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告白と報告

「我が女神よ……」

朗々とした声が反射するように響き、ついで苦笑が落ちた。

壁にあるレリーフには竜。

その竜に寄り添い眠る美しい女神の姿を見つめながら、壮年の男は皺が目立ち始めた手を恐れおののくかのように、わずかに震わせ、這わせた。

ひんやりと冷たい感触に瞼が下がる。


「竜を目覚めさしてしまいたいというこの思いは、愚かなものか?」

――下らぬ魔法など捨て去り、竜の力など忘れ去り……全てを古のままに受け入れればいい。

 幾人もの命を奪い続ける業など要らぬ。

他国の牽制であれば軍力にまかせ、同盟を強めて行けば良い。

 いつまでもいつまでも、ただ竜を眠らせる為に魔法使いを作り出し、ただ魔法使いを生かす為に幾人もの命を奪い取る。

――当代竜公の世において、その犠牲者は極端に少ない。

それを喜べと……


「あなたは言うのか?」

 

竜を、封印せしめた貴女はこんな世を望んだ訳ではあるまいに。

だが竜を目覚めさせたその果てにあるものを、誰も知りはしない。


「あなたがそう望むのであれば――命ずればいい。

竜を目覚めさせ、その果てにあるものを目の当たりにしたいというのであれば、そうなさるといい」

 こつりと続く足音に、睫毛さえも白く成り果てたこの国の主は喉の奥を震わせて笑った。


「貴様の名など二度と呼ぶものか、阿呆め」


***


 レンガ造りの殺風景な部屋だ。

ほんの数歩で入り口から窓、端から端までいける小さな部屋。

寝台と、小さなテーブルと椅子が一客。衣装棚が一応作りつけであるけれど、その棚だって一杯になっている訳ではない。

 鞄の中に洋服をつめて、要らないものを処分してしまうとあたし自身が一年間暮らしていたという事実さえも消滅してしまいそうな狭くてモノのすくない部屋。

あたしは鞄をテーブルの上に置きなおし、ばったりと寝台の上に身を投げ出した。


 木目のはっきりとした天井。

端のほうには水の染みこんだ跡まであって、決して綺麗って程ではない部屋。

「あー……でも幸せ」

 狭くたってちょっぴり隙間風がふいたって、窓が小さくたって、地味に古くたって、誰が何といおうと自分だけの立派なお城だ。

 何より広い場所って落ち着かない。

そもそも、あのぼけなす様の寝台ときたら腹立たしいことにこの部屋並みってどういうことですか?

 そんなやたらでかい寝台でおちついて寝ろといわれて寝られるものですか。

むっと口元を尖らせ、ついで蘇ってしまった低く囁く声音にあたしは「ぎゃあっっ」と悲鳴をあげた。


――髪……リドリーの髪の毛がね、ぼくの上をさらっとなぞると凄くゾクゾクする。下半身の血がひやっと冷めるような、凄く不思議な感覚。凄く好き。

ねぇ、切ったりしないでね?


 里帰り中にめちゃくちゃ短く切る!

ざっくりといく決意を固め、あたしは今は左手の薬指にすっぽりと収められている指輪を見て嘆息した。

 

すき……好きなんだと思う。

すきなんだろう――好きだよね。

なら、どうしてあたしはこうして拒絶したり、怒ったり、怒鳴ったり、殴ったりしてしまうのだろう。

 頭の中でだって馬鹿だの阿呆だの変態だの言うし。

すきならすきって言葉だけで満ちるものではないのかしらね?

こうして一人の寝台でほっとしたり――そりゃ、多少は、なんていうか寂しいような気もするのだけれど、いかんせんユーリといると心が休まらない。


 シンと静まり返る一人きりの部屋で、あたしは先ほどまでの「幸せー」な気持ちから一転、なんとなく物足りないような落ち着かないような気持ちになってしまい、思わず自分で自分の頬をぐにっと引っ張ってしまった。

 鈍い痛みをじりじりと感じ、顔をしかめた。


くぅっ、馬鹿だ。あたし。


へんに感傷的――それは郷里に戻ることを決意し、それがちゃくちゃくと現実のものとなろうとしているからか、それとも――それとも。


「ああっ、も、いいっ。

もう、行く!」

 あたしはぐりんっと体を起こし、先ほどテーブルの上に置いた鞄をもう一度抱き込んだ。

かつんかつんっと意識した大また数歩で扉にたどり着き、振り返って誰もいない部屋をもう一度眺め回す。


 部屋の入り口から何も隠すことなく全てが見渡せてしまう小さな部屋。


「行って来ます。ちゃんと……帰るからね」


誰もいない部屋に言葉だけを残して、あたしはぱたりと木製の扉を閉ざした。

あたしの家はココ。

ちっぽけかもしれないけど、あたしだけの大事な場所。

あたしは、ここにちゃんと帰って来る。


銅を型に流し込んだような簡単な鍵でカチャリと施錠をして、あたしは感傷的な気持ちのまま扉に額を当てて囁いた。

「春までには帰るからね」

――まあ、用さえすめば勿論もっと早く…… 


「でも、冬の分の家賃がもったいないよー?

ここは思い切って引きはらっちゃったら良いと思うよ! ぼくの家空いている部屋は一杯あるし。ああ、それよりもやっぱり同じ部屋が一番だっ……」


「頼むからたまには一人でいさせてくれませんかね!?」

 感傷的なしんみりとした自分のこの気持ちをどうしてくれる!

ちょっと自分に酔っていた面も確かにあるかもしれないけれど、だがしかし、プライベートのこういう時間をオンナノコは大事にしたいのですっ。


あたしは独り言を聞かれたことにかぁっと体温をあげ、力いっぱい背後の不審者の腹にめり込ませた右ひじを引き抜いた。


「今日から君がいないと思うと……凄く寂しい」

 肘鉄をものともしない頑丈男は背後からあたしの鞄をとりあげて、途端にしんみりとした口調で言葉を落とした。


 列車の運行上の都合で、本日の夕刻の列車のチケットが取れたのだ。

ルティアは「特別列車の手配をしたらよろしいのにぃ」と不満そうだったけれど、あたしはそれを却下したし、ユーリもそのことについては口を挟まなかった。

 そんなこんなで取れたのがマイラおばさんが出立して一日目の今日――予定では列車に揺られて三日。そこから乗り合いの駅馬車を乗り継いで数日であたしの郷里へと戻ることになっている。

 ちなみに、ルティアの旅費代はユーリ持ち。

あたしは一人でだって行けるというのに、無理矢理ルティアを同行させるようにと我儘を言ったのはユーリなのだから、おとなしくそれくらいの散財はして欲しい。

 楽隠居の腹立たしいお偉いサマは「リトル・リィの分だって出すよ」と言ったが、そこは涙を呑んで辞退致しました。

 確かにあたしは赤貧だったり業突く張りだったりも致しますけれど、踏み越えられない何かがあったりするのです。

うっすいプライドだけれど。


「やっぱり次の便にしない?」

首筋に鼻先をすりつけるように言われる言葉に、あたしはきっぱりと「しませんっ」と切り替えした。


ちょっと……ちょっとだけ、それでもいいかもなんて思ったのはナイショ。

イヤなことから目を逸らそうとする。

向き合わなくてはいけないものから逃げ出す、そんな以前のあたしはこの手で捨てなければいけない。

 あたしはぐるりと身を翻し、びしりと人差し指を相手の胸に突きつけた。


「ちゃんと帰るから」

「……うん」

 一拍遅れた小さな返答。

空気のように大気に溶けた――信じてる。


「あのねっ」

 あたしはなんだかいたたまれない気持ちになって、咄嗟に言いそうになってしまった言葉を気恥ずかしさで飲み込んだ。


――帰ってきたら、お嫁さんにしてくれるのよね?


「なに?」

「なんっでもありませんっ」


無理ぃっ。

うわぁっ、なんかもぉ、無理ぃっ。

恥ずかしっ。

 あわあわと口を開けたり閉じたりしながら、あたしはあわただしく相手の腕から逃れて歩き出した。


「どうしたの?」

「どうもしないってばっ」


***


 二日酔いで頭がガンガンと痛む。

ギシギシと音をさせるハンモックの綱の音に、ドーザは前髪をかきあげながら煙草のヤニですすけた天井を睨みつけた。

――結局、酒を飲んだのは事務所の奥。

 下らない話にあけくれて、大事な話しは誤魔化し続けた。


ティナの頭がイカレちまってることも、そんなティナが口にしていた――リドリーが死んだということ。


何度も何度も、そんな不確定なことなど報告できる訳ねぇしと打ち消し、そのたびにきちんと言うべきだという思いが(さざなみ)のようにざわめく。

 それが真実であろうと、嘘であろうと――その言葉で、マーヴェルの呪縛は解けるのではないかと思うのだ。


 リドリーは死んだ。

もう探す必要は無い。

もう、現実を見ろよと言い放てば、仕事の合間に人を探すのか人を探す合間に仕事をしているのか判らない今の生活も終わる。

 地に足をつけて。新しい一歩を踏みしめていけるのではないかと。


だがどうする?

あいつまで、ティナみたいに壊れちまうようなことが無いと言い切れるか?

一年間探し続けたのは、ただ「愛」なんて不確かなモンの為か? 「罪悪感」という自己満足か?


「くっそ、重すぎっ」


吐き捨てれば、呆れたように「食いすぎなんだよ、おまえは」と反対側の部屋の隅にある寝椅子で寝ていたマーヴェルがあふりと欠伸交じりで身を起こした。

「気をつけないとハンモックを止めてる金具外れるぞ」

「うっせーよ」

「そもそも、海で散々しっかりとした寝台で眠りたいだの何だの言うくせに、結局おまえときたら海と同じようにハンモックで寝るしな」


「うっせーよ」

 同じ言葉を繰り返せば、マーヴェルは水差しから水を飲み、何を気にかけたのか自分の手にハーっと息を吹きかけて顔をしかめた。

「なんだよ?」

「やばい、酒臭い……あー、これで神殿官のお偉いさんに会いに行くのはマズイかな」


「神殿はマズいだろ」

 あまり足を向けない場所の名称に顔をしかめると、マーヴェルは眉を潜めながら肩をすくめた。

「神殿じゃなくて、神殿官だよ。

神職ではないらしいけど――あー、酒抜かないとまずいな。風呂行けばなんとかなるかな。ドーザ、おまえも付き合えよ」


「やなこったい」


 ドーザは言いながら、ふんっと顔を背けた。

そうだ。

そうやって仕事してろよ。

あんな女なんて――忘れちまってさ。


流されるだけの人生に、立ち向かったと思ったんだよ。

ぎゅうぎゅうに押さえつけられた人生ってヤツを叩き付けて、自分で考えて、自分で立ち向かった、ちっとは強い女になったと思っていたんだ。

 なのになんだよ。

――結局、あいつは……どこまでも弱い女だったってだけなのかよ。

がっかりなんだよ。


オレは、ニヤリと笑って言う筈だったんだ。


よくやった!ってよ。


「ドーザ、風呂行かないのか?」

「水でも浴びてろ、馬鹿」




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