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呪いの指輪と囚われのネズミ

 その時の自分の感情を言葉にするとしたら「お母さん、何か叩くもの!」が正直なところだった。

もう本当に抹殺すべきだろう。

「まぁ?」

 その男は窓辺に立っていた。

本日の髪の長さはおそらくきっと肩口辺り。紐で首の後ろで一本に結わえている様子。そして着用しているのは神官服ではなかった。薄い若草色に濃い目のバイピングがなされた神殿官のものだ。だらりと長く、腰の辺りを幅広のベルトでとめている。神官服だとその下にズボンは無いが、今回は若草色よりも濃い目のズボンを穿いている。幅広のベルトから伸びた組紐が体の動きでさらりと揺れる。

――アレの発言をどうとったのか、母は微妙な顔をしてあたしを見た。彼女の視界に入ったあたしときたら、それはそれは見事に引きつっていただろうと推察できる。


殺意に限りなく近いなにかによって。


「どうしてここにいるのかしら?」

 あたしの声は低かった。

言葉に呪い要素を含ませることができるのであれば、おそらくヤツは三回程は呪いの波状攻撃を受けたはずだ。

ただし、残念なことに害虫には少しも通用している様子はみられないけれど。

「挨拶に来たのですよ」

 しかも、この変質者は完全に外面神官長モード。

軽く微笑を湛え、害意など欠片ほどもない人畜無害っぷり。これが初対面であればあたしはその視線に恥じ入ってひれ伏して「ごめんなさい」と訳もなく謝罪を口にしていただろう。

「神殿官の方に失礼よ」

 母がそっとたしなめるように言う。

神殿官を名乗りやがりましたか、そうですか。そうですね? 神官が女の子に対して「大好き」とか言っては倫理的にも問題がありますよね。

神官は普通神様に仕えるのです。女性を好きだとか口にしたり行動にうつしたら普通に破門とかじゃないですか?


破門されるべき。


 神殿官はあくまでも神殿と王宮とをつなぐ役割。お役人だ。当然妻帯だってすることでしょう。

 抜け目無いところが激しくむかつく。

「リィ?、どうしたの?」

軽くたしなめるように母があたしの腕をとんとんっと叩く。

「母さんはこれが誰だか知ってるの?」

あたしはどこまでも低い声で尋ねた。

「あなたの暮らしている町、コンコディアの神殿官の方よね。以前にあなたを迎えに行った時にはじめてお会いしたのよ。私が貴女を聖都に連れて来ようとしたら、もう十六で成人を迎えているのだから親は見守ったほうが良いって説得されたのよ。神殿官であるあの方がきちんと見守ってくださると言うから……それに、幾度か報告にも来て下さったとても親切な方よ?」


……あたしはふるふると身を震わせた。

物凄く言いたいことが蓄積されていく。あたしは引きつった微笑を浮かべ、ぎぎぎっと母を見た。

「お母さん、ちょっと席をはずしてもらっていい?」

「――でも」

「お願い」

あたしの強い口調に、母は困惑を示したがすぐに軽くうなずき、頬に口付けを残して神殿官と名乗った腐った男に一礼した。

「お飲み物を用意してまいりますね」


 それでも名残惜しい様子でちらちらとあたしを気にしながら出て行く母を見送り、あたしは大きく息を吸い込んだ。

 心の中でゆっくりと数字を数えた。言いたいことを丁寧に整理していく。

神殿官の衣装が激しく格好いいとかはこのさい無視。その衣装はユリクスさんが着てこそですよ。


「神殿官?」

「いや、だってイロイロと言えないことってあるでしょう?」

 そうですねー、神殿官どころか神官長で公爵様でいらっしゃる。あなたがその爵位を持っていると思うだけで公爵位なんて道端の石ころ同然ですが。

「うちの母と顔見知り?」

「だってほっといたら君を連れて帰ってしまいそうな勢いだったから」

「そこに座れ!」


 おまえはやっぱり詐欺師だろう。

あたしはばしりと指を突き付けた。そうですね、覚えがありますよ。一年前にわざわざ町にまでやってきた母が、いがいにあっさりと引き下がった覚えが。

あたしの怒りを前に、神官長だか神殿官だか竜守だか竜公だか何だか判らない男は言われた通りにその場に座った。いや、さすがに床に座れとは思っていなかったというのに、その場でかしこまって座られてしまい、あたしは思わず怯んだ。


 なぜ、床ですか。

そこまで鬼畜じゃないですよ、あたしだって。

怯んだあたしに対して、神殿官の高潔そうな衣装の男はまるで捨てられた犬のようにあたしを見上げてくる。

「ごめんなさい」

「……」

「でも、もともと一緒に来る予定だったじゃないか」

 そんな予定はナイ!

少なくともあたしの予定では、母のところには一人で来る予定でした。絶対に何が何でも変質者同伴での母との対面なんてちっとも欠片も考えていなかった。

「本当はルティアのところか神殿で待とうかなと思ったけど……でも、会いたかったんだよ。すごく、すごく、会いたかった」

 真摯な眼差しで切なそうに言われ、あたしはまるで自分が非道なやからに成り果てたような錯覚に陥った。

「リトル・リィ――寂しかったよ」


あたしは先ほどまで自分の内にあった言いたいことリストが途端にがたがたと崩れ落ちていくのを感じた。言いたいことはいっぱいあった筈だし、何よりも顔を見たその瞬間にひっぱたいてやりたい気持ちだってもっていたというのに。

あたしの怒りはしおしおとしおれて、最期には眉をひそめてまったく違う言葉が搾り出されてしまった。


「腹下しは、治ったの?」


 あー駄目だ。あたしってば弱すぎる。どうして折れてしまうのだろう。

もっと強い意志で突っぱねて。もう絶対にイヤだと言い切ってしまえばいいのに――好きっていう感情はなんて厄介なのだろう。幾つもの紙に丸め込んでくず入れの中に入れて、あげくそのまま火を放ってしまいたい。

「……腹下し?」

「違うの? エルディバルトさんが貴方はセンサイだから悪いものを食べるとすぐに(あた)って酷いことになるって。でも、言わせてもらえば腹痛だからって部屋のものを破壊していいってことじゃないと思うのよ? あの列車の特別車両もう本当に酷いありさまだったのよ? 誰も文句の一つも言わないみたいだけど、あれは絶対に駄目。弁償もの! いくらなんでももうちょっと冷静……――」

 あたしの言葉は途中で途切れた、あたしの言葉にかぶせるように、突然面前の男が座ったまま高笑いしたのだ。


 高笑い――口元に手を当てて耐え切れない様子で肩を震わせ、ついで立ち上がったかと思えばあたしの腕を引っ張りあげて自分の腕の中に閉じ込めた。

「そうか、腹痛ね。ははっ、そうかな。そうかもね」

は?

「本当なら半月くらい平気で腹痛になっちゃうんだけどね。君に会いたい一心でがんばったよ? ああ、リドリー、ぼくのリトル・リィ。大好きだよっ」

 その上機嫌っぷりが理解できず、ついで首筋をなぞるようにして相手の手が頭を押さえようとするものだから、これは危険だと察知したあたしが体をぐいぃっと引き離そうとすると、ふっと腕の力を抜いて懇願するように甘く囁いた。


「口付けしたい」

「――」

「駄目?」


なんで、なんで、なんで聞くのっ。

今までだって聞いたことないじゃない。無理やりしなさいよ。

「リトル・リィ――」

切なそうに囁きが吐息と混ざり合ってあたしの鼓動を早めてしまう。

「リドリー」

 唇と唇が触れ合う寸前、もう口付けに限りなく近い体制のまま、それでもあたしの許しをじっと待つ男の言葉と態度にあたしはわなわなと身が震えた。

 吐息が、香りが、熱が、あたしの中で蓄積されていく。

「い……」

 いいといえば、それはあたしがそれを許可したということですよ。

それは、それは、あたしの――

 あたしはぎゅっと眉を潜ませ、相手の胸の辺りにある指先でその神殿官の衣装、絹の手触りを握り締めた。

 血の気がどんどんと下がって、やけに耳が熱い。

「交換条件!」

 あたしは咄嗟に言った。何か条件を付けなければ――耐えられなかった。

どう表現してよいのか判らないけれど、あたしが耐えられなかった。

キスしたいなんて。

自分から言うなんて。

「指輪を外してくれれば、駄目じゃ」

 ない、という言葉は口付けによって飲み込まれた。軽くうつむいた体を無理やり上向かせるように唇を押し当てて、ついでいたわるように柔らかさをもって触れてくる。

 力強く抱きしめてくる腕が背中をしっかりと固定し、もう片方の手が背筋を背骨をなぞりながらゆっくりと下がる。

その優しく強い感覚にぎょっとしながら身じろぎすると、唇を触れ合わせたまま苦しそうな囁きが落ちた。

「舌を出してごらん」

 さぁっとその言葉は背筋をなぞりあげた。血の気がこれでもかという程に下がり、ぞくぞくと全身に冷たいものが染みとおる。だというのにその次にはかぁっと体温の変動を感じつつ、男の手が背骨の窪みを押すように撫で、なぞるようにお尻のあたりをゆっくりとさすりあげたことに別の感覚を覚えた。


――よだれを垂れ流す駄犬!


 まさにソレだ。

あたしは手を回してぎゅっとその不埒な手の甲をつねりあげ、引きつった笑みで言った。

「とりあえずこの指輪を外してね?」

「え、なんで?」

「外しなさい!」


一歩距離をつめて自分の左手を突き出す。

リボンという封印を可愛いメイドさんにあっけなく解除されてしまった呪わしき邪悪なる指輪だ。

「似合ってるのに?」

 いやいや、分不相応ってくらい似合いませんよ。この細かい文様の辺りとかがとくに。

あたしがそれでも精一杯の低姿勢で引きつり笑顔を撒き散らしていると、しぶしぶという様子で男の手があたしの左手を掴み、もう片方の指先が指輪に触れた。


「どうなさったの?」


丁度その時に紅茶の乗った銀のトレーを手に持ち現れた母に、ヤツはにっこりと微笑みながら言った。


「彼女は似合わないなんて言うんですけれど、似合いますよね?」


 その所作は、指輪を取るというよりむしろはめているようにも見えた筈だ。

あたしは自分の手を必死に相手の手から引き抜こうとしていたが、優男の癖してその手はびくとも動かず、あたしはネズミ捕りにかかってしまったネズミのように手を支点としてじたばたと暴れることしかできなかった。



 母の瞳が愕然とあたしと指輪とを交互に見つめていたような気がするけれど、もうそんな悪夢からは覚めてしまいたい。

「あの、どういうことでいらっしゃいます?」

 どういうことでしょうね。

あたしはここで流されてはまずいと「違うのっ、これはっ」と慌てて声をあげたのだが、外面大王は穏やかな調子で続けた。

「挨拶に参りましたと申し上げましたね。

彼女との婚約の挨拶です」

 爽やか好青年を演じるんじゃない!

この邪悪の大魔王めっ。

焦るあたしが更に相手の言葉を打ち消そうとするより先に、母のきっぱりとした声が響いた。


「お断りします」

 その声はまさにあたしが理想とする毅然と凛とした態度で発せられ、あたしはあまりのことに称賛と羨望とを覚えるより先に、何故か唖然としてしまった。


「お帰り下さいませ。勿論――お一人で」


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