苛立ちと開かない扉
結局その後、極度の疲れからあたしは自宅へと戻ることにした。
町の中は収穫の祭りで賑わっていて、人が一杯だし、楽しそうな雰囲気も漂っている。
「女神の祝福はこれからじゃないかな」
というアジス君の言葉に、あたしは「疲れたみたい、ごめんね」と帰宅を選択したのだ。
女神の祝福、というのは今日の女神様役の子がお客さん一人一人に花を手渡してくれるというイベント。昔は女神役の子が額にキスをしてくれたらしいのだが、今は来場者も多いということでこの風習はなくなったのだと、先ほどアジス君が話してくれた。
「それにしたって、アマリージェ様は綺麗だったなぁ」
と、アジス君が言う言葉につきりと胸が痛んだ。
――女神様の扮装だけが理由ではないだろう。確かに、アマリージェ・スオンはとびきり綺麗な顔立ちの美少女だった。今までティナより可愛い子などいないと思っていたけれど、上には上がいるのだ。将来はきっと物凄い美女として求婚者が一杯いるに違いない。
――すごい、魔術師とお似合い。
なんて考えてからあたしは自分の頭を壁にぶつけてしまいたくなった。
やばいやばいですよ、あたし。
なんであの男のことを意識してるの?
落ち着くべきですよ、ここは?
だって……
だって、本当に好きだと言われたのははじめてなんだもの!
今までの魔術師の言動は全て冗談とか嫌がらせとかの類だと思っていたんだもん!
あたしは小さく呟いて頭を抱え込みたくなった。
――愛している、好きだ。
マーヴェルの言葉はきっと全部嘘だった。だって彼はティナばかりを気にしていたもの。
知らぬふりしていたって、あたしはちゃんと知ってる。気づいてた。
だから、その言葉をきくたびにあたしは木に縋って泣いたのだ。
昔聞いた「きみがぼくのいちばんのひと」ただその言葉だけにすがりついて!
あたしは人ごみを抜け、いつものアパートの建物内に入ってやっと大きく息をついた。もうたった一人きりでクッション抱いて眠りたい。
その思いのままに螺旋階段をのぼっていくあたしだが、上からおりてきた相手にギョっと目を見開いた。
「リドリー」
鳶色の瞳が驚いたようにあたしを見る。
あたしは「うっ」と小さく呻いた。
――これは、あれですよね?
「どうしたの、トビー? こんなところで」
「いや、うん……リドリーがいないかなって、思って」
だよね。キミがこのアパートに用があるのはきっとあたしだけでございますよね? あたしは自然と笑顔が引きつるのを感じた。
ややこしい時にややこしい相手とあってしまいました。
神様ってきっとイジワルに違いない。それともあたしの不信心がばれてるのでしょうか。
日曜日の礼拝なんてものに出席したのはいったいいつのことか。
……今度ちゃんと行きます。
あれ、ここって教会あるのかしら。
「何か用?」
あたしはそ知らぬ顔で尋ねる。
「もし暇なら付き合ってもらえないかと思って。あの、収穫祭」
「今見てきたよ? パレード見た? 虹が出てて綺麗だったわ」
あたしはどうにかして話を逸らせないものかと思案にくれる。
「オレも見たよ。でも、リドリーと見れたらもっと良かった」
「……えっと、あのね、暇はあるのだけれど、あたし、疲れてしまって」
あたしは視線をさ迷わせて、
「今から家で休もうかと思って」
「ぼくも一緒していい?」
――このように押された場合、どうしたら良いのでしょう?
あたしの人生経験でこういった場面はあまりないのです。相手が魔術師であれば、あたしは鉄拳制裁に出たことでしょう。
少なくとも今までであれば。
あたしは眉間に皺を寄せた。
この顔を見て気づいてくれればいいのに、と思うのだけれど――生憎とトビーは少しもこちらの感情に頓着してくれない。
わざとかしら?
そう思うあたしの心は随分と汚れてしまっている。
あたしはトビーの丁度後ろにある扉を意識した。
あたしの部屋の、一つしたの部屋。
――出てこないかな?
って、もぅ本当に何考えているのかしらあたし。
自分の頬がかぁっと熱を持つのを感じる。
あたしのバカー。
「リドリー?」
「え、ああ、うん」
あたしはハっと息を飲み込み、曖昧に笑みを浮かべた。
途端、ぱっとトビーの顔に喜色が浮かび、あたしは唖然とした。
「良かった! 屋台で焼き物を買って来たんだ。一緒に食べよう」
トビーの手があたしの手を掴み、嬉しそうに階段をのぼろうとする。くいっと引かれて、あたしは驚愕した。
――あれ?
あたしってば、承諾したっけ? あれ?
さぁっと血の気が下がる。けれどトビーはすでに上機嫌であたしをぐいぐい引っ張る。
まって、ちょっとまって!
あたしとトビーは付き合っていない。
あたしとトビーは若い男女で、おそらくトビーはあたしのことを好きで、そういう現状で男性を自室に入れるっていうのは、どうなの?
それは……駄目、ではないですか?
「えっと、トビー」
「なに?」
「やっぱり、収穫祭見に行かない?
あの、買ってくれたもの、外で、食べない? 御祭りの雰囲気、楽しみたいし」
あたしはしどろもどろに言いながら、その視線は幾度もその扉の、そのノブが動かないかと見ていた。
――リトル・リィ。
そう言ってくれる人はいない。
だって……あの男は今、あの子と一緒にいるんだわ。
あたしの手を掴んだままで、トビーは笑う。
「うん、そうしようか」
とっても嬉しそうに。