女友達と深夜のお茶会
寝台の上に寝巻き姿の娘が三人。
「あのー、狭くないですか?」
何故寝台の上で膝を突き合わせて座っているのでしょうか、あたし達は?
夕食を頂いたのち、今夜は遅いから泊まるようにと客室へと案内してもらったのは良いのだが、寝る間際になって枕を抱いたアマリージェとルティアさんに押しかけられ、あたしは途方にくれていた。
しかもなんで寝台に追い立てられた?
「そうですわねー。さすがに客室の寝台に三人はつらいですわねー」
「じゃあ、寝椅子に移動します? わたくしお茶をいれましょうか?」
アマリージェがいそいそと寝台をおりてお茶の準備にとりかかる。ルティアはその言葉に寝台の縁に座りなおし、くすくすと笑った。
「そこのベルで人が来ますわよー」
「わたくし今はお茶の入れ方を習っているところなのです。やらせてくださいませ」
言葉にしながら、水差しの中の水を暖炉に用意されているケトルの中に落とし込む。その様子はとても楽しげでさえあった。
そしてその動きはあくまでも優雅。
うわー、お嬢様が二人いらっしゃる。いや、お姫様か。
何故にあたしは、一般市民リドリー・ナフサートはこんな場所にいるのでしょうか。
「あ、そういえばアジス君は?」
「ユリクス様が神殿にお連れして、そこから転移の扉をとおってパン屋さんに戻ったと思います」
……便利アイテムですね。ええ、まったく。
「マリーも帰らなくて良いのですか?」
「こんなに楽しいのに? のけものはイヤですわよ」
唇を尖らせていうアマリージェに、あたしはふっと笑った。
「どうかなさいまして?」
「いえ……うん、楽しいなーって、あたしも思います」
戸惑いも大きいのだが、楽しいか楽しくないかでいえば確かに楽しい。
思い返せば、あたしはティナと二人で夜を過ごしたことも無かった。
――母親も、そして家人もティナとあたしが二人でいることを嫌がるような風潮すらあったから。
なんとなく暗い思想に囚われたあたしを、本来であれば絶対に自分になど関わることの無い二人の女性が不思議そうに見ていて、あたしは慌てて笑みを浮かべてみせた。
彼女達と知り合うことができたのは、アレがいたおかげだ。アレは変態だけれど、そこは感謝してもいい。
あたしがそんな思いに浸っているというのに、突然ルティアさんががばりとあたしに抱きついた。
なに、なに、なにっ?
「では白状なさいませー、逃げられたって何です? まさか竜公以外の男性と何かあったりなさいますのー? 言っておきますけれど、私は告げ口いたしますわよー」
都合もへったくれも知りませんよー
とやけににまにまと嬉しそうに。
「まさかっ。そうなんですか? リドリー、尊き人以外の男性とっ?」
食いつきが違う。釣りで言うのであれば入れ食い。もしくはここは釣堀ですか?
餌は生餌ですかっていう勢いです。それともコマセも撒きましたかね!
あたしはくらくらしながら首を振った。
「そういうことじゃなくてですねー」
「だってあの方が逃げたりする訳ないじゃないですか」
「ですわよねー、貴女に関していえば誰が居ようと気にしませんものー」
……ルティアさん、それは貴女も一緒。
いや、というかその話はしたくないですって。
あんな恥ずかしい話なんて絶対に無理。覚悟を決めた瞬間に逃げられたのですよ、ええそれは綺麗さっぱりと。
あたしは慌てて話の矛先をかえることにした。
えっと、えっとっ。
「あのっ、あの人の元婚約者さんって――今、どうしているか知ってますか?」
あたしが二人の話を蹴飛ばすように大きな声で言うと、途端にその場はシンっと静まり返った。
その微妙な間に、あたしの中にじんわりとつめたいものが広がっていく。
――不幸に……
エルディバルトさんの言葉がのしかかった。
あたしという存在が誰かを不幸にした。それは事実なの?
困ったような顔をしたアマリージェが、お茶をいれるポットを手にしたままちらりとその視線をルティアさんに向け、そしてルティアさんはあたしに抱きついたまま小さな声で囁いた。
「聞いてどうなさるの?」
「……」
「あの方の元婚約者のことなど関係がありませんでしょうに」
ふざけた口調ではなく、淡々と言われる言葉にあたしの中で確信が深まっていく。やっぱり、エルディバルトさんの言った通りに――
あたしが泣きそうな気持ちで「あの、その方は、今……」幸せではないのですか? その言葉が喉の奥で引っかかる。
それでも何とかぼそぼそと吐き出された。
つらさがじわじわと自分の身に染みてくるような感覚。
「あたしのせいで、婚約を破棄されたって……」
あたしはぎゅっと自分の手を握りこんだ。冷たい指輪の感触。
その人は、この指輪を手放したくなかったのではないのか?
「その人は、今でもあの男を」
想っているの?
あたしは自分がどう呼吸しているのか判らないくらい頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
こんなことを聞くのは間違っていたかもしれない。
傲慢なことではない? 思い上がってはいない? あたしは、
「捨てられた女のことなど聞くのは選ばれた自分を誇っていらっしゃるのかしら?」
辛らつな言葉はあたしの心臓の動きを一瞬とめた。
「ルティア様、あんまり虐めないで下さい」
アマリージェが言うと、途端にふにゃりとルティアさんは口調をいつものものにかえた。
「あの方の元婚約者は、今はとぉっても素敵な方と婚約してそれはそれは幸せに暮らしておりますのよー?」
きっと嘘に違いない。
この場限りの嘘としてそんなことを言うのだ。
あたしは自分の愚かさに自分を殴ってやりたくなった。
婚約破棄なんて良くない。あの男にはきちんと話し合って――そもそもあたしとあいつは付き合ってないんだし、何の関係もない。
他人から奪うのなんて絶対に駄目だ。絶対にイヤだ。
今なら引き返せる。あたしとあいつの間には何もない。
大丈夫。好きなんて、そんなあやふやな感情はきっと消してしまえる。
マーヴェルだって諦められた。
ならば今のこの感情だって!
ずきりと痛むのはきっと幻だ。大丈夫。諦めるのなんて簡単……
「ルティア様が意地悪なさるからっ」
アマリージェが怒ったようにいい、そのまま慌てたように言葉を続けた。
「リドリー、本当に元婚約者の方を気にかける必要などありませんのよ?」
「そうですわよー? 塵芥のごとく放置なさいませー」
「ルティア様! どうしてそのような言い方をなさるのですっ! もぉ黙っていてくださいませっ」
アマリージェが本気で怒ると、くすくすとルティアさんは楽しそうに笑い、あたしの頬にちゅっと唇を押し当てた。
「私ですー」
「……はい?」
「公の元婚約者は私です。
で、あなたには私が不幸に見えますかしらぁ?
公に捨てられた哀れな娘に見えますの?
公を想って今も泣き暮らしているとでもー?」
自分の悪戯が成功したというように、ルティアさんはぱっとあたしを離すと激しく身もだえしながら笑いころげ、枕を抱いて涙を流した。
あたしは呆然と彼女を見ながらつぶやいていた。
「……あの男を、好きではないのですか?」
「今はそれほど嫌いではありませんわねぇ。
でも、観察していると面白い程度ですわよー?
あの方普段は居るのか居ないのか判らないくらい大人しいですし、生きてますかー? という感じなのですけれど、あなたのことを話させるとめちゃくちゃ面白いですのよ?」
ナニを話してるんですか?
凄い怖いんですが。
「でもっ、エルディバルトさんがっ」
「あら、エディ様が何か余計なことをおっしゃったのねー」
目じりの涙をぬぐいながらルティアさんは肩をすくめた。
「あの方、おばかですからあまり気になさっては駄目ですわよー?」
おばかって……
あたしは混乱してしまった。
え、だって、ルティアさんはあの男の元婚約者で、あの男を好きではなくて? それで、エルディバルトさんの今の婚約者で――幸せ?
でもエルディバルトさんはあの男の元婚約者は「捨てられて不幸になった」って。
捨てられて不幸になった元婚約者は、耐え難いというように笑いを堪えている。
不幸……?
「エルディバルト様は、まさかルティアさんが元婚約者だって、知らないのですか?」
「知ってますわよー?」
あれ、なんかおかしくない?
相手を知らずに、勝手に婚約解消=不幸になった。と思っているわけではない?
あんなにエルディバルトさん好きなルティアさんのどこをどう見て不幸だと?
あたしの混乱を更に笑いながら、ルティアさんは肩を震わせ、アマリージェは嘆息しながらお茶を入れた。
あたしのあやふやな言葉で全てを理解したかのように、ルティアさんは笑いを必死に堪える様子で口を開いた。
「エディ様は私が公に未練があるからエディ様と婚約したのだと思い違いをなさっているのよー」
「はぁ?」
「私が公の近くに居たいが為にあの方と婚約したと思ってるの」
あ、勿論そんなことはないのですよー? 私は昔っからエディ様一筋ですものぉ。
心底おかしそうにいいながらルティアさんは目じりに涙を浮かべ、それを指先でぬぐいとりながら言った。
「ああん、もぉエディ様ったら! まだそんなことをおっしゃってるのですねー?
ふふっ、おばかでとっても可愛いでしょう?」
そう言う彼女は泣き笑いの顔で、喜んでいるのか悲しんでいるのか一概には判らなかった。
……幸せ。
まるで、その言葉は呪文のように耳に届く。
幸せだと幾度も幾度も上書きするかのように。
あたしは自分のココロのどこかにもやがかかるような気がした。
幸せそうにしていたルティアさんが、本来は――実は見たままの幸せに浸っているのではないのではないかと思えたのだ。
あれ、なにこのちょっと腹の中にずしりと残る違和感は。
――おまえのせいで!
じゃないだろ、エルディバルトさん? をい?
「で、逃げられたって何の話ですか?」
「ふふふ、その指にあるのは公の指輪ですわよねー?」
もぉ忘れてください、本当に。
あたしは二人が眠りにつくまで必死にその話題をさけまくる羽目に陥った。