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愚か者と傍若無人

 こういう時を何と表現するのだろう。

孤立無援とか、きっとその手の言葉が当てはまるように思われます。

確か当初怒っていたのは母だけで、ついであたしが応戦し、しかし味方だと思っていた相手が後ろから砲撃を向けてきて、それでいつの間にか、


「そもそも、リィは考えが足りないのよ」

「ああそういうところはありますよね」

「人の娘を悪く言わないでちょうだい」

「そういうつもりはありませんよ。それにそういうところが可愛いと思います」


――いたたまれません。


 仕方ないのであたしは一人、ぬるくなった紅茶をわざと音をさせながら飲み、マフィンを二つに割ってジャムをのせてもそもそと咀嚼した。

 目の前で繰り広げられるのは、奇妙な茶番劇意外のなにものでもない。

母は完全に懐柔されている訳ではない様子だが、いかに自分がより娘を愛しているかを語り、娘の可愛さを語る。それに応戦する馬鹿は同じく……


なにこの羞恥プレイ。


本人の前での褒め殺し。かと思えばあたしの欠点をさらりと口にし、落として持ち上げて、相手の揚げ足をとるの繰り返し。あたしの目前でのこの惨劇に、あたしはいっそ耳に何かを詰め込んでしまいたい気持ちでいた。今まさに食べているマフィンだっていい。この二人の会話を遮断してくれるのであれば。


そんないたたまれない空気の中で、執事だけはもくもくと自らの職務を全うしている。

職業人の鑑のような人だが、このだらだらと流れている阿呆会話に何を思っているのだろう。激しく尋ねてみたい。


こういう母親のことをきっと親馬鹿というのだろう。

だがこういう男はいったい何というのだろうか……ああ、ただの馬鹿か。


「とにかく、あなたのしたことはあまりにも常識外です。勝手にひとの屋敷に入り込むなど、紳士のすることではありません。そんな男性が愛? それは愛ではなくただの情欲というものよ」

じょ、じょうよく……

マフィンの塊が喉の奥でつかえて、あたしは慌てて自分の胸の間を叩いた。

「情欲ならありますよ。あなたの娘はとても可愛らしい。ぼくはいつだって必死に理性と戦っているんです」

 どこがですか!

どのあたりに理性があるのかとりあえず教えて下さい。

本能だけのような気がしますが――それともあたしの勘違いですか?

あたしの自意識過剰ですかって、そんな訳があるか。

「もちろんそうでしょうとも。けれど絶対に私は許しません」


も、もう止めてください。

あたしは涙目になりながら紅茶を最後の一滴まで飲み干し、それに合わせて執事が新たな紅茶をいれてくれた。

 熱い紅茶をそのまま飲みそうになるのを必死に堪えて、ふーふーっと何度も息を吹きかける。水分は欲しいけれど、これをそのままぐいっと飲み干すほど愚かではない。


「判りました。これ以上貴女と話してもらちがあきそうにない」

やれやれと魔術師は肩をすくめて手のひらを軽く上にあげると、口の端に笑みを浮かべた。

「ほら、この程度で諦めるくらいの――」

 まるで鬼の首をとるように母は冷たい眼差しと口調とを向けたが、相手はその言葉にかぶせるようにさえぎった。

「あとはファディル男爵と話をすすめたいと思います」

 さらりと出た言葉に、あたしはお茶を冷ます為に吹きかけていた息が「ぶふっ」とくぐもるのを感じ、その勢いにカップのお茶が吹き上げられてこぼれ、執事が慌ててナプキンを差し出した。


 母ですら驚愕した様子で瞳を見開き、

「あなた、兄をご存知なの?」

と強張るような口調で呟いていた。


「ええ、彼とは親しくさせていただいています。まぁ、最近知り合ったばかりですが――とても親しくなれるでしょうね。この先はもっと」

 あたしはナプキンで口元をぬぐいながら、瞳をぱちぱちと瞬かせた。

伯父さんを持ち出されると、母は弱くなってしまう。当然だ。実質上の母の庇護者なのだから。

 母が暮らすこの屋敷を用意したのも伯父であるファディル男爵(バロン・ファディル)で、母は父からの援助を一切受けようとしていない。

「貴女には是非とも二人の関係を認めて欲しいところでしたが」

「リィは私の娘です。兄は関係が無いわ」

「そうですね?」

 意地悪い笑みを浮かべ、ふとその視線をあたしへと戻して微笑んだ。


「リトル・リイも関係が無いと思う?」

その言葉であたしは息を飲み込んだ。じんわりと背中にいやな感じの汗があふれ出る気がする。

 物凄く意味ありげな表情でしれっとおかしなことを言い出した男の意図を測りながら。

「関係が無いわよ」

 そう応えたあたしの言葉は、わずかにひきつれていたに違いない。

「そうか。それはつまらないな――エル相手にも突っかかってきたから、伯父さん相手ならさぞいい反応が返るかと思ったものだけど」


あたしは頭を抱えたくなった。

エルディバルトさんのことでこの男に突っかかったことは……一度しかない。いや、あるかもしれないけれど、そもそもあたしエルディバルトさんのこと苦手だし。思い当たるのは一つしかない。

 エルディバルトさん地下石牢「ごめんなさい」事件。  

「このっ、卑怯者ぉ!」

 さすがに伯父を地下牢にいれるなどとは思わないが、この男が言いたいのはつまり、それくらいはできるという意味合いのことだろう。

――この男に無駄な権力を与えるのは本気で止めて頂きたい。


「何のはなしかな? ぼくはただファディル男爵とちょっと親しくなってみたいなっていうだけなんだけど」

「――」

「何の話をしているの、あなた達」

 母の言葉に不安と不満とが混じる。あたしは母を見返し、溜息を落とした。


「さてと、今のところは帰ります。朝食をごちそう様でした」

 爽やかに言い捨て、このぼけなす様はにっこりとあたしの顔を覗き込んだ。

「夕方に迎えを寄こすよ」

「は?」

「エルの家の正餐に呼ばれているんだ。君もおいで――大丈夫。エルから男爵宛に招待状は出してあるから、男爵は必ずきみに行くようにと言ってくれるよ」

 自信たっぷりと微笑み、史上最凶の卑怯者は優雅に母へと一礼した。


「楽しい時間を過ごさせて頂きました。次はもっと友好的に迎え入れて頂けるものと信じています」

「無駄なことです」

「そうでしょうか?」

 くすりと微笑んで居間を普通に出て行った男の後ろ姿を見送り、あたしは暗澹たる気分で息をついた。


「本当にどういう人なの!」

 母の言葉に応える気力が、あたしには無かった。何しろあたし自身、あの男について知っていることというのは少ないのだ。

判っていることといえば――どうやら傍若無人なことが許される立場にいるらしいというコトだけ。


「むしろあたしが教えて欲しい」

あたしはぼそりと口にしたが、果たしてその言葉は母の耳には届いていなかった。


どういう人か――本気であたしが知りたいくらいだ。


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