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罠とウソツキ

んん?

あたしはある種のあまり褒められない決意を胸に、足音も高らかに自宅へと向けて歩いていた訳ですが、見慣れたアパートの一階ホールに足を踏み入れた途端に眉間にくっきりと皺を寄せ、足がぴたりと止まってしまった。


――夜這い。


 その定義はどういうものかと言えば、他人様の寝ているところに入り込み、情を通わせるという意味で、果たしてそれが自分にできるかと言えば思い切り自信が無い。

「……夜這い、夜這いはちょっと違う?」

 やっぱり無理。

そう、ここは冷静な話し合いの問題だ。そもそも、たらしこむって息巻いていたけれど、自分にそれができるかといわれれば、ちょっと無茶。

 確かに一度あのぼけなすサマを押し倒したのは事実ですが、あれはどちらかといえば自棄みたいなもので、勢いというか、若気の至りというか――色々ごめんなさい。


 あたしは眉根を更にぐいぐいと寄せつつも頭の中で更に想像してみた。

できるだけ極上の笑みを浮かべて、まぁちょっと無理があるけれど可愛らしさもどうにか上乗せして。

「あのね、しばらく一人旅に出ます。金銭的余裕が無いので、聖都までは転移扉使わせてね」

お願い。

と語尾にハートマークまでつけて言った場合、果たしてあの胡散臭い魔術師姿のすかぽんたん様がにっこりわらって「いいよー」と言うかと言えば、その確立は僅か十パーセントに満たないのではないだろうか。

いや、むしろ十パーセントもあればめっけもの。

「え、やだ」

 と即答されるのがばりばり想像できてしまう。


いっそのこと旅に出るというのは伏せて「聖都に行きたいの」と言ってみるべきか。それならどうにか「いいよー」という能天気な返答がかえる確立が跳ね上がりそうだ。あとは向こうで置手紙でもして「探さないで下さい――」って……いや、家出じゃないし。


――夜這いだ! もう押し倒してしまえばどうにでもなる。


 そう昼間に浅はかにも考えていた自分は頭がきっといかれていたに違いない。

駄目だ。

もう本当にいろいろ駄目だ。

あたしは深々と溜息を吐き出し、廊下の壁――冷たいレンガの壁に片手を預けて思い切り肩を落とした。

ひんやりとした冷たいレンガにそのままこてりと額を押し当て、唸るようにして更に考えを深めていく。


 とりあえず、おだてあげて持ち上げて、良い気分にさせてうやむやのうちに「いってらっしゃい」と言わせることができれば勝ちだ。

 いや、勝ち負けの話しでは無いのですが。

あたしはシャツの下、首からぶらさげている指輪に軽く触れ、更に深く深く溜息を吐き出した。

――もういっそ里帰りなんてやめちゃおうかなー……

でも、それって何も解決しないのよ。

 自己満足でもいいから、謝ること謝っておかないとあたしがこの先に進めない。

「でも、この先って何さぁ」


 あたしは未だ記憶の最後の一欠けらを手にいれていない。

それでも、ある程度思い出してしまえば、結局突き当たるのは誰でない自分が――あの自分勝手な阿呆様を好きなこと。

 はじめてそっとその名前を聞いた時、子供のあたしは不愉快だった。

冗談だと思った。

だって、ソレは言ってはいけない言葉。

子供達の間で悪口として通用する言葉だ。それだってある程度の分別をもつようになれば自然と言わなくなる。

 それが名前だなんてありえない。

名前は親が子供に対して贈るはじめての贈り物で、とっても大事なものだって、あたしはまるきり説教するように口にした。

 子供の愚かな正義感で――相手が傷つくような言葉を愚かにも。


誰が咎人などと呼ばれたい。

古の言葉といえど、そんなのはただの悪意でしかない。そしてなにより、その名をつけられて傷ついているのは誰より当人だ。

 小さなあたしがどうしてもその名を拒絶して「じゃ、リィはユーリって呼ぶ。駄目? いいよね? ユーリって、可愛いよ。こないだ産まれたうちのヤギと同じ名前っ」


 勢い込んで言っていたが、ヤギと同じ名前って普通に考えて嬉しくないよ。

本当にあたしは何をしているのでしょうかね。

ヤギだよ、ヤギ。

しかも、あのヤギって確かオスヤギで……大きくなったら食卓に並んだ気が致しますよ。これもナイショにしておこう。

言えないことって結構ありますね。


 あたしは脱力しつつゆるりと一度首をふり、ふっと視界の端に雪がふわりと入り込むことに気づき、視線をあげた。

 白い雪が、ふわふわとあたしの周りで揺れて、そして白い花弁にかわり――気づくと小さな花弁があたしの周りで踊った。

 白い花弁に黄色い花弁が混じり、ついで赤く変化して。寒い冬に彩りを加えて、手のひらを上向かせると、そのうちの一枚がふんわりと手のひらに落ちた。


「ねぇ、怒ってる?」

 おそるおそる投げ掛けられる言葉に、あたしは螺旋階段をみあげた。


階段の上のほうに腰を落とし、黒いズボンに包まれた足をくみ上げて、あたしの魔術師サマは鳩とうさぎに囲まれて、ステッキの柄の部分でトップハットの鍔をくいっと持ち上げた。

 その瞳が少し悲しそうに見えるのは、眉根をぎゅっと寄せている為だろう。

「あのね、うそつきって色々考えてみたんだけど――あの、ぼく何かしたかなー?」

「いろいろ」

「うっ……」

 物凄く心当たりがありそうですね。

色々ありすぎてひとつに絞れないというところでしょうとも。

 あたしはゆっくりと階段をのぼり、階段に座っている相手と視線を合わせた。

放置されたうさぎがすき放題にうろうろとしているのが可愛いが、それはとりあえず無視。

後ろ足だけでひょいと立ち上がり、鼻先をひくひくとさせている様子が実に愛らしいけれど、今は無視。


「あのね、リトル・リィ」

「それより、今日でうちのパン屋さん長期休暇に入ったの。冬の間はマイラおばさんターニャさんのトコに行くんですって。知ってた? ターニャさん妊娠してるんですって。で、今日は一杯パンがあるのだけれど、食べる?」

 あたしは持っているバスケットを軽く持ち上げて示した。

余りもののパンがいつもより多いのは、午前中しか店を開いていなかったからだ。もともとお店を閉めるとは宣伝していなかったから、きっと街の人も結構困るだろうな。


「それは、勿論。リトル・リィからの贈り物は何でも嬉しいっ。たとえ殺人的に苦くても、硬くても喜んでいただくよ」

もしかして軽く嫌味ですか?

生憎と本日のパンは大人気の普通のパンです。長年愛され続けたベストセラー。マイラおばさんの暴走新作パンではありません。


「それと」

 あたしはぐいっとパンで一杯のバスケットを押し付けて、座っている脇を通り過ぎざまに言った。


「着替えたら家に行っていい? 

明日から……お休みだから、泊まっても、いい?」


わずかに震える声で、小さくそっと勇気を出して言った言葉に、

「何の罠っ?」

間髪居れずに返された言葉に「罠ってほど酷いことは考えてないわよっ」と思わず返してしまった。


 振り返って怒鳴った先、冴え冴えとした眼差しがあたしを見上げるのとかち合い、あたしは喉の奥で言葉を濁した。

「……で、どれくらい酷いことは考えてるの?」

「今はちょっと自己嫌悪」


自分の単純さが恨めしい。


***


「というか、酷いことは何ひとつ考えていませんから」

にっこりと「とりあえず食事にしようか? どうやらリトル・リィには思い切りやましいコトがあるようだから、食事を終えたらじっくりと聞きましょう」と――ひねくれ者の挙句性格が悪く性根の腐れているらしい神官長様はあたしを自宅へと誘った。


正直、最近他人様の家で食事ばかりしていることが後ろ暗いです。

食費はたいへん助かっておりますが、あたしは一人暮らしの自立している筈のパン屋の店員さんです。

 何より、一人で食べる時の食事とお呼ばれしている時の食事の内容がまるきり違いすぎて、粗食が耐えられなくなったらどうしてくれるのですか。

――いや、美味しいですけどね。

 あたしは鶏肉のパイ包みをフォークでつつきまわしつつ、その美味しさに泣きそうになったものだ。

――完全に餌付けされている。

 アマリージェの家の味付けはどちらかといえばこってりだけれど、さすが神官長の家の食事はどちらかといえば素材の味を楽しめるように薄味だ。

 面前で食べている人はと言えば、あたしと似たようなメニューの筈だけれどよく見れば肉類などは控えめ。

――どうりで太らないはずよね。

いや、この男の場合はきっと何か卑怯な手段も講じている筈だ。

だってどう考えても運動らしい運動などしていないもの。

とりあえず現実逃避がてら、そんなことを考えつつ食事をしていたあたしだった。


 一通り食事を終えて「まぁ座って?」と促された一人掛けの椅子にて、あたしは愛想笑いで相手を伺っていたものの、沈黙が痛いです。

面前には腕を組んで立っている普段着の男が一人。そう、普段着――白いシャツに黒いズボンという一般的ないでたち。リボンタイとかクラヴァットとかもつけずに、ラフそのものの格好で腕を組んで壁に背を預けている。

 小首をかしげるようにして微笑を称え、ただじっとあたしを見つめているものだから、あたしはどうにも居心地が悪くて、そわそわと体を動かしてしまった。

「えっと……あのね」

 どう話せばよいものやら。

真剣に悩んだ挙句、本気で泣きたい気持ちが高まってしまったあたしは――冒頭の通り、

「酷いことは別に考えていませんからっ」

と――実は消え入りそうな声で口にした。

思う程威勢の良い言葉は出なくて、それが自分の後ろめたさの現れただと思えばさらにきつい。

「じゃあ、今日は何をするつもりだったの?」

 面前の男はあくまでも柔らかな微笑のまま、それまで壁に預けていた背をとんっと勢いをつけて引き剥がし、ゆっくりとあたしの席の前にくると身をかがめた。


瞳を細めて問いかけられ、間近にあるその秀麗な顔立ちに――みるみるあたしは自分の体温があがるのを感じた。

「泊まるって、どういうことか判るよね?

今更、判らないなんて――そんなつもりじゃないなんて、さすがのぼくだって信じない」

「あ……の」

「つまり、自分を差し出してでも何かやりたいことがあった訳でしょう?

いいよ。言ってごらん――ぼくにできることなら、どんなことでもかなえてあげるよ。君が自分を犠牲にしてまで望むことなんでしょう?」


 その冷ややかな言い方に、あたしは自分の心が傷つくのと同時――相手も怒っているということに初めて思い当たってしまった。

傷ついて、そして怒っている。

あたしがしようとしたことに関して。とても、深く。


「ちがっ、あのねっ」

 ひんやりとした唇があたしの頬に触れる。

指先が耳朶をつまみあげ、冷たい眼差しがあたしを覗き込み、あたしはその心に触れたくて、慌てて両手で相手の頬を挟みこみ、冷ややかな瞳と自分の瞳とをしっかりと合わせた。


「犠牲とかじゃないっ。

好きよ。大好き――自分を犠牲にとか、差し出すなんて考えてないっ」

あたしは早口でまくしたて、そっと唇を重ね、二度触れて、


「あなたが欲しいの。

欲しいと思っちゃ、駄目なの?」


――って、あたし……当初の計画はまさに言われた通りの犠牲的精神だったですよ。たぶらかして誤魔化して、なんとか穏便に里帰りを成功させようって。

挙句、相手のコネも使えたら幸運ですね。なんて、はっきり悪い女でしたよ。

悪女でいいです。

悪女でいいのですが。


「勿論、駄目なんかじゃないよ」

 抱きすくめられた腕の中、あたしの心はだらだらと涙を流した。


作戦成功……じゃ、ないよね。

これきっと完全に失敗ですよね?


何してんの、あたし。


***


「ユリクス様」

 石像磨きの権威、神殿官長ユリクスは名を呼ばれて汚れたウエスを折りたたんだ。

石像を磨くのは実に心が爽やかになる素晴らしい行為だ。

嫌味ったらしい古タヌキと遭遇してしまった時は、得に。


「何か」

「海運商のランド商会が面会を求めております」

「何故?」

 そのままつき返すと、従僕も困惑の様相を見せた。

「――それが、運行許可だか運行停止についてだかの話だとかで……こちらとしても良く判らないのですが」

 神殿官にとってまったくかかわりの無い海運業者がいったいぜんたい何だというのか。

ユリクスは吐息を落とし、しかしふと眉間に皺を刻みつけた。


「ランド商会……? 担当者は誰ですか」

「マーヴェル・ランザード――商会の子息のようですね」

 しばらく考える風であったユリクスだが、折りたたんだウエスをさらに反転させて石像に向き直った。

「ユリクス様?」

「私は忙しい」

果たして、暇な時などありはしないが。

石像の指の間を丁寧にぬぐいながら、ユリクスは眉間の皺を更に深めた。


――マーヴェル・ランザード……

どこかで聞いたような、いや、文字で見たのか。

海運商、ランド商会。


ふっとユリクスは動きを止めた。

「確か、台風の折りの――公が気にしておられた船がランド商会だったか?」

「ユリクス様?」


「また出直すように伝えなさい。

公に一度お伺いを立てる必要があるやもしれない」



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