番外・尊大な騎士と意地っ張りな姫君(前)
web拍手で一度掲載したものです。
一年に一度の豊穣を祝う収穫の祭りは年頃の娘達にとっては一番大事な行事の一つに違いない。
アマリージェだとて、祭りが近づけばそわそわと心が浮き立つような喜びを味わうこともあった。ただし、それはいつの間に苦痛にとって変わっていた。
おそらく自分の年齢が上がったからだと思うとアマリージェはほんの少しだけ鼻に皴を刻み込んだ。もちろん、表面上の彼女はそんなことはおくびにも出さない完璧な淑女――すくなくともそう自認している。
その淑女も二十一という年齢を迎えれば年若い娘達を生あったかい視線で眺めるだけの分別を持つようになってしまった。
――子供はいいわよね。
どこか覚めた気持ちで眺めてしまうのはもともとの彼女の老成ゆえか。彼女の友人に言わせれば、マリーは大人びているからということになる。その彼女も二十一、つまり大人びているのではなくてすでに立派な大人であった。
ただし、貴族の娘としては異例なことに彼女は未だに夫をもっていなければ、婚約者ももっていない。幾度もあった縁談話は彼女のある好みによって一蹴されてしまった。
――激しく面食いだった。
彼女にとって基準は兄であり、また自分の暮らす城館の裏手に暮らす神官長だった。
もちろんそれ以上を望むほど愚かではないが、だがしかし妥協したとしても妥協に妥協を重ねる気には到底なれなかった。自分の年齢があがったところで自分を安売りなど断じてする気はない。
彼女は麗しい兄の妹だった。
つまり、自分の美貌もきっちりと自覚する女アマリージェ・スオン――時折友人がマリーはイイ性格だよね、などとぼそりという言葉をほめ言葉として処理している。性格がいいとは多少ニュアンスがことなっているようだが、気にするような問題ではないはずだ。
収穫の祭りは豊穣の女神が町をめぐり盛大なパレードが繰り広げられる。
基本的に祭りの主役は町の人々で、アマリージェや兄達はあまりかかわってはいない。
数年前に一度アマリージェが女神の役をやったこともあったが、あれは適齢の娘がいなかったからであって、もしアマリージェに変わる娘が町にいればアマリージェは辞退していたことだろう。
アマリージェは城館の二階アプローチから庭の様子を眇めて眺めながら心の奥がちりちりと痛むのを感じた。
収穫の祭りの日には城館の庭が開放される。綺麗に整頓された庭を見学するのはだいたいがお年寄りや食事をとる家族連れと相場が決まっていたというのに、ここ数年は何故か若い娘達が入り込んでキャーキャー騒いでいる。
そしてその中心にいるのが、この城館に勤めているアジス――アジス・トルセアというのももう見慣れてしまった光景だ。
彼はもともと隣町の住人であったが、十一のころからこの町に長く滞在するようになり、そして十二の年齢でこの城館にあがった。従騎士見習いとして、従騎士として、そして騎士になる為に幾度か聖都にあがり、今は……十八となり騎士の資格を手に、収穫の祭りの為にこの城館に戻っている。
もともとが平民であったものが許されて騎士となったものだから、町の娘達の憧れは相当なもので――その姿にはたいてい一人二人の娘がセットでついてくるという有様だ。
それを見るとアマリージェは胸がむかむかとしてくるのだ。
彼が幼い頃を知っているだけに余計――愚かだわ、と吐き捨ててやりたくなる。
本当に愚かしい!
つまり、なんですの? あの子供は女の子にモテタイが為に騎士になったのかしらね!
そう思うと本当に腹立たしいのだが、実際そうでないことは――アマリージェはいやという程知っていた。彼が騎士になる為に尽力したのはアマリージェ自身であるのだから。
「マリー?」
ふいに兄から呼ばれてハッと息をつく。
「祭りを見てきたらどうだい?」
一人でぼんやりとアプローチでたたずむ妹の姿に兄が気遣うように言う。むしろほうっておいてほしいのだが、どうして兄はこういう時余計なことをするのだろう。まったく要領が悪いというか、余計な世話としかいいようがない。
兄にまで心の中で悪態をついてしまうアマリージェに、兄は困惑したようにふいに言った。
「アジス君と祭りを見てきたらどうだい?」
「どうしてわたくしがあの口の悪い愚か者と一緒に祭りになどいかなければいけませんの?」
「いや……うん、いやなら別にいいんだけれど」
「兄さまが命令なさるならば仕方ありませんけれど」
「命令? いや、そこまでは言ってないけれど――」
兄の命令であれば仕方ない。
アマリージェは意気揚々とドレスの裾を裁いた。
そう、これは自分の意思ではなくて、兄に言われたから仕方なく、仕方なくあのいけすかない男を護衛として連れて行くのだ。
アマリージェは軽やかに階段をおり、中庭に足を踏み入れた。
かしましい娘達の嬌声などものともせずにゆっくりと優雅な調子で歩む。こちらに背を向けて腕を組むようにして尊大に立つ男の背後から近づいていくと、すっと――まるでアマリージェが近づいていたのを感じるようにアジスは一歩身を引くようにして振り返り、口の端を持ち上げるようにして笑うと胸元に手を当てて一礼した。
「ごきげんうるわしゅう、アマリージェ様」
「そんな気取った挨拶など必要ありません。アジス、町におりますから共をして」
よどみなくいい、にっこりとアマリージェは不満そうな顔を見せる娘達に微笑んだ。
「ごめんなさい。兄の命令ですの――」
自分は本意ではないのだというように示す姫君に誰も否を唱えることなどできようはずもい。
「アジス、今夜のダンスは出る?」
それでも別れを惜しむように言う娘の言葉に、アジスは軽く手を振って、
「さぁ、どうだろうな」
と曖昧に返事をしてアマリージェの後に続いた。
「珍しい」
ゆっくりと歩くアマリージェの後ろ、皮肉な口調でアジスが言った。
「何がです」
「普段であれば護衛なんて要らないって息巻くお姫さんがね」
「――兄の命令ですもの。仕方ありませんでしょう」
「そうですか、仕方ないですか」
はっと吐き出すように笑われ、アマリージェはぴたりと足を止めて振り向きざまに相手をにらみつけた。
「別に、好きであなたを連れていく訳じゃありませんわよ」
「わーってるさ、お姫様。我が君のご命令だ」
――我が君、という言葉にどきりとした。
それでは彼は聖都で騎士の位を授かり、こちらに戻ってすぐに兄にその剣を捧げたのだ。
手の早い!
まだ戻って数日だというのに。
もともとそうなることは判っていたが、兄もアジスもちらともそんなことは言っていなかった。なんだかむかむかとしながら、「そうですか」と乱暴にかえした。
「アマリージェ様、姫さま」
「なんです」
「あんたらしくないぞ、どすどす歩くなよ」
かぁっと体温が上がる。
なんだってこの男はいつもこう気に障る物言いしかできないのだろうか。これで騎士? 騎士? ありえないわ。騎士といえば淑女に礼を尽くすものではないの? だというのに、この男ときたら子供の頃からこの調子だ。
「らしくないって、どういうのがわたくしらしいのです!」
「外面だけはいいくせに」
「――っ」
「ほら、自覚してるじゃないか」
ふっと笑う相手をにらみつける。
「生意気ですわ! わたくしはあなたよりも三つも年上ですのよっ」
「知ってる」
「もう少し敬ったらどうなのです」
兄の――領主の妹だという言葉は口にしない。それはアマリージェの持つモノではないのだ。自分の矜持が許さない。
だが、アマリージェは知っていた。自分が胸をはれるものは自分自身のみ。しかしこの面前の男はそんなことかけらも気に掛けたりしないだろう。
尊大にでれるものが年齢だけとは嘆かわしい。
「判った、敬う」
さらりと言われてアマリージェは絶句した。