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思慕と溜息

 きゅっと、リボンを指に巻きつけた。

左手の薬指。さすがにコレを母に見られる訳にはいかないだろうという結論を出したあたしは、いかにも「怪我してますよ」と言わんばかりに包帯ならぬリボンを巻きつけ、片手だけで結わくことが難しい為に右手と歯をつかってなんとかそれらしく整えた。


よし!

これでいい。これでこの呪いの威力は半減された。呪われた指輪の封印は成された。

朝食をすませ、馬車の用意が整ったと侍女の一人が呼びに来てくれたその時、あたしは丁度この指輪を隠す為に悪戦苦闘していた。ルティアさんが呆れた様子で視線を向けているが、手伝ってくれる様子は皆無だった為あたしは彼女の前でせっせと一人がんばったのだ。

「愛する方から頂いた指輪なら見せびらかしたいとおもいませんのー?」

「……愛?」

 あたしはあまりな発言に固まってしまった。

愛?

誰が、誰を、愛していると?

「勿論、あなたが公を」

「スミマセン――」

 最近やっとアレを好きだと認めはしましたが。愛とはなんぞや? 好きで精一杯なのですが。

「まぁ、愛していないのに結婚致しますの?」

「ものすごい誤解があるみたいですが、あたしとあれは付き合っていません。すなわち結婚話もありません」

 すくなくとも、あたしはあれの名前を思い出すまで付き合うつもりは無い。

無い……ちょっと流れに流されてしまいそうになったけれど、きっとあれは神様が止めてくれたのだ。勢いは駄目だと!

そう考えるとあの変質者の腹痛はまさに天罰!

 まずは冷静になってですね、きちんと当初の予定通り失われた記憶の発掘です。

なによりもそれが大事。


―― 一生思い出さなかったらどうするあたし?


あたしは咄嗟に話の矛先をかえようと、ルティアさんの食いつきがよさそうな話題を振ってみた。

「ルティアさんはエルディバルトさんと婚約しているんですよね!」

この話題は彼女相手ならば絶対に食いつく鉄板だ。付き合いの短いあたしにだってそれくらいは判るのですよ。

「はいー」

 途端にルティアさんは満面の笑みになった。

年上だけど可愛い。可愛いメイドさん。

そう、彼女は相変わらず可愛いメイドさん。この屋敷にもメイドさんがいるのだが、彼女が着用している侍女服とはちがうので間違うことはないのだが、それでも時々使用人の方がぎょっとしている。


「いつ結婚されるのですか」

もし宜しければ結婚式は呼んでくださいね。

あたしの言葉に、ルティアさんはぴたりと固まった。

それまでおとなしく食後の紅茶を堪能していたアマリージェが、珍しくカシャンっとカップの音をさせる。

 あたしは自分の台詞がまさか自分を窮地に陥れるとは思いもしなかった。ええ、欠片も。


ルティアさんは天使のように美しいにっこりとした表情のまま言った。

「いつでしょうね?」

「……はい?」

「子供ができれば諦めると思うのですけどねー?」

――あれ、なんだろう。なんだかコワイ。

 ルティアさんの目が、とてつもなくコワイ。

「できないのですよねー」

「えっと、あの?」

「そうしますと、やっぱりこちら(・・・)の問題ではなく、そちら(・・・)の問題だと思うのですよー?」

はい?


 ルティアさんは固まった笑顔のまま、ぐっと手を伸ばしてあたしの指のリボンをしゅるりと無常に引き抜いた。

 あたしの努力の賜物を!

邪悪な封印を解いた可愛いメイドさんは口元だけに笑みを浮かべ、その瞳は無表情。

「エディ様ときたら竜公の忠実な駄犬なものだから主より先に結婚はできないなんていいますのよ?」

 その言葉でようやく相手の言わんとしている意味を汲み取り、あたしはざっと血の気を引かせた。

「おかげで婚約も晴れて六年目ですー」

「ああ! 馬車の用意が整ったんでしたよね! では、あたし母のところに顔だしてきますっ」

「まだ話は終わっておりませんのよーっ」

逃がしませんよーといいながら手を伸ばしてくる相手をよけて、あたしはアマリージェに「行ってきます!」と声を掛けて逃げ出した。


 危ない。

ものすごく危なかった。

危うくおかしな理由で結婚させられそうになった。もしかして実はルティアさんに恨まれている? いや、恨まれるとしたらあたしではなくて確実にあの男だ。

 そもそも、エルディバルトさんも謎の忠誠心など破棄してさっさと結婚してしまえばいいのに!

その実結婚がイヤで逃げてる訳じゃないですよね?

 あたしは自分の胸元に手をあてて冷静さを取り戻し、玄関の車寄せに用意された馬車にものすごく下手になりつつ乗り込んだ。

 馬車は辻馬車と呼ばれるもので、その側面には何の文様もない、味も素っ気も無いシンプルなものだった。当初はルティアさんが家の馬車を使って行くといいと言ってくれたのだが、神殿官――高位貴族であり高級官吏である人の紋章入り馬車などで母の家に乗り付けるなどもってのほかだ。あたしは心の底から辞退し、お手数ですが辻馬車を呼んで頂ければありがたいとお願いした。


 ユリクス卿の自宅は聖都でも高位貴族だけが許される一区画に作られ、あたしの母が暮らしているのはそこから川を挟んだ高級住宅街にある。歩いて行こうと思えば行けない距離ではないけれど、聖都など訪れたのはもう何年も前のことで確実に迷子になりそうだったあたしはおとなしく馬車を選択したのだった。贅沢な出費だけれど、列車の代金が無いだけ今回は物凄く安上がり。

 それも全てアレの恩恵だ。ありがたいですね!


 箱馬車の小さな小窓から外の様子を眺め、あたしはゆっくりと呼吸を繰り返す。

母とあうのは一年ぶりで、実際何を言いたいという話題もない。会いたいといわれたから顔を出しに来たけれど、あって何を話せばいいのだろう。そもそも率先して会いたかった訳ではないし。

 あたしはそれでもあれやこれやと頭の中で会話の種を拾い集め、子供の頃のこと、あの八つの頃のことを聞いてみるのも良いかもしれないな。という思いと同時にほんの心の片隅にマーヴェルやティナのこと、そしてあたしの婚約がどうなっているのか聞いてみようと心の手帳に書き記した。

 窓から眺める聖都はその名前に相応しく地面も綺麗にブロックが埋め込まれて整えられ、家々の生垣や花々が美しく全てを装う。あたしはふと歩いている男性二人の姿に心臓を掴まれたような違和感を覚え、それからふるりと首を振った。


――マーヴェルがこんな場所にいる訳がない。

彼は船長(ふなおさ)の息子で、内陸にはあまり近づかない。だからきっと気のせいに違いない。

あたしはそう思いながら、それでもどくどくと脈打つ心臓に苦笑した。

丁度ちらっと彼のことを考えたから、道端の男性がマーヴェルに見えただけ。

 未練なんて、ない筈なのに。

それでもやっぱり顔を合わせるのはまだちょっと無理みたいだ。

 顔を合わせたら、きっと笑ってティナとのことを祝福しようと思っているのに。でも、なかなか感情の制御はできそうにない。情けないなぁ。

 あたしはあたしを笑い飛ばし、心を落ちつかせて、そうして準備が整った頃合にようやく母の暮らす邸宅へとたどりついたのだ。

 御者の小父さんが馬車の速度をゆっくりとおとし、丁寧に停止させて馬車の狭い出入り口の掛け金を外してくれる。代金の交渉をしようとすると、小父さんはすでに受領済みだと軽く笑った。

……もうこんなにおんぶで抱っこはダメ過ぎる。

 これについてはあとでルティアさんに言わなければならないぞ。

それともユリクス様だろうか。二人の顔を思い浮かべ、なんというか二人とも笑ってこちらの言うことなど聞きそうにないという結論にたっしてしまった。


血のつながりはないはずなのになんて凄いそっくり親子。


***


 幾度か訪れたことがあるその屋敷は、煉瓦造りで未だ枯れていない蔦が程よくその壁にからめられている。屋敷の門は閉ざされているが、別に門番がいるという訳でもなくあたしはすんなりとその門を押し広げて中へと入り、屋敷の正面玄関の二枚扉の前、勇気を奮い起こすように息を吸い込んでドアノッカーを軽く二度ほど鳴らした。

 しばらくたてば扉が内側から開かれ、開いた当人である執事さんが軽く目を見張り、口髭のある口元を緩めた。

「おかえりなさいませ。リドリー様」

 おかえり、といわれると物凄く違和感を感じてしまう。まるで当然のように執事は身を引いてあたしを迎え入れ、

「奥様は居間においでですよ」

と、取次ぎもせずにあたしを案内してくれる。

手入れの行き届いた家の内部を、あたしは少しばかりの緊張と共に歩みながら自分の荷物をぎゅっと抱きしめようとしたが、それに気付いた執事にそれは取り上げられてしまった。

「リドリー様はいつこちらにお着きになられたのですか?」

「えっと、昨日です」

「さようでございますか。このところこの辺りも物騒でございますから、もし外出なさる際は必ず声をおかけ下さい。供を付けますから」

 その口調が少しばかり固く、あたしは聖都も物騒なのだなぁと暢気に思った。

軽く会話をかわしながに二階へと通され、そこの一室――扉を軽くノックして執事さんが中に声を掛けると母の声が響いた。


「なぁに?」

「奥様にお客様でいらっしゃいます」

「帰して――もううんざりよ」

 しかし母は固い口調で言い切った。懐かしさを伴う母の声。だというのにその口調は尊大で疲れさえみせる。あたしが瞳を瞬くより先、執事は扉をあけて言葉を続けた。

「このお客様をお帰ししたら、私のクビをきりたくなられると思いますよ」

「どう――」

 居間のソファで座る母と目がばちりと合うと、彼女は口を開いたままじっとあたしに見入り、挙句の果てに彼女らしからぬ行動に出た。

――自分の頬を軽くつねったのだ。

 それからゆっくりと首を振り、面前にあるテーブルがもどかしいというように立ち上がってぱたぱたと駆け出し、あたしをその腕の中に閉じ込めた。


「リドリー、私の可愛い小さなリィ」

――いたね。いましたね。そういえば……あたしのことをリィと呼ぶもう一人のひとが。

子供の頃のようにそう言われ、あたしは久しぶりの再会にげんなりとしつつそのキスを頬に額に受けまくった。

 お腹のあたりがほんの少し、くすぐったい。

「ああっ、大きくなったわね」

……お母さん、あたしだいぶ前から成長止まってるから。

「会いたかったわ。リィ」

「うん、あたしも――あたしも会いたかった」

もう随分疲れたけど。

 それでもじんわりと自分の中に嬉しさが広がるなか、母はやっとあたしを解放して肩を抱くようにして言った。


「ああ、ごめんなさいね。あんまり嬉しかったものですから」

あたしに言われたのかと思ったが、その台詞はあたしに向けられたものでは無かった。

「ご存知でいらっしゃいますわよね? 私の愛娘、リドリーです」

母が穏やかに言葉を続ける先、丁度窓辺の方に立っていた青年は微笑んだ。


「勿論存じ上げてますよ。ぼくは彼女が大好きなんです」


一匹いたら三十匹いる。

確実に!

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