気鬱の病と変質者。
町の様子が少しずつざわめくように変化する。
建物と建物の間をロープが巡り、旗が連ねられる。町のあちこちに置かれているのは、子供達が作る小さなランタン。
レンガの壁に色鮮やかなポスターが貼られたり、町の中央広場には移動遊園地の一団が現れる。
収穫祭は小さな町をいっきににぎやかなものへとかえてしまう。
近所のリッターさんの家にパンを届ける為に歩きながら、あたしはほぅっと溜息を落とした。
町のにぎやかさと反するように、あたしの気持ちはゆっくりと沈んでいた。
馬鹿だな、と思う。
今更考えても仕方ない。
こんなに後ろ向きだったろうか?
――収穫祭。それはつまりあたしの街でいう豊穣祭。
もちろん、イヤな記憶だ。
結婚式のはずだった。本来なら、もう少しで結婚一年目で、もしかしたら赤ちゃんだってこの腕に抱いていたかもしれない。
視線が自然と下がり、自分の足元を見ていた。
中央通り。幾つものブロックを埋め込んで舗装された道を歩くあたしは、ふいにぽんっと――両の肩をつかまれた。
「やぁ、リトル・リィ!」
「―――」
ああ、今日は天気がいいなぁ。
本当はこういう日にはアパートの窓を開け放って空気の入れ替えとかしたいとこだけれど、次の休みもこんな天気だといいなぁ。
「こんなトコで逢えるなんて!
さすが運命で結ばれただけはあるよねっ」
「って、誰がよ!」
「あ、やっと見てくれた」
にっこり。
あやしい魔術師はがしりと人の肩を掴んだまま小首をかしげ、まるきり他人の視線など気にせぬ勢いで、ぎゅっと――抱きしめてくる。
「くぬぅっっっ」
は・な・せぇぇっ。
「ほら、ぼくも仕事が忙しいものだから。なかなか君とデートとかできないでしょ? 嫌われたらどうしようって、ぼくは毎日心配なんだ」
「その花畑並の頭の中、かち割って見てみたいんだけど!」
嫌われたらどうしよう?
おあいにく様、そんな心配は毛頭ナイ。だってもうすでにキライなのだ。
心配する必要なし。
「リトル・リィの頼みならきいてあげたいトコだけれど、さすがにそんなことしたらぼくも危ないからなぁ」
「とりあえず離しなさい!」
「ふふふ、ぼくのリトル・リィは照れ屋さんで可愛いなぁ」
さらにぎゅぅっと力をこめ、魔術師は耳元で囁くように「今日もリトル・リィはとってもいい香りだね」
とふんふんっと鼻を鳴らしてみせる。
この変態ぃぃぃ!
匂いをかぐな、莫迦!
ぐぐぐっと、片手にバスケットを持ち、もう片方の手だけで一生懸命ぐぅっと相手の胸を押すのだが、見た目はひょろりとした優男だというのにこれがびくともしない。
っていうか、道端で何をしているんだ。
そもそも誰かとめてくれ。
という心の叫びもむなしく、町を行く人は苦笑を零し、
「やぁ、コーディロイ。あんまりキティを苛めたらいかんよ」
などと片手をあげて優しく見守ったりするのだ。
誰が子猫ですかっ。
――そもそも、この変態男の暴走を何故誰も止めないのっ。
というあたしのまっとうな意見が通ったのか、その時に聞きなれた声が耳に入った。
「リドリー?」
吃驚した声に、ハッとあたしの視線は広場の方向から歩いてきた青年を見た。
それはペギーさんのところのトビーで、彼の帽子の下の鳶色の瞳が大きく見開かれている。
ぎゅっとあたしを抱きしめたまま、魔術師はふいっとその眼差しをトビーへと向けた。
「やぁ、トビー」
「コーディロイ?」
「御仕事かい? 仕事熱心はいいことだね!
ぼくも毎日仕事で忙しい!
でも何てラッキーなんだろう! 今日はこうして道端で愛しいリトル・リィに会えたんだ。君にもぼく達の赤い糸が見えるだろう!」
へらへらと笑いながらそんな風に言う。
あたしはかぁっと自分の体温があがるのを感じた。
いや、トビーに誤解されたところで構わないのだけれど、いや、構うか? あれ、もういやっ、なんだかわからーんっ。
トビーとは仕事で顔を合わせるのだから、こんな変態と知り合いだと思われるのは絶対によろしくないっ。
「いえ、あの……リドリー、嫌がってるみたいですけど」
「いやだな、リトル・リィは照れ屋さんなんだ。
そこは君が察知してあげなくちゃ。そんなんじゃもてないよ?」
おまえがじゃっ。
くぅっとあたしは呻くと、ふと無防備な相手の……まあ、いわゆる急所を足の太ももで蹴り上げた。
――なんというか……いやな感触でございます。
ぐにゃん、というか、えっと……
いがいに手ごたえが(足だけれど)ないというか。
「ぐごぅっっ」
「離せ、この変態!」
ぱっと肩から手が離れると、あたしは慌ててその場を飛び退り、
まるきり何事もなかったかのようにトビーへと笑いかけた。
「トビー、このあたりは昼間っから変質者が出るから怖いわね」
「……いや、あんまりでないけどね」
「ヴぅぅぅぅぅぅあぐぅっ、リトォル……」
うっさい、変態。あたしは仕事中なのっ。
あたしはふんっと横を向き、
「じゃあまたね、トビー」
「え、ああ……うん。気をつけてね、リドリー」
トビーは引きつった笑みを浮かべ、悶絶している男を哀れむように視線を向け、同じ男としての性なのか、とんとんっとその腰を叩いてやった。
「コーディロイ?」
「……ぅぅ」
「ぼく、コーディロイのそんな姿、はじめてみました」
「――っっぐぅぅっ」
とんとんっと飛び跳ねる魔術師を、トビーはどこか奇妙な眼差しで眺めていた。
まったく!
どうしてああ年がら年中御花畑で変態でいられるのだろうか?
悩みなどないに違いない。悩みがないのが悩みっていう、そういう人種に違いない。
考えれば考えるほど、むかむかとしたものが競りあがってくる気がする。
お届けものであるパンをきちんと配達し、足早にパン屋に戻る。
その頃にはすっかり、頭の中は「変態ボケ、消え去れ」と悪態で一杯になっていた。