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歪愛と思惑

 あたしは昨日の夕方にルティアさんに手紙を書いた。

今日は母の家に泊まるので、神殿にもルティアさんの家にも行けないですと。泊まるつもりはあまり無かったのだが、せめて一日くらいと言う母に押し切られたのだ。


「母さん! あたしの荷物はっ」


翌朝、あたしは机の上に置いた鞄の中身がなくなっていることに愕然とした。たいしたものが入っている訳ではなかったけれど、着替えと日用品とが入っている。あとはお財布。お財布までも無いのだ。

「必要が無いでしょう?」

「必要って……着替えは? あたし、こんなひらひらドレスで帰りたくないっ」

 十七才にもなって桃色ひらひらドレスは止めて。これで町に戻ったら変態以上の変人になってしまいそうで怖い。町の人は一瞬ぎょっとした様子で視線を逸らし、ついで「リドリー、似合っているよ」と言ってくれると思われます。物凄くいたたまれない。

 マイラおばさんに至っては必死に笑いを堪えながら肩を揺らし「可愛いじゃないか」と言ってくれるだろう。

 あたしの心に物凄いキズが生まれそう。泣きたいくらいの。


 母は穏やかに微笑み、

「まぁあなたときたら。あなたは帰って来たのよ? どこに行くというの?」

おかしなことを言わないで? という空気を撒き散らしながらオカシナコトをおっしゃる。

あたしは小さくうめいた。


「母さん、あたしは母さんに会いに来ただけで――コンコディアの町に戻るのよ?」

「どうして?」

 どうしてって、

「どうしても何も。あたしはあの町の住人なの」

 仕事ももっているし、税金も払っているし。アパートにはきっちり家賃を払ってます。

少なくともあと二か月分は払ってありますよ。

「そんな辺境に暮らすより、ここにいたほうがずっと幸せよ。あなたは仕事なんてしなくていいの。この家で、ずっと母様と一緒に暮らせばいいのよ。勿論、結婚なんてしなくていいの。孫は欲しいけれど、いいのよ。私はあなたがいればそれでいいの。やっと可愛いリィが戻って来てくれたのですもの。母様をこれ以上悲しませないで」

 母がゆっくりと近づき、あたしの頬に触れる。

愛しむように微笑まれても、あたしは泣きたいような複雑な気持ちでもやもやとしてしまった。

 

母は……相変わらずだった。


「母さん、あたしはもう大人なの」

「いいえ、あなたときたらいつまでも小さな子供よ。あんなおかしな男に引っかかるなんて、危なくて一人にしておけないわ」

 いや、おかしな男は認めるけれど、別に引っかかってません。

私は強い意志を今のところ貫きとおしてますよ!

……通して、ますよ?

 ちょっと自信がない。

滅びてしまえ恋心。


「ずっと母様と一緒にいてくれればいいのよ」

ぎゅっと抱きしめる柔らかな腕の中、あたしは自分が無力な子供に戻ってしまったような錯覚を覚えた。

昔の自分なら、一緒にいると言うだろう。ここにはティナの視線も、父の視線も無い。自分を引きとめるものが無い。

母だけがあたしを求めてくれている。

母はあたしにとって大事な――

「母さん、あたしは」

 口を開いたところで、控えめなノックが部屋に落ち、執事が一礼して口を開いた。


「お客様がおいでです」

「今日は誰とも会うつもりは無いわ」

「それが、リドリー様にお客様なのです」

 困ったような執事の言葉に、母が更に気色ばむ。

「神殿官の方ならなおさらもう」

「いえ……リドリー様のご友人だとおっしゃるのですが、リドリー様、アビセイム伯令嬢をご存知でいらっしゃいますでしょうか?」

 心配するように尋ねられ、あたしは首をかしげて瞳を瞬いた。


誰、それ?


「アビセイム伯令嬢、アマリージェ・スオン様とおっしゃる方がいらしておいでです」

「マリー?」


***


「友達がいがありませんわね。わたくし、初対面できちんとアビセイム領を治めるジェルド・スオンの妹と名乗った筈ですのに」

 それとも友人だと思っているのはわたくしだけでしたのでしょうか。

わざとらしく言うアマリージェは、丁寧にあたしの母にスカートの裾をつまみ、頭を下げた。

「はじめまして、リドリーとは親しくさせていただいております。アマリージェ・スオンでございます。こちらは当家の家人、アジスです」

一緒に来ていたアジス君は緊張した様子でぺこりと頭を下げた。

「リドリーのお友達?」

 母は戸惑うようにアマリージェとあたしとを交互に見た。

そうですね、なんというか品位とかイロイロな問題で「友達」という単語が当てはまらないですよね。なんてひねくれたことを思ってしまったあたしだが、母が思っていたことはもっと酷いことだった。


「リィの友達ははじめてね」


――友達いなくてスミマセン!

胸が、胸が痛いよお母さん。なにこの直球で厳しい感じ。

 しかし、母は何故か嬉しそうにしながらそそくさと「お茶とお菓子の準備をしてあげましょうね。座っていらして」と出て行ってしまった。


「なんつーか、きんちょーする」

と、やっと会話が許されたとでもいうように、アジス君はいい、勢いをつけて椅子に座った。それをアマリージェが軽くとがめる。

「アジス、男性は女性の椅子を引いてさしあげるものです。座る時にはタイミングを合わせて椅子を押して、男性が座るのは一番最後。もし女性が部屋に入室したら、男性は席を立ち上がって迎え入れるのが礼儀ですわ」

 きびきびとした教師の言葉に、アジス君は「けっ」という表情を見せたが、素直に言われたように椅子を引いてアマリージェとあたしの椅子を引き、最期には一礼してアマリージェに「座って宜しいでしょうか、姫」とまで言った。

「よろしい」

――ちょっと楽しそうなアマリージェ。


「にしたって、リドリーってオジョーサマだったんだなー」

「いや、そんなことないから」

 あたしは顔をしかめた。

あたしはしがない一般人ですよ。

それでもあえて言うのであれば、エセお嬢様です。まさに虚構――この屋敷はあくまでも伯父が母の為に用意したものであって、あたしはただの母の付随品。

「ルティア様はいらっしゃらなかったのですね」

まぁ、あの方も忙しいのかもしれないし。と、それでも話題の一つとしてふってみると、アマリージェではなくアジス君がにやにやと答えた。

「ルティア様は宮廷の人間にひじょーに評判が悪いから、リドリーのお母さんに会うのは止めておくって言ってたぞ」

……なにそれ。

答えもないままに、アマリージェに視線を向けると、彼女はこほんっと咳払いを一つ。


「ルティア様からご伝言です」

 ふとアマリージェは声を落とした。

「お母様の邸宅には幾日御逗留でいらっしゃいますか? 勿論幾日逗留なさいましても構いませんが、公を放置すると楽隠居が珍しく仕事をして聖都に嵐がきますので早く戻っていらして――ということです」

「意味が判りません」

「……これでも判りやすく噛み砕いたのです」

 どうやらルティアさんはもっと難解な言葉でアマリージェに伝えたようだ。伝言ゲームには向かない人選かもしれない。


「リドリーさんに伝えてくださいなぁ。何日おかーさまのとこにおられるかしらぁ? 何日でもかまいませんけれどぉ、公をあんまりほうっておきますと、いつもだったらしないよけいな仕事までしたり、欲求不満が溜まりすぎて暴れだしますからできれば早く帰ってきてくださいませねぇ? あ、でも、公にいぢめ(・・・)られてるエディ様は見ものですわよー、でもエディ様は私のですからあげませんわよぉー。もぉ、本当にエディ様可愛いっ。が原文」


 アジス君が肩をすくめて言う。しかもルティアさんの声をわざわざ真似ているので、あたしは噴出すのを懸命に堪えたし、アマリージェは目を見開いていた。

 それはともかく、いろいろ要らない部分ははしょられていたらしい。確かに要らない。

最後のほうは完全に必要ないです。どんだけルティアさんはエルディバルトさんが好きなんだろう。しかも、たかが短い付き合いしかないあたしにだって理解できることを、エルディバルトさんが理解していないのが意味不明。

――アジス君は最後のほうの台詞を実に楽しそうにニヤニヤと言っていた。

 あたしが乾いた笑みを浮かべたところで、母が昨日同様にお茶の用意を整えて顔を出しす。

途端に座っていたアジス君がすっと席を立ったものだから、あたし眉を潜めたのだけれど、アマリージェはよくできましたとばかりに一つうなずいて微笑んだ。

 あ、紳士のマナーというヤツですか。

……なんだろう。偉いぞ、アジス君という思いと同時、アマリージェの教育がちょっと怖かったです。


「楽しそうね。私も混ぜていただいて構わない?」

 混ざる気満々な母だったが、あたしは慌てて席を立ち、部屋から押し出した。

「母さんは駄目っ」

「まぁ、リィってば冷たい。あなたがはじめて友達といるのよ? いいじゃないの」

あたしってばどんだけ寂しいコドモですか。

「そんなことないでしょっ。マーヴェルだっ……」

 不用意に出した言葉に、あたしはびきりと固まり、母は息をついた。

「マーヴェルは友達ではないわ。そうでしょう?――まぁいいわ。では、スオン様、どうぞ楽しんでくださいませね」

 母はアマリージェに微笑みかけ、あたしの頬にキスをして部屋を出ていった。

多少からだを硬直させたまま、あたしは自分の席に戻りながらアマリージェとアジス君とを交互に見て、それから乾いた笑いを浮かべてしまった。


「すげー、リドリー愛されてる?」

なんで疑問系で言うの、アジス君。

しかも視線が生あったかい感じ。

あたしは意地悪くアジス君を睨みつけ「あーら、アジス君だって随分と愛されてると思うけどなー?」と口元を緩めた。

「へ?」

「ねぇー? アルジェ――」

「だぁぁぁぁぁっ」

 アジス君は悲鳴のような奇妙な声をあげると、がたりと音をさせて席を立ち、あたしの腕をぐいぐいと引っ張った。


「なに、何でっ」

部屋の片隅で涙目で訴えてくる少年をにまにまと見下ろし、あたしは更に口元をにーっと歪ませてみる。

「言い忘れたけど、おとといアジス君の部屋に泊めさせてもらったの。ターニャさんと町中であってね」

 ソレ以上は言葉を濁すあたし、アジス君は泣きそうな顔をし、ついでおいてけぼりを食らったアマリージェが「いったい何ですの!」と声を荒げた。


「二人で何です! いやらしいっ」

 いやらしいことはありませんよ。

「アジス君ったら、実は」

「リドリィィィっ」


「おじいちゃん子なんですよー」


ちょっと虐めすぎました。


***


 とんとんとんっと、神経質そうな指先が椅子の肘掛を突いた。

それまで数多の手紙に視線を落とし仕事に熱心であった主だが、やがて眉間に皺を刻み込んで長い呼気を落とすと、控えているエルディバルトを呼ばわった。


「エル――エルディバルト」

「はい」

「ファディル男爵を知ってますか?」

「名前だけであれば」

 生憎と貴族年鑑を全て記憶している性質(タチ)ではないし、男爵程度にかかずらっている程暇ではない。

 それでなくともエルディバルトは普通よりもすることが多い。

「では調べてください。特に女性関係とか金銭面とか、どういったサロンに頻繁に出入りしているのかとか、調べられることであれば何もかも」

「あら」

 軽く頭を垂れて主の言葉を拝聴していたところで、間の抜けたような声が入り込む。

エルディバルトは途端に顔をしかめた。

「そういったことはー、ルティのほうが得意ですわよぉ?」

「ではルティアに――」

「これは私が公から頼まれたのですから、私が!」

「でも、ルティのほうが得意ですのにぃ」


 にまにまと口元を緩めて言う婚約者を睨みつけ、エルディバルトは主の前でしっかりと胸元に手を当てて膝を折った。

「確かにこの私が拝命致しました。失礼します」

 まるで早く行かねば仕事がとられるとでも言うようにさっさと退散した騎士を見送り、ルティアは肩をすくめた。

「騎士の仕事ではありませんわー」

「そもそもルティアにはあの子を任せていたと思いますが?」

 ルティアは冷たい微笑を湛えたままの元婚約者に小首をかしげて微笑んだ。


「リドリーさんのところにはマリィを行かせてますわよぉ」

「何故あなたは行かないのですか」

「あら、公ってばおばかさん。神殿官(・・・)である貴方様が嫌われましたのに、神殿官長(・・・・)の義娘である私が出向いたら警戒されてしまいますわよ?」

 それに私ってばとっても評判悪いのですものぉ。

などと軽く続ける。


ついで、ルティアは生温かい眼差しで元婚約者を見た。

「そもそも公――あなたにはできないことは無いというのに。何の為の魔法使いですの?」

「私は万能では無いし、私の力は数多の犠牲の上のものなのだから無駄に使ってよいものではないんだよ」

 子供に諭すように言ってみたが、ルティアはにっこりと微笑んだ。

「そしてこの国は貴方という犠牲の上に成り立つ矮小な国ですわ」

「そんな風に言うものではないよ」

「犠牲ばかりではつまりませんものね。貴方は貴方に許された自由をどうぞ堪能なさいませ」

 肩をすくめたルティアは更に微笑を深めた。


「ということで、今すぐ既成事実でも作っておしまいなさい」

「……」

「縛るとか押さえつけるとか、色々やりようはあります。媚薬とか必要なら用意しますよ。まさか不能だとかおっしゃいませんわよね? スッポンの生き血とか蛇の陰Xとか効くらしいですわよ。なんでしたら私がリドリーさんに薬をもってさしあげますけど」


「――やっぱり、きみはあまりぼくのリトル・リィに近づかないでくれる?」

伝染(うつ)ったらヤダ――切実に。

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