鉄壁の姫君と悩める子羊
――意外に鉄壁。
あたしがアマリージェ・スオンに抱いた感想だ。
あの日、あたしは彼女の部屋に泊めてもらった。
御姫様の部屋というには質素な部屋だった。想像していた御姫様と言えば桃色がふんだんに使われ、レースが並び、甘い香りでも漂わせていそうなもの――という思い込みを撃破するくらい、アマリージェの部屋は普通だった。
寝台は天蓋付きでしたが。
ほぼ初対面――というか完全初対面の、しかも貴族の令嬢の部屋に泊まるなんて、なんて畏れ多いと思ったものの、十四歳の少女はこちらの気負いを少しも感知しないでマイペースだった。
「同じ寝台で構いませんわよね?」
多少気がひけたが、同じ部屋に眠るというのはそういうことだろうとうなずく。
彼女の部屋は、私室が手前、左手奥にある扉の向こうが寝室というつくりだった。貸してもらった寝巻きは愛らしいレースが使われていて若干あたしは引いてしまった。
――ああ、こういうところはイメージ通りのお姫様だ。
「リドリー?」
「えっと、あの……聞きたいことがあるのですが、良いですか?」
あたしはずっと尋ねたいと思っていたことをそう切り出した。
アマリージェは微笑み、
「言えることでしたら」
応えた。
「あの、あの人――尊き人のこと、なんですが」
「聞かないで下さい」
……
はい?
アマリージェはそれはそれは綺麗な笑みを浮かべた。
「あの方にとって都合が悪いことはいえません」
「えっと、あの?」
都合が悪いことって。
「でもわたくしの言いたいことって、かなりあの方にとって都合が悪いのです。うっかり口に出したが最期呪われそうですから」
なにそれ……呪われるって。
神官に対して使う言葉では無いと思うのですが。神官って呪いとかとは対極な……
「あの、偉いんですよね?」
「偉いですわね」
「――なんだか途方もないんですが」
「途方もないですわね」
駄目だ――アマリージェ・スオン。
何気に強い。鉄壁の守り。
貴族の御姫様というのはもっとこう……ほわほわとしているものだと想像していたのだが。
笑みを浮かべていた姫君だが、ふいに視線を逸らして吐息を落とした。
「想像していた方と、あなたは随分と違うみたい」
あたしからしても、想像の姫君と貴女様は大分違います。
「えっと、あたしのこと――ご存知だったのですか?」
どんな想像をされていたんだろうか?
というか、あの男はいったいどう言っていたんだ。
引きつるあたしに、アマリージェは小首をかしげた。
さらりとウェーブのかかる金髪が揺れ、まるでお人形さんのように愛らしい。あまりの可愛らしさに何故かあたしは赤面しそうになる。
――すごい可愛い。
「私があなたを見たのは四つの頃です」
見た、という単語にあたしは瞳を瞬いた。
「お会いしたことが?」
「いいえ。見たのですわ――」
その意味がまったく不明だ。
だが……魔術師の身内だと思えば言葉が通じないのも仕方ない気がする。
あの男は本当に言葉が通じない!
「もう休みましょう? 今日はわたくしも疲れてしまいました――」
アマリージェは吐息を落とし、寝台を示した。
彼女は本日の主役で、確かに疲れているだろう。何より先程の魔術師とのやり取りだってきっと疲れたに違いない。
だというのにあたしにまで気を使わせてどうする。
「ごめんなさい、下らない話を」
「いいえ……リドリー」
そっと首をふった少女はふっと声音を変えてあたしを見た。
「――これは愚痴なのですけれど」
ゆっくりと呟きながらアマリージェは瞳を伏せた。
「あなたという存在が、嬉しくて――また悲しいわ」
それきり彼女は口を閉ざしてしまった。
その時に彼女の眦から一筋、涙が伝い落ちてあたしは息を詰めて視線を逸らした。
心臓がとくとくとはぜる。
彼女は、魔術師が好きなのかしら?
そう咄嗟に思ってしまうのは、きっと今のあたしがあの男を気にしているから。何もかもを直結してしまうからに違いない。
違いないのだけど――やっぱりなんだか落ち着かない。
どうして嬉しくて悲しいのですか?
どうして、涙を流す程……でもそれ以上触れられなくて、あたしは彼女と同じ寝台で静かに彼女の邪魔にならないように横になることしかできなかった。
「あー、頭から離れないわ」
――すでにあれから数日が経過していた。
アマリージェの涙がふいに浮かんでしまう。あまりにも綺麗な、綺麗な涙。翌日には彼女はにっこりと微笑みを浮かべていたし、口調はほんの少しだけ砕けていた。
十四歳というにはなんともオトナだ。
それに比べて彼女の兄という人は、ちょっとばかりほやんとした人だった。
「どうした?」
のぞきこんでくる少年の姿にあたしは苦笑した。
「これといって……ってか、あれ? アジス君?」
【うさぎのぱんや】のカウンターで立つあたしと、カウンター越しにいるアジス君。アジス君は隣町の住人で、時々週末などに姿を見せることはあっても平日に顔を出すことは皆無だった。
いや、過去に例が無いわけではないのだが。
「どうしたの?」
「ヤボ用」
若干十一歳はそう言いながらカウンターの中にある椅子に荷物をどさりとおろした。肩掛け式の鞄はぱんぱんに詰まっている。
それまでの前例とまったく同じだった。
「疲れてるのか? オレかわってもいいぞ」
「……家出?」
さっさと壁に掛けられている店のエプロンに手を掛ける少年に、あたしは顔をしかめた。
「――違う」
視線を逸らして言うが、実はアジス君の家出はすでに三度目だ。家出のたびに祖母の家に来るのだからまだまだ子供だ。微笑ましい。
「オレは修行の旅に出たんだ」
隣町に?
その可愛らしさに自然と口元が綻ぶあたしだったが、少年は力強く言葉を続けた。
「神官になる」
「ええええええ?」
「この町にはコーディロイが居るんだぞ! オレは立派な神官になってコーディロイに仕えるんだ」
うんうんとうなずく少年の両の肩を、あたしはがしりとつかんだ。
「それは辞めたほうがいい!」
駄目だ。そんな間違った道にすすんだら人生が終わる!
あたしは青ざめて必死に説得しようと試みた。他のどんな道をたどったところでしっかりもののアジス君なら極めることができるだろう。絶対に成功する。
あたしは応援するし、できることなら助力だって惜しまない。
だが、その道だけは勧められない。
そもそもあの男を崇拝しているところからして間違っている!
「アジス君ならもっと違う道があるから!」
「オレは決めたんだ。なんだよ、リドリーまで反対するのか?」
「しますよ!」
しますとも!
と声をあげているところで、店舗の方のガラスベルが涼やかな音をさせた。
「リドリー、大きな声を出してどうなさったの?」
ふいに現れたアマリージェが愛らしく小首をかしげた。
どうやらあたしの絶叫は外にまで聞こえていたらしい。突然現れたアマリージェの姿にアジス君が息を飲み込む。
その頬がほんの少しだけ染まったことにあたしは気づいたが、今大事なのはそんなことではない。
「……いえ、この子が……」
「オレ、神官になりたいんだ。神官になって尊き人に仕えたいって言ったらリドリーが」
「お辞めなさい!」
アマリージェは顔色を変えて声をあげた。
どうやら加勢が現れたようだが……
御姫様の驚愕の様子にあたしは若干――否、かなり引いた。
やっぱりあの男は問題がある気がする。