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逃亡と新しい門出。

――大きな木の根元の洞に、良く身を潜ませて泣いていた。

 そうすると決まって、洞の反対側から優しい声が聞こえたのだ。

「泣かないで」

「悲しまないで」

……きみがぼくのいちばんのひと。

 洞の中だから、その声はとても奇妙に響いていた。けれど誰だかは判る。

優しい、幼馴染。

そんなことを告げてくれるのは、彼しかいないのだから。


 鏡の中には花嫁のための質素なドレスを身にまとったあたし。

慣例にのっとった、何の飾りも、色もつけない、おとなしやかで――そして世界一女性達が憧れるドレス。

 ただしこれはまだ本縫いの段階でなく、腰のドレープも全てざっくりとした木綿で適当に止められているだけだ。

「腰はもう少し詰めましょうね」

針子の女が言いながら衣装をつまんでは針でとめ、時には軽く縫いとめる。

「マーヴェルさんも羨ましい。こんな美しい婚約者で」

 歯の浮くような世辞も、あたしにとっては心地よい音色だ。

「本当に綺麗」

 椅子に座ってこちらを見ているティナが切ないような溜息でつげた。

――ティナさんとマーヴェルさんが想いあってるのを、気づいていないとでもいうのですか!

 アネットの絞るような声が脳裏をかすむ。

あたしは鏡越しにティナを盗み見た。

 ふわふわとした巻き毛の可愛いティナ。

その彼女が、もう随分とそうやって吐息を、溜息を落とすのを知っている。


――でも、それを見ないふりしてやり過ごす。


 マーヴェルが、あたしの手をとりながら、ちらちらとティナの様子を気にするのも。ティナが、あたしとマーヴェルの手が触れ合うのを伏せた瞳で気にするのを。

 そんなことは……

結婚してしまえばどうにでもなる。

マーヴェルとあたしが結婚してしまえば、マーヴェルはきっと良い夫になるだろう。優しい人だから、きっと……子供でもできればきっと愛して可愛がる。

 きっと、きっと、きっと……

あたしは知らない。

あたしは知らない。


 マーヴェルはあたしの婚約者で、ティナはあたしの妹で……あたしは、幸せに――

あたしは全て見ないフリをする。

あの時、マーヴェルがあたしの唇に触れようとしたのを――遮ったのは、間違いだった。

「リドリー?」

「……ねぇ、マーヴェル」

そっと胸に手を当てて、その心臓の鼓動を確かめるように囁いた。

「豊穣祭に結婚するなんて、素敵よね?」

「うん。きっと、女神の祝福が得られるよ」

優しいマーヴェル。

「あたしのこと……愛している?」

 とくりと、マーヴェルの心臓が反応する。

それが喜びなのか、悲しみなのか、愛惜なのか……あたしは、そっとマーヴェルを見上げた。

「――愛してるよ」

うそつき。

うそつきな、マーヴェル。

 全ての嘘に蓋をして、あたしは――幸せになどなれないのだと気づいた。

マーヴェルが好きだった。

親が決めた婚約者だとしても、そのまま幸せになれると信じていた。

 そんな訳、ないのに。

出来上がったウェディングドレスを引き裂いた。あたしが着ないそのドレスを、ティナが着ることが無いように。婚約指輪を暖炉の中に放り込んだ。

 もう――どうでもいいものだから。

――きみがぼくのいちばんのひと。

 子供の頃、泣いていたあたしに言ってくれたのは、ただのまぼろし。

 

 大きなボストンバック一つで生まれ故郷を後にした。

最近流行り蒸気機関車。チケットは馬鹿みたいに高かったけれど、後悔はしない。それに、遠く、遠くに行ってしまえば馬鹿なことをしたと自分を罵りながらも後戻りはできない。


 あたしは全てを捨てたのだ。

愛する婚約者も、愛しい妹も。少し口うるさい父も、全部、捨てた。

少しだけ感傷的になって、昔――子供の頃に悲しい時に入り込んだ洞を蹴飛ばして、あたしは夜行列車に飛び乗った。

 片道切符。

持っているお金のギリギリで――勿論、当面の生活費を見越してはいたけれど、精一杯遠い場所まで行くチケット。


 列車に乗って、それでも一週間と二日。ずっとずっと、列車に揺られて、あたしはアルトゥーラという街にたどり着いた。

 その街はとても大きくて驚いたけれど、勿論そこで落ち着くつもりは無い。なんといっても、婚約者があたしを探さなくとも父は探そうとするかもしれない。ならば、列車がとまるような大きな街など単純に、目をつけられてしまうかもしれない。

 だから更に辻馬車に揺られた。


列車の通らないちょっと辺鄙な街を目指して、そうしてたどりついたがコンコディア。

北側にある霊峰に、竜がいるという小さな街。勿論そんなのは伝承で、列車が往来するこの時勢に竜なんている訳がないのだけれど、驚いたことにこのコンコディアという街は、今も変わらずに「北の竜峰には竜が眠っていて町をお守りくださっている」というのが普通に常識として残っていた。

 町の人は北の山脈を竜峰というのだ。


うっすらと万年雪の残る山々。深い緑と、こじんまりとした煉瓦造りの家々。この地を治めている御領主様は霊峰の手前にある小高い場所にある城で暮らしている。

 一目でこの町を気に入った。

うっすらと見える万年雪の霊峰も、小高い丘の綺麗な城も。可愛らしい煉瓦造りの家々も。

あたしは心からこの場所を好きになり、さっそく町のお役所を訪ねてこの町に暮らす為の許可を取付けたのだ。

 町に暮らすには領主の許可が必要だ。

領民は全て領主の管轄だから。

役所で旅券を提示して、目の前でそれを処分されるのを確認する。新しい書類にあたしの名前が載せられて、今度ここを出て行く時は、また改めてここで旅券を発行してもらわなければ出れないのだ。

 少しだけどきどきした。

旅券はホンモノだし、あたしは自分の名前を偽ってもいない。元々この旅券じたいは、婚約者との新婚旅行の為に発行されていたものだけれど――それを明記されている訳ではない。旅券はただの旅券。

 ただ旅をする為に必要な書類――

「ようこそ、竜と古の町コンコディアへ」

にっこりと係員が笑ってくれた。

それがあたしの――リドリー・ナフサートの新しいはじまり。




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