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決別と拳

――どんな時でも自分にだけは救いの手を差し伸べてくれる。

 いつからだろう、そう信じていた。

そう、思い込んでいた?

自分は特別で、自分だけは……辛いことからも怖いことからも、護ってもらえるって、信じてしまっていた。

 なんて傲慢で恥知らずな思い込み。

 あたしはちっとも特別なんかじゃなくて、普通の一般人で、ただの平凡なパン屋の店員で、あたしは……――

ずしりと重い左のくすりゆびの指輪が、焼けるように、痛い。


「再会しないようにと色々と小細工をしてきたけれど、惹かれあうのかな。

君達の絆が強いのか、やっぱり出会ってしまうのだね」

 

あたしの足は敷き詰められた絨毯の床の上にしっかりと両足をおろしていて、しかも床と足とが繫がっているのではないかというくらい体は硬直していた。

だのにあたしときたら、突然海やら川やらに突き落とされてしまったかのように、うまく呼吸ができなくて、喘ぐように幾度か口をぱくぱくと動かした。


「――その絆の前に到底勝てそうにない。

きっと、彼が君を幸せに……」


 誰かが何かを言っている。

ルティアが抗議する声も、自分の隣でマーヴェルが何か憤慨するような言葉を発する音も、その内容が判らない。

 判っているのは、あたしの視線の先――まっすぐ先に、あたしの前ではあまり着ていない神官長の服装で、穏やかな淡い微笑で達観するように立つ人が、まるきりあたしなどもう興味が無いというように、「あたし」という石ころについてとうとうと語り、挙句隣に立つユリクス様に何事かを話しかける様。


酸素が、足りなくて。

思考能力がおいつかず――何が正しくて、何が間違っているのか判らない。


「ユリクス、私は戻ります。

そこの動いていないと死ぬ病のオジサンも一緒に回収しますから」

「どういうことですか、兄さまっ」

「どうもこうも。彼女にはきちんとした迎えが来たのだから、あとは彼に任せるといい。ルティア、お前ももう彼女と関わらなくていい――」


 正しいって、何だ。

絆?

――ちょっと、待て。


あたしはぐっと奥歯を噛み締め、酸欠の体を叱責して一歩を繰り出した――すると、先ほどまで完全に固まっていた体は思いのほか力強く動き出し、あっという間にあたしは標的を捉えることに成功した。


 すかぽんたんでへたれですっとこどっこいで変質者で傍若無人で不届きものの素っ頓狂のヘタレ魔人。

穏やかな表情のまま、まるで他人を見る眼差しのユーリの前であたしは微笑んだ。

その微笑はただのタメだ。

勢いが必要であった、一拍のタメ。

 ユーリも、穏やかな張り付いたままの笑みを返した。

信徒でも見守るような綺麗な笑みを。


――バシリ、もしくはグギリ。


 回りの人間の息をつめるような音と、空を切った拳と、じんじんと痺れる痛み。

今までこんなに綺麗にあたしの拳が誰かの顔面に決まったことがあったであろうか。

いいや、無い。

何故なら、今まで一度も顔面を殴ったことは無かったからだ。

足を踏みつけたこともあったし、腹に肘を埋めたこともある。手の平でその顔をひっぱたいたことはあったかもしれないが、ぐーで殴ったことはない。

 今まで色々とあったが、そう、正直に告白しよう。

この顔が好きだ。今は鼻血を出して「ぐふっ」とか言って目をひんむいてこちらを見ているけれど、今までこの顔を殴らなかったのはあたしがメンクイだからです。

 だから今までどんなに腹をたてていたとしても顔面グーパンチだけはしてこなかった。


こんなに気持ちよく決まると多少は溜飲も下がるというものだ。


「何をするっ」

抜刀しようとするエルディバルトさん、それを留めるユリクス様。「おおおっ」と何故か嬉しそうな声をあげているオジサマと「リドリーっ」と驚愕の声をあげているマーヴェル。ルティアの声が無いのは、あまりのことに絶句してしまってでもいるのだろう。


あたしは未だにジンジンと痛む手をわざとらしく振って、ふんっと鼻を鳴らした。


――一発思い切り殴ればすっきりとするような気持ちがしていたが、生憎とすっきりはしないし、指はずっとジンジンと痛い。場の空気は凍りつき、隣のマーヴェルはかすれた口調で「リ・ドリィ?」なんて言葉を落として呆然としている。

 一瞬憤怒にかられたエルディバルトさんは、わたわたと自らのハンカチを引き出しておろおろと大好きなご主人様の鼻にあてがい、殴られた当人はそれを軽く押しやるようにしたままこちらを見ている。

 自分でしでかした結果といえど、なんというシュール。

あたしは冷たい口調でゆっくりと問いかけた。


「痛い?」

「……リドリーの方が、痛いのじゃないかな? 手は大丈夫?」

 多少いつもの阿呆様に戻ったユーリの口調にほっと息をつく。

慌てた様子であたしの手に自らの手を伸ばし、それに会せるうにジンジンと痛んでいた手の感覚が通常のものへと変わっていく。

自分が殴られた痛みより、まっさきにあたしの手を心配するユーリは、いつものユーリのよう。


あれほど会いたかった聖人君子の神官長様でしたが、もうできれば二度と会いたくない。あたしは自分を叱咤して、相手の手から自らの手を抜き取ると、できるだけ綺麗な笑みを浮かべてみせた。

――多少引きつっているのはご愛嬌だ。


 言いたいことは一杯あるし、聞きたいことも一杯ある。

でもあたしは怒っていて、優しい気持ちはほんの一握りしか残っていない。

だってあたしの胸にはナイフがつきたてられていて、それを突きたてたのは――


「誰があなたに幸せにして欲しいなどと言ったの?」

 あたしの声は震えていて、あたしの声は悔しさに地の底を這うように低く呻くように吐き出された。


「あたしは誰かに幸せにして欲しいなんて思っていない」


 悔しいのは、あたしは精一杯笑ってやりたいのに――涙が溢れて止められなかったことだ。

 泣くな泣くなと心の奥は歯を食いしばるのに、涙は無常に頬を伝い落ちた。


「あたしはっ、あたしの手で幸せになるんだから」

 強気で言い放った言葉が、涙で台無しになったとしても、負け犬の遠吠えのように惨めであったとしても、あたしはあたしの気持ちを精一杯叩き付けることには成功したと思う。


あの日、自分の足で自宅を飛び出したあの日に、あたしは自分自身で幸せになるって決めたのだから。


***


「よぉ、酒でも飲むかい?」

 扉のノックの音と共にそんな声がかけられる。

客室というにはちょっと手狭な部屋は、本来であれば物置か何かであったものに手を加えて内鍵までわざわざつけてくれたものだ。

 それはもう急場しのぎという感じで、もしかしたら水夫の人ががんがん叩けば壊れてしまいそうな造りだが、文句を言える立場ではもちろんない。

 この船はあくまでも荷物を運ぶためのもので、乗客を乗せる為のしつらえはされていないのだ。

「風に当たったほうがよかぁないか?」

 気をかけてくれているのは、古い知り合いで――幼馴染というにはあまりにも接点は少ない。名前はドーザ――実は再会した時に咄嗟に「ザード」と呼び間違えてしまったら、ドーザはニヤリと笑ってあたしの肩をばんばんと叩いた。

「お前は相変わらずだな」だと。

――もしかして以前も間違えただろうか。あたし的にはありがちで申し訳ない。

祭りの時や、たまにマーヴェルが連れて来る時くらいしか顔を合わせていないし、会話をぽんぽんと交わしたほうでも無いので、そこはまあ目をつむって許して欲しいものだ。

 というか、どうもドーザ自身はあまり深くは追求しない性質らしく、そこは本当にありがたい。

「まぁ、なんだ。

元気そうでよかったよ。前よりずっといい顔してるじゃねぇの……その格好も悪くないぜ?」

 ドーザは心底からそう思ってくれている様子で、あたしはそんな彼を記憶の片隅に押し込んで名前さえ忘れ気味な自分を反省した。

 ただ、メイド服については触れてくれなくて結構です。


さて、それはともかく。

行き場を失ったあたしはといえば、何故にどうして大嫌いな船に乗っているのでしょうか――しかも、船酔いですよ、ええ、本当に阿呆でどうしようもない。

 列車はきっともう修理も終わっているし、普通に定期便が出ている頃だろう。意地になって列車を回避すれば、それはすなわち船しか残らない。

 あの日、乱暴な足取りでルティアの屋敷を後にした時、おいかけてきたのはマーヴェルだけだった。いや、別に誰かに追いかけて欲しいなんて思っていない。ルティアが困惑気味にあたしに手を伸ばそうとしていたのも知っていたけれど、あたしはあえてそれは無視した。

――だって、ルティアはどうしたってユーリとあたしとの間で板ばさみになってしまう。もしかしたら最終的にはやっぱりユーリ派なのかもしれなくて、それを知るのはイヤで気持ち振り払うようにしてルティアの屋敷を飛び出したのだ。


「リドリーっ」

肩口を掴まれて、大きな声で言われた名前に足を止めて、あたしは泣き笑いの表情で応えた。

うっかりと忘れていた。

そう、マーヴェル。

「ごめん――なんだかどたばたしていて」

「……さっきの男、何?」


 マーヴェルは何故か不安そうな表情であたしを覗き込んだ。

確かに先ほどの騒ぎにはマーヴェルも面食らうことだろう。あたしは眦に溜まった涙をぐっと手の甲で拭い去り、冷静に考えた。


――あんな台詞を羅列されてもマーヴェル的には「なんなんだ」だろう。

「以前、あの男と一度会ったことがあるんだ――確か、神殿官の事務所だか詰め所だかで。

まさかとは思うんだけど……あの、もしかして、あの男って」

 目を泳がせて言葉を濁らせるマーヴェルに、あたしはどう応えるべきか逡巡した。


 あたしとあの人の関係――果たしてどういうべきなのか。

昨日までのあたしなら、尋ねられたらどう返しただろう。

それより何より、今、あたしってば振られたのよね?

というか捨てられたのかしら?


「あたしの、好きな人」


婚約者という言葉は飲み込んで、あたしは泣き笑いでマーヴェルを見つめ返した。

何だか笑ってしまいそうになりながら。


「好き――好きって、好きって、こと?」

 なんだか不思議な符丁を告げるような言葉に、気がおかしくなったのか、それとも気が大きくなっていたのか、あたしは今まで絶対に口にしたこともないような言葉で応えていた。


「愛しているってこと」


――顔面殴って来ましたけどね。

「あたし、あの人のことを愛しているの」


 ぐったりと小さなテーブルに突っ伏して肩を揺らし、あたしはあの時のことを思い出して「ふふふふふ」と乾いた笑いを浮かべた。

マーヴェルはやっと自分の責任についてもう逃れられたとでも思ったのか、その後無口になっていたが。


「リドリー? 本当に大丈夫か?」

 扉を開いて、決して手狭な部屋に足を入れようとせずに顔だけを覗かせているドーザが心配気にあたしを呼ばわる。

 

「お酒より、もしかして桶がいいかも」

つっぷしたままのあたしがくぐもった声で言えば、

「甲板にでちゃあどうだい?」

と労わりの声がかけられる。

 ドーザは優しい。

マーヴェルが謎の雰囲気をかもしている今、ドーザはある意味救いだ。

再会した時実はドーザは怒っていて、何かと思えばどうやらあの日ドーザもユリクス様の邸宅にいたらしい。そう、マーヴェルってば友人を放り出してあたしを追いかけて来てくれた訳だ。

 ドーザはマーヴェルに食ってかかり、あたしがいることに気付くとぱかりと口を半開きにして「幽霊?」とぼそりと言っていた。

「それより先に水……」

「背負って外に出してやろうか?」


ドーザが扉を大きく開き、袖口をまくりあげる仕草で言う。

それとかぶせるように――


「女性の部屋で何をしているのですっ」

 割って入った甲高い少女の声は、憤慨を示すように足音をさせてどかどかとドーザを押しのけて部屋へと乱入した。


「リドリー、お水もって参りましたよ」

「ありがと……ございます」

 あたしはぐったりとした体を起こして応え――そこに立つアマリージェの姿をもう一度確認して泣きたい気持ちをぐっと堪えた。


――あれ以来、ルティアの姿は見ていない。

けれど、聖都を出る時に、桟橋に立つあたしの腰にぎゅっと抱きついて来てくれたアマリージェは何も言わずに「わたくしもご一緒させて頂きます」と強い眼差しを向けてくれた。


 ユーリの話題は決して出さず、ただ寄り添ってくれるその存在に、あたしは……夜中にこっそりと毛布を嚙むようにして泣いてしまった。

 寂しかった。

辛かった。

悲しかった。


この一年で培った全てを失ったような気持ちになっていたあたしの心を、アマリージェの温かな手が抱きしめてくれなければ、あたしはもっと壊れていたことだろう。


 あたしはこの一年で強くなったのだと思っていた。

二本の足で自ら立って、色々なことに立ち向かえる程になったのだと。

でも違う。

 大事なものが一杯出来て、あたしはきっと弱くなってしまった。

アマリージェやアジス君。

ルティアや御領主様、パン屋のマイラ小母さん。

大事な人との思い出の中に、もちろん――ユーリもいる。

その全てが……幻であったかのように胸を締め付ける。


 無理矢理ドーザを追い払うようにしたアマリージェは、あたしの面前に水の入った木製のカップを差し出した。

「あとであの人――ランザートさんが薬を持って来てくださるって」

「ん、ありがと、マリー」

「それにしても、船は嫌いだと言っていたというのに無理をなさるから」

 年下のマリーに顔をしかめて言われ、あたしは水をゆっくりと飲みながら身を縮めた。


――列車には、ユーリの匂いがする。


 そんな風に思うあたしはおかしいのかもしれないけれど、ほんの少しでも列車を待つ気もおきなくて、衝動的にマーヴェルに郷里に向けて出港する船が無いかとつげてしまったのだ。

「それにしても……よく、あたしが船で出港するって判りましたね」

 ほんの話題探しで口にして、すぐにあたしは後悔した。

それまでずっとユーリの話題には触れていなかったアマリージェが、嘆息するようにして一旦場を区切る。

 その一拍が無言であたしに覚悟を決めろと促すように。

 自分自身の後悔で顔をしかめるあたしに、アマリージェは置かれている寝台の端に腰をあずけてじっとあたしを見返した。


「わたくしに教えて下さったのはルティア様です」

 しかし、アマリージェの口から出たのはユーリではなかった。

それでも、ルティアの名前にとくりと胸が痛む。

痛みつつ、完全に縁が切れた訳ではないという奇妙な安堵感が滲んだ。

「ルティア……何て言っていました?」

「リドリーをきちんと連れて帰ってきて、と」

「……もちろん、帰りますけど――」


どこに?


あたしは自分の手元のカップへと視線を落とした。


だってあの街は――竜峰の近くにあるコンコディアは、ユーリの街だ。

あの男があの街で再会した時に告げたとおりに「ぼくの街」だ。あたしは、あの街で、あの人の気配を感じながら耐えられるだろうか。

「リドリーは、あの人と――あの元婚約者の方と、一緒になるつもりですか?」

静かな問いかけに、あたしはがばりと視線をあげた。

「それは無いですよ」

「では、どうするつもりです?」


 どうって……

元婚約者には浮気されて、二度目の婚約者には捨てられてしまいました。

これって男運が悪いのか、あたしが悪いのか、はたまた幸せはどこなのか。

この先どうするのかといえば――


ふと、あたしは自分の左指に未だ指輪がついていることに気付いた。

銀色の、細かい細工が施された精緻な指輪。

ユーリからおしつけられた婚約指輪。

 泣き笑いの顔で左手の中指と親指で挟み込むようにして指輪を掴み、そっとそれを引き抜こうと力を入れた。


「……」


抜けません――


「んぐっっ」

 力を込めて更に引き抜こうと息をつめてみても、その指輪は相変わらず接着でもされてしまったかのように微動だにしない。

 あたしが意地になって「ふぬっ」と引っ張ってもうんともすんとも言わず、あたしは更にぐぐぐっと指輪を掴んだ指に力を込めたまま両肩を揺らした。


「あんの、ぼけなすっ」


人のこと捨てておいて指輪は抜けないって、どういうことだ!

 

「この先どうするか?

そんなのは決まっていますよ」

あたしはぎりぎりと奥歯を噛み締めた。


***


「――コーディロイ」

 ふいに現れた相手に、ジェルドはぎょっとして呟いた。

普段であっても確かに突然現れるが、それなりに前触れのようなものがある。それがふわりと現れ、ふとジェルドは窓の外に吹き荒れる風に息をついた。


「……天候が荒れていますね。

落ち着いてください」

「これ以上無い程、落ち着いていますよ。でも……少し疲れた。

しばらくは自分の家にいるから――後は頼みます」

 青白い顔に紫色の唇。瞳からは生気が抜け落ち、ジェルドはそっと首を振って恨み言のように呟いた。

「約束を守れない。そうおっしゃったじゃないですか」

「――そうだったね。

そういう……未来を夢見たけれど、そういう時期なのだと思いますよ。鳥は鳥。籠の中に閉じ込めるより大空を飛ぶほうがずっと幸せだ」

 唇を薄く歪めて笑う様はどこか自嘲的。

「しばらくは何も見たくない」

 そうつげ、ふっと身を翻す相手の前で、扉が乱暴に開かれた。

本来であればそのような無作法をしないルティアが、つんっと顎を逸らすようにしてそこに立つ。

息が上がっているのか、その頬は上気し、眼差しも厳しい。

 ここがジェルドの執務室だということもお構いなしで、ルティアは「竜公」と辛らつな口調で告げた。


 普段の間の抜けた口調でもなく、彼女にとって侮蔑さえ含む名称で。


「私にも何か言うことはございませんか?」

「――ああ、そうだ」

 忘れていたと小さく呟き、その手を翻す。

途端に分厚い紙束が現れ、そのままルティアへと突きつけた。

「これを頼むよ」

――自分はあなたの書記ではない。

ぴくりと頬が引きつり、そう言葉が口をつきそうになったが、今は手が出てしまいそうだ。


「何でしょうか、これ」

 一音一音にどうしても棘が含まれる。

ルティアにしては本当に珍しく――自分が怒っていることを理解していた。

「……婚約破棄における迷惑料、慰謝料。名目は何でもいい。まぁ、そういったものだよ。

彼女の名誉に傷がつかないように。こちらが一方的に破棄するのだから当然でしょう?

その目録の通りにリトル・リィに渡るように――本当なら婚姻してしまえばもっと残してあげられただろうけれど」

「用意周到でございますね?」

 ルティアは並ぶ文字を見つめ、自らの唇が辛らつに告げる音を聞いた。

「まるで、もとからご自身の財産を譲渡する為だけの婚約であったよう」

――まったくの他人と婚約者では立場が異なる。

結婚してしまえば更に。

幾つもの書類に記される文字は、本来であれば一朝一夕に整えられるものではない。それがたとえ面前の相手であろうとも。

 ちらりと執務用机に居るもう一人へと視線を向け、相手の表情をひたりと見てしまった。ふっとジェルドが居心地が悪いとでもいうように一旦瞼を伏せる。

 そこから導き出された解答に、ルティアはきゅっと唇を噛み締めた。


「そう、さようですか」

「――ルティア」

「私、あなた様に関して認識を誤っておりました」


 ルティアはばさりと書類を相手の胸に押し付けた。


「昔と少しもかわってなどいない。

他人の心を少しも理解できない――竜公。あなたは大バカです」



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