闇と契約
「ああ、だって――それは記憶違いだよ」
あたしは気恥ずかしさを抱えたまま、何故自分が森――公園の中をぐるぐると回る羽目に陥ったかを解説した。
いい訳、というか何事か言わないことにはやっていられません。
羞恥心といたたまれなさに。
だというのに、相手はさくりとそんなことを言う。
「はぁっ?」
「正確に言うと、はじめに会った場所――というか、はじめにリトル・リィが迷った公園がもともと違う庭園だったんだよ。ヴァシュラスの庭園は公爵家の庭で、君はそこにお母さんに連れられてお茶会か何かで訪れていた。
その当時、ぼくはちょっとばかり不安定な状態で、気持ちを落ち着かせる為に霊峰の水が大量に必要だったから、水脈をいろいろとつなげ合わせていたんだ――その弊害だろうね。力の調整が狂っていたのも災いして、どうしたことかヴァシュラスの庭園と幾つかの聖域が重なっていたんだろう。何かの拍子に移転扉みたいな空間が幾つかできてしまったといえば判るかな? 扉はアンカーをつけて固定してあるけれど、その固定がなくてその辺りに空間に突然できてしまったようなもので……
君は運悪く――運よくかな? 王宮の中庭に迷い込んだんだ」
さらりと「単純なことなんだけどね」と言う相手の言葉は「へー」と返答するには意味不明。
どの辺りが単純だと?
あたしにはまったく判りませんが。
あたしはじっとりとした眼差しでユーリを見つめ、
「それってつまり――魔法の領域だから何でもありってこと?」
冷ややかに言ったのだが、それよりも的確なことをルティアはあっさりと言った。
「わかりやすく言いますとぉ、魔法の失敗ですわねぇ。
公にも未熟な時期があったと思えば、微笑ましい話ですわよねぇ」
「そんな身もフタも無い……まぁ、実際に不安定になる時期と、まだいろいろと年齢的な未熟さだとかが重なってしまったのは事実だし、仕方ないよね。
今は未熟の部分はずいぶんと精進されているとは思うけれど、不安定な時期はどうしたってまだあるし」
言われてあたしは「ああ」とうなずいた。
「不安定な時期って、アレよね。
列車の特別車両をまるまる破壊した時みたいな感じ?」
腹痛だったっけ?
あれ、何か違う?
それはそれは美しかった筈の特別車両。
飾られていた花はなぎ倒され、窓にかかっていたカーテンは風化するかのように引きちぎられ、裂かれていた。
飛び散ったガラス。
ふわふわと舞っていたのは、おかれていたはずのクッションの中身。
ものの見事に破壊しつくしたあげく、あたしが「もういいかな」と思ったのをあっさり引きやがりました時のことではありませんか?
あたしはその時の感情をよみがえらせ、謎の破壊衝動を抑える為に、ぎゅっと自分の手首を握りこんだ。
こちらの感情の嵐など気づかぬそぶりで、ユーリは恥ずかしそうに頬を染めた。
「いやだなあ、そういうのは忘れてよ。
あれは、ちょっと更に間が悪かっただけなんだよ。あー、もぅっ、恥ずかしい! そもそもアレさえなければ、もっと早い段階でリトル・リィといちゃいちゃできてたかと思えば思い返してもイヤな記憶だね。ああっ、というか最悪っ」
顔を赤らめつつおかしなことを言い出した相手を蹴り飛ばしたい衝動を押さえ、
「話を戻すけど!」
あたしは無理やり話題を戻した。
今までの経験上、放置すると碌なことを言わないのだ、この口は。
たとえこの場にルティアがいようとも。
否、ルティアがいることによって更に酷くなったりするのが信じられません。
「あたしの記憶では、伯父さんの家の近所の公園からあなたのところに通っていた気がするのよ!」
そう、まさに今日していたように。
木々の種類、色、そして足元のヒントを拾い上げながら。
まるで謎解きリドルのように。
「うん。それはそう繋げておいたから。
君が来ていたのは、確かにさっきまで君がいた公園だよ。でも、ずっと王宮の中庭とつなげておいたら危ないからね。リトル・リィが帰ってしまったあとは、ちゃんと道を閉ざしたもの」
あっさりといわれ、あたしはがっくりと脱力した。
あああ、本当に無駄なことを。
というか、あんまりにもお恥ずかしいことをっ。
「はじめに聞いてくれればよかったのに」
そうですね!
あたしはぎりぎりと唇を引き結び、ふてくされたように口にした。
「言ってくれれば、そんな無意味なこと……」
「無意味なんかじゃなかったわよ」
あたしはカチンときてしまい、何故か強気に冷ややかに言った。
「だって、あたし思い出したのよ――
子供の頃みたいに木々の間を歩きながら、ちょっとだけ思い出したの」
あたしはじっとりとした眼差しでユーリを見返し、意地悪く鼻を鳴らして見せた。
「初対面の女の子を虐めてる性格の悪い男のこと」
あたしはあの日をなぞりながら今日、歩いていた。
あの時と同じように迷いながら、焦りながら、ゆっくり乾いた土を掘り起こし、やがてじわじわと地下水がにじみだすように掘り起こしたあの日の感情は――あたしにとって、あまり思い出して楽しいものでは無かった。
だって、あたしは決してイイコじゃないから。
***
息が――できなくなるのではないかというくらい、苦しかった。
ダグの口から思いがけなく飛び出たリドリーの名前に。
その言葉に、咄嗟のようにドーザが叫んだ言葉に。
目の前が暗くなって、霧が自分を満たしたように息が詰まって。
あえぐように酸素を求めることしかできなくて、けれどそれより先にダグが突然悲鳴をあげて、飛び込んできた看護婦に無理やり病室をたたき出されそうになった。
ドーザを問いただすより先に、ダグに訪ねなければいけないことがあることに自分を奮い立たせたというのに、看護婦は鬼のような顔と態度で「今は無理です! 患者さんをこれ以上興奮させないで下さいっ」と怒鳴った。
「頼むっ。どうしても話がっ」
「今の患者さんに話などできる訳がないでしょう!
出て行きなさいっ」
その騒ぎに、他の医者やらまでも狭い部屋に押しかけて――結局マーヴェルとドーザはその丘の上の病院を叩き出されたのだった。
頭の中が混乱していた。
まるでばらばらのパーツだらけの地図は、正しい場所を忘れた大陸が重ねあってひしめいて、どうにもならない混沌のようだ。
――リドリーを会わせたかっただけ。
ああ、会いたいよ。
勿論。
ずっと、ずっと。ただ会いたいという想いだけできたのに。
「どうして……」
「マーヴェ――」
「どうして死んだなんて言うんだよ!」
八つ当たりだと判っている。
ダグと話ができなくて、もてあました感情のままにその勢いは――ドーザへと向けられた。
マーヴェルはぐっと相手の襟首を締め上げて、泡粒を飛ばして怒鳴り散らした。
自分よりもずっと体躯のいい男はそんなことをされてもよろめくこともなく、動じもしない。
「ダグは何を言いたいんだ?
お前はっ、お前は何を言うんだよ?
なぁっ、ずっとリドリーが死んでいると思っていたのか? そんな風に思いながら、俺に付き合ってきたのか?
俺を笑っていたのか? 俺を嘲っていたのか?
なぁっ。応えろっ。
どういう思いでそんなことを言うんだよ!」
頭の中の整理がつかない。
何を言えばいいのか判らない。
勢いだけだ。
こんなことを言うべきではないという判断能力さえ働こうとしない。
ただ、苛立ちと腹立ちとが前面に押し出されて、不愉快なことを言う相手に噛み付くことしかできないマーヴェルに、ドーザは顔をしかめた。
「落ち着けよ、マーヴェル」
「おち、落ち着けるか! この馬鹿っ。
リドリーが死んでいるって、いつから思っていたんだ? いつからそんな風に思っていた? どうしてそんなことを言うんだよっ」
わめき散らすマーヴェルに、ドーザは呆れた様子で息をつき――
その次の瞬間、その鳩尾に思い切り拳をめり込ませた。
ぐっと身を沈める相手を片手で支え、
「落ち着け。わりぃ。悪かったよ」
ドーザは更に深く息をついた。
「さっきのダグの話は良くわかんねぇけど――リドリーが死んだって話をしたのは……」
苦いものでも吐き出すように、ドーザはいったん口を閉ざした。
下から睨みあげてくる親友を、哀れむように。
「ティナだ。
ティナと話した時に言っていたんだ。リドリーが死んだって――自殺したんだって。ティナはそれを自分で見たって言っていた」
「嘘だっ」
嘘だ、嘘だ。そんなのは嘘だっ。
咄嗟に言いながら、マーヴェルは吐き気を覚えて自分の口元を片手で覆いつくした。
――嘘だ。
そう想いながら、その言葉に否定だけではなく、肯定してしまいそうな自分がいた。
――何故なら、リドリーはそういう女だったから。
弱くて、はかなくて、寂しくて……
誰もいないことに耐えられる女ではなかったから。
自分の手をはなれて、一人で立って歩ける女ではなかった。
「嘘だ……」
自分に裏切られて、妹に裏切られて、生きていける女ではないと心のどこかで思っていた。
「そんなのは、嘘だ……」
「俺だって信じてねぇ」
かすれる声で嘘だとつぶやくマーヴェルの言葉に重ね、ドーザは忌々しいというように言った。
「信じてねぇから言わなかったんだよ。
ティナは――少なくとも、今のティナはさっきのダグみてぇに心を壊しちまってる。おまえは会ってないから判らんだろうけど、もう明らかに正気じゃねぇんだ。
リドリーが目の前で死んじまったから心を壊したのかもしれねぇって気持ちもある。それとも、心が壊れちまったから、あんな風に身近にいないリドリーを求めすぎちまったのかもしれねぇ。
わかんねえよ。
俺頭よくねぇしな。
だけどよ。俺は信じちゃねぇよ――咄嗟に言っちまったけど、でも――生きてるって信じてるよ」
ドーザはどう告げれば理解してもらえるだろうかと言葉を選んでつづり、苛立つようにはき捨てた。
「しっかりしろよ。
不確かな情報だからいわなかっただけだ。それに――さっきダグは何て言った?
おまえとリドリーを会わせたかったって言っていたじゃねぇか? なあ、それってつまり」
一瞬忘れかけていたダグの台詞がよみがえり、マーヴェルは喉の奥が乾くのを感じながら囁いた。
「誘拐……しようとしたのは、リドリー、って、コトか?」
「わかんねぇ。
あいつの言うことも支離滅裂だし。だけどよ。そういうことになると――ティナの話は怪しくなるってコトじゃねぇか?」
――ダグが、誰かを誘拐したのは、まだそんなに古い話では無いのだから。
***
荒い息遣い。揺れる視界。
耳に入り込むのは、自分の口から漏れる不規則な呼吸音と、そしてぐちゃぐちゃと乱れる思考。
早く帰らないと……
焦りから思考が飛び石の上を跳ね回る。
妹の青ざめた顔色と、呼吸音に混じる不可解な引っかかるような音。
どうして離れたんだっけ、そう思えば――あの日、母さんと父さんとが喧嘩したのが原因だった。
もともと一緒にいる夫婦ではなかった。
子供心にも、どこか取り繕うな雰囲気は感じていて、その喧嘩の原因が何であれ、最終的に妹の話題に転化していくのがイヤだった。
――体が悪いのはティナのせいじゃないのに。
その想いと同時に、ティナがいなければうちはもっと違かったんじゃないかと思った自分が、すごく嫌いだった。
泡粒のように浮かび上がる思考に、あたしは必死でフタをして――イイオネエチャンであり続けようとした。
我儘は言わない。
余計なことは言わない。
嫌われたくない。
欲しくても、欲しくても。手なんて伸ばしたりしない。
本当は父さんにも目を向けて欲しかった。
友達だって欲しかった。
外に出て、好きに遊んでいたかった。
――ドロドロとイヤな気持ちで。
ティナが好き。
本当に?
ティナが心配。
本当に?
心細い眼差しで見上げてくる妹が、わずらわしいと思ってしまう自分が嫌い。
寝台と小さな部屋が世界の、早産だったという妹は一歳も年齢が違わないカワイソウな子。
あたしが何でも食べられる中で、ティナは体のことを考えた医療食ばかり。
わずかな食事のあとで、苦い薬を飲まされて。
「リドリー、御本を読んで」
か細い声でねだる妹。
優しい気持ちになれない自分が嫌い。
自分が嫌い。
大嫌い。
そんな感情を抱えさせるティナが……嫌い。
あたしはいったいどうしたらいいの?
あたしなんていなければいいのに。
「――病気?」
あたしは問いかけた。
「治らないの?」
冷たい眼差し、嘲る口調。
綺麗な綺麗な、人とは思えないその人は、冷ややかな声で近づくなと幼い子供に叩きつけた。
――自分は移る病だと。
これは人を介して蝕む病なのだと。
「良かった。人に移して治るなら――いいよ」
誰かを嫌うことも、自分を嫌うのも、
「リィに移せばいいよ」
「代わりにおまえが呪われるというのに?
この辛さを、苦しみを? 身のうちから穢れていくこの憤りを?」
笑う相手に、あたしは「だから何?」とかえした。
だって――もう、うんざり。
ティナの病さえ羨ましいと思ってしまう自分なんて、消えてなくなってしまえばいい。
ティナもそうならよかった。
ティナだって、誰かに移して病気が治るなら、あたしに移せばいい。
死んじゃったっていいの。
心も、体も、消えてなくなってしまえばいいの。
ぜんぶ、ぜんぶまるごと――あたしはあたしが嫌い。