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戸惑いと惑わし

悶絶している男を前に、あたしはよろりと一歩退いた。

やばい! 咄嗟にやってしまったけれど、あたし、あたし、酷くない?


あたしってめちゃくちゃ酷い人間ではありませんか!?


自分以外は御祭り騒ぎだけれど、あたしの中身は完全にパニックだった。

気持ち悪いなどと言ってる場合ではないのでは?


――リィねぇ。

はい、その通り。


あたしの子供の頃の一人称は、リィです。

自分でそう呼んでいたし、母親がいた頃はあたしの髪はたいてい頭の上で左右に結わえられ、ついでに赤いリボンを垂らしていた。

つまり、つまり、あの男が言うリトル・リィは――子供の頃のあたし、だ!


「あたし……あんたと会ったこと、ある、の?」

声が震えていた。

しゃがんで悶絶していた男がついっと顔をあげ、困ったように苦笑する。

あたしの攻撃などこの男は実はものともしないで、けろりと立ち上がって微笑する。

「あるよ」

「――いつ?」

「君が八つの頃。場所は聖都――ヴァシュラスの庭園で」

その庭園の名前は判らない。けれど、八つの頃、聖都――その単語は、覚えている。


母親と二人だけで行った場所。

母親はもうすでに父親と共に居ることが堪えられなくて、あたしをつれて伯父の家にいっていた。

――……あなたさえいなければ、別れられるのに。

 彼女の言葉は、きっと悪意は無かった。

それは彼女にとって全部事実で。彼女にしてみれば、苦笑と共にこぼれおちるただの単語でしかない。

 母はあたしを愛してくれていた。

ティナのことは……――正直判らない。母はいつだってあたしの手ばかりを引いていたから。それはきっと、ティナの体が弱かったからだろうとは思うけれど。


「あの、頃……?」

「この話はおしまい」

尋ねるあたしに、ぱっと魔術師は両手を広げた。

「ぼくとしては自力で思い出して欲しいもの。ぼくが余計な手出しして、もっと余計なことまで思い出されると厄介だしね」

 肩をすくめる魔術師にあたしは眉宇を潜める。


「ぼくはね、ずっと、あの頃からずっと、リトル・リィ――君がぼくの前に立って、ぼくの名前を呼んで、あの時のように好きだといってくれるのを待っていたんだ」

 柔らかく微笑み、こちらの動揺を包み込むようにその手があたしの腰を抱き寄せる。

あたしは引きつりながらその胸に手をあて、必要以上に引っ付かないようにと力を込めた。

「あの、ですね」

「うん」

「――許容量がですね」

一杯一杯です。


「君がこの町に来てくれたときね、やっぱりちゃんと覚えていてくれたんだって思ってぼくは有頂天になってしまったんだけど、君はしっかりと忘れているみたいだし……思い出して欲しくて少し無茶をしてしまったけど、許してくれるよね?」

 いつものエセ魔術師姿で言われていれば、あたしはきっと拒絶しただろう。

だがその時ときたら、ヤツは神官服の上いつもとはまったく違う――慈愛のこもったような優しさばかりをこちらに向けてくるものだから、あたしのちょっと混乱している頭は、容易(たやす)いほうに流れた。

――つまり、水を上から流すように。

「そりゃ……えっと、あたしも、悪かったわ」

だからあまり引っ付かないで下さい。


それにこのむくむくと溢れる罪悪感はなんだ?

あたしはちらちらと周りをうかがってしまう。人がいない。誰もいない。

ここは開放されているのではないのか。

誰か助けて。

――罪悪感が底辺にあって、この腕を振り解けない。


人に忘れられることは辛いことだ。

もし自分だったら相当堪える。それを考えると目の前の男が振りほどけない。

もしあたしが大好きな人に忘れられてしまったら?

ソレは辛い、とても――いやだ。思い出して欲しいと願うより、その現実を無視してその相手に背を向けるかもしれない。

この男は、そうしなかった。

思い出して欲しいとアピールして、それがちょっと斜めだっただけ?

アレ?

それでいいのかな。あれ?


「忘れられてしまったことは悲しいけれど」

うっ。

「責めたりしないよ」

そっと耳元で囁く。

「だって君は幼かったし、しかたないよね?」

 八つ……幼いといえば幼いけれど、こんなに印象深い相手を忘れるものか?

綺麗さっぱり。

あたし……

「きっと心のどこかでぼくが住むこの街を覚えていてくれたんだね。

そうおもうとぼくはとっても幸せな気持ちになれるよ」

――覚えていたのだろうか、この町の名を?

ただ遠い場所に逃れたくて来ただけだと思ったこの町を?


あたしは段々と不安と焦りを覚える。


私は鬼ですか?

もしかして鬼畜ですか?

自分は勝手に忘れたくせに、今までさんざ変態と罵ってきた自分は間違いですか?


――その時のあたしは完全に壊れていたと思う。

冷静な判断能力が完全に欠落している。

魔術師が低い声で優しく言葉をつむぐたび、何故かずぐりずぐりと鈍器でつつかれているような気持ちになっていた。

鈍器で殴るではない。

――じくじくと傷む傷口をぐりぐりとあくまでも鈍く突かれるような物凄く、いやな感じ。


耳元に吐息が触れて、唇が触れて、

「この一年、時々辛かったけれど」

……

「君はきっとぼくのことを見てくれるって……思い出してくれるって、意固地になってしまったぼくを」

……

「優しい君は、きっと許してくれる、よね?」


ごめんなさい。

私が悪かったです。

本当にごめんなさい。


あたしは泣き笑いの顔でこくりとうなずく。

なんだろう、この辛い感覚。

責められている訳ではない筈なのに。

むしろ謝っているのは相手だというのに、ただひたすら謝ってしまいたい。


「嬉しいよ、リトル・リィ」

魔術師がぎゅっと一層強くあたしを抱きしめる。

あたしは身を縮めながら、泣きそうな顔になっていたと思う。

激しい罪悪感。魔術師に対して自分はなんて酷いことをしてきたか、思い出すだけで自分がイタイ。

なんて酷いんだあたしってヤツは。


「ああ、そうだ」

ふいに体が離れてほっとする。

魔術師は自らの首筋に手を回し、すっと神官服の下に下げていた首飾りを引きだし、あたしの面前にぶらさげた。

「これ、返すよ。

約束だったからね――君がくれたんだよ。結婚の約束にぼくに預けてくれたんだ」


ネックレスに通されていたのは、ころりと小さなボタンだ。

くるみボタン。

子供達は良く約束の印として交換しあった。

他愛ない、約束の、印。

「――」

「君がぼくの花嫁になる時に返してあげるっていう約束、変わった風習だよね?」

それはまるで決定打のようにあたしに振り下ろされた。


「いやだな、リトル・リィ――そんな顔しないで?

責めているわけじゃないんだから」


いっそ責めて(ののし)って欲しい。

あたしって――めちゃくちゃ酷い人ですか?

「ずっとずっと、きみのことが好きだよ」

魔術師の笑みが、こわいなんて思うあたしは――鬼畜なのでしょうか。



あれ?

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