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動揺と抱擁

パン屋の休暇は十日間!

あたしは指を折ってその日数を確認し、がしりと拳を固めた。母に流されていてはいけない。あたしは立派な社会人。職場に迷惑がかかるようなことがあってはなりません。

 何といってもマイラさんは心優しくあたしを送り出してくれたのだ。絶対に戻る。


 アマリージェは「一緒に戻りますか?」と言ってくれたが、まずは母を説得しようとしたあたしは彼女等を見送った。そんなこんなで三日目――日付はちゃくちゃくと過ぎていくし、親の仇のように母の家には花が届く。

「物凄い量でございますね」

「花の香りで気持ち悪いくらいにね」

あたしはうんざりと言った。もともと毎日のように花をくれた魔術師だが、ここにきて毎日花を届けさせている。馬車で一台分。おそろしい量の花を毎日。


「もって帰ってくれます?」

さすがに今日は受け取れない。花で死ぬ。

「しかし、必ずお届けするようにといいつかっておりますので」

 丁寧に頭をさげるのは、この三日花を届けてくれていた男性。見た感じは従僕という様相でお仕着せを着ている。あの魔術師の関係者なのか、それとも花屋なのか?


「わたくし共が叱られてしまいます」

「……」

悲しそうに言われ、あたしはちらりと冷たい眼差しの母を見た。呆れているのだろう、至極。

「あなた達が叱られようと関係が無いわ。迷惑だと言っているのです。お帰りなさい」

 母、強し。


花を馬車ごと追い返した母は、眉をひそめてあたしを見た。

「……あの男はいったいどういう男なの? あなたは判らないかもしれないけれど、あれだけの量の花を集めるのは大変なのよ。聖都の花屋の花を買い占めたようよ」

「さ、さぁ?」

 知ってることは幾つかあるが、果たしてそれは言っていいのかどうかが判らない。


竜公爵――これを知っているのは公爵位を持つもの、その配下程度の上層しか知らないことだとアマリージェが教えてくれた。ではこれは確実に駄目だ。

神官長、これだって普段は神殿の奥深くで祭祀に励んでいて国の安寧を祈っているといわれていて、それが実はそのあたりをうろうろとしながら変態発言を繰り返しているなんて到底いえません。

 頭の中でイロイロとうんざりとしながら、ふと気付いた。

――つまり、あの男という存在は、本来は見えないとされているのだ。

本来であればヒトの目に触れないもの。

まるで見えているのにいないような……なんだかもやもやとする違和感のようなものを覚えた。


あの男は、ちゃんと居るのに。


あの男は、自分のことを「楽隠居」だという。それはいったいどんな気持ちで言っているのだろう。きっと気楽な気持ちでは無いのではないだろうか。そんなことを考えはじめると、あたしはもやもやとした気持ちがなんだかそわそわにかわってきて落ち着かないまま唇を噛んだ。

 離れているのがどうしても不安に思える。

まるきり小さな子供を置き去りにしてしまったかのような、いやな感じ。


「駄目よ」

 そっと手を叩かれて、あたしはハっと息を飲んだ。

母が心配そうにあたしを見つめている。

「唇を噛んでは駄目――なあに? 何か心配事でもあるの? 母様に言って御覧なさい。大丈夫。リィのことは母様がちゃんと守ってあげる」

「母さん……」

 あたしはぎゅっと眉をひそめた。穏やかに微笑む母の顔を見るといろいろと決心が鈍りそうになる。けれどここは心を鬼にし……――

「奥様」

 その時に現れた執事さんは、眉をきつく寄せて厳しい眼差しをしてちらとあたしを見ると、声を潜めて母の耳元に何事かを囁いた。


「……追い返しなさい」

「ですが――」

ぼそぼと言う言葉はあたしの耳までも届かない。母の表情までも厳しくなる。雰囲気からそれが来客を告げるものであることは知れるし、あたしはすぐにぴんときてしまった。

――アレだ。

アレに違いない。

 慇懃無礼で傲岸不遜で、そして、二日程顔を見ていないだけであたしに不安を与えてしまう不思議なヒト。

 あたしは途端に落ち着きのない気持ちになった。

母はちらりとあたしを気にし、ついで言った。

「判ったわ――リィ、悪いのだけれど、書斎のほうにいっていらっしゃい。招かざる客のようだから。決して出てきては駄目よ?」

 きつく確認され、あたしはなんだかふわふわするようなぼんやりとした気持ちでうなずいた。


二人で対峙させて大丈夫だろうか?

アレと母との口論なんて誰も止められないだろうし、うわ、もうどうしよう?

あたしは執事に追い立てられるように書斎へと押し込められてしまったが、やがてしばらくたてば決意してこっそりと母がいる一階の居間へと庭側から回り込むことにした。

 窓から覗き込もう!

こっそり覗き込んで、何か危険――なんてあるわけがないけれど、何かあったら二人の間にわって入ろう。


 なんてイロイロと言い訳を自分の中に重ねながら、あたしはぐっと拳を握りこんだ。

判ってる。何だかんだいって、一目……会いたい。たかが一日二日見ないだけで気になるなんて、もう本当にどうかしているとしか思えないけど!

 あたしは一階居間のテラス側からこそこそと入り込み、カーテンに隠れるようにしてこっそりと部屋の中を覗き込んだ。


窓側から見れば、母のぴんっと伸びた背中が見えた。

置かれたソファに深く腰を預けずに臨戦態勢を伝えるかのようにぴんと伸びた背筋。まっすぐに正面を向く顔。そしてその顔が向く先に座っていた相手に、あたしは危うく声をあげそうになり、口元にがしりと手をあててネズミ捕りにかかってしまったネズミのようにがばりと体を反転させて壁に背中を貼り付けた。


マーヴェル!


 一瞬、ほんの一瞬だけ誰だか判らなかった。そこに座っているのはあの男だと思っていたから。でもそこにいたのは、もう……一年、一年以上前にあたしが捨て去った過去。

あたしはともすれば叫びだしてしまいそうな気持ちになって、体全体が震えてくることを必死に押さえ込んだ。

 硬直してしまったように体が固く、何かで殴りつけられたように頭の中がくわんくわんと音叉のようなものが巡る。

 息のしかたを忘れたように首をふり、ついであたしはその場から逃げ出していた。音をたてないようにとか、何も考えていなかった気がする。ただその場を逃げ出し、途中で何かに躓いて転び、その場で――吐いた。


なんで、何がどうして?


どうして母のところにマーヴェルが来るの? 


ああああっ、やっぱり駄目だ。

すごい、あたしってば偽善者だ。ティナに、マーヴェルにあったらきっと祝福してあげようなんて、そんなことができる訳がない。何よこれ、なんなのこれ? あたしは眦からあふれるものに嗚咽をもらし、袖口でぐいっと口元をぬぐって「は、はははは」と乾いた笑いをこぼした。


もうあたしの人生に関わってこないでよ!


「帰ろう……」

 あたしはぎゅっと地面の芝生を掴んで呟いた。

どうしてマーヴェルがこんな場にいるのか、母に何の用があるかなんて関係がない。あたしは帰る。


あたしの新しい人生に。


***


 それからどんな風にその日一日をやり過ごしたのかあたしははっきりと覚えていなかった。

 母が何事か心配そうな眼差しで見ていたけれど、その時のあたしときたら母に何も言わずにでも逃げ出してやろうと考えていたから。

――逃げてばっかりの人生だ。

 そう思うと激しく嫌悪を抱いたけれど、どうやって戦ったらいいのか判らなかった。

用意された馴染みのない寝台の上で枕を抱きしめて、ぎゅっと唇を噛んで。


「っっっ」


 涙なんて流す意味がまったく判らない。

それでも滲んで来るものにどうしようもなく腹がたって、あたしは口の中に血の味が広がるのを無視してぎゅっと目を閉じた。

「駄目だよ」

――だからその時、穏やかな声がそう言ってあたしの唇を親指の腹でそっとなぞりあげたとき、あたしは何の疑問を抱くことなくそれを受け入れた。

「どうして……」

「ん?――」

「どうしていなかったの!」


 すごい理不尽な八つ当たりだ。

あたしはお腹の中がぐちゃぐちゃで支離滅裂で、突然枕元にヒトが現れた現実よりも、きつい口調と眼差しとを叩きつけていた。

「魔術師!」

「何かあった?」

 寝台の縁に腰をおろし、優しい眼差しで覗き込んでくる。愛しむように優しい指先であたしの唇をなで、頬に触れ、温かな何かを惜しむことなく流し込んでくる。

 何か、何か?


何も……――なかった。

何があった訳じゃない。何もなかった。

あたしは上半身を起こして、がばりとその胸にすがって泣いた。

「馬鹿っ」

「うん、ごめんね?」

「馬鹿っ、このばかっ」


 温かな胸元にすがって、その体温を分けてもらいながらあたしは幾度も馬鹿と繰り返し、その指先があたしの頭をなで、ぽんぽんっと一定のリズムで優しく叩くのを感じながら、あたしはやっと呟いた。


「こんな言葉、何受け入れてるのっ」

「ぼくはどんなきみも好きだもの。馬鹿でも間抜けでも、きみの唇からぼくに向けられる言葉はどんなものでも愛しい」

 当然のことだというふうに優しく穏やかに笑う男を、あたしはそっと見上げた。


あれだけ激しく吹き荒れていた奇妙な嵐が、穏やかに沈静化していくのが判る。

あたしは泣き笑いの顔で、言った。

「帰りたい。あたし、帰る――連れて行って」

 あなたにはそれができるでしょう?

あたしが求める言葉に、けれど魔術師はその唇をそっとあたしの瞼に押し当てて囁いた。

「そうしてあげることは簡単だよ。でも、いつかきみは立ち止まって考える。お母さんが泣いていないかとか、おいてきてしまった何かについて」

「――」

「たとえばきみは今、このままぼくに抱かれてもいいと思ってる」

 突然指摘された言葉に、あたしは身を固くした。


「でも、そうしたらきっときみは後悔する」

「――」

「眠れないなら朝まで抱きしめてあげる。あまりうまくないけれど、子守唄だって歌ってあげる。穏やかな眠りを約束するよ」


――穏やかな眠り?

そんなものは欲しくない。今欲しいのは全てを忘れさせてくれるものなのに!

そう言ってやりたかったけれど、あたしは自分の顔をその胸に押し当ててぎゅっと抱きしめた。


「あたし……」

「なんだい?」

「――もう逃げなくて、いい?」

 おそらく相手には通じないだろう言葉。けれどあたしを抱きしめ、とんとんっと穏やかな振動を与え続ける男は笑った。


「逃がしてなんてあげないよ?」

 茶目っ気交じりの言葉に、あたしはふっと笑って、そういうのはちょっと違う。と言葉にしながら相手に聞こえないように小さな声で囁いた。


――会いたかった。


会いたかったの。

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