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ぬくもりの朝とけだるい朝

ぬくい……

肌触りの良いシーツと温かな毛布。

ぼんやりと浮上した意識で、ああ、またティナが寝台の中に入り込んだのだと口元が緩んだ。

 病気がちな頃にはそんなことは無かったのに、妹のティナは病気が治ると時折「寒い」と言ってあたしの寝台にもぐりこんでいた。

ティナは寝相が良くないからイヤだと言ったけれど、言う程はイヤでは無かった。人の体温は心地よくて、寝息が安心感を与えてくれる。毛布を奪われたり、寝台から蹴り落とされることはあったけれど。

 あたしはもぞもぞと更に体温を求めるように動こうとして、はたりと気づいた。

背後から回る手があたしの指と指の間に絡み、背中――肩甲骨の辺りに吸い付くような奇妙な感触と共に、柔らかな舌先で舐められた。

「ひゃっ」

「ここ、弱いよね。舐めるとすぐに逃げようとする」

 言いながらも啄ばまれる感触に、あたしはじたばたと暴れた。ざぁっと背中から泡立つような感覚に体の力が抜けていきそうになる。

ティナじゃない、ティナじゃない、ティナじゃない!

「おはよ、リドリー。

ね、もう一回しよ――お仕事お休みなんだよね? 三日三晩がんばってみてもいいよ。もっともっとぼくをあげる」

 寝台の中で身をよじり、両手で突っぱねるようにして相手の胸を押せば、呆れる程さわやかな笑みが返される。

「今更照れなくても、ね、リドリー」

「ねじゃないっ。もういい。もう十分ですっ」

それに!

「あたしマイラおばさんを見送る予定なの。今日で駅馬車が最終なのよ。マイラおばさんその便で隣町のターニャさんのところに行くから。だからっ」

 起きます!

あたしがわたわたと暴れるのを無視して、変態ユーリは片足をあたしの足の間に入れるようにして圧し掛かった。

「じゃ、もう一回だけ」

「聞けぃっ」

「照れちゃって可愛いなぁ、もぉっ」

 き、聞いて。

本当に聞いて下さい。

「で――ぼくに言いたいことあるんでしょ? 言ってごらん」

くすくすと笑いながら耳朶を口に含まれ、あたしは突っぱねようとしていた腕の力を緩め、息を飲み込んで瞳を見開いた。

 すぐ近くに苦笑するようにあたしを覗き込んでくる顔が「ほら、どうぞ」と穏やかな様子を見せてくる。

 あたしは内心で動揺しつつも、上目遣いにおそるおそる口を開いた。

「ごめんなさい」

「いいから。何か言いたいことがあったんだよね? 今のぼくはすごぉく寛容な気持ちだから、言ってごらん」

 鼻先に口付けて、ね? とうながされてあたしは安堵しつつ笑った。

おかしな画策などせずに素直に言えばよかったのだ。

まぁ、結局一緒に朝を迎えはしたからはじめの通りかもしれないけれど、でも相手のことを少しは信頼するべきよね。

 あたしは気分をよくして勢いをつけて口を開いた。


「あのね。冬の間に里帰りしようと思って――聖都の母さんのところじゃなくて、あたしの生まれ育った町。それで、ちょっとずうずうしいとは思うんだけど、聖都まで転移扉使わせてもらっていい? 駅馬車は今日で終わってしまうし、正直言って旅費の節約もしたいの」

 にこにこと笑顔であたしを眺めていたユーリは、にこにことした笑顔のままのたもうた。


「え、やだ」


誰が、寛容な気持ちだって?


***


「お疲れさん」

ばしりと書類を丸めたもので肩をはたかれ、マーヴェル・ランザードは机で突っ伏して寝ていた目を開けた。

「ああ、またここで寝ちまったか」

事務所の奥には簡易用の寝台も置かれているし、それが埋まっていようとも船用のハンモックが幾つも倉庫にある。

 机に伏せて眠るよりはそちらのほうが体にも心にもいいとは思っていても、このところ決まって目覚めると冷たい机。

――冷たく、硬く、むなしい机。

「頬にインクがついてますよ」

「ん、頭が少しぼぉっとする……酒が過ぎたかな」

 昨夜もここで酒を飲みながら事務処理を淡々とすませていた。仕事中に酒など褒められたものではないが、寒さと他の何かを誤魔化すのに丁度いい。

「昨日はどうだったんですか?」

「昨日……」

あふりと酒臭い欠伸を落とし、むけられる水の入ったカップを受取って眉間に皺を刻むはめに陥った。


 神殿に行っては神殿官は管轄外だといわれ、王宮に行って面倒くさい手続きを踏んだというのに言われた言葉は「神殿官でしたら神殿では」といわれ――本当にどっちだよとイライラとしていたら、王宮の受付の壁に描かれた絵図に、神殿の裏手に神殿官詰め所を発見して落ち込んだ。

――本当に管轄外だった。

 挙句やっと神殿官の詰め所とやらに足を運び、以前見せられた神殿官のサインについて尋ねると、思い切り気の毒そうに。

「偽造ですね」

と、さらりと言われた。

「偽造――」

「このサインは神殿官長官のサインとは違います」

まさに、どうなっているんだ、だ。

「軽く言っていいことではないだろう? 神殿官長と面談させて欲しい」

「神殿官長はお忙しいので、面会の申し出があったところでお会いできるかどうかは」

 受付は胡散臭いものでも見るようにマーヴェルを見るが、どちらかといえば「偽造サイン」などと軽々しく言い切れる神殿官側のほうが百倍も胡散臭い。

 しかもさほど問題にしていないようなところが。


「いくらでも待つ。とりあえず取り次いでくれ」

 苛々を押し殺しながら言うと、今度は受付はわざとらしく嘆息した。

「では書類を作成しますので、それを持って神殿に出向いてください」

「神殿?」

 それはアレか?

朝、ダグの療養所から直接行った挙句に「管轄外です」と追い出してくれたあそこか?

「神殿官長は神殿にいらっしゃると思いますので、受付で書類を提示して応えをお待ち下さい。その際、王宮へと回されるかもしれませんが、王宮に行きましたら同じように受付でこの書類を見せて受付の支持を仰いでください」


おちょくってるのか!

本気で怒鳴りたくなったマーヴェルであった。

――そして、そのおちょくっているのかはその後三回に渡りマーヴェルを侵食した。

苛々を募らせつつ神殿に行き、書類を出すと「申し訳ありませんが、現在ユリクス官長は王宮に出向いておいでです。王宮で面会をお求め下さるか、いつお戻りになられるか――本日こちらにもう一度いらっしゃるか判りませんが、お待ちになりますか?」と言われ、相手の手から書類をひったくるようにして王宮に参じ、気の毒そうな――絶対に嘘だ。うわべだけの見せ掛けに違いない――声音で「ユリクス神殿官長は先ほど神殿へお戻りになりました」と言われたのだ。


 そして、三度目の神殿で言われた言葉は「ユリクス様は本日お忙しいのでご面会はかないません。明日以降に出直してください」だった。

「神殿官長はそんなに偉いのかっ」

 珍しく声を荒げて悪態をつくマーヴェルに、事務所にいた人間が「いや、偉いだろ。きっと」とひらひらと手を振った。


「くそっ、お役所仕事めっ」

まさに見事なたらいまわしだった。

一気にカップの中の水を飲み干し、マーヴェルは乱暴に席を立った。狭い場所で無理な体勢で寝ていたからだがぎしりと悲鳴をあげる。

「マーヴェルさん、このところ根をつめ過ぎですよ。今日は休んだらいかがですか? 柔らかな寝所であったかい女でも抱いてゆっくり寝たほうがいいですよ」

「ドーザみたいなこと言うなよ」

 何かと言えばドーザは「娼館でも行って気晴らししろよ」と笑っていたが、ドーザがいないとこうして他の人間がそんなことを言い出す。


 深く溜息を吐き出し、伸びた前髪をかきあげてマーヴェルは凝り固まった肩を揉み解した。

「悪くないな――」

 一時の慰めに誰かの体温を求めて、何が悪い。

そもそも、ティナを抱いてから他の誰にも触れていない。あんな記憶が最後なんてあんまりじゃないか。

 ティナがはじめての女という訳ではないが――それはそれで不健康だ。

自分の頭の中でそんなことを考え出し、ふとマーヴェルは自嘲気味に笑った。


――リドリーを大事にしすぎて、リドリーのかわりに幾人かの女を抱いたことがある。

男の見得で、愛する女に童貞だと思われるのが恥ずかしかった若造で、下らないことで他の女に手を出して、そして――ティナを抱くことも、その直線状のことくらいにはじめは思っていた。


 あんなふうに罪悪感など抱くと思っていなかった。

ティナの目が、ティナの口が怖いと思う程。


女は……リドリー、君を抱きしめて眠りたい。

それがかなうなら、もういっそ永遠に目覚めなくてもいい。


***


「きゃあっ、もうこんな時間じゃないのよっ」

二度寝、二度寝してしまいましたよ、不覚っ。

マイラおばさんの乗る馬車の時刻に遅れてしまう。

あたしががばりと体を起こし、寝台の上を這うようにして抜け出そうとすると、間の抜けた声が「指輪」と口にした。

「指輪?」

「して。ぼくのあげた指輪、首からさげるのではなくて、指にはめて。それから、ぼくは制約により聖都から一定の距離から先に離れることは許されてない。今回はどうしたって一緒に行けないから、せめてルティアをつれて行って。それから」

 それが意味することがゆっくりと浸透して、あたしは呆気にとられて振り返った。


寝台に伏せるようにしてこちらを見ているユーリは、少しだけ悲しそうな瞳をしてはいたものの、指を一本一本折りながら口にした。

「それから?」

 ルティアの予定だってあるでしょう、とか思うところはあるけれど、あえてそこは口を挟まなかった。

「それから。ぼくのことを嫌いになったりしないで」


ふにゃりと、あたしの心で何かが溶けて、物凄く優しい気持ちがわきあがる。

あたしは寝台の上をもそもそと四つんばいで戻り、見上げてくるユーリの唇に口付けた。


「馬鹿ね。好きよ?」

気恥ずかしい台詞を小さく囁くと、ユーリは嬉しそうに言った。

「もう一回しよっ」

「しませんったら!」


このあほんだらっ。

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