幸運と闇の獣。
*注意*
今回はいつもとちょっと違いまして、グロ表記があります。苦手な方はブラウザ・バックでお願いします。
運がない、ああ、運がない!
こんな筈じゃなかった筈だというのに。
冬がくる。
冷たく寒く凍える冬。誰もが巣穴に閉じこもり暖かな場で春を待つ季節。ならばその前に山々の獣と同じように冬篭りの準備をするのは当然のこと。大量の食料と酒と女。それがあればどんな冷たい季節もこともなくすごせるだろう。
獲物は商隊が好ましい。普段であれば貧乏人が使うような駅馬車など目にも留めぬ。だれがそんなしみったれたものを襲って楽しいものか。だからそれはほんの暇つぶしの獲物だったはずだ。
――窓から女が見えた。若い女だ。
暇つぶしに色が付き、女旱の体が脈打つ。
女を抱くのは一月ぶりだ。前の女は三人いたが穴倉の男達の数にあわずに壊れて果てた。谷に落してやった時には奇妙な声で笑っていやがった。一人などは途中で孕みやがったものだから、興がそがれて仲間の一人が切り刻んだ。今度の女も長くはもたないかもしれないが、なにかまいやしない。
とにかく暇つぶしの獲物にちょうどいい――誰かがそう言った。
「運がいい」
穴倉に残してきた奴等を出し抜いて、まずはオレたちで味わいつくしてやろう。
生娘ならばなおいいが、他人の手が入っているならば諦めるのも容易かろう。従順に振舞えるようになるまで幾日か虫けらのように縛り上げ、自ら甘く男を誘うように作り上げてやる。最後には気が触れて壊れ果てるまで嬲り者にしてやろう。
そう言ってやったのは半刻も前では無かった筈だ。
人数は五人。
駅馬車を襲うにはちょうど良い人数だった。
期待と興奮で仲間達の目がぎらぎらと輝き、馬の腹に蹴りを入れた。逃げまどう獲物を追い詰める感覚を思い、女を抱く開放感を思い口元に自然と浮かぶ笑みがとまったのは、いつまでたっても馬車に追いつかないことに気づいた為だ。
駅馬車は巨大な荷物だ。
単騎の自分達に追いつけぬ筈はない。違和感に誰かが気づき、眉がひそまる。速度をあげても変わらず、だんだんとその違和感にちらりちらりと仲間内で視線をまわした。
先頭を行くバウロの足が止まる。
馬は幾度も足元をかき、口の間から飛沫を飛ばした。
ぶわりとその体に汗が浮かび上がり、それが湯気となってあたりに漂う。
「なんだこりゃっ」
誰かが言う。
馬は疲れを示し、自分達にも深い疲労が見えた。
駅馬車はその間にも遠ざかるが、馬の様子は尋常ではなく疲れをしめしていた。
「ごきげんよう」
その時にやわらかく流れたテノールに、びしりと場に亀裂が入った。
慌てて仲間達の視線が声の主を探し、そして――岩場によりかかるようにして立つ優男の姿に戸惑った。
それはまったくの異質だった。
荒野だというのに、単身で岩にもたれて立つ男は、一瞬女かと思う程に整った顔立ちと、ひょろりとした優男だった。
まったくこんな場にそぐわぬ。
「っだ、てめぇっ」
いきりたった誰かが叫ぶ。
だが相手は女のような整った顔立ちに微笑みを浮かべ、軽く手のひらを返した。
「私が誰かは私が知っている」
頭がいかれているのか、この男は穏やかに言うや一礼した。
「あなた達に名乗る名はない――けれど、そうだね……安らかに死を迎えるには死ぬ理由くらいは知りたいだろう?」
「何言ってやがる」
「ちょうどよかった。本当に。ちょうどいい。
私はこれで運がいいのかもしれない。このところ力を使いすぎていたからね――そろそろ補給が必要だった。いつもであれば心が痛むのだれけれど」
微笑をこぼし、ついでゆっくりと首を振った。
「それにしても本当にあの子ときたら運が悪い……ほんの冗談だったのに、いまどき駅馬車強盗に目をつけられるなんて」
まぁ、ぼくという最高の幸運がついてるけどね。
訳の判らない男は頭がいかれているのだろう。
それでも、身包みはいでしまえばいい。よく見れば身なりだけは立派じゃないか。売り払うには少しばかり年齢がいき過ぎているが、金持ちの男旱の女であれば高く買ってくれるかもしれない。場合によっては女の代わりとして――
口元に笑みを浮かべると、優男が微笑んだ。
動いたのは斧持ちのヤーゴが先だった。馬の背に引っ掛けてある斧を無造作に男へと投げつける。「バカ野郎っ、殺すなっ」野次が飛んだが、その言葉も凍りついた。
斧が、はじけたのだ。
火薬でも遣ったかのようにはじけて、散った。
優男が肩をすくめる。
「うごかないで」
その一言で――時が、止まった。
それだけで、自分達は敗北したのだ。
ゆっくりとした歩調で男が近づき、嘆息交じりにヤーゴの馬の前に立つ。
「おいで」
ヤーゴが引きつった顔のままで馬をおりる。
こちらは身じろぎしようにもぴくりとも動けず、ただ汗ばかりが流れるというのに。
男の手がヤーゴの胸に触れる。
その指先が、ずぶりと胸当てに沈むのを見つめ続けることしか誰にもできなかった。
ただ両の目を必死に見開き、それを見続けることいがいは。
「御伽噺を知っているかい?
竜公の御伽噺だ。この国に古くから伝わる御伽噺だから、まさか知らないとは言わないだろう? 陛下に鎖で繋がれた獣――数多の命を奪いつくす獣」
言葉のうちにも、ヤーゴの体が痙攣を起こしその下又がみっともなくぐしょりと塗れた。
目玉はぐるりと上を向き、口元から垂れ流された唾液はその恐怖を物語っていたが、他のものたちは逃げることもできずにそれを見せつけられ続けた。
一人、又一人とゆっくりと身動きも抵抗もできずに仲間がほふられていく様を。
「彼が獣といわれるのはね……」
吐息のように囁き、いまや四人分の血に塗れた指先をゆっくりと舌先で舐める。
その口元にはただ笑みが刻まれていた。
血と、脂肪とにまみれてらてらと濡れる指先がひたりと自分の胸に触れる。恐怖に悲鳴をあげて逃げ出したいと体をよじろうとしても、まったく体は動こうとはしない。
まるでバターが熱に溶けるかのように、指先はゆっくりと胸当ての鎧に沈んでいく。
頭の中で何かがぶつぶつと切れるような音を聞いた気がした。
体中の穴という穴が開放されるようにだらりと自分の意思とは無関係に液体を垂れ流す。羞恥も何も感じる間などない。
「人の魂を喰らわなければ……生きていけないんだよ」
そんな汚らわしい生き物など滅びてしまえばいいのにね。
くすりと微笑し――深々と指先を沈めていく。
ぐじゅりぐじゅりと血と脂肪とが溶けて混ぜ合わされる音を聴いた。
「私だっていやなんだ。殺すだけならいいけれど……魂を覗き込むような行……」
痛みも熱も、快感も悲哀も、すべて闇に閉ざされようとしたその時、沈み行く意識が乱暴に掴みあげられ、もちあげられた。
「へぇぇぇ?」
暗い場所へといきかけた意識が無理やり戻され、薄暗かった視界が広がる。
もう二度とみたくもない男の顔が面前にあり、絶望が這いのぼった。
「あの子にそんなことをしようと思ったの?」
何を言っているのだろう。
胸に指が突き刺さっている。けれど何故自分は意識を保っているのだろう。
早く、もう早く、殺せ。殺してくれ。
夢なのか? 夢ならば覚めやがれ、ド畜生っ。
男の顔がそれまでの無機質なものとは変わり、強い意志をひらめかせた。
触れていた手がゆっくりと離れ、血塗られた腕を振り上げる。その手に現れたのは一本の槍だった。槍ではなく、ただの長い棒であったかもしれない。
そんな単純な判別すらできなかった。
ただ突然棒が現れたと理解した途端、どすりと重い勢いとともにそれが腹を突き破っていた。
激しい痛みに悲鳴があふれそうになるというのに、ひりついた喉の為か、それとも声を封じられているのか悲鳴は漏れなかった。
そのままの勢いで地面に倒れ、その場に縫いとめるように男の手が槍をぐいぐいと押した。
笑いながら。
「あなたの命はとらないことにしたよ。
下らない妄想を見せられて気分が悪い――このままこの場で、鳥に、獣にゆっくりと意識を保ったまま食べられたらいい。破片の一つ一つに痛みを感じて、肉片が引きちぎられるのをひしひしと感じながら、ゆっくりとこの世の終わりの旅を楽しむといい」
男はふと思い立つように誰かの獲物であった短銃を手の中で弄び、ちらりと槍で縫いとめられた男の下腹部に意思を向けた。
「男の性とはまったく素晴らしいったらないね。命の危機には自らの種を残そうとする――でも、もう必要がないだろう?」
その意味するところに絶望感が更に広がった。
辞めろ、辞めろっ、やめてくれっ。
悲鳴をあげようにもそれは喉の奥で張り付いたように漏れることもなく、ただ腹の中で渦巻いていく。
つんざくような銃声が響き渡り、灼熱が張り詰めた下半身を打ち砕いた。
音が、くわんくわんとどこか遠い場所で木霊する。
目玉が飛び出る程に見開かれたが、やはり悲鳴は口からではしなかった。
目の前が真っ赤に見えるのは、眼球の血管が破損したからに違いが無いというのに、自分の意識は飛ばされることもなくそこにとどまっていた。
下半身が打ち上げられた魚のように無意味に暴れ、紫闇の冷たい瞳が冷ややかに見下ろし、やがて口元に笑みを浮かべてみせた。
「一人は寂しいでしょう? すぐにたくさんのお友達がやってくる。安心おしよ。
――次の人生は幸せになれるように祈ってさしあげますから。ああ、次などないのか。なんといっても世界の終焉まであなたは細胞の一つとなっても痛みを受け続けるんだから」
男は微笑し、ふっとその姿を消した。
消えた?……消えた、消えた!
歓喜のようなものが広がった。
下半身も腹も、相変わらず激しい痛みに違いない。だが、それでもその男がいなくなったという現実に身が歓喜した。
ほっと息をついた。
何はともあれ自分は生きている。
他のものは殺されたが、オレは、運がいい。
腹に槍が突き刺さっているが、まだ生きて……
空を見上げる自分の瞳に、いくつもの黒い鳥の影が旋回しながらおりてくるのを見た時に、またしても暗い絶望がゆっくりと体をなぞりあげた。
死肉を求める巨大な鳥達が日の光に嘴を反射させて歓喜の声をあげている。
鳥の言葉はわからずとも、やつらが何を求めてやってきたのかは判りたくないというのに理解できた。
運が……




