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船と決別

「リドリー?」

「例えばですよ?」

「?――」

「あのひとは、こういう状態を治せたりします?」

 あたしのいうあのひとという単語に、アマリージェは誰かを誤ったりしなかった。しばらくあたしを見つめ返し「あなたが望むなら、おそらく」という微妙な返答をした。

 それはつまり、アレに好かれているあたしならば――今の、嫌われているのか何なのかちょっと中途半端なあたしではちょっと難しい。でも何より、それは反則なのだと言外にアマリージェは含ませた。


 ふつうならできない。

でも、ふつうではない。


あたしはその「ふつうではない」を考えて、もう一つ頭にちらついてしまった悪いことを、ゆっくりと口にした。


あああ、あたしの頭の中でちかちかと何かが符号する。

決して、良いものではない何かが。


「ティナは、以前あたしの前に現れたらしいです。

仕事の帰り道で、パン屋さんから帰宅する時に遭遇したって」

「――」

「アジス君がね、いうのです。でも、あたしときたらその記憶がすぱーんと綺麗になくてですね。ええ、つまり何が言いたいかといいますと、おそらくそれって、アレだと思うんですよ」

「――」


「ティナが本当にあたしが死んだと信じて心まで壊し、こうまでなったというのなら、それはつまり……あのすっとこどっこいが関与している確率はどれくらいあると思います?」


 アマリージェはあたしを見つめ返し、引きつり、視線をそらして口にした。


「……アジスが嘘を必要は無い。嘘はつかないという前提で。

もしリドリーにその時の記憶が無いのであれば、あの方が妹さんに関わった確率は」

 言いにくそうに眉間に皺が寄る。

苦しそうなその様子に、あたしは薄暗い天井を仰ぎ見た。


「でもっ、ですがっ。何度もいいますけれどあの方が、誰かの心をああまで破滅させることはありませんわっ。そんな方ではありませんっ。リドリーに害がなければっ」

 勢いのままに付け足された言葉に、あたしは額に手を当てた。


「害が、あったのかもしれませんねぇ」

「――」


……あれ、ちょっとここまではくるとさすがに嫌ってしまうかも?


ああそうですが。

ぼくを嫌いにならないでって、自分の最大の悪事が露呈するのをおそれましたか? それともここまではさすがにやってない? トリガーくらいにはなった? ティナはかたくなにあたしは死んだと思っているみたいで、それはきっと暗示のようなものなのではないだろうか。あたしが死んでしまったと思い込ませた?


 あたしは深いため息を落とした。

あのバカ。

あのすかたん。

ぼけなす。


いったい本当にナニしてくれているのか? あたしはゆっくりと狭い部屋の端まで歩き、窓を開いて換気しようとし、その窓が打ち付けてあることに気付いた。

 さらに胸に暗いものが淀む。いったいいつからティナはこんなことになっていたのだろう。ティナはきっと今頃幸せになっているのだと思っていた。邪魔者がいなくなって、マーヴェルと一緒になっていて、家庭を築いて笑っているものだと思っていた。

 そう思うことが苦しくて、つらくて、妬ましかったくらいだ。

でも、ティナはこんな場所に閉じ込められて、あたしが死んだと憔悴し続けていたのだろうか。

自分が知らない間のことであったとしても、心が痛む。

 もちろん、そんなの知らないという気持ちだってある。

自分のあずかり知らぬところで、勝手に心を病ましたのだと忌々しい思いもある。でも、妹なのだ。他人じゃない。

 放置はできない。

放置して、背中を向けて、見なかったことはもうできない。


愛して、憎んで、それでも――やっぱり、妹だった。心の中がぐちゃぐちゃになって、怒鳴りたくなるけれど、抱きしめたい。


「連れていきます」

 あたしはこの部屋を放棄して、アマリージェに向き直った。


「二・三日ここで養生して。それから戻りましょう。あの人とは言わずとも、少なくとも、ここにいるよりもっといいお医者様もいるだろうし」


 頭の中でいったいどれくらいでユーリのもとに帰れるのかと計算した。確か潮の関係で、来るときよりも戻る時の方が時間がかかるときいたから、結構時間がかかってしまう。

 船はいやだったが、それでも船のほうが早いか。それとも陸路をひたすら駅馬車に揺られて、列車に乗って――今のティナにその旅が耐えられるだろうか。そんなことを考えつつ、とりあえず港町に戻ってあたしの帰路に馬車はまるきりなくなっていた。


港町に巨大な軍艦が待ち受けていたから――


***

 

 ティナの体調を考慮して三日。

そして陸路を馬車でさらに二日。駅馬車を利用するにしても船を利用するにしても、どちらにしろ港に戻った方がいいだろうという判断で港町に戻ったあたし達を出迎えたのは、その小さな入り江を閉鎖でもしているのかという勢いで存在を主張する黒い船。

 その姿の威圧感に呆然としているあたしと、馬車の御者台からたんって地面におりたマーヴェル。不穏な空気にティナとアマリージェを馬車の中に押し戻すアジス君。

「なにこれ」

 ぼんやりと呟くこちらの声など聞こえていなかったであろうが、その人物は軍艦の甲板から「いやがったなっ!」と叫ぶや、驚くことにそのまま宙空に身を躍らせて地面におりたつと、悪役に酔っているかのようにあたしに剣を向けてのたもうた。

 けったいなコスプレ海賊の恰好で。


「お嬢ちゃん、悪いがあんたに今度こそ拒否権はない。

俺と一緒に聖都に来てもらう。この俺様自慢の最速の船で一刻も早くっ」


「ありがとうございます」

 思い切り役者のように言う男に、あたしはあっさりと礼を口にした。

「泣きわめこうが容赦――何だって?」

「だから、ありがとうございます。一刻も早く連行してくださって結構です。あ、でもあたし船酔いしますから。時折ちょっと見苦しかったりしますけど、気にしないで下さい」

 前回あっさりと帰ってしまったから、こんなに早い段階で再会するとは思わなかった。前回はどっからどう見ても海賊船だったのにも関わらず、今回は間違い様もない程軍艦であった。

 砲台には大砲がいくつも顔を出し、国の御旗まではたはたとはためかせ――乗船している人たちは軍隊らしく制服をそろえている。すごいよ、これに連行されるあたしときたらはたから見たら一級犯罪者だ。

 にも関わらず、なにがおかしいって船長だか艦長だかは相変わらず海賊よろしくな恰好をしていらっしゃる。


 いえいえ、そこはもう突っ込みません。

だってあのエルディバルトさんの兄だから。

口ひげに騎士だよ? アレと並べたら「あー、はいはい」ってなものですよ。兄弟そろって素敵な色物ですね。本当にありがとうございます。

 そういえば、この海賊さんは東海の竜公を名乗ってらっしゃるということは広義でみれば弟同様ユーリの部下のようなものだろうか。

 

どうしよう、もしかしてユーリってかわいそうかもしれない。


 珍しくユーリに対して同情心が芽生えたが、そっとしまっておいた。

今はユーリはちょっとどうでもいい。というかむしろ、色々と文句ばかりが貯蓄されている。言いたいことが山とある挙句、何発かお見舞いもして差し上げる予定だ。

 あれ、やっぱりユーリ可哀想?

ああ、コスプレといえばルティアか。あ、ルティアもある意味このお身内か。

世の中って不条理だな。


「あ、病人がいますけど軍医っています?

ああ良かった」

 脳内ユーリ可哀想説をぶんぶんと振り払い、必要なことをてきぱきと言うこちらに戸惑うように、海軍なのに海賊のエルディバルト兄は眉間に皺を寄せて「……あんたは、本当に嫁の友達なのか?」と問いかけてきた。


「嫁? えっと、すみませんけど。あなたの嫁はしりませんが」

「うちの愚弟の嫁だ」

「ああ、ルティアなら」


 愚弟ですね、愚弟。

間違いなく愚弟です。解りますよ。謙遜じゃなく愚弟だと認定しましょう。

そして愚弟の嫁といえば、当然あたしにとって。


「親友です」


――相手がどう思っているかなんて知らない。

ルティアは実際、最終的にユーリとあたしと天秤にかけたら、その比重をユーリに向けてしまうだろうけど、そういうところも全部ひっくるめて。

 親友。

今までのあたしなら、きっと相手の気持ちを考えて親友などとだいそれた言葉を使うことは無かっただろう。

 でもルティアは親友だ。

あたしはもうそう定めてしまったから。

どんな時でも、たとえルティアに嫌われてしまっていても、そう名乗ると。


 あたしの言葉に満足するように口元をゆがめ、エルディバルト兄――推定三十代、見た感じ二十代中盤、中身十代はニヤリと口角を歪めた。

「上等だ。

野郎どもっ、戦利品を乗せろっ。ぐずぐずするな、出港だっ」

 上機嫌のエルディバルト兄が張りのある声で命じるが、海賊たちのような盛大な追従はなく、あきれたような眼差しをした副官らしき男性がぴーっと笛を吹いた。


「はい、なにか言ってるから動く動く」

 ぱんぱんっと乾いた手を打ち鳴らしていう姿がやたらとシュール。


 エルディバルト兄……


どうしよう、扱われ方がぞんざい。

乾いた笑いを落としたところで、ぐんっと後ろから腕を引かれて振り返る。アマリージェかと思えば、眉間に皺を寄せたマーヴェルが「リドリー」と口にする。

「リドリー、コレで戻る気か?」

 視線で軍艦を示され、うなずきを返した。

この船の迫力に当初は圧倒されたものの、これがなにをしに来たのかを瞬時に飲み込めばあたしの回答は決まっていた。


 陛下の前に引き出されるのだとしても、それはなにより近道に違いない。

今のあたしにとってはユーリに会うという、たったそれだけのことだってきっと難しいことなのだから。むしろ難易度で言えば、ユーリと陛下では陛下の方が難解の筈だ。低いところから高い場所に行くよりも、高い場所から降りることのほうがきっと容易い。

 ま、一般庶民な安直な考えなので、もしかしたらまったくダメかもしれないけれど。


 すでにあたしの考えに賛同しているらしいアジス君とアマリージェはさっさと馬車から荷物をおろしている。ティナはおびえるように馬車の中にいるが、軍医もいるというし説得すれば軍艦に乗ってくれるだろう。

「リドリーっ、どこに行くのか判っているのか?」

 いや、むしろマーヴェルのほうがどこに行くのか判っていないんじゃなかろうか。


 リドリー・ナフサート大嫌い選手権優勝候補とご対面です。


……なんて言ったら、頭おかしいと思われそうなので胸の内にとどめておこう。

でもあながち間違っていないので自分ではいかんともしがたい。ふははははと遠い目をしているところで、背後の海賊が副官となにやら話しているのを中断して言った。


「嫁のとこだ」


 それがどこにかかるのか理解すると、あたしは目を瞬いた。

「ルティアの?」

あれ、この人ってば前回会った時は陛下のお使いではなかっただろうか?

驚くあたしに、エルディバルト兄は続けた。

「リドリー・ナフサートを呼んでいるのは嫁だよ。俺は嫁の頼みでお前を迎えに来た。誰がおっさんの命令で軍艦なんぞ動かすか。面倒くさい」

……あああ、この人の立ち位置が解りません。

軍艦こそ正しく陛下の命令で動かすものではないのでしょうか。偉い人の考えることは謎すぎる。

 その暴言からか、また副官から叱責を向けられ、ひょうひょうと逃げつつ、こちらにひょうひょうと手を振った。


「俺も一緒に行く」

 横から注がれる言葉に慌てて視線が戻った。

やけに真剣なマーヴェルが、眉間の皺を増やしてもう一度同じ言葉を口にする。

「俺も、一緒に行くよ」

「マーヴェルは船があるでしょう?」

「じゃあ、俺の船で送る」


「……」


 あたしはじっと切羽詰まるような顔をしているマーヴェルを見つめた。

ああ、なんていうかいい男だなと唐突に思う。うん。日焼けしていて、海の男らしく体躯はいいけれど、ドーザのように筋肉むき出しではなくて、適度に引き締まっていて。

 間違いなく、好きだった人。


「あたし。マーヴェルのこと好きだった」

 だから素直な気持ちで口にした。

友達としてとマーヴェルは言っていた。けれどそれに甘えてはいけないのだ。

友達としてその手をとって、この関係のままずるずると付き合わせてはいけない。


「あたしね。マーヴェルと結婚するようにって父さんに言われて、ああそうかって思ったの。自分の中にマーヴェルと一緒に赤ちゃんを抱いているビジョンが浮かんだ」

 面前のマーヴェルの頬が赤くなる。

それを見上げて、あたしは淡々と口にした。


「あの人との間に、そういう夢を見たことは無いの。

二人の間に子供を想像したこともない」

 ちっともそういうのは想像できない。

結婚すら、実際なんだか嘘くさい戯言のよう。


「でも、大好きでどうしようもないくらい愛しているのは、あの人だから。

だから、あたしはこれからあの人のところに帰るの」

だから、もうマーヴェルとは一緒に居られない。


あたし、今最高にいい笑顔で笑えたと思う。

この笑顔は、マーヴェルと一緒にいた時には決して浮かべることはできなかったと思うから。今生の別れのしるしのように精一杯の気持ちを込めた。


「さようなら、マーヴェル」


 あの時に、ちゃんと向き合って言うべきだった言葉。きちんと告げたつもりでも、こうして友達という逃げ道と共に清算しきれないでいた言葉。

完全なる別離。

二度と会わずとももう後悔などしないように。


心は、とても晴れやかだった――





んですが、マーヴェル大嫌い宣言していたティナが最終的にマーヴェルと離れるのを拒絶した為、結局マーヴェルも軍艦に同乗する羽目になってしまい……現状激しく、激しく、気まずいことになっております。



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