恥さらしと真相
穴があったら入りたい……もしくは、突然大きな声を上げてどたばたと走り回りたい。
なんだかそんな心境です。
「この公園、後ろの方が結構木々が生えていて、薄暗いと確かに判りづらいよね」
それは、一応フォローですか?
確かにね、あたしときたら延々とぐるぐるとしていたかもしれませんよ。でも、それは理由がありまして! あの森が迷いの森――つまり、意図的に魔法で仕掛けられたものなのではないかという想いでもってうろうろとしていた訳です。
だって!
自分の記憶が確かであれば、あたしは確かにあの森から、何故か王宮の敷地内にある噴水にまで行っていた筈なのですよ。
だから、だからこそいろいろと試行錯誤してうろうろとしていたというのに……
さすがに暗さが増してマズイのではないかしらとか、ぜんぜん道が開けなくてどうしようかとか、そういうあせりがじわじわとあたしの中に浸透してきた頃合に、
「あの……何か考え事をなさっているようですが、そろそろ馬車に戻っていただけますでしょうか?」
まるで肉食獣にでも声を掛けるかの如く、軽く手をもちあげるようにして突然声をかけられたあたしは、そのものずばり絶叫した。
誰かがいるなどと考えてもいなくて、ただただ焦っていたのだから無理もないことと処理していただきたい。
あたしの絶叫に驚いたらしい二人の男性は――明らかにどこかで見た衣装を着用していた。それはすなわち、エルディバルトさんとちょっと似たり寄ったりの、あまり街中で見たくない格好。
あたしの血の気がさぁっとものの見事に引き、背筋に冷たいものを感じつつ――それとは逆にあたしの顔は火が出るのではないかというくらい熱を持った。
「あのっ」
「はい」
「……もしかして、ずっと後ろにいたりしました?」
あたしがぶつぶつといいながらずっと歩き回っていた後ろに?
足元を見たり、木の名前を思い出したりしながら歩いていた後ろに?
秀麗なお顔立ちの、おそらくエリートと思わしき騎士二人組は相変わらず、何かを恐れるようにお互いの視線を見合わせた。
「何か御身に危険がある場合のみ動けといわれておりましたので、今も声をおかけすべきか迷ったのですが」
「気分を害されましたのであれば申し訳ありません。散策をお続けになられるのであればどうぞ」
――散策。
そうですか、あたしはぶつぶつと独り言を言いながら散策をしていた変な人でしたか?
実はただの迷子だったんですが。
それをずっと見ていらしたんですか?
楽しそうですね。
「すみません……もう戻ります。
あの、どちらに行けば馬車まで戻れるか判りますか?」
――今の台詞できっと、あたしがただの迷子であったと気づいたことと思いますが、できればその「え?」という微妙にかわいそうな生き物を見る目、やめて下さい。
***
昼頃に見舞いに訪れた時には眠っていたダグであったが、夕刻に再度足を向けたおりにはねぼんやりと窓の外を眺めているような状態であった。
取り乱している様子もなく、ドーザはそのことにほんの少し安堵して息をついた。
病院は街のはずれのほう――なだらかな丘がある場所にたてられた小さなものだ。医者の話によると、ダグは時折暴れたり部屋を勝手に出ようとする為に外側から鍵をかけられているような状態だった。
ふと、ドーザの胸に苦いものがせりあがった。
何かに似ている。そう感じた途端に思い出してしまったのだ。
郷里にあるナフサートの屋敷の奥に鍵をかけられ、閉じ込められていた哀れな娘。
彼女も一見すれば、ごく普通の様相だった。
いや、その外見は大きく異なってしまってはいたけれど。
毎日かわいらしく結い上げていた髪はそのまま放置され、目元が落ち窪んで泣きはらした様相。ふっくらとしていた唇は乾き、小さな亀裂を作っていた。
そして、壊れてしまった心。
ドーザはその姿を思い出し、眉間に皺を刻み込みながら寝台の上――ぼぅっと窓の外を眺めている古馴染みを見た。
幼馴染というには、子供時代を多く共有した訳ではない。
ダグは十歳を過ぎてから船子見習いとしてランド商会にやってきた人間で、むしろ親によって売られたような境遇だった。
それでも今の時代奴隷なんてものは実質上許されていないし、ランド商会はそのてん全うな職場であった為、船子見習いであったダグはマーヴェルに引き合わされ、文字や遊びを普通に身につける子供時代を送ったものだ。
「ダグ」
いたたまれないような気持ちでドーザが声をかけたが、ダグは反応ひとつ示さない。どうしたものかとマーヴェルを見れば、マーヴェルは痛みを覚えるように唇を引き結び、ダグの寝台の淵に腰を落とした。
「ダグ、調子はどうだ?」
それまでの苛立ちをおさえた声に、首がくるくる回る人形のように、すぅっと――奇妙な動きで視線をマーヴェルへと向けた。
「マーヴェル……」
「顔色、よくなったじゃないか。飯も食べてるんだろ? 早くこんなところなんて出て船に乗ろう。陸の上は俺たちには居心地が悪い」
軽口のよういに言いながらダグの二の腕を軽く叩くと、ぎょろりとした目が動いた。
「外……そうだ。外にいかねぇと」
「ああ、判ってる」
「外にいるんだ。あいつがいないと――眠れねぇんだ」
きょろきょろと辺りを探すその様子に、ドーザは思わず身を引いた。
鍵をあけてある扉を隠すように壁際により、背中を預ける。
格子のはまった窓からは抜け出すことはできないだろうが、扉に突進されてはたまらない。
――勿論、普段であればそんな心配などしないのだが、今、ダグがかもしだす雰囲気が畏れのようにドーザの腕に鳥肌をもたらした。
――リドリー……ねぇ、どこにいるの?
ティナも、まるで小さな豆粒でも探すようにクッションの下や寝台の下をばたばたと覗き込みながら、姉を探していた。
その時に抱いた奇妙な寒気が、にじりよってくるようにドーザは顔をしかめていた。
「なあ、ダグ。
あいつって、誰なんだよ?」
ごくりと喉仏を上下させ、真剣な眼差しでマーヴェルは問いかけた。
尋問するでも、詰問するでもなく。ただ日常会話のように。
「あいつは、あいつだろう」
「女、だよな?
それは――金髪のふわふわとした髪の女の子のことか? あの日、おまえが最後に船に乗ったあの日。俺が舟遊びの相手をしてやってくれって頼んだ、あの子のことか?」
胸糞が悪い。
ダグは女を誘拐したのだと神殿官の偉そうな男は告げた。
女ならまだマシだ。
だが、あの娘はいまだ幼さの残る少女でしかなかった筈。
確かに、そんじょそこいらでお目にかかれるような娘さんじゃないのは認めるが、だからといって普段商売女ばかり相手にしているダグが、あの娘を誘拐してどうしようっていうんだ。
自然と腕に力がこもり、それを押さえ込む為にドーザは腕を組んで奥歯をぎしりとかみ合わせた。
ダグは相変わらず、どこを見ているのか判らないような焦点の合わない瞳をさまよわせ、けれど怪訝そうに眉を潜めた。
「俺が、最後に……」
「覚えてないのか?
あの日――俺のところに来た客がいただろう? 金髪の貴族の娘だ。舟遊びをしたいと言ってたずねてくれたが、俺はいったん郷里に戻る為に付き合えないからって、おまえに頼んだじゃないか」
根気強く、ゆっくりとした口調でマーヴェルは続けた。
「舟遊びはどうだった? お前のことだから、ちょっと無茶をして、水路の南――段差のあるところまで行ったんじゃないだろうな? あっちは急流になっているから、子供には不向きだろ?」
その当時の記憶を引き出そうと語りかける言葉に、ダグはゆるゆると首をふり、恐れるように頭を抱え込んだ。
「ふね……水路」
もれ出る音は苦痛をにじませ、前のめりになったからだがぶるぶると震える。
その状態にあわてたのか、マーヴェルは身を傾けてダグの肩をつかんだ。
「悪いっ。ダグ――いいんだ。悪かった。もう少し落ち着いてからっ」
「ちがう、ちがう、ちがうっ」
ダグはがばりと体をあげ、懇願するように同じ言葉を繰り返した。
「違うっ、違うんだっ」
「ああ。判ってる。お前が誘拐なんてそんなことする訳ないって判っているから。大丈夫だ。俺たちはお前がそんなことするやつじゃないってちゃんと判っているからっ」
なりふり構わずに腕を振り回すダグの手首を無理やり押さえ込むマーヴェルに、加勢しようとドーザは寝台へと近づいた。
「誘拐じゃないっ。俺はおまえに会わせたかっただけなんだっ」
誘拐なんかじゃないっ。
「誘拐じゃないって何度も言ったじゃねぇかっ」
口の端から粟粒を飛ばし、悲鳴のようにダグは叫んだ。
「リドリーをお前に会わせたかっただけなんだよぉ!」
***
「リトル・リィっ」
騎士二人と合流し、正しい道を教えてもらって歩き出した途端――その男は神出鬼没の様相で、ふんわりとその場におりたった。
まるでボウフラのようにどこにでも湧きますね。
そしてその姿を見た途端、まるでねずみが猫にでも出くわしたかのように騎士二人はびょんっと飛び退り、あわててその場で膝をついて頭を下げた。
それはそれは見事に整えられた行動に、あたしは唖然としてしまったものだ。
「お迎えに来たよ」
と言った夏の風物詩もどきは、神官長の衣装ではなく魔術師の格好。あたしも危うく悲鳴をあげそうになってしまったけれど、それよりも先に気になったことがございます。
あたしは自分の胸に手を当てて呼吸を整え、できるかぎり理性的に問いかけた。
「お仕事終わったの?」
「だからお迎えに来てみましたー」
「どうしてあたしがココにいるって判るのかなー?」
にっこりと問いかけると、あんぽんたんですかぽんたんで、そしておそらく阿呆様なユーリは勢いのままに口にした。
「それは勿論愛のなせる業です!」
「嘘つけっ!
あなたこの間ルティアを探す時にやった方法使ったでしょう! 水鏡に人を映し出すやつっ」
やるなと言ったのにっ!
このときのあたしときたら、ちょっとばかり八つ当たりも入っていたことは否めない。
騎士さん達にいろいろとお恥ずかしい場面を見られていたという思いでふつふつとしていたのだ。
そして、更にはたりと気づいてしまった。
さぁーっと、笑う程血の気を引かせて。
「って、いつから?」
「ん?」
「いつから、見ていた訳かしら?」
口元が自然と引きつり、じわじわと手のひらに奇妙な汗が浮かんでくる。
面前の相手は小首をかしげ「ああっ」と口にし、ぽんっと手を叩いた。
悪意などかけらもないあけすけな笑顔で。
「ついさっきだよ。なんかぐるぐると木の間を回っていたところ。
はじめは何か意味があるのかなっとか、何かの儀式かな?って思ったんだけど、ルティアが迷子じゃないかって言うから飛んできました!」
あたしはわなわなと身を震わせ、必死に自分を抑えた。
先ほど、騎士さん達に指摘されてしまった時でさえ穴があったら入りたかったというのに。更にその醜態を見ていたとか……
「真剣にぐるぐるしているから、可愛くてちょっと観察しちゃった」
騎士さん二人がいる前で、その柔らかそうな頬をつねりあげたりなんかしてしまったら、神官長サマだか竜公サマだかの威厳とやらは低迷してしまいますでしょうか。
「でもやっぱり普通に迷子だよね?
でも、ほらっ。
この公園、後ろの方が結構木々が生えてて、薄暗いと確かに判りづらいよね」
――かまいませんよね?
***
ダグの叫ぶような声が大気の中で飽和するように響き、ゆっくりと溶け込んだ。
口元についた粟粒。
焦点のあやふやな眼差し。
振り回す腕を押さえつけるマーヴェルとドーザ。
その小さな病室は、異様な空気に包まれ、マーヴェルはその瞳をいっぱいに見開き、そしてドーザは我知らず口にしていた。
「リドリーは死んだだろうが」




