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二人の関係(ルティアと婚約者)

「当代様」

それは極普通の食卓風景だった。

物静かな黒髪の青年と、そして彼の婚約者として滞在を許されている――といったところで、この館はもともと彼女の祖父の暮らす館だったのだが――ルティアとが、毎日定められた食事の時間を共有する。


 当時の少年は肉類を一切食べようとしなかった為に、食卓にあがるものは決まって野菜をメインとした料理であった。

 ルティアの食事にはわずかに魚や肉が入るが、それは館の主が「付き合う必要はありませんよ」と告げた為だ。

「エルディバルト様はいついらっしゃるのですか?」

作り物めいた秀麗な顔立ちに心は見られない。

「来ません」

 少年は穏やかに言った。

「こんな場で隠居のように過ごすのは彼の為にもなりません」

やんわりといわれ、ルティアは吐息を落とした。

子供の頃から暮らしていた屋敷だったが、主がかわってからというものますますこの館は陰気さを増してしまったようにさえ思える。

 人の出入りは絶え、無駄な音を失ってしまった屋敷。

生きているものなどいないかのような、静寂の館。

「会いたいのですか?」

「先日、階段から落ちそうになったのを救っていただきました。お礼をきちんと致したいのです」

「でしたら会いに行けばいいですよ。移動がしやすいようにあちらとこちらを扉でつなげてあげましょう」

 会話は途絶えた。

会いに行きたいで会いにいけるような性格ならば悩みはしない。ルティアがこっそりと吐息を落とすと、少年は穏やかに言った。

「エルディバルトが好きなのですか?」

「はい」

面前の相手に嘘など言って通じる訳がない。

面前の男は彼女の祖父と同じイキモノなのだから。

「では今度呼んであげましょうね」

やんわりといわれ、ルティアは複雑だった。


――私はあなたの婚約者なのですよ。


 そう告げたところでまったく意味はなさそうだった。いつも共にいても共になどいない。触れ合うこともない。

名ばかりの二人の関係。


 誰にでも優しいヒト。誰より自分に厳しいヒト。悲しいヒト。そして――ヒトの魂を食らう化け物。あの祖父と同じイキモノ。

汚らわしい……そう心の深い場所で思ってしまう自分は、絶対にこの男を受け入れることはできない。

だというのに、いくあての無い自分はこの男の許に嫁ぐのだ。それは恋ではなく愛でもなく情でもなく、ただそうあれというだけ。

「いつか、あなたにも好意をもてる相手ができると良いと思います」

 ルティアは自分の内にある恋心に気付いていたから、面前の男に素直に言えた。


ルティアは恋をしていた。

十一の年に自らの婚約者となった青年の後ろに控えた、騎士に。

物語の騎士のように麗しいわけではない。むしろ無骨さもある。けれど憮然とした顔立ちに生きている人間を感じて、気付けばその人ばかりを視線で追うようになってしまった。罪だとは思わなかった。


 婚約者と自分の間には心のふれあいなど何一つとしてない。そしてまた、相手も自分に何も求めてなどいない。面前の男はただ「生きて」いるだけの抜け殻。

 

「私はみなを好いていますよ」

「大好きで大好きで欲しくてたまらない。そんなヒトができることを……私は願うわ」

 面前の少年はそんなものは戯言だというように笑って――それで終い。


日々は怠惰に、静かに、しめやかに。

風化するのを待つようにただ静かに流れた。

ひっそりと、息を殺して。自らを殺して。


 その人が、はじめてルティアに触れたのはあの日。

しばらく様子が変わったと思っていたあの日。半年に一度、かの青年は人を寄せ付けない禍々しい程の気を見せる。そんなおりには誰も近づけようとしないから、またそれかと思えばその荒れた気はゆるりとまったく別のものへと変化していった。

 半月は続く癇癪を、どう沈めたのかと首をかしげた矢先のことだった。


顔を合わせた途端、彼のヒトは両の手を伸ばして突然ルティアを抱きしめた。

――肉欲的なものなど持ち合わせていないのではと思っていた相手からの抱擁は、ルティアに驚愕をもたらした。

「ルティア」

「当代……さま?」

「婚約を破棄しよう」

吐息のように囁かれた言葉に、ルティアはさらに瞳を見開き、がばりと離れた相手の顔をまじまじと見た。

 いつだってただ穏やかな顔をしているだけの相手が、今はとても生きた人間の顔をして、口元に微笑までたたえているのだ。


「君も、そして私も自由だ」

「恋を……なさいましたね?」

 あてずっぽうではなく、確信を持って言った。

「恋? これは恋だろうか? もっと……なんだか醜い感情ではないかな。私は自分にこんなに欲があるとは知らなかった」

「恋は醜いものです。嫉妬や猜疑心や、欲。でもとても素晴らしい」

 明らかにいつもと様子の違う相手に、ルティアは微笑を称えた。無機質にただ日々を暮らしてただ生きていただけの人。冷たい体にはじめて熱をもったかのように。


「あの子の為……いや、自分の身勝手で酷いことを言っているのは承知している。

ルティア、君と結婚することはできない」


「お喜び申し上げます。ですがどうぞこのルティアの言葉をお心に御留め下さい」

 相手の侘びなど無視して微笑むルティアに、穏やかなその人は囁いた。

「なんだい?」

「先代は自らの妻を、子を――滅してしまわれた。愛が失われたのではありません。愛しすぎたのでございます。どうぞ……どうぞあなたの心に芽生えたその愛を実り豊かなものに」

どうか――あなたの身に絶望の津波がおしよせることのないように。


 愛は無い、恋も無い、情もない。

――尊敬でもなく、この二人の間にあるものはいったい何であったのか。ただの風。ただの空気。ただのまやかし。

 真実があるとすれば、保護。

放り出されるべくいた娘を、ただ保護する為だけにこの面前の青年は受け入れただけ。保護した娘を、今手放すという。


自らの身勝手で。


それを腹立たしいなどとルティアは思わなかった。むしろ喜ばしいと思ったのだ。

欲も心も捨てた人が、今はただの身勝手な男だというのは実に素晴らしいことだと思ったのだ。


元婚約者は瞳を細めた。

「エルディバルトを呼び寄せよう。君の愛が実るように」

「……あの方には婚約者がおりますわ」

「ぼくと君の婚約は解消された。あれには申し訳ないけれど……まぁ、私は君の幸せを願うよ」

 キスしていいかい?

その言葉にうなずくと、頬に唇が触れた。もう二度とこの相手が自分に触れることも、口付けることもないだろう。


ルティアは深く一礼した。

面前に立つ男は婚約者ではない。


「竜公――」

はじめてその尊称を口にした。当代といい続けた自分はもういない。

「どうぞそのお心をお忘れなきように」

 はじめて自分の気持ちのままに動いた相手を、ルティアはほんの少しだけ「好き」になれた気がした。


***


「エディ様のほうが絶対に可愛いとおもいますわー」

「君も頑固だよね。絶対にリトル・リィのほうが可愛いよ。ちょっとキスしただけで真っ赤になっちゃってすごい怒るんだから」

 本当はとても素直なんだよ。

そんな風に続けられ、ルティアはムッとした様子で続けた。

「エディ様だって素直ですわよー。怒っても押し倒せばすぐに反応なさるのですものっ」

「それはただ下半身がだらしないだけだよ」

「竜公には言われたくありませんわよぉ」


聞こえない聞こえない聞こえない。

アマリージェはもう恋なんてすまいと魂に誓うのだった。

恋は人間を堕落させる!

こんな大人には絶対になりたくない。

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