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花とあたしの攻防。

 パンを抜き取ったバスケットの中にエプロンとタオルとを入れて出勤するのがあたしの一日の始まりだ。

 朝食は勿論パン。

黒麦のパンにオイルをつけて、機嫌と懐具合と相談して時々これにベーコンや目玉焼きを添える。ほぼ一年の間食べてきたけれど、幸いあたしが働いている『うさぎのぱんや』は少し変わったマイラ小母さんが思案に試作を重ね上げて週に一度のサイクルで違うパンを取り入れていってくれるから、あきることもない。


――恐ろしい食べ物が発明されることもあるけれど、それだって日々のエッセンスだと思えば……悪くない、筈だ。

 毎度食べさせられる自分としては、時々、本当に時々、殺意がわくこともあるけれど。

最近では『苦ヨモギの練り込みパン』は死ぬかと思った。

 マイラ小母さんも一緒に卒倒していたから、寛大なあたしは勿論許した。

 螺旋階段をそっとおりていく。自室の扉だって随分と静かに開けられるようになったし、足音を消すことも覚えた。だというのに、二階の扉はまるで冗談のようにあたしを前にして開くのだ。

「おはよー、リトル・リィ!

今日もいい天気だね! でも、午後からは少し小雨がちらつくよ。傘は持ったかい?」

「……おはよう、魔術師」

 思うのだけれど、どうしてあたしも返事をしてしまうのかしらね?

でもご近所づきあいに「おはよう」と「こんにちは」は欠かせないものなのよ。自分の常識を恨んでいい?

 とりあえずの挨拶をすませたあたしにすっと花を一輪差し出して、魔術師本日も絶好調だ。

何も無いところから差し出された花を、受け取る。すると、もう一輪、もう一輪、もう一輪……

「もう……いいです」

「そう? この花はねぇ、とっても香りがいいんだよ。しかも食べられるんだ」

にこにこと魔術師が説明する。

「便秘にも最適」

「――」

「花弁だけを使うんだよ。御茶にいれてもいいね」

――それはどういう意味? あたしが、あたしが便秘だという意味かしら。

 百歩譲って認めてあげてもいいわよ。

けど、どうして便秘をそんなにプッシュしてくるの? もしかして、もしかして……

あたしはガッと魔術師の襟首を掴み上げ、顔をぎっと近づけて睨みつけた。

「何がいいたいのかしら!」

「えっと……愛してるよ、リトル・リィ」

近づいた顔が悪かったのだろう、魔術師はぎりぎりと首を締め付けられながらもひょいっときように、あたしの唇の端――ほんの数ミリの端にちゅっとわざと音をさせてキスをした。

「死になさい!」

この害虫!



「おや、今日の花はいい香りがするね。何て花だい?」

「……名前はきいてないです」

 あたしはあのあと魔術師をドアに叩きつけ、その反動で何故かぶわっと現れた問題の花をバスケットの中に一杯入れて『うさぎのぱんや』に出勤した。


 すでにパン屋の中には香ばしいパンの優しい香りで溢れている。

パンの種は昨日のうちに作り、二次醗酵までおわる段階に仕込んであり、マイラ小母さんが朝焼き上げているのだ。

 焼きあがったばかりのパンの香りを胸一杯にすいこみながら、エプロンを手早くつけて頭にはうさぎのマークが刺繍された可愛らしい帽子をかぶる。

「あんたのおかげで花には苦労しなくていいよ」

とマイラ小母さんは豪快に笑う。

「……それは良かったです」

「でも本当にいい香りだね」

バスケットの中の花をつまみあげ、マイラ小母さんは幸せそうに香りを楽しむ。

「食べれるんですって。ソレ」

とりあえず店側のガラス窓をふくためにゾーキンを用意しながら言葉を続ける。

「へぇ」

「便秘にいいんですって。花弁だけを食べるみたいだけれど」

「パンに使ってみようかねぇ」

「御茶に入れてもいいって」

「あらあらなんて便利な花だろうね。

この辺りじゃちっとも見たことがないけれど……」

 マイラ小母さんは言いながら花弁を一つつまむと、ぱくりとそのまま口の中に放り込む。

「あら、少し甘いね。苦味があるかと思ったけれど、これならきっとパンに乗せても美味しいに違いないよ」

 嬉しそうに言うマイラ小母さんに、あたしは苦笑しながら朝の仕事を進めた。


――へんなところで魔術師は便利だ。


「そういえば、来週は収穫のお祭りだね」

ふいに話が変わる。

「あんたは初めてだろう?」

「丁度来た時にはおわってましたから」

「もう一年になるんだねぇ」

 マイラ小母さんが感慨深い調子で話す。

うちのほうでは豊穣祭といわれていた祭りは、この辺りでは収穫祭と言われるようだ。

「午前中はパンを目一杯焼くのを手伝っておくれ。午後は休みにしていいから。その翌日は一日休み」

「マイラ小母さん?」

「あんたは若いんだから、少しくらい楽しまないと駄目さ。

 あたしが若い頃は、収穫祭は遊ぶもんで働くもんじゃなかった。一日休みにしてあげたいが、それはちょっと無理だからね。半日の休みで勘弁しておくれ」

「いやだ、一日だって働くわよ」

あたしが慌てて言う言葉に、けれどマイラ小母さんはけたけたと笑う。

「午後は嫁にいったターニャが手伝ってくれるから、あんたはちゃんと遊んでおいで」

 隣町に嫁いだ娘が手伝うというなら、確かにあたしが手伝う余地もない。あたしは溜息を隠してうなずいた。

「花をくれるいい人だっているんだから。デートとかしないとね」

「……」

―― 一年近くここで働いているけれど、魔術師のことは口にだしていない。あんなへんな人間と付き合いがあると思われるのは絶対に、イヤだ。ただ出勤の時に花を渡してくれる人がいることは、いやでもばれてしまっているけれど。

「その人とは別にそういう関係じゃないです」

とりあえず否定するところは否定しておかねば。


「あら、そうなの? 男の人かと思っていたけれど、花屋のお友達なのかい?」

「……えっと、まぁ、そんな、かんじ?」

花屋。ではないと思うけれど。

「じゃあ、粉屋のトビーはどうだい? あれは絶対にあんたに気があるよ」

 毎日小麦を届けてくれる青年を出され、あたしは苦笑する。

「そんな訳ないですよ」

 というか、なぜそんな話ばっかり?

あたしはゾーキンを桶の中に放り込み、がしゃがしゅと憎しみを込めてゾーキンを絞った。

恋愛話は女性にとって楽しいのかもしれないが、とりあえず自分と無縁のところでお願いしたい。


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