手紙とボストンバック
「やぁ、ナフサートさん」
郵便局員のオフロークがマイラおばさん宛ての幾つかの手紙を差し出してくる。それをパン屋のカウンターで受け取りながら、あたしは微笑んだ。
「ごくろうさまです。少し寒いですね。珈琲でも飲みますか?」
「いや、ありがたい」
オフロークは赤くなった顔でにっこりと笑い、ふと思い出すように鞄の中をごそごそとあさった。
「ナフサートさんにも手紙がきてましたよ。ここで渡してしまっていいかな?」
「ああ、かまいませんよ」
パン屋のカウンターのに常備されている小さなストーブにかけたままになっている珈琲をカップに落し、あたしは自分宛の手紙と珈琲カップとを交換した。
あたしに届く手紙の主はただ一人。
――愛するリドリーへ。
綺麗な文字で記されたそれは、母からの手紙だ。
全てを捨てて出てきたけれど、あたしはそれでも母には家出したことを打ち明けた。母はあたしのことを愛してくれている唯一の人で、きっとあたしが突然いなくなればひどく心配すると知れていたからだ。
といっても、この町に引っ越してしばらくたってからのことで母は当時すぐにここに一度顔を出し、一緒に暮らそうと強く勧められたのだけれど、すぐに諦めて連絡だけはかかしてくれるなといいおいて聖都に戻っていった。結構拍子抜けしたものだ。
あたしは手紙をエプロンのポケットに落とし込み、オフロークに礼を言った。
パン屋の休憩時間。
そろそろ庭で昼食を取るのは寒さを覚えるが、相変わらず庭で勉強に励んでいる二人にはあまり意味がないだろう。
あたしがアジス君とアマリージェの為に珈琲とパンとを用意して裏手の扉をあけると、二人は睨みあっていた。
「あなたは教えられたことをそのまま覚えればよいのです!」
「どうしてそうなるんだって聞くのが悪いのか!」
「悪いとは言ってませんわよ! 屁理屈を叩く暇があればその頭にいれなさいといっているのですっ」
……元気だなぁ、本当に。
確かにこれだけ元気であれば寒さなど感じないかもしれない。
あたしは苦笑しながら「お昼にしましょう」と声を掛けた。
ぱっとアジス君の顔が綻ぶ。そうすると突如として若干十一歳の男前はかわいらしい少年へとかわるのだ。
何事か言いかけたアマリージェが唇をへの字にして眉を潜める。
アマリージェもアジス君といる時は年相応になるのだ。なんというかとても可愛い。あたしはこの二人を眺めているのが好きだった。
いつも喧嘩しているのだけど、とても微笑ましく感じてしまう。いいなぁ、喧嘩するほど仲がいいってこういう……
「リドリー? どうかなさいまして? 何か……へんな顔になってますわよ」
「いや、ええ。なんでもありませんよ?」
――微妙にいやなことを思いかけた。
あたしとアレは仲良く喧嘩しているわけではありません。
本気ですよ。本気。食うか食われるかの関係なのです。
好きだけどスキなどみせたらいけないのです!
「おや、今日も外で食べるのかい? 家の中に入ったらどうだい」
ふいにマイラさんの声が割ってはいる。
「さむくねぇよ。平気」
「ですわよ」
二人の子供達に同時に言われ、マイラさんは苦笑する。
「子供は寒さなんてものともしないかもしれないけどねぇ、リドリー、あんたはずっと中にいたんだし、寒くないかい?」
玄関口で言いながらマイラさんは軽く腕をさすっている。開け放した扉から入る風がこたえるのかもしれない。
「平気ですよ」
「いいんだぞ、リドリー。ある年齢を超えた女は寒さが堪えるもんらしいからな」
アジス君、それはどういう意味ですか。
「あなたはデリカシーを学ぶべきですわよ」
またしても臨戦態勢に入る二人。ってか、なぜあたしのことで喧嘩に。
あたしは嘆息し、
「じゃああたしは中で食べますから。二人は好きにしてくださいね」
判りました判りました。邪魔者は退散いたします。
あたしはマイラおばさんと一緒にあたたかなスープまでつけて昼食を取り、昼食を終えるとポケットの中にいれたままになっていた封筒を引き出した。
「おや、手紙かい」
「はい、さっきオフロークさんが届けてくれました」
あたしは思い出してマイラさん宛ての手紙をカウンターから持ってきて手渡す。自分宛の手紙を確かめていたマイラおばさんだが、あたしの手のものが気になるのか、
「ラブレターかね」
にやにやというマイラおばさん。何故彼女はこういった話が大好きなのか。
「母からですよ」
あたしは苦笑しながら封筒の蝋封をぴしりとはずした。
「蝋封なんて古風だねぇ」
「こういうのが好きなんですよ、うちの母」
あたしは中から数枚の便箋を引き出し、視線を落した。
母は男爵家の末娘で、今はその兄を頼って聖都で生活をしている。まぁ、もっとも母の娘であるあたしはただの商人の娘です。まったく関係なし。
自分の近況、そしてあたしの身の心配。いつもと変わらない文面――だがその中にいつもとは違うものが見えてあたしは眉を潜ませた。
――あなたを探しにティナがきました。
その文面にわずかに心音が早くなる。
やっぱりという思いとともに湧き上がる。いまさら、という思い。もう一年がたっていて、本気で探すつもりならもっと早い段階で母のもとに行くのではないかという、微妙な失望。
失望?
そんなものを感じる意味などないのに。
探されたかった訳じゃないでしょう。あたしは探されたいなんて思っていない。ティナはマーヴェルと幸せの筈で……あたしは……
「リドリー?」
マイラおばさんが心配そうに声を掛けてくるから、あたしは慌てて微笑みを浮かべた。
「いえ、なんでもないです」
慌ててその後の文面に視線を落とした。
――もちろん、あなたのことを告げるようなことはしていません。そもそも、よくあの子が私のもとに顔を出せるのか、私には理解できない。
母の文面にとげとげしさがにじむ。
あたしはそっと吐息を落した。
何故そんな風に母がティナを嫌うのか理解できない。あたしが何故結婚を逃れて逃げ出したのかその理由は言っていない。彼女にとってティナは同じ娘だというのに、母はティナに対して随分と冷淡さをみせるのだ。そんな態度を見せられるとあたしは心が歪むようないやな気持ちになってしまう。
――そんなことはどうでもいい。あなたの顔が見たくて寂しいです。一度顔を見せに来てください。あなたの暮らす場は冬は厳しいのでしょう? ならば冬の間は私の家で過ごしたらどうでしょう。それがムリだとしても、せめて一度顔を見たいのです。
「お母さんは何て?」
「顔を見せにきなさいって」
「そりゃ、可愛い娘が遠い場所に一人で暮らしていれば母親なら心配にもなるさ。行って来たらどうだい?」
そんな気安く。
あたしは手紙を折りたたんで片付けながら、
「聖都ですよ。行くのに馬車で二日、汽車で一日かかります」
「いいよ。十日程度なら仕事休んだらいい。うちのバカ孫もいるしね」
「でも」
「旅費なら出してやってもいいんだよ? いつもがんばってもらってるんだ。考えてみれば若い娘さんを一年ここで働いてもらって、親御さんのことをちっとも考えてやらなかったあたしの落ち度だよ」
心底心配するように言われた。
「それに、もしかしたらお母さん体調が悪いんじゃないかい? あんたにあいたいって心細いんじゃ……」
余計な心配までしだしてしまった。
あたしは両手で相手を押し留めるようにしながら、
「いや、旅費なら大丈夫です」
食費はかからないし、アパート代だって安くすませてもらっているのだ。そんなところまで面倒みてもらう訳にはいかない。
「本格的に寒くなる前がいいね。じゃあ明日から」
「……」
「あんた休み時間のうちに役所に行って旅券の手続きしときなよ?」
マイラおばさんは勝手に決めつけ、さっさと暦を睨んであたしの休暇を決めた。
――行きたくない。
心から行きたくないのですが。
どうやらあたしは聖都へとおもむかなくてはいけないらしい。
あたしはポケットの中の手紙をくしゃりと握りつぶした。
いや、判ってますよ。
マイラおばさんの前で手紙を読み出し、あまつさえその内容をぺらりと喋ってしまったあたしが悪いのです。はい、はい……あたし、間が悪いなぁ。
あたしは深い溜息を落とし込み、その夜には荷物をまとめあげた。
と、いったところで荷物はボストンバックが一つ。朝一の駅馬車で出るとして、馬車は退屈だなぁ。とあたしが螺旋階段をおりて行くと、本日の魔術師はぽろりとステッキを落し、両手を広げてのたもうた。
「ぼくの家に引っ越す気になった?」
「……ちっとも」
――そういえば難関がありました。
いや、忘れていた訳ではありませんよ?
考えたくなかっただけです。