アマリージェの見解
「花占いは花のチョイスで決まるよねぇ」
溜息交じりにぶちぶちと可憐な花を引きちぎる男の姿に、アマリージェ・スオンは醒めた眼差しを向けた。
「なんでもいいけれど、誰が掃除をすると思うのです?」
「マリーじゃないのは確かだねぇ」
切なげな溜息を吐き出し、更にぶちりと花の花弁を引きちぎる。
―――うざい。
もうどうしようもなく、うざい。邪魔臭い。
町は間近に迫った収穫祭の為にいつになく賑わっている。人々は準備で追われていて、この館だってなんだか慌しいというのに、コーディロイ―――黒髪に黒瞳の長い足を組んでいる青年ときたら、まるで粗大ゴミだ。
というか、粗大ゴミだったら捨てればいいのだから始末がいい。コレときたら捨てることもできないし、たとえ捨てることができたとしても戻って来るだろう。イヤ、失礼、コレは戻ってきてもらわねばならないのだ。
忌々しい。
「兄さまは忙しいのに、あなたってばどうしていつもそうなのです!」
「おや、マリー」
ふるふると握った拳を震わせて怒鳴りつけると、コーディロイはぴくりと肩眉を上げた。
「ぼくが忙しいほうがいい?」
ニヤリと口元を歪めるその底意地の悪さ。
「………」
「そうだよ、マリー」
ふいに声がかかり、アマリージェは慌てて居住まいを正した。
開け放たれている扉から姿を現したのは、おそらく一番忙しいであろう兄だった。
自らの兄ながら、その容貌は優しく緩い癖を持つ金髪は美しい。
自慢の兄だ。
「コーディロイはいつだって暇をもてあましているほうが丁度いい。彼が忙しいなんてそれこそ天変地異の前触れだよ」
笑いながら言う兄の手には幾つもの書類。
そう、ここは兄の執務室だから、おそらく書類にサインをする為に戻ったのだろう。
兄のあとを秘書がつき従う。
「また、えらく花だらけですね」
苦笑しつつ、兄は足元の花を踏まないように避けた。
「ふふふふ、何度占っても結果は同じさ」
コーディロイは口元をゆがめた。
「ぼくとリトル・リィの愛は不滅だもの」
アマリージュは深く溜息を吐き出した。
―――この変態で変人で狂人で、更に言えば人外は一昨年前にやっと逢えた「運命の人」
とやらに夢中だ。
いや。正確に言えば彼がこの病気を患っているのはもう遙か昔からだ。アマリージュが四歳程の頃からのことだから、その脳みそはすっかりと病んでいるに違いない。
腐っている。
―――黙ってさえいればとても素敵な男性だというのに。
そう思ってアマリージェは唇をへの字に曲げた。
子供の頃、コーディロイは良く中庭の噴水にいた。
アマリージェは彼を見つけると、ぱたぱたと足早に近づいて慣れない所作でドレスの裾をつまみ、優雅というよりも元気に挨拶をしたものだ。
「おはようございます、コーディロイ」
「おはよう、マリー」
「コーディロイは噴水が御好きですね!」
「―――この泉は竜峰の霊水だからね」
淡々と言いながら、コーディロイはその水に自分の手を浸し、消えそうな微笑を浮かべた。
ゆったりとした神官衣を着て、腰まである黒髪に濡れたような紫闇の瞳。物語の女神様のように美しい人が、アマリージェは大好きだった。
ふと、アマリージェは噴水を覗き込む。
透明度の高い水は、ゆらゆらと揺れていた。
「何か見えますの?」
「ぼくの運命」
その言葉が淡々としている。
小首をかしげ、けれどアマリージェは運命という言葉に反応した。
――運命の王子様。
自らの小指と小指の間を見えない赤い糸が繋がりあう、運命の相手。丁度、昨夜寝物語に聞いた話が浮かんだのだ。
だからアマリージェは上気した頬で言った。
「マリーの赤い糸はコーディロイに繋がっている?」
その言葉に、珍しくコーディロイは顔をあげて乾いた微笑を浮かべた。
「繋がってないよ」
あっさりと切って捨てられた。
「マリー、君にだけ特別に見せてあげる」
ふふふ、とコーディロイは囁き、とんっと噴水の表面を爪先で弾いた。
ふわっと波紋が広がり、まるでそれは鏡面のように変化した。
浮かんだのは部屋だ。
まるで人がそこに入るように、ゆっくりと場面は動いていく。廊下をすすみ、階段をおりて、小さな扉――勝手口だろうか? 裏手だと思われる外。やがて一つの大きな木のところに、一人の少女がもたれるようにして眠っている。
アマリージェよりもわずかに年上の少女。
「だれ?」
「ぼくの運命」
それはとても不快な言葉だ。
普段はあまり感情をみせないコーディロイが、とても静かに、けれどとても愛しそうに言う。
水面にうつる少女の頬を、その指先が触れる。
「ぼくの大切な人」
その言葉に胸の奥がちりちりと傷む。
自らの中でもやもやしたものが蓄積し、とても不快な気持ちになって――アマリージェははじめて自分の中にそんな感情があることを知った。
「町の子じゃないわ」
「そう、ここからずぅっと遠い場所にいるんだ。水鏡で見ることしかぼくにはできない」
その言葉に少しだけほっと息をつく。
「でも約束してくれたんだ。
きっと、大人になったらぼくの許に来てくれるって」
「そんな子供の約束、忘れてしまうわよ」
言葉にして、アマリージェは後悔した。
――こんな酷いことを言うつもりなんて無いのに。これではイジワルなアンリみたいだ。
「もう忘れているよ」
静かに、コーディロイは囁いた。
「ぼくが記憶を奪ったもの」
「――なぜ?」
「過去の人になんてなりたくないじゃないか。幼い彼女に昔スキだった人だと思われて記憶の彼方に押し込められるなんて到底堪えられない。だから、彼女の中にもうぼくはいない」
まったく意味が判らない。
アマリージェは顔をしかめた。
まるきり言葉が通じない人のよう。
「でも大丈夫。
あの子の深い場所に、少しずつ、少しずつ、澱のようにぼくの魔法が作用して――やがてあの子はぼくの面前に立つことになるんだ」
くすりと、青年が笑った。
「大丈夫、ぼくは魔法使いだからね。
うまくやれる――そうだろう、マリー?」
うっとりと夢見るように笑うその人を、アマリージェははじめて怖いと感じた。
自然と一歩、足が退く。
そんなアマリージェの怯えなど気づかぬように、黒髪の青年は柔らかな眼差しを水鏡に落とし、そっと囁いた。
「きみがほくの、いちばんのひと」
「まあ、自業自得ですわよ」
アマリージェは呆れた調子で言い切った。
昔のコーディロイはここに居ない。
高潔で、物静かで、ただその場にいるだけで神々しさを思わせた尊き人は、いない。
今、アマリージェの前にいるのはただの愚か者だ。
運命の相手を面前にしたこのぼけなす様は、どうやらやり方を間違えたらしい。
「コーディロイ」
幾つかの書類を見ていた兄が、嘆息する。
「ナフサート嬢から貴方への苦情が警備隊に出ていますよ」
「……」
「警備隊でもどう対処していいか判らないとこちらにあがってきてるんです」
それは当然だ。
この町でこの男に説教できる者など誰一人としていない。
たとえ、領主である兄であっても。
「ふふふ、リトル・リィは照れ屋さんでかわいいなぁ」
――どこの誰が照れて警備隊に苦情を訴えるのか。
兄ですら困惑した顔をしている。
あたしは断言する。
あの尊き人をここまで下らない生き物に引き下げたリドリー・ナフサートというオンナは至上最悪の悪女に違いない。




