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メイドの謎とうつる病

 絶対に自分からキスしない!

あたしはもう胸に刻んだ。精一杯勇気を搾り出したというのに。絞り袋の中に残ったカスのような勇気を、端っこから寄せて寄せて一生懸命搾り出そうとしたのに!

 しかもどうして逆に怒っているのよ。


 あたしはわなわなと全身が震える程の思いにとらわれてしまった。

いや、もう率先してしたかった訳じゃありませんよ。したくなかった訳じゃないけど!

「離してよっ、痛いっ、どこに行くのっ」

 あたしは乱暴に掴まれたまま引っ張られることにも憤りを覚え、怒鳴るように言った。

明らかに怒りを撒き散らして引っ張られる屈辱。そもそも何をそんなに怒ることがあるのだろう。まったくあたしには理解できません。

 この男の思考回路を理解しろというのが間違っているのかもしれないけれど。


 白い館の庭を横切り、裏手のサロンからそのまま屋敷の中に入ろうとする男の足がぴたりと止まり、不機嫌そうに眉をひそめてあたしを振り返った。

「どこって、エルディバルトに会いに来たんだろう」

「――」

 ざぁぁぁっと、あたしの中で血の気が引いた。

血の気があんまり引きすぎてくらりときてしまう。あたしは完全に体の力がおかしな方向にいってしまい、へたりとその場にへたりこんでしまった。


「リトル・リィ?」

「……忘れてた」

「は?――」

 片方の手を掴まれたままの現状、あたしはしゃがみ込みついでにもう片方の手で頭を抱えながら本気で青ざめていた。

「その人のこと、いま、完全に忘れてた」


 あたしってば何でキスしようとしていたのか忘れてましたよ!

ひぃぃ、そうです。あたしが自らキスすることによってエルディバルトさんを解放しようという当初の話を完全に脳裏から引き剥がし、キスをするという行為しか頭に無かった!

 なにそれ、なにそれ、なーにーそーれー!

いやぁ、あたしばか! 恥ずかしい。

「それってさ」

あたしが青くなったり赤くなったりしている頭上、静かな問いかけが降り注ぐ。


「キスのことだけ、考えてたの?」

「判ってるなら聞かないでよ!」

って、何を力いっぱい言ってるのあたしはっ。

「ぼくのことだけ、考えてた?」

 殴るっ。殴ってやるっ。

あたしが顔をあげると、膝を地面につけて覗き込む魔術師の顔がそこにあった。

小首をかしげるようにふわりと微笑み、手首を掴んだままゆっくりと身を寄せてくる。

けれどその顔は、頭ひとつぶんだけ残してとまった。


「リドリー?」


 柔らかな言葉に、あたしは身を震わせてその唇を見つめて――そろりそろりと、触れれば火傷するのを恐れるように用心深く、そっと、そっと……

 こくりと喉が自然と上下する。

わずかに瞳を開いて、相手の唇だけ意識して。そっと、触れた。

する必要なんて当然なくて、でも、あたしは――

 唇の表面がわずかに触れるだけの口付け。

ただ触れ合わせただけの口付け。

全身を貫いたその感覚は、喜びだった。

面前の男も同じ気持ちを今、抱いてくれて――


「いまどき十歳の子供でももっと濃厚ですよー?」


 真横にしゃがみこんでメイドさんが自分の頬に手を当ててキスシーンをのぞいていた場合、人間はいったいどんな反応をするか?


 心臓止まります!


少なくともあたしの心臓は一瞬確実に止まり、のけぞった。もともとへたりこんでいたあたしの体は後方に尻餅をつき、けれど魔術師は平然としたまま、

「ぼくのリトル・リィは可愛いだろう?」

と言いながらあたしを引き起こし、その腕の中に収めた。

 再始動をはじめた心臓がばくばくと激しく脈打つ。あたしは魔術師の腕の中だというのに逃げることもできずにただただ酸素を求めた。


 がんばれ心臓っ。この程度で負けてどうするっ。

「ルティのエディ様のほうが可愛いですわよー」

「あれのどこを見て可愛いと言い張るのか僕にはまったく理解できないよ、ルティア。君って目が悪いのではないかな」

「あら、竜公こそ目が腐ってらっしゃるわー。あんなに愛くるしい方はいませんわよぉ。今だって泣きながら反省文を書いてるのを見ると、もぉものすごくおばかで愛らしいと思いません?」

「ああ、そのエルディバルトはもう牢から出していいよ」

 魔術師はあっさりと言った。

「まぁ、まだ反省文は書きあがってませんのにー?」

 どこか間延びした口調で言うメイドさんに、魔術師はふふふっと微笑んだ。

「世の中には恩赦というものがあるんだよ、ルティア。よいことがあると寛大な心でもって罪人を免罪してやるんだ」

 罪人……いや、彼はそこまで悪いことをしていないと思いますよ。

あたしはやっと心音が通常業務をしだしてくれ、なんとかふぅっと大きく息をつけた。男の腕の中だというのに落ち着くというのもいかがなものかと思うが、その前の衝撃があまりにもでかすぎです。

 恥ずかしい!

「ではあと三日くらいしたら出してあげますわー」

間延びした口調のメイドさんは肩をすくめて言った。


「え?」

 その内容にあたしは唖然と呟いた。

あたしの口からもれ出た言葉に、メイドさんの視線がやっとあたしを見る。小首をかしげてしげしげと見つめられ、ついで彼女は微笑んだ。

「パン屋さんではありませんかー」

「……はい」

「先ほどは親切にしていただいてありがとうございましたわー。あの後可愛い少年とも出会えました。パンを買うのに金貨は駄目だといっぱい怒ってました」

 それは……おつりがありません。

パン屋の商品すべて買って、さらに粉まで買っていただいたところでおつりがありません。

「あの子可愛いですわよねー」

 はい。彼はとても可愛いです。でも中身はとっても男前。

「でもマリーがいましたからパンを買ってもらえましたのー。今からエディ様の餌付けに行きますのよ。いらっしゃる? もう猛獣って感じでとても楽しいですわよー。ああ、でも勿論エディ様はルティのですからあげませんわよー?」

 餌付け、猛獣……

自分のご主人に対してものすごいなぁ、このメイドさん。

いやいや、それより。

「出してさしあげないんですか?」

出してあげてよいと言われたのに?

「だって、せっかく面白いんですもの。あと二・三日じっくり楽しみたいのですわー」

「……ご主人さま、嫌いなんですか?」

 実は牢に入っている姿を見て溜飲を下げている? なんかそんな感じはあったけれど、ものすっごく横柄でイヤな感じのご主人様とか?

 あれ、でもなんだかご主人様のことを自分のものだと激しく主張もしているのに。

 あたしはあの日見た騎士を思い浮かべた。確かにそんなイメージはある。

十日近く前のイメージなのであまりはっきりとしませんが。

「あら、そんなことはありませんわー。ルティはエディ様大好きですものー」

「あまり深く考えないほうがいいよ、リトル・リィ」

 魔術師は苦笑をこらえるようにして囁いた。


「それに、ルティアはこんな格好しているけどエルディバルトの婚約者で、メイドさんじゃないから」

「は?」

「そうですよー。ルティはエルディバルト様の婚約者ですの。未来の妻です。ふふ。旦那様って呼ぶの素敵ですわよねー」

「どうしてそんな格好してるんですか」


思わず素で尋ねてしまったのは仕方ないだろう。

可愛いメイドさんはふふふっと微笑んだ。


「エディ様ったらメイドの腰を触ったのですよー、ルティいがいの女性に触るなど由々しいことでしょう? ですから、そんなにメイドが触りたいのであればルティがメイドになるのです。メイド姿のルティを見て萌え死ねばよいのですよ、エディ様は」

……あたしはおそるおそる魔術師の顔を下から覗き込んだ。


「あまり気にしなくていいから」


 えっと――これはいわゆる、気にしたら負けですか?

あたしは地下牢のエルディバルト様を思い浮かべ、もしかしたら彼はあたしと似てるかもしれないなどと考えた。

それはつまり……不幸臭を感じる。

いや、最近のあたしはまぁそれなりに、まぁ、幸せ、かもしれないけど。


 あたしは無意識に自分の唇にふれ、はっと息を飲み込んだ。

――自分からキスなんてしないと心に刻んだというのにっ。

だって、なんかとても……とても、したかったんだもの。

あたし、あたしもしかしてインラン!? スケベエですか? 


あああ、あたしもういろいろと駄目かもしれないっ。変態って感染するの!?

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