新しい出会いと出会いたくなかった出会い。
「家と仕事、ねぇ」
ふむ、と係員は唇を曲げ、ぱらぱらと書類をめくる。
「仕事の前にとりあえずは住む場所だろうね?
一応、町の入口に宿屋はあるんだけれど、きみはこの町に暮らすんだから、ずっと宿屋って訳にもいかないだろうしね。
ふむ」
真剣に悩み始めてしまった係員さんに、あたしは慌てた。勿論、役所が斡旋してくれるものではないと知っている。いくらあたしが世間知らずと言われても、それくらいはわかるのだ。
「困らせてごめんなさい。宿屋に逗留して探してみます」
「そうかい?」
「はい」
「ではね、三日くらい自力で探してみてよ。それでなければ、こちらもきちんと力になるからね。それで、住む場所とか決まったらもう一度顔を出して手続きして」
優しく言われて更に機嫌がよくなった。
――なんていい町なんだろう。
こんなにいい町は無いに違いない。
あたしは自分の幸運を神様に感謝したいくらいだ。
あたしはとりあえず町の入口にある宿屋に部屋を借り、荷物を預けると幸せな気分で町の探検をした。
宿屋を抜けて大きな通りを歩けば、すぐに広場にでる。ここは辻馬車の駅になっていて、あたしが一番はじめにおりたった場所でもある。
視界の端に道化師や魔術師が見えた。楽しそうに子供達がはしゃいでいる。
それを微笑ましい気持ちで眺めて、そのまま通りを過ぎる。いたるところに祭りの名残があった。
そう――豊穣祭があったのだ。
この付近でもだいたいこの秋のまっただ中に豊穣祭は行われるようだ。
ふっと苦いものがこみ上げた。
あたしは――豊穣祭にマーヴェルと結婚するはずだった。
その期日は列車の中で過ぎた。
二人がけの椅子で寝たふりをしながら、そっとそっと――自分の幸せを祈った。
マーヴェルとティナの幸せなんて祈らない。
祈らなくてもあの二人は幸せになれると思うから。
なんて意地悪な姉だと思うけれど、それくらい……許して欲しい。
ふるりと一度首を振った。
過去は要らない。
新しい町で、新しい自分で、生きていくと決めたのだから。
それから二日、あたしは町の中を歩き回った。大きな町にありがちな後ろ暗さが無い、ほのぼのとした町だ。
気さくに声がかけられて、気さくに答えられる町。
――平和な町。
警備隊の人と話してみれば、ここでは滅多に争いも無いと笑っていた。時々酒の飲みすぎでハメを外す人や、よそからやってきた旅人が悪いことをしたりもするが、そもそも旅人じたいが少ないから本当に滅多なことは無いのだと。
二日目の午後、キャンディショップで買ったハッカ飴を抱えていたら、ふいに太った小母さんに声をかけられた。
「あんた」
初対面で突然「あんた」といわれたのは驚いた。けれどその顔に悪意は無くて、にこにことしている。
「あんただろう、リドリーっていうのは」
「?――確かに、あたしはリドリーですが」
「だろうと思った。ここじゃ滅多に知り合いいがいとは会わないからね」
豪快に笑った女性はマイラ・バーンズと名乗った。
「聞いたんだけど、あんた仕事を探してるんだって?」
誰から聞いたの?
と思わず言いたくなったが、それは役所の人であることはあとで聞いた。
個人情報うんたらはない。
「うちはちっさいパン屋なんだけどね、あたし一人で切り盛りするのもちょっと年齢的に辛くてね、どうだろう。あんたさえよければうちで働いてみないかい?」
年齢的にツライというけれど、マイラ小母さんは随分と元気そうに見える。少し豪快な人だ。
「パンは嫌いかい?」
「大好きです」
「なら良かった。お給金は多くは出せないけれど、うちの売れ残りのパンもあげるよ。まぁ、残らなかった日はかんべんしてもらうけどね」
マイラ小母さんが提示した金額は、確かに多くは無かったけれど、それでもパンをもらえるのは魅力だったし、パン屋の仕事にも興味がある。
あたしはマイラ小母さんにはその場で了承し、その足で小母さんのパン屋を訪れた。
店舗は町の中央からは少し外れているけれど角地にあり、とてもこぎれいで可愛らしい店舗だった。
『うさぎのぱんや』という看板は愛らしいし、描かれているうさぎの絵も可愛い。エプロンにそれが刺繍してあるのを見たときは、ほんのちょっとだけ可愛すぎて苦笑してしまったけれど……
その日にはパンも貰って、あたしは美味しいパンにとても幸せな気持ちになれた。
しかも、マイラ小母さんはあたしとの会話の中でまだ住む場所が決まってないと知ると、そのままあたしを待たせどこかに消えたと思うと、すぐに戻ってきてにっこりと笑った。
「うちの店からはちょっと歩くけれど、大通りをまっすぐ宿屋まで行く道に、煉瓦造りの四階建てのアパートがあるの、わかるかい?」
「えっと、左手のほうのヤツですか? 隣がお肉屋さんの」
あたしはこの二日歩き回って覚えた地図を頭に浮かべる。もともと大きな町ではないから、すでに端から端まで歩いている。
「そうそ、あたしの友達がやってるアパートなんだよ。今三階に空きがあるっていうからね、そこにおしよ。今話しをつけてきたからね、あたしの顔をたててはじめの一月はただにしてもらったからさ。来月からは銅貨で十七枚。給金からでも十分払えるだろう?」
あたしは瞳を瞬いた。
―――今泊まっている宿屋だって一泊銅貨で七枚なのだ。それは安いし………っていうか、こんなにトントン拍子でいいのだろうか?
「リドリー?」
「あ……ありがとうございます」
「いいんだよ。あいつには一杯貸しがあるんだからさ、これくらいなんでもない」
マイラ小母さんは豪快に笑い、ばんばんとあたしを叩いた。
――だが、この話はちょっとだけ複雑な話が続いた。
あたしが宿屋に戻り、部屋を引き払いアパートにたどり着くと、入口のフロアに続く部屋に暮らしている管理人のアニエス小母さんは苦笑した。
「あんたがリドリーかい?」
「はい、マイラ小母さんの紹介できました」
ぺこりと頭を下げると、彼女は肩をすくめた。
「聞いてるよ。だけどね、あんたに一つ頼みがあるんだよ」
「……頼み、ですか?」
「マイラは強引に話をつけた気でいるけどね、せめて毎月の家賃は銅貨20枚にならないもんかね? なに、そのかわりといっちゃなんだけど、ベッドの用意と薬缶の用意もしておいた。勿論今月分の家賃は要らないさ」
溜息交じりの言葉に、あたしはぷっと吹き出しそうになるのを堪えた。銅貨二十枚だって勿論破格の値段だ。宿屋に三日も泊まれない値段なのだから。
「それで構いませんよ」
そう言うと、アニエス小母さんは苦笑する。
「悪いね」
「いいえ、とんでもないです」
だが彼女は心底悪いと思っているようで、その日の晩には温かなスープを運んでくれた。
おそらく――マイラ小母さんが相当無茶を言ったのだろう。
けれど二人ともいい人で、あたしはその日あたたかなスープとパンとで幸せな食事を終え、しかもこんな田舎の――失礼――アパートだというのに、三階のこの部屋にまでシャワーが通っているのだ! こればかりは驚いた。 世の中列車が通ってオイル・ランプの外灯が煌くようになったといっても、シャワーを引く技術はまだ大きな町でも少ないだろう。
「すごい」
かくいうあたしはシャワーなんてはじめてだった。
自宅で湯を使うならば、湯船にお湯を張るか、手桶に入れて軽く体をふくくらい。子供の頃なら川でよく体を洗ったものだ。
こんな小さな町なのに、すごい。
――といっても、これがこの町の標準なのかもしれない。
宿屋ではシャワーこそなかったけれど、浴室があって湯船の横には蛇口があって湯が出てきたのだ。
これだってとっても驚いた。
そのことをパン屋で働いている時にマイラ小母さんに言うと、小母さんは「他の町を知らないからねぇ」と首を傾げ「ここでは蛇口をひねれば水や湯がでるのは普通だよ。まぁ、一重に領主様のおかげだね」と笑っていた。
すごい、御領主様。
「税金取られたって、そのぶんちゃんとやってくれるいい領主だよ」
と、マイラ小母さんは豪快に笑っていた。
――竜と古の町、なんて言うから、もっと古臭いのかと思った。
なんて、さすがに言わずにおいた。
「ようこそ! ぼくの町へ!」
ぱんっと音をさせて何かがはじけた。
ひらひらと花の花弁と紙切れ、リボンが舞い散る。
パン屋の仕事へ行く為に螺旋階段をおりて行ったあたしの前で、クラッカーがはじけた。
「……」
「あれ? 挨拶が遅れたから機嫌を損ねちゃったかな。
ちょっと忙しくてね、でも安心して。ぼくの愛はずぅっとリトル・リィのものだから」
――はらはらと何かが舞う中、男の手がもつ帽子からぴょこりとうさぎが顔を出し、鼻をひくひくと動かす。
ってか……なに?
――新天地。
全ての事柄があたしの幸せを祈るかのような日々が、もしかして違うかもしれないというかげりを見せたのは、この街を訪れて八日目の朝だった。