いい話と悪い話、そしてどうでもいい話
やすらかな寝息をたてるティナの頬は未だこけていて、まなじりは黒ずんで見える。きっと幾度も幾度も泣くことで、その痕が残ってしまっているのだ。まるで獣のティアーズアイのように。
そっと頬を撫でて、ため息を一つ落とした。
それでも流動食から固形物を食べられるようになって、軍艦に乗船するころには吐き戻すことも減った。長い間あたしが見えないと多少暴れたりはするけれど、今はマーヴェルへの依存が増えた。やはり、根底でティナはマーヴェルのことが好きという感情は消えてはいないのだろう。
あたしとマーヴェルは現在どこかぎこちない。マーヴェルは何か言いたげに口を開き、つぐむ。そうしてティナの看病をあたしと変わるのだ。目は口程にものをいうとはいうけど、いっそ言いたいことをぶちまけて欲しい程。ま、あたしも敢えて避けまくっているのですが。
何もわだかまりもないとは、言い難い。
「わたくしがかわってさしあげられればいいのですけれど」
あたしが嘆息を落としたことに対してアマリージェが心底申し訳なさそうに言うから、あたしは慌てて「大丈夫だから」と笑いかえす。
いろいろ考えることがありすぎて、心の中がぐちゃぐちゃで、いまこうして「大丈夫」と言う言葉がいったいどれに対してなのかすら判らなくなってしまう。
大丈夫って言葉はとても便利で、口から簡単に零れ落ちて。
時々うんざりとしてしまうけれど――大丈夫じゃないなんて認めてしまったら、立ち止まってしまったら、もうどこにもいけない気がしてしまう。
軍用船はマーヴェルの商船とは全然違っていた。
船といえば船酔いとワンセットであったあたしでしたが、この船で船酔いを経験したことはなかった。驚く程に操舵は安定し、まるで碇をおろして停泊しているだけのような錯覚すら覚える。
おそらく航路が違うことも理由だろう。マーヴェルの船は海岸線に沿って航行したのに対し、この船は迷うことなく外海に出てただひたすら海原を進む。外海の方が波の影響は少ないのだと教えてくれたのは、やっぱりマーヴェルだったけれど、それを実感したのは今回がはじめてだった。
軍艦の安定感はいいとしても、それでもこれからの行程を潮の状況もあって二週間、早くても十日ちょっとを考えていたあたしに対し、この船の副官長を務めているセオドールさんは興味のなさそうな表情で「五日、多くて六日もあれば王城へお送りできます」とおっしゃった。
「五日っ!」
どんな計算ですか?
「この船は翼有船と呼ばれる特殊船です。西域において一番の護りであり、攻撃艦となるこの船はどのような海域にも瞬時に移動することが求められる――その駆動力は主に……といったことは機密に当たりますのでおたずねにならないように」
……えっと、はい聞きません。
というか、すでにそこまで説明して良かったですか?
相手がいまいち何を考えているか解らない相手で、あたしは相変わらずの愛想笑いで流すことにした。
セオドールさんは乗船後に簡単な船の説明と、あたし達が立ち入ってはいけない場所を教えてくれて、そのあとに船上二階にあたる一室に案内してくれた。
その首には金属製の笛が下げられていて、何か注意することがあったりするとピリピリと空気を震わせて高い音を響かせている。
何度も耳にするうちに「セオドールさん元気だなー、それによく動く」と思うようになった程だ。
「こちらの部屋はもともと私の部屋ですので、そのあたりの棚は触れないで頂けましたら幸いです。この船にはもとより客室などありませんから、不自由かもしれませんが女性はこちらのお部屋をお使い下さい。男性はこの後案内いたします」
それはまたご丁寧に。というかスミマセン。セオドールさんを追い出してしまうようで心苦しいです。なんでしたら一般兵の方々の部屋でも構わないのですが。次に会ったら提案してみようかと思ったが、その言葉は永遠に封印された。
その後、四半刻もせずにアジス君がこの部屋へと走り込み「ごめん、本当にごめん。いろいろダメなのは理解しているんだけど。この部屋の片隅で寝させてっ」と半泣きになっていた為だ。
――どうやらアジス君とマーヴェルは地下二階の乗組員用の部屋に通されたらしく、そこはアジス君曰く「人生で一番我慢のならない異臭地獄」らしい。そんな奇怪な地獄は経験することなく大地に戻りたいと切実に思う。
マーヴェル的には「船乗りなんてあんなもの」らしいのだが、そこはもうちょっと解説を求めずにおいた。
せっかく船酔いしないのに、ぶりかえしてしまいそうだから。
「隣は艦長の部屋になります。私と艦長がおりますから、何かありましたらお立ちより下さい」
マーヴェル達を案内するときにセオドールさんが言っていたが、艦長殿はその後二日程捕まえることはできず、三日目にふらりとセオドールさんの部屋を訪れた。
「よぉ、親友」
「それだと艦長さんの親友みたいですよ」
「嫁の親友だろ?」
この人主語がおかしい。
嫁は嫁でも弟の嫁だし。正確に言えばその嫁だってまだ婚約者状態で結婚までは至っていない。
こちらの反応が気に入らないのか、エルディバルト兄は眉をひそめて少しばかり考える風であったが、やがて「じゃあ、竜公の嫁。あれ、それだと俺の嫁みたいだな……ダメか」と一人でぶつぶつと言い出してしまった。
「リドリーです。リドリー・ナフサート」
三日目にして改めての挨拶とはなんとも不調法な気がしてしまう。
「ああ、そんな名前だったか。悪いな、名前は憶えない主義だ」
どうしたらいいんだ、この人。
そんな自信まんまんに言わないで欲しい。
「竜公に名前はないからな。名前など無意味だ」
げんなりとしたところであっさりと続けられた言葉に、なんとなく納得しかけて、この人そもそも竜公じゃないしと打ち消してみる。
それに竜公には名前がある。
決して呼んではいけない名前が。
「まぁ、いい。嫁に聞いた話だと、あんた竜公の嫁なんだと?」
「いや、違いますけど」
あまりの直球に胸が痛んだ。何度も何度も手ひどく振られたことを再確認させられている気分だ。婚約者であったかどうかもあやしいのに、確定する以前に振られていますよ! 元婚約者マーヴェルとはアレだし、次がコレって、あたしってばどんだけ男運が悪いのでしょうか。
それを幾度もぐりぐりと押し付けるように突きつけるのはやめていただきたい。
「違うのか? っていっても、竜公の指輪をはめているな?」
言うや、すっとその手が伸びてあたしの指をすくいとった。
突然のことにびくりと身がすくむ。じろじろと無遠慮に指輪を確かめ、親指の腹でその表面をなぞる。もう片方の指を伸ばして指輪の輪郭をつまむようにして引き抜こうとするが、勿論それは呪いの指輪だ。そんな簡単に抜けてくれたりしない。
たとえエルディバルト兄が竜公を名乗っていたとしても、それはやっぱりまやかしだ。
隙間はありそうなのにびくりともしない指輪に、その口元に笑みを浮かべたエルディバルト兄はそのままあたしの指先に軽く口づけた。
ひっと息を飲み込んだのはあたしだけではなかった。
悲鳴のようにアマリージェが声をあげ、あわてて相手の手からあたしの手をひったくる。
「なりませんっ。たとえ挨拶といえどリドリーに触れてはいけませんっ」
病原菌ですか、あたし。
触れたらうつりますか、アマリージェ。
触るな危険ですかっ。
「これでも一応礼を尽くしたつもりだが?」
片眉を跳ね上げるエルディバルト兄に、すかさずアジス君が呆れたような微妙な口調で応える。
「コーディロイはリドリーに関してはめちゃくちゃ嫉妬深いんだよ。ガキの俺だって不用意に触らない」
――そっちですか。
今となっては微妙ですが、病原菌だとかばい菌扱いじゃなくって良かったです。
て、その前に。
アジス君にまで気を使われていますか、あたしっ。
「嫉妬? あの人が? 全知全能の博愛主義者が?」
聖人君子とうとう全知全能博愛主義者にまでになったか。
――あたし以外のあの人の褒めたたえられっぷりが天井知らず。キング・オブ・外面大王めっ。
「まぁ、私もそうそうあの人を知っている訳ではないが。それでも、あの人の影武者のようなことを率先してできる程度には尊敬はしている。あの人が嫉妬? 他人に対して怖いなどと、想像もつかないな」
「尊敬……さすがエルディバルトさんのお兄さまですね」
乾いた笑いで言えば、エルディバルト兄は驚愕に目を見開いた。
「あの駄犬と一緒にしてくれるな。あそこまでいくと忠犬を通り越して駄犬だ。変態といってもいい」
「――」
同士っ。
心の中で思わずがしりとお互いの手を交わしてしまいたくなった。ことエルディバルトさんのことに関しては同一の見解だ。
というか、良かった。エルディバルトさんが二人も三人もいたらどうしようかと思いましたよ。これ以上姑のような人が増えたら、胃の辺りにダメージを受けてしまいそうです。
だーかーらー
振られてますから姑との付き合いももう終わりかもしれないけどねっ。
やさぐれきっていますが、何か?
「とにかく、貴女が竜公にとって身内であるということは認めてそれなりの敬意を払おう」
その視線がもう一度あたしの指輪に向けられる。
それから、ニッと口元を歪めた。
「では奥方」
――嫁でなければ奥方か。
訂正する気力さえ失ってげんなりと「何ですか」と返せば、エルディバルト兄はいったん口を開きかけたがまた閉ざし、眉間に皺を刻んで低くうめいた。
考えるそぶりでさして高くもない天井を見上げ、そうしてやっと口を開いた。
「いくつか報告があるが、悪い報告と良い報告と、ちょっとどうでもいい報告と、さてどれからしようか?」
***
「おめでただね」
判っていたことでも、産婆によってきちんと突きつけられると感慨深い。
ルティアはそっと自分の腹部を撫でて口元を緩めた。
年を超えて夏には赤ん坊が産まれる。
エルディバルトとの間の子だ。自分と、愛する相手との。
ごとごとと揺れる箱馬車の中で、何度も何度も腹部を撫でる。いろいろと考えることはあって、考え始めると気持ちが落ち込んでしまう。だが、いまは――リドリーが来るまでの短い時間をすべてこの子の為に注ぎ込むことは許される筈だ。
竜公のことも、妻であるルティアのことより竜公をあくまで優先するエルディバルトのことも考えない。
ただただ、この子の為だけ。
ふふっと口元を緩めたルティアは、ふと思い立って箱馬車の進行方向にある小さな連絡口の横を叩いた。
とたん、馬車の速度が少し落ちて馭者が声をかけてくる。
「市場で一旦とめて下さいなぁ」
この記念に、赤ん坊に何か作ってあげようと口元が緩んだ。
決して編み物は得意ではないが、靴下やミトンなどはどうだろう。小さな小さなそれなら、きっと不器用な自分にも時間をかければできるだろう。
家人の誰かに聞いてみてもいいし。幼馴染の辺境伯領主に手伝わせてもいい。ジェルドはこういう時本当に重宝するのだから。
ジェルドのひきつったようなイヤそうな顔が脳裏に浮かぶ。顔ではありありとイヤだと示すくせに、それでもジェルドは最終的に応じてくれるだろう。
女の子なら薄桃。男の子なら淡い青。
脳裏に柔らかなふわふわとした毛糸と、気持ちの軽くなるような淡い色を想像して口元を緩めたルティアは、一人で馬車をおりた。
「お嬢様、おひとりでは」
「あら、平気ですわぁ。メイドが独り歩きして何が悪いのですぅ」
今日の姿は久しぶりに侍女姿。
――結婚前に妊娠したことを恥じるつもりは無い。そうは思っていても、さすがに産婆を養父の自宅に呼ぶことは控えたし、産婆のもとを訪れるのに令嬢然としたドレスもやめた。
今のルティアは着慣れたメイド姿とは違いずいぶんとおとなしい実用的なメイド服姿で、そして晴れ晴れとした笑顔を浮かべていた。
考えるべきことはあれども、とにかく今日は幸せだった。
憂いは何一つない。
あるとしても、それを考えるのはリドリーが戻ってからのこと。
「あ、ああああ、あんたっ」
震える声で耳に届いた時、どくんっと心臓が反応した。
血の気が一気に下がり、世界の動きがやけに緩慢に自分にまとわりつく。ルティアは笑顔を張り付かせたまま、ゆっくりと振り返った。
それは異様な雰囲気をかもしていた。
幾日も放置された手入れの行き届かない髭と、薄汚れた体。髪の毛はぺったりと張り付き、その瞳はぎょろりと見開かれてルティアを見る。
大きな体躯の男の突然の声に、市場はざわめいて人々が我知らず道を開けた。
「あああ、おおっ、俺の、あんただっ」
血を這い上るような声はどんどんと近づき、そしてルティアの前に立ちはだかった。
「どこにいったんだ。どこにいたんだ!
探したんだぞっ、ずっとずっと。探したんだっ。もう行っちゃなんねぇぞっ、もうどこにもっ」
力強い手が、まるでルティアの骨を砕くのではないかという圧力をもって手首を握りこんでくる。
痛みより驚愕に目を見開くルティアは悲鳴などあげなかった。聞こえてくるのはルティア以外の女性達の驚愕の怒声と悲鳴。
「おれのっ」
「離してくださいませっ」
ルティアはやっと恐怖に満たされた体に力を込めて体をねじり、かろうじて声を張り上げた。
ルティアの抵抗に相手の腕はびくりともしない。
だが、その瞳はこぼれんばかりに見開かれ、信じられないというように首を振る。その口からは唾が飛び、男は呻いた。
それは狂気だった。
男は驚愕に震える声をあげ、もう離さないと、もう逃がさないと愛にも似た声をあげながら、いつの間にその手にしたのか――大振りのナイフをルティアへと振りかざしたのだ。
私の……――
「ダメだっ、ダメだぁぁぁ。
あんたは、俺のだっ。もうどこにも、いかさねぇ」
ルティアは目を見開き、すべてを引き裂くような悲鳴をあげた――
突然の衝撃が焼けつくような熱となって、世界を真っ赤に染め上げていく。
ルティアは自分の意識が遠のくのを感じながら、ゆるゆると首を振った。
報いなら受けるからと。
これが自分の、この人にしてしまったことへの報いだというのであれば、いくらでも受けるから。だからどうか、あの人の……あの人、赤ん坊だけは……
神様。
「公っ……」
暗闇に飲み込まれる意識のうちで、ルティアは絶望的につぶやいた。
ああ、ここには……水が、無い。
たとえ血を流したところで、その真名すら知らぬ自分には竜公に伝えるすべが、ない。
***
悪い報告と、良い報告と、ちょっとどうでもいい報告――
そう示されたら、人はどの報告から聞きたいだろう。
基本的に後ろ向きなあたしだったら、そんなのは決まっている。
「悪い報告で――といいたいところですけど、とりあえずどうでもいいものからで」
ざっつ後ろ向き!
無難なところから行きます。
やはりここは安全ルートからお願いします。
「つまらない人間だな」
ふんと鼻慣らされてしまいましたが、すみません。自他ともに認めるつまらない人間です。平々凡々が服を着て歩いているようなものなんです。
一番痛みが無いところから求めて何が悪いのでしょう。
こちらこそ、ふんでございます。
「じゃあ、本当につまらないどうでもいい報告から。
俺じたいは嫁の為にあんたを迎えに来ているが、嫁のところからそのまま陛下のところへと連れて行くことになっている。陛下からの伝言だ。リドリー・ナフサート。自分から面会を申し込んでおいて来ないとはどういうことだ。何の用だか知らないがさっさと来い、だそうだ」
……
「陛下の呼び出しって! そうなんですか?
あたしが面会を申し込んだから呼ばれているんですか? あたしの首を切りたいってことじゃなくて?」
リドリー・ナフサート大嫌い選手権の表彰式ではなくて?
そりゃ確かにそんなことを願ったりなんかした覚えは――驚愕に目を見開きながらあたしは思い出した。
そういえば、すっかりしっかりと忘れてしまっておりましたが、もしかしてそんなことを願ったかもしれません。
エルディバルトさんに頼んだ、ような、気がしないでもない!
エルディバルトさんってばちゃんと陛下に頼んでくれたのだ。
エルディバルトさん、陛下に進言できるんだ!――普段のエルディバルトさんの駄犬っぷりが駄犬ぷりなので、あまりのことに驚きすぎてしまった。
というか、もしかしてあたしは――陛下に対して面会を申し込んでいたのにも関わらず、めちゃくちゃ放置したということですか?
泣いていいでしょうか。
別の意味で処分されてしまいそうなんですが。
あたしってばおばかさんっ。
「……ちょっ、コレがどうでもいいことですか?」
「ああ。どうでもいいつまらないことだが?」
「ものすごく大問題で、つまらなくないんですが」
少なくともあたしにとってはめちゃくちゃ悪い話であって大ダメージだ。
ううう、心臓痛い。胃じゃなくて心臓痛い。
本来であれば次には悪い話を聞いて、最後に良い話を聞いて少しでも晴れやかな気持ちになりたかったのだが、この段階ですでに耐え難い。
どうでもいい話がどうでもよくなさ過ぎて過呼吸を起こしてしまいそうだ。
「次、ぜひいい話でお願いします……」
連続攻撃には耐えられません。
「じゃあいい話だ」
大ダメージを受けた心臓をなだめるように胸に手をあてて相手を見返せば、エルディバルト兄はニヤリと口元を緩めた。
「私は伯父さんになるらしい」
――三十超えはすでにおじさんですよね。
そう突っ込んでいいだろうか。
この人、内面はめちゃくちゃ十代だけれど、外見は二十代。その実エルディバルトさんの実兄なのだから三十超えだ。
「まぁ」
あたしが脳裏でそんな失礼なことを考えていると、アマリージェが先に反応した。
胸元で手を合わせ「ルティア様ですか?」と瞳をきらきらさせている。
ルティア?
小首をかしげようとして、それでやっと気づいた。
「ルティアに赤ちゃんっ!」
きゃーっと室内が華やいだ。
ルティアが未婚であるとかはこのさい関係が無い。父親は当然アレだろうけど、まぁそこもどうでもいい。
あたしとアマリージェは抱き合うようにして「楽しみーっ」と子供のようにはしゃいだ。
あのアマリージェとエルディバルトの子だ。
さぞかし――愛らしくて、おかしな子がうまれてくることだろう。
父親の性格に似るより、ぜひとも母親に似て欲しいけれど、実際問題としてルティアの性格もたいがいだ。
あー、まぁいいや。
教育は是非とも神殿長官ユリクス様でお願いします。って、ルティアを育てたのは実質ユリクス様という罠がっ。
ああああ、まぁいい。まぁいいや。
誰が一番子育てに向いてるかと言えば、実はアレか? アマリージェのお兄様? ジェルドさんに頼んでみるとかどう?
まぁそれはともかく。とりあえずなんておめでたいっ。
そのはしゃぎ声が長かったのか、うるさかったのかは知らないが、エルディバルト兄はしばらくの間無言でいたが、やがて「そろそろいいかー?」と前置きして口を開いた。
「で、悪いほうの報告だ」
耳に指を突っ込んでぐりぐりと回しつつ、実に退屈そうにつづけた。
「竜公が代替わりを申し出た」
ぱんぱんっと両手を打ち鳴らして喜んでいたあたし達はぴたりと止まった。
誰かが何かを言う前に、あたしの前に立つアマリージェの表情からすっと色が抜け落ちて、体がぐらりとかしぐ。その体を慌ててアジス君が支えて、そしてあたしは――
あたしは真剣なまなざしでエルディバルト兄に問いかけた。
「それは、あたしの認識が間違っていなければ……喜ばしい話ではありませんよね?」
――魔法使いはたった一人だけ。
彼らは能力をすべて次代へと引き継ぐ。
もともとはそんなことはなかった。魔法使いは幾人もいたのだ。だが、国はたった一人しか魔法使いを認めなくなった。
何があったとしても一人だけ。
それはつまり……意図的にそうするのだ。
――それは移る病。
ねぇ魔法使い。
あたしに移せばいいよ。
幼いころ、あたしは確かにユーリにそう告げた。




