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記憶の欠片と求める一片

――変態は感染症の一種かもしれない。

 そうでなければ納得できない。

このあたしが……アレとキス。しかも自分から求めるなんて。

大好きだったマーヴェル相手にだってそんなことしたこと無いのに!



 あたしは部屋の窓を開け放ち、朝の冷たい冷気を部屋に招きいれた。

北の竜峰のおかげかこの辺りは一年中ひんやりと涼しい。これからもっと冷えて、やがては穏やかに雪が降る。それでも酷い豪雪ではないのは、竜が町を護ってくれているから、ということらしい。町の人が言うには。


――竜峰の竜は眠っている。人々の安寧を夢見て……


 身支度を整えて朝食はパンに目玉焼き、今日は奮発してベーコンをスライスした。サラダをつけるのはちょっと控えて、あたしは昨夜の夢を回想しながら朝食を済ませることにした。


 意識して夢なんて見れるものではないけれど、最近の夢は決まって子供の頃のことだ。

聖都の夢であったり、自宅の夢。

 子供の頃のあたしはたいてい一人ぼっちだった。時折マーヴェルがやってきたけれど、マーヴェルが来ればティナが喜ぶ。自室からめったに出ることのできないティナを残してマーヴェルと遊ぶなんてできなくて、決まってティナの部屋で三人でいるけれど、なんだか邪魔をしているように気分がめいってしまって、結局最後にはあたしは部屋を抜け出し、一人で家の裏手にある木に寄りかかったりその洞にもぐりこんで不貞寝した。

 そうすると決まって後悔するのだ。

どうしてあたしは優しくないんだろう。

――ティナは部屋からでられなくて大変なのだから、こんな風にイジケル気持ちを持つのは間違っている。泣きたいきもちになるのは、きっとあたしの気持ちが汚れていて、酷い人間なのだ。

 

――神様、神様……ティナの病気を早く治して。

 その為ならあたしは何だってします。

あたしがかわりに病気になってもいいの。ティナが元気なら、もうこんな汚い気持ちになんかならない筈だもん。

 ティナが死ぬなら、あたしが――


――じゃあ、リィにうつせばいいよ。


 あたしは脳裏に響いた甲高い声を聞いた。

「……」

 つきりと頭の内側が小さく痛む。

顔をしかめて悪態をつぶやき、テーブルに肘をついて額に手を当てたあたしはゆっくりと浅い呼吸を繰り返した。

「――そう、あたしに……うつせば、いい」

 頭に響いた甲高い子供の声を切れ切れに唇の隙間から零す。記憶の断片を逃さないように、忘れないように魂に刻み込むように繰り返す。

 これは記憶のひとかけら。

逃してしまえばまた遠く離れてしまう、儚いひとかけら。


――近づけば、うつる。うつれば死ぬ。


 冷たい口調でうっすらと笑う、

「ああ、そうかぁ……うん」

 つきつきと痛む頭を振り払い、グラスの水を喉の奥へと流し込んだ。ひやりと冷たい霊峰からの恵みの水。冷たい刺激に頭が少しだけすっきりと晴れた。


――消えなさい、死にたくなければ。


 随分ととげとげしい口調で拒絶されたあの時、あの男はたった一人で……泣いていた。

涙もこぼせない程辛くて、泣いていた。

「あー、もぉっ、はっきりしない頭が憎い!」

 心の中がざわつく。思い出したいの、絶対に思い出さないといけない。


あの人の……名前。


――名前、でございますか?

 マリーは困ったように微笑した。

「申し訳ありません。わたくしはおろかあの方の名を知るものはお一方しかおりません。あの方の名を存じ上げているのは陛下のみです」

 あたしは乾いた笑みを零した。

世の中って狭いですねぇ。一般の商人の小娘様、いやいやパン屋の店員さんの日常の中に、とうとう【陛下】まで出てしまいましたよ。

 マリーは静かに、ゆっくりと――おそらくあたしに刻み付ける為に言葉を続けた。


「陛下のみがあの方の名を支配するのは、陛下があの方の命を握っているからですわ」

――魔法使いの誓約のひとつなのだそうです。名を支配した者に仕え、その(めい)によって(いのち)を奪われる。

 竜守りとして代替わりなさいましたおりに、陛下に名を下されるのです。ですので彼の方の名を知るのは陛下だけということになります。


「……もし、ほかにあの方の名を知ることができる、知る者がいるとすれば、それはきっとあなたですわ」


 支配?

そんなことがしたい訳じゃない。名前ひとつでどうかなるなんて思ってもいない。けれど、以前にあの男は言っていた。

――名を呼んで欲しい。

 尊き人と呼ばれるのも竜公と呼ばれるのも、きっとあの男は、喜んでいない。


「あの方に直接お尋ねしてみてはいかがですか?」

 アマリージェの瞳がどこか悪戯っぽく、興味深いものを見るようにあたしを見る。口元にうっすらと笑みを浮かべた彼女に、あたしは眉をひそめて尋ねた。

「何か楽しそうね、マリー?」

「わたくしの知る限り、あの方はきっと貴女に名をおあたえになられるでしょう。そしてあなたは唯一生き残る」

「は?」

「あの方の名を知るということは、あの方の主になるのと同義です。それは膨大な力を手にいれるということ。本来であれば名を求めるものはすべてその場で惨殺です」


……惨殺されたらどうしてくれますか、アマリージェさま。

狙ってますか、狙っているのですか?

 あせるあたしとは違い、アマリージェはかわいらしく微笑を浮かべた。

「お尋ねしてみて下さい。ただし、二人のときに限りますわよ? うっかりでもわたくし達の前で尋ねたりなさらないで。 それが知れれば、エルディバルト様があの剣をわたくし達に向けることになりますから」


アマリージェには悪いが、あたしは尋ねない。

知りたければ、思い出す。

知っていた筈のことは全て、すべて――あたしはあたしの記憶を何ひとつ(・・・・)忘れたままにはしない。


思い出して後悔するとしても。

この気持ちがどこから起因するもので、どこにたどり着くのか。

あたしは――過去にばかり振り回されたくない。


あの男が好きだと思う気持ちが……

過去のものなのか、今のものなのか、まやかしなのか真実なのか。

全て思い出して、その上でちゃんとあの男を好きだと――


「だってこのままだと変態が感染した気がするのよ!」


あたしはぱんぱんっと自分の両頬を叩いた。

もっとキスしたいとか触れて欲しいなんて、あの変態みたいなこと思っちゃうんだもの!

これって絶対に病気よ。

感染症か何か!

あの男の変態に汚染されてるのよっ。


アレの変態はいいけど、自分が変態なんて絶対にイヤ!


……これが本当に恋心なら、こういったものが真実恋だというのであれば、あたしははじめて恋をしている。

 自分の気持ちのコントロールが少しも利かなくて、相手の手の動きや唇の柔らかさ、唇が薄く開いたさまが気になって仕方なくて、その眼差しに瞳を閉ざして触れてみたくなる。

 手と手を絡めて――

だから、だから、だから!


頭イカレテルんじゃないの、あたしっ。

なんだか自分が信用できないの。

だって気づいてしまったのよ、あたし。


あの男のことを好きだという感情はあるけれど、あの男のドコが好きなのか判らないの!


触れたいって思う。あの瞳を向けられると嬉しいの。

でも、臆病なあたしは身のうちで震えている。

あの男の好きなところ――あたしを好きだと言ってくれるから?

それって、好きになる理由としてどうなの? 誰でもいいみたいじゃない?この気持ちはまやかしなの?


まるで騙されているみたい!


ちゃんと思い出してから――そうしたら、この気持ちが今現在の誰の影響も受けていないたった一つのあたしの気持ちだって認めてやってもいい!

 変態に影響されてるなんて絶対にイヤだからね!

それまではキスとか禁止。禁止。禁止っ。


でもあの男は強引だから、無理やりされるぶんには仕方ない……と、思う。

……すくなくともあたしからはしない、なんて、うわっ、もう本当にあたしは何を考えてるの!?

朝食の席で一人のたうちまわるあたしは、もう完全に危ない人だと思う。


あたしはあたしの記憶を取り戻す。

失ったものは、すべて。

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