迷い道と迷走
迷子……いい年して迷子。
いやいや、年齢は関係が無い。
木が茂っていれば誰だって行き先を見失ってしまったりする、たぶん。
幸い、未だ夜という程の暗さでもない――ぼんやりと明るい夕闇。木々の間ににじむようにオレンジがのぞいている刻限。
「確か切り株で東西南北が判るのよね」
あたしは寂しさに独り言をつぶやいてみたものの、切り株なんてそうそう都合よくありませんし、実際あったところで――はてさて、切り株の年輪の見方なんて判りませんよ。
年輪が寄っている方向が北? 南?
さらにいうと、北ってどっち?
リドリー・ナフサートは言っておきますが勤勉な性質ではありません。
こうなると、アレだわ。
ルティアの同行するという申し出を跳ね除けてしまった自分に対して嫌味のひとつも言いたくなってしまう。
迷子にならないと言ったのは誰ですかー程度ですがね。
「あ、でも……やっぱり、なんか似てる、かなぁ?」
あたしは眉をひそめて薄暗い木々の間を歩いた。
一方向に歩いていけば、やがてはどこかに出るだろうという単純な思惑の通り、足は止めずに歩き続けている。
あたしがいるのは普通に聖都の公園――から何故か森っぽくなってしまったけれど――なのだから、いくら何でもしばらく歩いていればそのうちに道路なり何なりに出るはずなのだ。だってこの公園自体が建物と川と、そして石畳の道に囲まれている筈なのだから。
ただひとつ不安があるとすれば……
「魔法の領域はマズイけど」
あたしはうんざりとしながら呟いた。
つまりこれって魔法の領域なのかしら――いや、いい年して迷子になった言い訳じゃないですよ?
ふと、魔法の領域であるのならば、これは魔法使いの言うところの目くらましだとひらめいた。
――自然に組み込まれた迷い道。
あたしは視線をさまよわせ、足元、木々とをゆっくりと観察しながら、そのヒントを拾い上げた。
子供の頃、あの時のことをなぞるように。
***
神殿官長と名乗った相手は、冷ややかな眼差しでマーヴェルを眺め回し、やがて息をついた。
場所は変わらず控え室のような場だというのに、神殿官長ユリクスのかもし出す雰囲気がその場の空気を重苦しいものへと一変させてしまい、喉の奥が引き連れるような気さえしてしまう。
壮年というには若いというべきか。マーヴェルの父親程の年齢の相手は先ほどまでの青年とはまったく違う威厳すら発し、その眼差しは冴え冴えとした冷たさで、まずは座るようにと席を示して見せた。
「先ほどの人は、なんなんですか」
何を言うべきか頭の中が干上がり、未だ胸にわだかまる憤慨から、思わず苦情のように口からそんな言葉が零れ落ちた。
乾ききった、引き連れた声で。
そう、あんな男を対応に出すなどありえない。
――まるで人をからかって遊んでいるかのような対応は、役人として許されるべきではないはずだ。
いったん吐き出した言葉が勇気を奮い起こし、マーヴェルは少しだけ自分を取り戻すことに成功したが、面前の席に腰を落ち着かせたユリクスは相変わらず冷たい眼差しのまま、ふるりと軽く首を振った。
「それ以前にこちらが尋ねたい。あなたは――誰ですか?」
誰か、と問われてマーヴェルは戸惑った。
面会の段ですでに幾度も名も、そして所属も記した。それを再度確認されることの不快さと同時に湧き上がるのは、意味不明さ。
「マーヴェル……ランザート。
ランド商会の者ですが」
苛立ちながらも応えれば、相手は嘆息を落として更に首をゆるく振った。
「まぁよろしい。さて――あなたの質問に答えましょう」
何がよろしいのか判らないが、相手はさっさと話題を切り替えてしまった。
「確か、商会の操業停止の件と聞いていますが」
いったん言葉を切ったユリクスは、まさに事務的に言葉を続けた。
「文章に残すつもりはこちらにはありませんので、ここでの会話は文面などに残さないと制約して頂きたい」
「どういう意味ですか」
「この処置はあなた方の為のものです。それとも、もっと大事にしたいのであればかまいませんが」
慇懃な言葉は幾度もため息を吐き出し、思い切り気がすすまないと示していた。
カチンと腹立たしさを覚えつつも、マーヴェルは「判りました」とぶっきらぼうな口調で応えた。
――人間がかわったところでなんだか腹立たしいのは変わらない。
神殿官というのはろくなものがいない。
マーヴェルがそう思ったとしても無理は無かっただろうが、そんな考えは次の言葉の前では凍りつき――そして消え去るだけだった。
「マーヴェル商会が操業停止になった原因は、そちらの船員の一人がある女性を拉致、誘拐しようとした事柄によるものです」
さらりと言われた言葉に、マーヴェルは絶句し――控えていたドーザは「はぁっ?」っと頓狂な声をあげ、あわてて自分の口を手で覆い隠した。
「なっ、まさか……」
マーヴェルは掠れた言葉で呟き、ハっと息を飲み込んだ。
脳裏に浮かんだのは、愛らしい顔立ちの十代前半の少女。
あの日、ダグが舟遊びの船頭としてついた伯爵家の娘。
ふわふわとした金髪の少女――ダグの最後の仕事は、貴族の娘であった筈だ。しかも、マーヴェル自身が多少なりとも関わった。
――お気になさらずぅ、もうこちらも気にしておりませんわぁ。
あの不自然な侍女の言葉が瞬時に脳裏によみがえり、マーヴェルは自身の血が一気に引いていくのを感じた。
誘拐騒ぎを気にしていないというのもおかしな話だ。
だが、もう気にしていないからこそ操業停止が解除されたのか?
この件はもしかしたらそんなに簡単なことではないのか?
いったいどうなっている!
「そんな、馬鹿なっ」
まるで何かに救いを求めるように、頭の中にせわしなく情報を巡らせてマーヴェルは首を振った。
「でたらめだっ。あの書類は貴方の名を語って貴方の娘が作成したとということも知っているんですよっ」
「ええ。私の娘がしたことでしょう――だからこそ内密に済ませたほうがいいと言っているのですが」
ユリクスは淡々と言いながらマーヴェルの瞳を見返した。
「私の娘は問題の令嬢の護衛をしている。
その護衛である私の娘に傷を負わし、護衛対象を誘拐されたからこそ娘は報復に出たのです。こちらとしては公の事件として頂いても別にかまいませんが――その場合、今より困った事態になるのは当方ではなく、そちらです」
「証拠がないっ」
「探せばいくらでも提出できる。
誘拐騒ぎのおりには、王宮の騎士団が街中でランド商会の男を取り押さえている――ダグとか言いましたな。
目撃者がいないとでも?
騒ぎになっていないのは、その場を収めたのが神官だからだ。神官側の事柄を新聞種にするには検閲が入る――記者共もわざわざ危険をおかしはしない」
――正確に言えば、ユリクスの養女であるルティアが怪我を負ったのはダグに付けられたものではないが、ユリクスはさらりと嘘を吐き出し、ただ冷たい眼差しで続けた。
「海運業者としてこのたびの問題は大きい。そちらの船に乗ると人が攫われる――こちらとしては、そんな風評が出回ったところで痛くもかゆくもないが、令嬢の名誉にも関わる為にこのような処置となった。
令嬢はすぐに救い出されたことであるし、多少の罰でことを収めようということにしたのだが――」
ユリクスは指先で軽く、とんっとテーブルの表面をはじいた。
「納得できないというのであればこちらはいくらでも受けましょう。だが、よく考えるといい。今は操業停止処分も撤回されている。
何か問題がありますか?」
物腰こそ柔らかく、丁寧に言葉は告げられる。
だが、いったん外に出たマーヴェルとダグの間に重苦しく落ちた思いは同じものとなった。
「ありゃ、脅しだろ」
――真実は判らない。
だというのに、納得できよう筈がないことだというのに、納得しろと言い切り、それができないのであれば更に酷いことになると……
ぶるりと身に寒気がおそい、マーヴェルは「くそっ」と舌打ちした。
「あなた方とこれからは一切関わりたくは無い。
できれば――二度とその顔を見ないことを祈りましょう。こちらの平穏の為にも」
ユリクスは「やれやれ」とでもいうように首を振り、さっさと二人に背を向けた。
もう終わりだ――そう、示すように。
「納得できるかっ、ちきしょうっ」
何が、平穏の為だくそったれめ!
マーヴェルはいったん事務所へと戻ろうと向けた足を、ぴたりと止めた。
「どうすんだよ?」
「ダグに話を聞く」
「って、あいつは今病院だろ?」
しかも到底会話が成立できるような状況では無い。
一度ドーザ自身ダグと面会をしているが、一見すれば普通のように見えているのだが、突然思い出すように「何か」を探して暴れるのだ。
――いや、誰かというべきか。
今回の話を耳にいれ、その「誰か」に思うところができてしまったドーザは、思い切り顔をしかめた。
あの話が真実だとすれば、ドーザが探す「誰か」は誘拐された令嬢ということになる。ふわふわとした金髪を揺らした愛らしい少女がドーザの脳裏にも浮かんだが、その姿を思えばドーザは痛ましさに顔をしかめた。
――ありえない。金を目当ての誘拐?
だが、どう考えても彼らの良く知る男が誘拐などという暴挙に出たなど、そうそう納得などできなかった。
***
「まった、まった? ただいまー、リトル・リィっ」
観音開きの重厚な扉を開け放ってご陽気に現れた神官長であり竜公であり――そして元婚約者、更に今は兄であるところの御仁は、その場にいるのがルティアだけだと知ると小首をかしげた。
エルディバルトの屋敷にある、極私的な居間でくつろいでいるのはたった一人きり。
「おかえりなさいませぇ」
「あれ、リトル・リィは? 列車は出ていないと思うのだけれど? ネジとかボルトとかいくつかとってしまったし」
さらりと自らの悪事を暴露した相手を生ぬるく眺め、ルティアは肩をすくめた。
膝に乗せていた本をぱたりと閉ざし、
「公園の散歩だそうですわよぉ。御用はお済ですのぉ?」
小首をかしげながら、相手の背に自らの婚約者を探したが――あいにくとそのうっとうしい……愛らしい姿は発見できなかった。
「それが酷いんだよ。用事の途中でユリクスに部屋から追い出された。陛下から呼び出しだとか言うから泣く泣く諦めたのに、足を向けてみれば呼んでないとか! ユリクスにだまされるとは思わなかった」
憤慨しつつも呼び出しには応えない訳にはいかず、相手への敬意を示して徒歩で出向いた先――ちょうど食事時であった壮年の男は片眉を跳ね上げた。
――呼び出し? とうとうボケでも入ったか、ユリクスのやつめ。
それとも、ボケたのはお前か?
鼻先で笑われたことはいつものことなのだが、せっかくの遊びを中断されたのは何とも残念なことだった。
一度は愛しい者を譲ろうと考えた相手、時には憎しみすら覚え、時には痛みすらも感じた相手。
会いたいと思う気持ちと、会いたくないという気持ち。
そしていつか……果ての果ての未来に、
ふっと自嘲気味に笑みを落とし、意味も無く自らの髪の先端を指先で引っ張った。
「護衛はつけてありますけどぉ、迎えにいきましょうかぁ?」
「いいよ。自分で行くから」
言いながら、当然のように窓辺にひっそりとおかれている竜峰の水を汲んだ水に近づき、そっと指先を冷たい水に浸すと、やがて浮かび上がった鏡面の相手の様子に、それを眺める当人は最初のうちこそ小さな笑みすら零して楽しげにソレを眺めていたが、やがて小首をかしげた。
「どうかなさいましてぇ?」
「……何してるんだと思う? 公園かな、ここは……ぐるぐる回ってるみたいなんだけど」
何の意味があるのだろうか?
真剣に考え込んでいる様子の【兄】の横からその様子を眺め、ルティアは率直に言葉にした。
「……迷ってらっしゃるんじゃないかしらぁ」
「普通の公園、だよ?」
「リドリーって面白いですわよねぇ。だいぶ後ろですけどぉ、護衛もいますのにぃ」
鏡面の中のリドリー・ナフサートは拳を握り締めて「って、ちっとも道が開けないってどうなってるのっ」と地団駄を踏み、それを水鏡で見ている二人は、なんとなくいたたまれないような気持ちに視線を合わせた。
「……リトル・リィってかわいいよね」
「可愛いの定義は色々ですわよねぇ」