父と子
自分はきっと冷たい人間なのだろうと思う。
心がどっかおかしいのかもしれない。
自己中心的といえばいいのか――それとも、身勝手? まぁ、どちらも同じ意味かな。
それとも、子供らしい傲慢さ?
結局、あたしはあたしがかわいいのだ。
妹に感じる感情だって、最終的には「自己保身」だったのではないだろうか。
だって、居心地の悪い家が嫌いだったけれど、あたしはそこから身動きすることができなかった。
そのすべてを結局はティナのせいにして、そしてそう思う自分がイヤだと嫌悪感でいっぱいだった。
こんな自分が誰かに好かれる筈なんてなくて、こんな自分のことを自分だって大嫌い。なのに自分がかわいくて、臆病に身を固めて小刻みに震えるしかできない。
そんな時に――
あたしはあたしの魔法使いと出会った。
その人が持ちかけた「提案」は、あたしを「自由」にしてくれる「提案」だった。
その人の口からこぼれおちる棘は、むしろ甘い砂糖菓子のようにあたしを幸せにしてくれる筈だった。
あたしを終わらせてくれる。
大嫌いなあたしを、自分ではどうにもできないくらい右にも左にもいけなくて、親の前で愛想笑いで、ただ嫌われたくないともがく醜い自分を……この世から消してくれる。
魔法使いという呪い。
でも……結局あたしがその呪いを受けることは無かった。
きっと、はじめっから――相手にはそんな気持ちなど無かったのだろう。
だって、約束した日にあたしが魔法使いの許を訪れたら、相手はものすごく驚いて、そうして呆れて、最後に笑った。
「愚かな子供。
おまえは痛みがどんなものかも知らないのだね」
咎人と名づけられたその人は、他人の咎も自分の咎も、全て自分の身だけで受け入れることに慣れきっていたから。
孤独で、寂しい……
あたしの魔法使いは、
「えっと、あの……ナニを思い出したのかなー?」
あの頃とはまったく違う捨てられた子犬のような顔で問いかける。
思い出して欲しくない心当たりが諸々とあると思われ、あたしはにっこりと微笑むのだ。
「だから、性格が悪い人のこと」
あたしもたいがい性格が悪いですけどね。
***
「起きているのだろう?」
ひんやりとした冷気で満たされる室の最奥――一般の人間には決して入り込むことは適わない最奥で、分厚い外套に身をくるみこみ、白髪交じりというよりも、わずかに金色の元毛を偲ばせる程度しか残されていない白髪の壮年の男は問いかけた。
「本当は、目覚めて――そして我々を笑っているのだろう?」
囚われの竜は幾重にも重ね合わせた永久凍土の中心部で、今も昔も変わらぬ姿で昏々と眠り続ける。
その身の内に潜む莫大な魔力を撒き散らしながら。
「おまえの望むとおり、この国は結局三百年前に滅んだままだ――それを必死につなぎとめて右往左往しているのは、さぞ滑稽なことだろうな?」
国の主となろうというその時に、病床の父がゆっくりとあえぐように伝えた言葉は、数十年という歳月を経た今でも胸の奥深い場所に突き刺さったまま抜かれることのない棘となった。
【これからお前は、国を維持する為に民を殺す死神となる】
父の口から漏れる声はしゃがれ、耳障りな肺の断末魔がざらつくように付きまとう。
【幾人もの民を騙し、殺し、その果てにあるものを目にするがいい】
筋張った骨と皮だけの手が弱々しく空をつかみ、乾いた笑いがひきつるように零れ落ちた。
【竜公が成す全て、それはお前の負うべきものとなる。お前が、唯一の主となるか、奴隷となるか……それはもう】
それはもう、わしの責ではない。
切れ切れに言う言葉の奥で、父は笑っていた。
心底安堵したように。
――確かに、安堵したのだろう。自分の肩にあった腐臭を放つ汚らわしい荷物を、自らの息子に押し付けた安心感。
父はとうとう決めることができなかった。
何も決断することなく、ただ惰性のように受け取ったものを次へと繋いだだけだった。
一人目の竜公は傲慢な男だった。
父から譲り受けた故に、その命令の要となる契約の儀式も、名付けという足かせすら自らら嵌めることはあたわず、そして――唯一の魔法使いという地位と共に年若い王を御せるものと思っていた。
我慢に我慢を重ね、着々と力をつけて。
無理やりその命を奪い去る決意をしたのは、ちょうど良い代替品が成長した為だ。
二人目は物静かな男で、竜公という役割に畏怖の念を抱いた。
まるで臆病なアナグマのように、その地位に身を預け――それでも必死に勤めにはげむさまに問題は無かった。
妻さえ娶らなければ。
正式な妻となった女は、もともと竜公の為の贄だった。
子供の頃から、国の為に身を捧げる為に育てられた娘は、純真無垢という言葉では足らぬ程の清い娘であった。
魔力の源として半年に一度捧げられるその魂を、しかし竜公は妻にした。
幸せであったのはその五年。
無垢であった娘は、真っ白な絹地のようなものだった。
それまで世俗とかかわらず、それまで悪を知らず、それまで人を知らなかった娘は――まるで墨が染み渡るかのように変貌した。
――地位と、金と、そして男に溺れる怪物に。
妻を愛する男は現実から目をそらし、ただ目の前で微笑む娘だけを信じた。望めば、その心さえ見渡すことができたであろうに、ただ偽りのその姿だけを見つめ続けた。
それが過ちだと気づきながら、目を背け。
そうしてソレは何よりも悲惨な結果をもたらした。
力が無かった。
王としての力が。
代替わりさせる程の器を持つ者も用意はできず、ただただ時だけが流るるにまかせるしかできない。
主などと片腹痛い。
結局、父が言うように奴隷でしか無かったのだ。
「結局、わしがしたことといえば――後の世で愚か者と笑われる程度のことしかない」
自嘲の笑いが口から漏れたが、その瞳に笑みは無い。
二代目も、また殺した。
半年に一度与えねばならない生贄を経ち、力が弱い頃合を見計らい――
そして……
「咎人――おまえに命じるのはひとつのみ。
竜が決して起きぬように眠らせ続けろ。他に望むことは何もない」
三代目は――生まれた時より竜公へと定めた、数多いるわが子の一人。
生贄として生まれた子のうちの一人だった。
「笑っているのだろう?
民を捧げることに疲れたわしができる唯一のことが、自ら子を成し続け、自らの子に自らの腹からを殺し続けさせる愚かな所業だと!」
ただの欺瞞だ。
激しく拳を氷の壁にうちつけたところで、その奥に眠る竜は微塵も変化をもたらさない。
ただ、ただ……眠り続ける。
【その果てにあるものを見るがいい】
――果てなどない。
どこにも。
父のか細い手が最後につかんでいたのは、ただの無だ。
***
今夜は列車の中で夜を明かす筈だった。
もちろん、特別列車なんてごたいそうなものでは無いから、二人がけの椅子が延々と連ねられている一般客車。
木造の椅子に申し訳程度の綿を載せて布張りしたもの。
寝る為にしつらえられている訳ではないから、寝心地なんて二の次三の次。まぁ、そんな偉そうに言ったところで、実際にあたしが列車で寝るような羽目に陥ったのは、人生で一度、たかが一週間程度のことだった訳だけれど。
その時のことを思い出し、あたしは顔をしかめた。
その時ってつまり――あたしの結婚式の予定だった日。
マーヴェルとあたしの。
そう思った途端、あたしは無意識に自分の左手へと視線を落とし、そこにあるのがマーヴェルから貰った婚約指輪ではなく、幅広の細かい文様の入った指輪だと確認し、複雑な気持ちを抱いた。
人の心は一年でこうまで変わっていいのでしょうか。
いや……正確に言うのであれば、あたしの初恋はユーリな訳で、ユーリがすきなんだから、別にいいのか?
「忘れていたけど、でも実際に好きなのはユーリだから問題無し!」
って、あたしってばあそこを逃げ出さなければ、今頃マーヴェルと夫婦なのですけれど。なんかいろいろと釈然としないというか、なんというか……
いや、結局は自力で思い出した訳ではない訳だし、マーヴェルと結婚していたらユーリのことはきっと思い出していないのだから、やっぱり問題は無い、のかなぁ?
でもマーヴェルと結婚していたら、ずっとマーヴェルとティナの浮気、というか本気とかが色々と気になってしまって、あたしはきっと幸せになんてなれなかった筈。
だから――
あたしはあたしの人生をやり直してもいいんじゃなかろうか。
逃げ出した自分を修正して、マーヴェルとティナに「ごめん」って。
そうして「あたしは幸せだから、二人もちゃんと幸せになってね」って。
って、いやいや、なんかちょっと傲慢な感じ?
逆に、あたしのことなんて二人とも存在すら忘れ去って「二人でいれば幸せ」ってお花畑の住人になっているかもしれない訳ですし。
……考えたら阿呆らしいですけど。
あたしが眉間に皺を刻み込んで、一人根暗な妄想にふけっていると、軽いノックの音と共にルティアの能天気な声が部屋に入り込んだ。
「リドリー、何か足りないものはありましてぇ?」
あたしはなぜか取り繕うように慌てて、ルティアが用意してくれた寝台の横であわただしく動き、寝台の上にたたんで置かれている寝巻きをばさりと手にとった「いえっ。だいじょー……ぶ?」
――ふりふりの愛らしい絹地にレースでバイピングされたすっけすけ……
「じゃないっ!
なんですか、これ」
「男女の熱い夜を演出する素敵アイテムですわぁ」
両手を組み合わせてにこにこ笑っているルティア。
期待に満ちたきらきらとした瞳がよく理解できません。
「ここは、エルディバルトさんの屋敷だと思いましたが?」
「そうですわよー。ルティとエディ様のめくるめく愛の巣ですわぁ」
エルディバルトさんの屋敷に部屋を用意してもらったことは、思い切り不本意ですが、まぁ良いです。泊めてもらっておいて言うのも不遜ですけれどね。
「そこにお泊りするのに、そんな熱いうんたらを演出するような寝巻きは必要ありませんっ」
「でも、兄さまもきっと喜びますのにぃ」
黙れ、この変態兄妹。
そういわずに我慢した自分を褒め称えますよ、あたしは。
「だって、当分の間はリドリーだって兄さまと離れて夜を明かすことになりますのよぉ? せめて最後の夜はぁ、ルティと同じように愛する方と楽しいぃ夜をすごしてくださいませぇ」
ひらひらとルティアは手をふり、にっこりと微笑んだ。
「ということですのでぇ、ルティは今夜はエディさまと寝ますぅ。
お休みなさいませぇっ」
「……」
ご陽気に、来たとき同様ひょいっと扉の奥に消えた侍女服の友人を呆気にとられるような思いで見送り、あたしはその後ずんっと肩を落とした。
――とりあえず、この寝巻きは却下。
たとえものすごく肌触りが良い上に、繊細なレースが愛らしかったとしても。
絹地に施されたアクセントの刺繍が美々しくとも。
「さぁ、召し上がれ」と言わんばかりのこの寝巻きを着用できる剛の者はルティアくらいですよ。
あ、でもアマリージェに着せたらすっごい可愛いと思う。
って、あああ、ごめんなさい。
マリー、へんな想像してしまって。
あたしは変なお姉さんじゃありません。
無実ですよっ。
ただちょっと、綺麗な娘さんなら似合うかしらってちょっと思ってしまっただけなのです。
「あたしにはそもそも似合いませんからね」
誰もいないというのに、言い訳めいた口調で言いながら、あたしはふるふると身を振るわせた。
ぴらーっと寝巻きを親指と人差し指でつまみ、あたしは静寂の満ちた部屋でしばらくの間じっとソレを眺めてみる。
生成りの色彩ではなくて、淡い桃色に染められている寝巻き。
寝巻きというか、肌着。
……うん、似合わない。
似合わないったら。
あたしは自分に言い聞かせつつ、ちらりと部屋の片隅に置かれている鏡へと視線を向けた。
こういうのはある種の好奇心で、誰もいない部屋ですし、それに、誰かに見せる訳ではなくてですね――
衣装を着用したままの状態でそっと肩から沿わせてみると、着丈は多少長いような気がするけれど、幅とかは合っていそう。
鏡の中の自分を確かめ、あたしはくしゃりと寝巻きをまるめて放り出した。
――着替えだったらもちろん持参している。
だって今日から旅行の筈だったのだから。
ルティアの親切だかありがた迷惑だかに乗っかり、この寝巻きを着用する必要は、まったくぜんぜん、ありません。
その一時間後、あたしはふんわりと寝心地の良い寝台でキルトに包まり、
「こういうスケスケな肌着は関心しません!」
と、何故かユーリから説教をかまされていた。
「女性が積極的なのは嬉しいけれど、ぼくとしてはちょっとばかり嫌がったり恥らったりしてもらったほうが萌えます!
もちろん、こういう色気たっぷりやる気満々なのも嫌いじゃないけれど、あからさまに見えるよりもスカートの裾からちらりとのぞくような、そういうチラリズム的なほうが、こうクルっていうか、見ていて楽しいっていうかっ」
「人が寝ている時に突然来てやかましい!」
あたしは圧し掛かっている馬鹿者様を押し出し、力任せに枕をたたき付けた。
――たまに、ちょっと誘っている時くらい、おとなしく誘われなさいよ、馬鹿っ。