優勝者と暗雲
ちょっと考えてしまわなかった訳じゃない。
壊れたものなら修理すればよくて、もしかしたらユーリなら何でもさっくりと治してしまえるのかもしれない――なんて。
ま、人間として駄目でしょ、ということで却下した訳です。
使えるものは親でも使えだとか言ったりするけど、恋人の持つ特殊な能力だとか地位を利用するのはよろしくない。
そんなこと頼める訳もないですしね。
恋人――うわ、自然と使ったけど、恋人……なんだろう、このこそばゆいような奇妙な音。それと最後についてくる微妙な後味の悪さ。
未だに恋人じゃないなうそぶく気持ちは無い。
好きだし。もう色々としょうがないと諦めている。
だが、心のどっかが未だにあがいている。
だって、相手がアレだから。
このアレの部分に適当に文字を入れなさい――正解は複数可ときたら、一番初めに書かれるのは【変態】しか浮かばないくらいアレだから。
なぁんてことで、違う列車を頼む為にわざわざ出かけた訳なのですが。
やっぱりユーリに修理を頼んでみようかしらという気持ちになった。
「すみません。本当にこちらとしても原因がわからず。原因が判らない現状では安全な運行をお約束できかねますので、もうしばらくお待ち頂きます」
禿げ上がった――失礼――駅員さんが、しきりに恐縮して頭をハンカチでなぞっていた。おそらく、あたし以外にも問い合わせは一杯あるのだろう。数日列車が止まる、まぁもともと列車は数日に一本とか本数が限られているものなのだけれど、それなりに損害うんたらとかが気になるお年頃。
「川を下って港に出て外洋船を利用するという移動方法もありますが」と恐縮そうに言われ、あたしはぶるぶると首を振った。
船は駄目だ。
前回川に落ちたのも手伝って、更にあたしは船嫌いに拍車をかけた。さすがに海運会社だって世の中には幾つかあって、マーヴェルのトコの会社に行き当たることなんて滅多にないだろう。その滅多にが一度あったのだから、もう二度は無い。
そもそも、あの時だってまさかマーヴェルのとこのランド商会が観光用にまで手を出しているとは知らなかった。
あたしが知る限り、ランド商会はあくまでも荷物運びが基本なのだ。
それはともかく――とにかく、船は駄目。
船に乗ると落ちる。
船とあたしの相性は激烈に悪い。
今までの生涯で船は鬼門とみましたよ。
眉間にぐっと皺を寄せて色々と考えているあたしの前で――何故そこにいるのかという疑問符が一杯つけられてしまいそうな時代錯誤の騎士サマは冷ややかな眼差しを向けておっしゃった。
「まさか……無礼なことを考えてはいまいな」
「まぁっ、あたしの考えが理解できるなんて凄いですね」
知ってますかー?
あなたが今考えていることはきっとどんぴしゃりだし、それ以前にもっと無礼なことも考えておりますよ?
――なんでよりにもよって貴方サマがくっついて来やがりますかね。
ルティアの屋敷にはそれでなくとも護衛を頼めそうな侍従とか下男さんとかがいて、だというのにあたしの付き添いに髭の騎士が引っ付いてくる理由が理解できません。ああ、昨夜泊めていただいたのはルティアの屋敷ではなくてこの髭のお方の屋敷でしたね。そう考えると更に不可解です。だって、いわばこの人ってばあの屋敷の主人ですよ。そんな人間がこんな小娘の付き添いですか?
まぁ、あたしってばなんて贅沢なんでしょう。
遠慮なく辞退したいですけど。
「貴様のような考えなしの愚か者の考えることなど判りきっている。自らの婚約者を便利なアイテムのように使うなど、言語道断!」
考えなしなのに考えてるってどんな矛盾でしょう。
しかもエルディバルトさんてばさらりと問題発言。
「うわっ、エルディバルトさんってばいつの間にあたしとあの人が婚約者同士だって認めたんですか?」
当事者であるあたしですらイマイチ認めていないというのに。
「み、認めるかぁぁぁぁぁ!」
血管ぶちきれるのではないかという程の絶叫に、あたしは最高に機嫌をよくした。
なんということでしょう。
あたし、こんなに性格が悪くてよいのでしょうか? というか、本当に自分で心配になるくらい性格が悪すぎ。
こんな風に誰かを苛めたりからかったりなんて今までの人生では到底ありえない事柄だ。
だが最高に気持ちがいい。
ルティアの気持ちが今なら理解でき――イヤ、エルディバルトさんが好きな訳ではありませんよ?
「きさっ、貴様ぁっ」
がるがると噛み付こうと牙をむき出しにしているわんこ様に、あたしは心の中だけで畳み掛けた。
――貴様って実は自分よりも目上の相手を尊んで言う言葉なんですよー、知ってますか?
とか言ったら、この面前の人は腰の剣に手までかけてしまうのではないだろうか。
「私は絶対に貴様を認めないっ。貴様のせいで公がどれほどに立場をお悪くしているかっ。貴様のような悪辣な女など、公に百害あって一利なしっ」
全身の毛を逆立てて威嚇するエルディバルトさんを眺め回し、あたしはその言葉には同意していた。
「立場、悪くなっているんですか?」
素で問い返せば、エルディバルトさんは途端に顔を背けた。
「誰も彼もがひれ伏すのかと思ってましたけどね」
外面はめちゃくちゃいい様子ですから。
あたしの問いかけに、苛立つようにエルディバルトさんはあたしを睨みつけ――吐き捨てた。
「貴様は、公がどのようなお立場か判っておらんのだ」
――どのような立場か。
神官長で、竜公で、尊き人で、偉い人で、魔法使いで。
あたしの知っているのはそういうことだけで、実際はどんな人だか本当は知らない。
あたしの知るユーリは、馬鹿でぬけさくであんぽんたんでエロ魔人で変態で、優しくて、寂しがりで、そして――
「知りませんよ。
ちっとも知らない」
あたしは小さな声で、消えそうな声で呟いた。
「私は、今でも公にはルティアのほうが相応しいと思っている」
「すみませんね、ただのパン屋の店員で」
ケッと舌を鳴らして言えば、エルディバルトさんは嫌悪する表情であたしを見た。
「誰が氏素性のことなど言っている。
貴様はあれだろう? 公が以前迷い子を見つけたというあの子供だろう? ずいぶんと昔の話で気づくのが遅れたが――どうりで陛下に嫌われる訳だ」
あたしのケっ、に対してエルディバルトさんはふんっと鼻を鳴らし、心底忌々しそうに口にした。
「貴様は、いくら子供といえども許されざることを言ったそうだな」
って、まてまて。
ちょっとまてい。
さらりと「陛下に嫌われている」とかって言いました? もしかして、あたし? あたしってばこの国の一番偉い人に嫌われているんですか? なんだそれ。
ここにきてリドリー・ナフサート大嫌い選手権トップが、国のトップですか? ちょっと、ないでしょうよ、さすがにそれは!
陛下なんて人種と会ったこともありませんし。雲の上過ぎてまさに何だそれです。
あんぐりと口をあけてしまったあたしを無視し、エルディバルトさんは言いたい事柄だけを嫌そうに吐き捨てた。
「竜に乗って空を飛んでみたいとか! いくら子供といえどもなんという不遜なっ」
――キミは竜を目覚めさせることができる。
突然耳元でささやかれるようにユーリの声がオーバーラップして、あたしはぱくぱくと口をあけて開いてを繰り返した。
竜に乗って空を飛びたい……
まぁ、なんとメルヘンチックといえば子供らしいメルヘンに満ち溢れた台詞だ。
竜がいなければ問題は無い台詞。
だが、いるのだ。
竜は眠り続けている。
この国の護りとして。目覚めると災いを呼ぶ存在として。その竜に……乗ってみたいとか言うか、ちっさいあたし。
「あの、えっと……エルディバルトさん?」
「何だ」
「それって――ホント、デスカ?」
ちょっと、ねぇ。
ちょっとまってよ。
それが事実であるなら、あたし――今まで考えてなかったけど、もしかして、子供の頃に弓を向けられたりしたのって、まさかただの宮廷警備に引っかかったんじゃなくて、あたし自身が標的にされていたってコトですか?
リドリー・ナフサート大嫌い選手権――優勝者、まさかの陛下。
***
藁をも掴むの藁がぶちりと切れた。
もともと頼りない話であったといえど、心に負う脱力感は相当のものだった。やっとその手を掴みかけたというのに、するりと彼女は逃げてしまう。
「お役に立てなくてごめんなさいねぇ」
と、侍女は言っていたが、彼女の言葉もどこか遠い。
――やはり、リドリーは死んだのだろうか。
だがそれはティナがもたらした情報で、マーヴェル自身ティナの言う言葉を信じることはできかねた。
もともと嘘付きという訳ではない。むしろ実直にものをいうティナだが、それでも意地の悪い気持ちでもって「リドリーが死んだ」などと言ったのかもしれない。
そこまで性格に難があるとまでは思っていないが。
焦燥に肩を落とし、マーヴェルはぼんやりと街並みを眺めた。
何をする気にもなれず、ぼぅっと建物の壁に背をあずけて腕を組み、ただただ街並みを眺める。
整地された石畳。
楽しげな男女がゆったりと歩き、時折馬車が過ぎていく。
ドーザは先ほど「酒買ってくる」とマーヴェルを残して店に入り、マーヴェルはそれを放置していったん事務所に戻るべきか、それともドーザが戻るまでここでこうしているべきかとぼんやりと考えた。
どこに行けばいいのだろうか。
もういっそ諦めてしまえばいい。
――死んだとは思いたくない。だから、もう彼女はどこか遠い場所で幸せにしているのだと自分を納得させてしまうべきだ。
最悪の結末を迎えるくらいなら、目を閉ざして、心を切り離してすべて諦めて。
やるべき事柄が見つからない。
今、いったい何をすればいいのだろう。何か命令されればそのように動けるのに。何か指標があれば、すべき事柄が……
「ああ――謝罪、するべきかもなー」
嘆息交じりに言葉が落ちた。
誰とも知らないが、ダグが迷惑をかけてしまった相手に謝罪に行くべきか。
あのかわいらしい伯爵令嬢にもきちんと挨拶するべきだろう。
リドリーのことは一旦考えない。
ふせていた目を開けて、マーヴェルはしばらく瞳をまたたいていたがやがて自重気味に乾いた笑いをこぼした。
「おうっ、なんだよ? どうした?」
体を折って笑うマーヴェルの姿に、ドーザは酒瓶を抱えて顔をしかめた。
「俺、何してんだろうなーって思ってさ」
「今更だろ、んなの」
呆れたように言うドーザは、酒瓶の一つをマーヴェルに押し付けた。
それを取り落としてしまわないように受け止めながら、マーヴェルは口元をゆがめた。
――一瞬、通り過ぎた馬車に彼女を見た気がした。
豪奢な紋章入りの馬車に、護衛の騎馬まで二人も従えて、絶対に彼女ではありえない。
幻すら見てしまう程……疲れているのだろう。
「今日は飲もう」
その後で謝罪に行こう。
とりあえずはあの娘さんに。
しばらくの間、リドリーのことは忘れて。
少しは会社に貢献して――頭を冷やさなければ。
***
ずぅーんっと自分の頭の上に暗雲が広がっていた。
聞いてはいけないことを聞いてしまった。いや、聞いて良かったのだろうけれど――ああ、子供の頃の自分をぶんなぐってやりたい。
確かに、言いそうなんですよ。
あたしときたら、ユーリに思い切り甘やかされてうさぎだの犬だのと遊んでいた。そんな時に竜の話なんて出たら、おそらくきっと……言う。
「リィ、竜乗ってみたい! それでお空を飛んで見たいっ」
……ユーリが実行しなくて良かった。
だって、竜峰の竜って――永久凍土で眠っているあの問題の竜サマは、守り神とは嘘っぱちの実は疫病神なんですよね。
そんなもの子供の戯言ごときで起こされてはたまったものでは無い。
今なら判る。
陛下があたしを抹殺したい気持ちが。
ものすっごく目障りな感じがひしひしと。
挙句、動揺しまくったあたしときたら、エルディバルトさんの二の腕をがしりと掴み、思い切りやらかしてしまったのだ。
後も先も考えず。
――陛下って、お会いしたいって言ったら会えますか?
考えればそれは無茶な話だと判る筈。
だって、確認するまでもなくあたしときたらただの平々凡々な天下無敵の庶民。パン屋の店員さんです。 伯父さんは一応貴族と言えば貴族だけれど、母さんが庶民に嫁いでいるのでその娘のあたしも当然庶民。父は一介の商人で、これもそのへんに掃いて捨てる感じの普通の人だ。
田舎では名が知れているけど、都心に行けばあまり意味は無い。
そんな娘。ある意味村娘の一人が「陛下に会いたい」などとまさに噴飯ものだろう。
言ってしまってから、自分って本当に馬鹿だなっと後悔したが――エルディバルトさん、陛下の甥っ子にして髭の騎士は思い切り嫌そうな顔をしてあたしを眺めやった。
「貴様はどこまで無礼なのだ」
「うっ、そうですね……ご尤もです」
「口ぞえだけはするが。実際にお会いできるかどうかは知らぬからな」
ふんっとまたしても鼻を鳴らし、顔を横にそむけたまま、しかしきっちりとそんな風に返してくれるエルディバルトさんに、あたしは思わず幾度も瞳を瞬いた。
――つん、でれ?
いや、今の思考はちょっと捨てておこう。
ちょっとだけ大嫌いメーターが好きゲージに動きかけたが、エルディバルトさんだから気のせいだ。
「ただし!」
エルディバルトさんは突然声を荒げ、びしりとあたしに指を突きつけた。
「公に迷惑をかけるなよ!」
――わんこ様にとっては何よりそこが大事らしい。
と言うか、勢いであんなことを言ってしまったが……陛下に会ってどうするのですか、リドリー・ナフサート。
馬車で揺られながら、あたしは自分の馬鹿さ加減にほとほと疲れ果て――もういっそのこと全てナシってことで処理してしまいたい気持ちになっていた。
陛下にあって、何をどうするんだろう。
謝る?
もしかしていまだにあたしに対して殺意をもっているかもしれないのに?
言いたいことがあるって……何を言いたいのさ。
勢いだけで生きてると自分の墓穴を掘るような事態になるから困ったものですよ。
ああ、でも――そう、あたし陛下に一つだけどうしても言いたいことがあるんだ。
漠然としていたけれど、もし言う機会があるのであればどうしても言いたいことがある。
ユーリの主という人に。
考えれば考えるだけ、もう本当にどうしようもなく――ずぅーんと頭がもやもやしてしまうけど。
――何故、咎人なんて名前にしたの。
あたしはそれだけは絶対に許せない。
***
「リトル・リィィィィ、おかえりぃっ」
ぐわしっと抱きつかれたとしても、色々と無駄でどうしようもない事柄を考え続けたあたしは無抵抗。
なぜならあたしの肩から上、頭にかけて暗雲が居座っていて重すぎるから。ぐったりとしたあたしに抱きついた人生全て困ったチャンは、あたしの様子がおかしいことにすぐに気づいた。
「リトル・リィ?」
どうかしたの?
一旦抱きしめたからだをちょっとだけ引き剥がし、顔を覗き込むようにして心配そうに問いかける神官長さまは、かいがいしい新妻のように言葉を畳み掛けた。
「具合が悪い? お腹がすいているのかな? どこかいたい?」
心から案じる言葉の羅列。
けれど――その片手はさわさわとあたしの肩甲骨から腰をなぞり、尻付近にまで達し、あたしは暗雲を背負ったまま相手の足のつま先をぐしりと踏みつけた。
一杯一杯頭が痛いこと考えていたあたしに、この能天気のあほんだら様ときたらなんという暴挙。
「せめて言葉と行動を一致させなさいよ!」
怒るあたしを更にぎゅっと抱きしめて、ユーリは思い切り大きく息を吐き出した。
「良かったー。
いつものリトル・リィだ」
まて、安堵の仕方おかしいってば。