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嘘つきと裏切り者

「ぼくは時々自分の忍耐力を褒めてあげたくなる」

 人間というものは不思議なもので、心が動揺している時はものすごぉく弱くなってしまうものだとおもうのです。

そして、そんな時は誤った行動をとってしまう。

 当然、それにはコレも含まれた。

「なんであんたがあたしの寝台で寝てるの!」

「それは勿論、きみが眠れるようにずぅっと添い寝していたから」

 ええ、知っています。

昨夜の醜態をあたしは忘れたくてもきっちりと記憶していて、記憶の最後は、この一晩たったというのに髭すら生えない謎の生命体があたしの髪を指先ですきあげながら「大丈夫だよ。何も怖いことはないからね」と囁き続ける場面。

 思い返せば恥ずかしさで憤死してしまいそうなそんな場面だ。

しかも、それはあたしが望んだもの。

 優しい言葉と優しい手と、ぬくもり、心音。

全てあたしが望んで、そしてこの男が惜しみなく与えたもの。

けれど冷静さを取り戻したあたしはそれを認めることがどうしてもできなかった。

「とりあえずもういいから!」

帰って下さいっ。

ぎゅううっと胸をおせば、魔術師はにまにまと笑いながら「うん、もう大丈夫そうだから帰る」とこちらが呆気にとられてしまいそうな程素直にうなずいた。


「リトル・リィ」

「な、なによ?」

「キスしていい?」


にっこりと微笑まれたが、あたしは力いっぱい自分の口を押さえて拒絶した。

お帰りください!

「そこまでいやがらなくても……」

ふっと寂しそうに瞳を伏せて力なく言われた言葉に、あたしは慌てた。

「だって! 口の中……へんだものっ」

 あたしは咄嗟に言い訳のように言葉にし、ついでかぁぁっと体温が上がることにくらくらした。

どう説明したら理解してもらえるか判りませんが、一晩寝た後の口腔は、なんというかいやな感じなのですよ。そんなんでキスなんてとんでもない。絶対にイヤ。

 びしりと口に手を当てて言うあたしを見つめ、ついで面前の男は噴出した。


「キスはイヤじゃないんだ」

「っっっ」

「大丈夫、舌いれなければいいでしょ?」

 生々しく言うなっ。

あたしはもう一度ぐっと相手の胸を押しのけ、上目遣いににらみつけた。

「お・か・え・り・く・だ・さ・い!」

「判った。また会おうね」

 くすくすと楽しそうに笑ったかと思うと、ぐいっとあたしを押さえ込んですばやく唇を押し当てた。

唇の表面だけを一度ついばみ、それで離れるかと安堵に力を抜いた途端に押さえ込まれ、あたしは唇の隙間を割って入ろうとする感触に目を見開いてじたばたと暴れた。


それはイヤだって言ってるでしょうっ。


涙目になって暴れるあたしを容易く捉えたまま、唇を押し当ててくぐもったような微笑を落とした悪魔は「あああっ、もう可愛いなぁ。どんな味だってリトル・リィなら確かめたくて仕方ない。ねぇ、口をあけて? そうしないとこのままもっと別の場所まで舐め尽してあげたくなっちゃうよ。それともぼくの忍耐力を試しているの?」意地悪しないで。と甘く囁く言葉に背筋があわ立つ感覚を覚えながら、あたしは涙ぐんだ。


 意地悪しているのはおまえだ!

「力を抜いて?」

 意固地に入り込もうとしていた舌先が、今度はゆっくりと優しく唇をなぞり、下唇のふくらみをちゅっと軽く吸い上げる。あたしは無駄な抵抗を諦めて、それでも軽い抗いに身を震わせながゆっくりと力を抜いた。


 イヤだという嫌悪感はぬぐえないのに、そうすることで開放されると思えば自分の心が砕かれていってしまう。

 何より、それは腹部をざわざわとなぞる奇妙な誘惑――

相手の舌先が歯列に触れた途端、


「何をしているの!」


苛烈な声にびくりと体が跳ね上がり、あたしは咄嗟にぎゅっとあたしを抱き寄せている男のシャツを掴んでしまった。

「おはようございます」

動揺の欠片も見せず、あたしと同じく寝台の上の男は爽やかに声をあげた。

あたしは部屋の扉へとおそるおそる視線を向けながら、これは違うの! と声をあげようとするのだが、喉の奥が急激にからからに乾いて言葉が喉の奥でひゅーひゅーという謎の音に変わってしまった。


 それまでの空気がまるきり変わり、その場の緊迫感はシンと耳に痛い程のものになっていた。

 母と、その背後には執事すら従えて。



――これは。これは違うのっ。

何もないからっ。

おかしなことは何一つって、あああ、なんかいろいろおかしい気がするのは気のせいだと誰か言ってください。

 深夜に入り込んだ男は怪しくないと……怪しいよ。

娘の寝台に男がいることは怪しい通り越しておりますよ。

言い訳のしようのない現状にあたしはいっそ意識を飛ばせるものなら飛ばしてしまいたくなったが、そんなことをすればどんなことになるのか恐ろしい。


 あたしを起こしに来たであろう母は、ぶるぶると怒りに身を震わせ、射殺す眼差しをあたしを腕に抱いて寝台に座る男をにらんでいたが、相手はどこ吹く風の様相だ。

 この厚顔無恥ぶりはいっそ天晴れだが、頼むから言い訳をして欲しい。

動揺しすぎて何が何だか判らないあたしにかわって、ここはなんとか穏便に。


そんなあたしの心の叫びが聞こえたのか、ヤツは穏やかな調子で言った。

「安心して下さい」

安心という言葉にあたしはやっと息をついた。

「寝台で二人で朝を迎えたのはまだ二度目ですから」


……この男を頼った自分が馬鹿でした!


***


「どういうことなの、リドリーっ」

 母は不法侵入の変質者と会話をするのを諦めたようだった。

そうですね、それはきっと正解です。正解、というかもう無視して下さい。自分の好きなことしか言いませんから。しかも誤解を招くようにしか言わないので、本当に要らないです。

 母が何かを言うより先に、あたしはさっさと「黙っててくれる?」ときつく睨みつけた。


 さすがに場を居間へとうつせば多少はあたしも冷静になれる。

来客を受け入れる為の部屋へと移動し、母はいつもと同じ席に座り、そしてあたしと魔術師は並んでソファに腰を下ろしていた。

 冷静になるとあたしはふとこれはもしかしたら使えるかもしれないと(したた)かに考えを改めた。

 黙っていなさいと威圧を向けられた男は、まるで我が物顔で執事にお茶の種類の注文などしているが、それは無視。


あたしはお腹にぐっと力を込めて、引きつりそうな口元を微笑の形に変えた。

「母さん、母さんが認めたくないのはちゃんと理解しているけど、あたしと彼は――」

あ、あ、あああああ、

「愛し合ってるの」

「リィっ」

 あたしは自分の左手についたままの呪いの指輪をこれみよがしに右手の親指と人差し指でなぞりながら、視線を落とした。


あああ、嘘八百。


「結婚の約束もしているし、一緒にいないと駄目なの」

 隣に座る馬鹿様が物凄く平然とお茶を飲んでるのがめちゃくちゃ気になります。黙っていてという言葉の通り黙っているのか、それともあたしの言葉を本気にとっているのか。


 これは違うのです。

大嘘です。当然のごとく偽装工作ですよ。

 もうこうなったら一日でも早く帰る為にもどんなことでも利用しようとあたしは悪女になることに決めました。母に嘘を言うのは気が引けますが、こうなったらさっさと帰宅したい。

 あたしの小さなアパートで安眠させて欲しいのです。

そう思うと、あたしは饒舌にありもしない「熱愛」を口にした。


「一日も会えないのは辛かった。勿論、母さんの家に勝手にこのヒトを入れたことは良くないことだって判ってる。でも、ねぇ、母さん――理解して欲しいの」

「あなたは騙されているのよ」

「違うわっ。あたしはっ」


「違います」


 すでに紅茶はおろかスコーンにまでジャムを塗って朝食を楽しんでいた男は、突然口を開いた。

母の視線が冷たく向けられても気にせず、


「違いますよ。ぼくが彼女を騙しているんじゃなくて、リドリーがお母さんを騙そうとしている」

「なっ」

「――あのね、リトル・リィ……さすがにぼくも怒るよ?」


 冷ややかな微笑を落とし、親指についたジャムをぺろりと舐めた。

物凄く艶っぽく、そして物凄く冷ややかに。

「以前もぼくが喜ぶようなことを並べ立てて、本当はアジス君の為だった。君ときたら時々酷い。

こんなにぼくを喜ばすような言葉を並べ立てているけど、ちっとも心から言ってない」

 うっ。

あたしは息を詰めた。

めちゃくちゃ事実です。間違いなくその通り。

「ああ、ぼくってばそれでもリトル・リィが好きなんだ。かわいそう」

ぼそぼそと言いながら、きちんと姿勢を正して母へと視線を転じた。


「リドリーは早く自宅に戻りたいが為にぼくを利用しようとしているだけです」


このっ、裏切り者ぉぉっ。

いや、確かに悪いのはあたしですが!


「お母さんに嘘なんて良くないよ。自宅に戻りたい気持ちも判るけれど、君自身の気持ちをきちんと伝えないと、説得するのは難しいかもしれなくても、だからといって嘘で乗り切ろうなんて良くない」

「どういうことなの、リィ」

「ああ、でも彼女だけが悪い訳では当然ありません。ぼくの非礼をまずは謝らせて下さい。

昨夜はどうしても彼女に会いたくて、とても気になっていたんです。本来であればお母さんに許しを得ていないぼくなどが彼女と共にいてはいないことは理解していますが、三日も共にいないことがどうしても耐えがたかったのです」


「――」

「それと、お母さんは心配なさっていると思いますが。まずは彼女の身の潔白は信じていただきたいのです。ぼくは確かに彼女を心から愛しています。朝にも言いましたが彼女と二度程寝台で朝を迎えはしましたが、不埒なことをしてはいません。あの、キスは――しましたけれど。そこで留まっていることが男にとってどれほど辛いことだか、ご理解いただけますでしょうか」


それは結果であって全然ちっともあなたの本意ではないことがばればれです。

この大嘘つきっ!


怒りばかりをその瞳に湛えていた母だが、その光が緩んでいくのを感じる。

戸惑いと困惑とが混じる眼差し。


「ま、まぁ……あなたがそんなに悪い方だと思っている訳ではありません」


 ちょっ、騙されてますよっ。

それは悪です。

悪だってば!

嘘は駄目だなんていいながらしれっと嘘をついてますよ!

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