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反省文と眩暈

北の竜峰には竜が眠る。

幾百、幾万の人々を殺し、大地を山を焼き払い苦しめた悪しき竜。

それを捕らえ、封じ込めたのは一人の女だったという。


当時は幾人もの魔法使いが存在し、彼等は力を合わせて竜へと対した。

けれど彼等の大半はその時の戦いで失われた。

今や魔法使いは物語の中にしか存在しないとさえ言われているが実情は違う。

――魔法使いは存在している。

たった一人だけ。

その能力を代々に受け継ぎながら。



エルディバルトは白き支柱に身を預け、吐き出される息に喉を鳴らす。

体のどこかがきしむ気がするのは、幾つもの転移の門を通った為だ。一度や二度であればともかく、幾度も通過するのであれば門番の守護が必要となる。

――だが、どうやら門番は機嫌をこねているのかエルディバルトへのそんな配慮をみせてはくれなかった。

 体の痛みと共に彼の身を苛むのは寒さ、いや、冷たさだ。

場の空気がキシキシと全身を包み込む。

決して溶けることのない凍土は足元から冷たさをつたい上げ、体内の全てを攻撃してくるようにすら感じさせた。

「くそっ」

小さく舌打ちがもれた。

ここに自分がいる意味などもとより無い。

この場で自分に何ができるかと言えば、凍り果てることしかできないだろう。

だが何故だろう。あの方が機嫌を損ねるなどはじめて見た。いや……なんとなく理由が判る気がするが、自分の思考能力がそれを拒絶する。


ぶるぶると身が震え、溜息が零れた。

たとえこの地に眠る竜が目覚めたところで――腰に下げた剛剣が役立つとも思えない。元々こんなものは飾りでしかないのだが。

静謐(せいひつ)な空気を引き裂くように、ざりっとした音が氷と石とが混じるような床に降り立った。

冷気を巻き上げるようにして突如その空間を歪めておりたつ相手に、咄嗟に声をあげる。


「竜公っ」

慌てて体を起こせば、面前に降り立つ青年が黒色の髪を跳ね上げる。

先ほどみせた冷たさなど忘れたかのように、そこにいるのはいつもの、彼の良く知る竜公爵――誰よりも穏やかで強く慈悲深い者。

「安心なさい、竜は変わらず眠っておいでだ」

「では何故……」

 竜珠は王城の地下にある竜像の口の中にはめ込まれている。この峰から伸びる水脈に変化があるとそれは落下して異変を知らせるのだ。

今までにも幾度か竜珠が堕ちた――それは、それまでの竜公の死を知らしめたこともあれば、また地脈の変動を知らせることもある。

「誰かが竜峰に入り込んだようです。結界に触れた跡があります」

「こんな場所に?」

「竜こそが平和をもたらすなどと信じている(やから)もいる。ときおりこうやって竜峰の辺りが騒がしくなるものですよ」

 柔らかく微笑み、青年は瞳を細めた。

「ここでどうにか竜を起こしたいと思うのでしょう」

「警備の強化を」

「およしなさい。そんなことでかりだされる兵士達が哀れだ」

こんな冷たく寂しい場に来るのは自分だけで十分だ。薄く笑う相手。

「しかし、竜公」

気色ばむエルディバルトに軽く手を払い、黒髪の青年は身を翻した。

「誰も近づけません――そんなことより私を殺したほうが確実だというのに、まったく莫迦な話しですね」

自嘲的に微笑む相手に慌てれば、更に穏やかな気配を向けられる。

「心配は要りません。まったく知らぬものに容易(たやす)く差し出すような命は持ち合わせてはいませんよ」

「御身の警備を増やすことを許可下さい」

「私より強いものなどいないでしょうに。無駄なことに人手をさくのも愚かしい――それとも私を侮るつもりですか?」

「いいえ。そんなつもりはありません」

慌てて言えば、優しく微笑み返される。


「戻ります」

「このままで平気なのですか? 侵入者は」

「もう燃え尽きてますよ。

無理に入りこもうなどとするから……」

 死んだものに対して悼むように言う相手に安堵する。

安堵と同時に嘆息も出た。

「誰も彼もに哀れを催していては、あなたの心痛ばかりが増す」

「――エルディバルト、私の心配は無用です」

言いながら転移の門を開く相手が、ふいに唇を引くような笑みを浮かべた。


「それよりも――反省文です」

「は?」

……確かそんなことを先ほどもいわれた。咄嗟に意味が判らなかったのだが。

そう、慌てていて忘れていた。


エルディバルトが竜公の館を訪れたおり、彼の人はその腕の中に一人の少女を抱いていた。

それだけでも驚愕で言葉を失ったというのに、その時の彼はいつもの彼とはまったく違かった。

――まるきり普通の青年のように。

「竜珠が落ちたことは問題ではない。私が生きている限り竜は目覚めない――私が腹をたてたのはおまえが転移門を通ってずかずかと現れたから」

しかも無遠慮に足音をたてて。

段々と言葉がいつものものとは変わる。穏やかな眼差しが少しばかり剣呑な色を浮かべ、その口元には決して見たこともないような皮肉気な笑みが浮かんでいた。


「せっかくいい雰囲気だったのに。リトル・リィだって絶対に僕を受け入れていたのに。反省文、ごめんなさいを千個程度じゃ納得いかない!」

「りゅ、竜公……あの、お加減が悪いのか?」

 思わず心配になったエディバルトだが、相手は瞳を眇めた。

「加減じゃない、機嫌が悪いんだ。この莫迦」


――莫迦!

あの竜公が! 尊き人が、神官長がそんな言葉を口にするとはどんな異常事態だ。

心臓がばくばくと音をさせる。どんな悪い病気がその身を苛んでいるのかと心底心配になった程だが、相手の様子は変わらない。

「これでリトル・リィが帰ってしまっていたら末代まで祟る!」

「医者、医者をっ」

異常事態だ。

エルディバルトがおろおろと首をふり、相手の動きを止めようと手を伸ばす。

転移門を幾つもくぐりぬけ、竜公の屋敷にたち戻り――相手の足は先ほど彼がいた部屋へとさっさと向かってしまう。

王宮の医者を――まさか何かの呪いか?

「竜公っ」


焦るエルディバルトの先、竜公は開いたままの扉を入り――嬉しそうに「ただいまっ」と言うや、長椅子で歓談していた少女に抱きつき、

「ぎゃーっ」

と叫ばれていた。

「……」


「寂しかった?」

「寂しくないですっっ。離してっ」

「あああ、可愛いなぁもぉっ」


――自分の目は、その光景を認めたくないと訴えていた。

穏やかで麗しい尊き人が、まるで愚かな若造のように少女に抱きつき、嫌がられ、それでも構わず抱き込む。


竜珠が落ちた。


そんなことよりこちらのほうがむしろ大問題だった。

「なんだ……これは」

眩暈がした。

――何がおこってる?

早急に医者だ、医者を手配せねば。

エルディバルトは混乱していた。

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