけれど。

あたしは冷めてしまった紅茶を飲み干し、肩を抱いたままの母に自分の身をすりよせるようにして観念するように言った。


「あたし――あの人が好きなの」

「それは……つまり、あのおかしな男のことよね?」

 いや、うん。そうなんだけどね?

あたしは苦笑して、母から身を引き離して彼女の瞳をひたりと見据えた。

「結婚はまだ確かに早いと思う。母さんが認められないっていう気持ちも、判る」

 どっからどう見ても胡散臭いですしね。

「母さんにとってあたしは確かにいつまでも娘で、小さなリィなのかもしれないけど。でも、抱きしめて守られてばかりの子供ではもうないの」

「リィ……」

「明日、コンコディアの町に帰る」


穏やかな空気が満ちていたその時に、あたしは精一杯の思いを込めて母に訴えた。母はきっとイヤだろうけれど、きっと今なら認めてくれる。

吐息を吐き出し、瞳を細めて――「仕方ないわね」と微笑んでくれる。というあたしの思いとは裏腹に、母は思い切りその表情を歪ませ、


「絶対に許しません!」


母は聞く耳を持っていないようだった――


***


 母は多少意固地な性格だったかもしれない。

思い返せば確かに……

 あたしは押し込められた自室、寝台にべったりと張り付きながら額を押さえ込んだ。

その後どうなったかといえば、かるーく軟禁状態だった。

 部屋の前には本来は庭の手入れをする筈の下男が主からの厳命により門番ならぬ扉番をしている。

 幸いこの部屋には鍵がつけられていないが、なんだか二・三日したらそれはそれ強固な鍵をとりつけられてしまいそうな勢いだ。

 なんというか、きつい。

母親っていうのはどこの家でもあんなものだろうか――いや、マイラさんもターニャさんも違う気がする。もっとおおらかで豪快。まかり間違っても自分の娘を閉じ込めたりしない気がいたしますよ?


 あたしはぐったりとしながら、これはやっぱりあの変態魔法使いがもう一度現れるのを待って今度こそここから逃げるのに協力してもらわなければいけないだろうと考えていたのだが、意外にもこの軟禁状態は二刻程度で解除されることとなった。

 母の馬車が屋敷を出て行くのを窓から眺め、今なら逃げ出せるかもと思ったものの下男の壁はわりと強固であるし、自室の窓から飛び降りる程あたしには運動能力はない。

 考えるのも疲れ果て、寝台の上で少しばかりうとうととしていた頃合に、乱暴な足音が廊下を歩み、外の下男と何やら言葉を交わすとその野太い声の主はノックの一つも無く二枚扉を両手で押し広げた。


「リドリー、おまえ本当にいたのか!」

はいぃ?

あたしは慌てて寝台から跳ね起き、づかづかと近づいてきた相手にがしりと一旦抱きしめられた。

突飛な行動にあたしは肺の中の酸素を無理張り吐き出させられるような衝撃をうけ、おもわずくぐもった「ぐふっ」という音をもらしてしまった。

 強い力はあたしの骨すらきしませる程の力強さをみせ、そしてすぐにあたしを引き離すと大仰な様子で顔をしかめて首を振った。

「来ているなら来ているとどうしておまえやエレイズは知らせてくれないんだ? こんな風に知らされて、私がどれだけ驚いたことか! まったく、私のか弱い心臓を止めるつもりなのか?」

 突然傍若無人に現れて好き放題なことを言う中肉中背の男性は、あたしにとっては伯父に当たり、母にとっては兄であるところのファディル男爵――レイシャス領領主ランドルフ・モートメン・ファディル。

 その容姿は母にまったく似ていない。ベストの下にある腹部が、多少突き出ているのは御愛嬌というものだろう。

 伯父は苛立っている様子ではないが、困惑に満ちた空気を滲ませ、自分の上着の隠しから一通の封書を引き出した。


「いったいいつモルティバル卿とお近づきになったというんだ? まったく信じがたい!」

 モルティバル卿……

あたしは伯父の手から渡された封書の裏面をしげしげと見つめた。

紅の封蝋をたらし、印璽(シール)を押して封印された正式な書類の下部分には、流暢な文字が刻み込まれている。

 

 エルディバルト・クム・セイナム・ル・モルティバル――


 髭の邪魔臭い騎士の名にぴったりだこと。

見るからに仰々しい感じがとくに。あたしが冷めた眼差しでそれを一瞥し、ペーパーナイフなどというものも使わずに乱暴にそれをびしっと開くと伯父は自らが切られたかのように何故かびくりと身をすくませた。


 朝に言われた通り正餐の招待状だったが、これをあの人が書いたと思うとどれだけ嫌そうに書いたのだろうと想像できる。嫌われているのがありありと判る手紙というのははじめて受け取った。

 ある意味エルディバルトさんは可哀想な人だ。だって、嫌いな相手といえども、主に命じられればこうしてわざわざ正餐に招待しなければいけないのだ。


ちょっとだけ、なんというか――ざまーみろ、的な気持ちになってしまったのはナイショです。


「モルティバル卿はいったい何と言っていらしたんだ?」

 そわそわと伯父が手紙を覗き込もうとする。

あたしは「本日の正餐の招待ですって」とそのまま簡潔に告げた。

「そうか! では私がきちんとエスコートしてやろう。ああ、おまえはこういった時の礼儀はどうなっているんだ? きちんとあの男は躾たんだろうな? それにしても、なんだって今夜なんだ? 着る衣装は大丈夫なのか?」

 一人で混乱している伯父を前に、あたしはそっと乾いた笑いを浮かべた。


「エルティバルトさんの家でご飯食べるだけでしょ? 何もそんな大げさな」

先日のユリクス様の邸宅での夕食は着替えをさせられたが、あれはきっとルティアさんの衣装。胸元がちょっと、いや、かーなーりがばかばでしたが、胸の下部分に布をいれてあげました。ルティアさん、神業。アマリージェなど物凄く食い入るように見ていましたが、マリー、あなたはまだ成長するからおかしな技は必要ないと思われます。

 あ、ルティアさんやアマリージェもきっといるに違いない。楽しみだ。

「普通のドレスで平気でしょ」

そうあっけらかんと言うあたしに、伯父は目をむいて唾を飛ばした。


「リドリー! 失礼なことを言うものじゃない!

モルティバル卿は王位継承権こそ破棄されておられるが、れっきとした陛下の甥子様であり、王弟殿下の第三子息なのだぞ」


 その言葉があたしの脳内に到達する前に、あたしの手からひらひらと封書が落ちた。


――あの髭が?


 幸いあたしの口からその無礼極まりない言葉は吐き出されはしなかったが、あたしは寝台にもぐりこんで冬眠してしまいたい気持ちになった。


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