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命令違反と喪失

アマリージェの肩を抱くように起毛の絨毯の上をのしのしと歩き、あたしは身を震わせて怒りのままに口にした。

「まさかエルディバルトさんまで地下に押し込むなんて! たかが喧嘩だかでどうしてすぐにそんな馬鹿な真似するのんでしょうかね、あの阿呆様はっ」

 馬鹿の一つ覚えにも程がある。

あたしの口から出る言葉に、ようやく心を落ち着けたらしいアマリージェが意義を唱えた。


「でも、本来の尊き人はそんな真似はなさいませんのよ」

「でも、本来の尊き人とはなかなかお会いできませんが?」

 どこにいるのでしょうね?

あたしが真顔で尋ね返すと、アマリージェは一瞬ひるんだ様子を見せたものの、言葉を続けた。


「仕方ありませんわよ。リドリーの前でだけ、性根が腐るんですもの」

 性根が腐る――あっさりと言っておいでですけど、わりとちょぉっと酷い台詞ですよ?

アマリージェは吐息を落とし、足を止めてあたしを見返した。

「先代竜公の話はご存知ですか?」

「ぜんぜん」

 あたしの即答に、アマリージェは口元にそっと手を当てて瞳を伏せた。

「先代は竜公を継承なさった五年の間は尊き人と呼ばれました――けれど、以降は竜公とのみ呼ばれます。理由が判りますか?」

 いや、そもそもその名称はどちらも同じものを示すとしか知りません。

あたしがぐににっと眉を潜ませると、アマリージェは淡々と口にした。

「五年の間に心を壊し、かの人は思い出すように他者を虐げるようになりました。この地に作られた地下牢は、個室で十程――そこに住人がいないことはありませんでした」

「……」

「当代がこちらに来てまずはじめに何をなされたのか、私は兄に聞いております。

未だ年若いあの方は、不思議の力ではなく、自らの手で血に濡れた地下牢をひたすら磨き、清め、ただ失われた命に対して慰めようと祈りました」

 わたくし達にしてみれば、あの方は間違いなく竜公ではなく尊き人なのです。穏やかに、真摯に続けられた言葉。

「リドリーの前では腐っておりますけれど」

その言葉の緊迫を裏切るように、アマリージェは淡々と続けた。


――マリー……意外と、あげて落とすの得意ですよね?


アマリージェは吐息を落とし、まるで幼い子供を諭すかのように微笑んだ。

「それに、地下牢に投獄といいますけれど、あの方は鍵などもかけたりなさいません。ただ罰としてそこに入れるだけなのです」

「うそっ。じゃあ逃げ出し放題じゃないですかっ」

 驚いて素のままに言えば、アマリージェは頬を染めて視線を逸らした。


「あの方に命じられたことに対してわざわざ背く者もいなければ、その心を裏切る者もおりません。何より、逃げ出したところで無駄ですし。ただ……今回、ルティア様が隣の牢にお入りになったのは、ちょっと、あの、意外――いえ、ある意味当然というか……あの」

 ごにょごにょと言葉を濁らせていったアマリージェの様子に、あたしは思わずぱたぱたと手を動かし「マリー、そういうのは忘れていいですよっ」と謎のフォローをいれてみた。


 つまり、一応はじめは違う牢に入っていたのだけれど、出入りが自由なものだからルティアは大好きなエルディバルトさんの居る牢屋に入り込んだのですね。

 ま、なんというか……普通にやりますよね、ルティアなら。


 アマリージェはこほんっと小さく咳払いを落とし、逸らした視線をもう一度あたしへと向けた。

「ですから、つまり。わたくしが言いたいのは、今回ルティア様が地下牢に入れられたのはあなたが原因だということです」

「は?」

え、ええっ? 


「尊き人が他の理由で地下石牢をお使いになったことはありません。ルティア様が何故あの方の逆鱗に触れられたのか、わたくしには生憎と判りませんけれど――リドリー・ナフサート。あなたのことでルティア様は尊き人を怒らせたということだけは間違いありませんわ」


 ひたりと突きつけられたアマリージェの真摯な眼差しに、あたしは自分の背中にだらだらと汗が流れるのを感じ、口元を引きつらせた。

「冗談……ですよね?」

「冗談でしたら宜しかったのですが」


 ふらりと意識が遠のきそうになり、あたしはその場で壁に手をついてしばらく目を瞑っていた。


思い当たるフシといえば――やっぱり、水鏡で見たアレ、か?

水鏡に映し出されたルティアと、そしてその膝にすがり付いていたあの男。あたしをマーヴェルのところに連れて行くと言っていた男。

でもアレからどうしてこうなるのか……ごめんなさい、あたしはそんなに賢くないのでちょっと判らないです。


「あああああ、もう、わからんっ」


***


「あのね」

嘆息交じりの声に、エルディバルトは硬直し、その腰に抱きついていたルティアは一瞬身を硬くしたものの、すぐさまその視線を牢の外へと向けた。

 壁に備え付けられた精油の僅かな明かりに、滑稽なトップハットを器用に指先でくるくると回している青年は肩をすくめた。

「ルティア、実に楽しそうなところ悪いのだけれど、もういいから出てくれる?」

「いやです」

 ルティアはあっさりと拒絶した。

「ルティはー、公のお心を測り間違え、大事なエディ様にぃご迷惑を掛けましたので反省中なのですぅ」

「いや、反省してないよね?」

「すごぉく反省中ですわよぉ」

「ルティア! 失礼なことをするなっ」


 慌てるエルディバルトが叱責の声を張り上げると、彼等の主はくるくると相変わらず帽子を回し、とんっと自分の頭に乗せると苦笑を浮かべた。

「ルティア、おいで」

 気安い口調で呼ばれても、ルティアとエルディバルトの心には緊張が走るのは当然のことだった。

 ルティアは小さく喉の奥を引きつかせ、しかしゆっくりとエルディバルトから手を離すと自ら牢屋の小さな入り口から身を滑らせた。

 我知らずたたらを踏み、僅かに胸に広がる怯えをひたかくす。

「ぼくのあの子が謝れというんだ。けれどぼくは謝らないよ」

 ふざけた雰囲気をかもしていた相手が、静かに瞼を伏せ――そしてもう一度視線をあげたとき、そこに立つのは彼等の良く知る相手だった。


「ルティア――あなたは私を神の獣と言った。

それは間違いだ。私はただの(けだもの)に過ぎない。どうあがこうと汚らわしい生き物でしか無い。その私がリドリーの為に闇の獣に堕ちるというのは、間違いだ」

 淡々と、慈愛の篭る眼差しでルティアを見つめ――


「あの子がいるから、私は私であることができる。あの子がいなければ、とうの昔に私は私であることなど放棄してしまっていたろう。あの子がいるから。いてくれるから、私は私でいられるんだ」

 そっと、白手に包まれた指先がルティアの頬をなぞりあげ、微笑んだ。


「私からあの子を奪うものは、誰であろうと許さない。

ルティア。君の口から落とされた言葉を、私は決して忘れることはない。だからその魂に刻みなさい。あの子を傷つけないと。もう二度と」

 その言葉の重みに心臓がぎゅっと掴まれたように傷みを訴え、ルティアは喘ぐように強く目を閉ざした。


「……は、い」

 かすれる言葉に、相手は苦笑を落とし、ルティアの頬を軽くとんとんっと叩き、ついでむにりとその頬をつまんだ。

 優しく、穏やかに。

「あの男は記憶を奪って家に戻しましたよ。もう悪夢を見ることも無いだろう。

あなたのことも記憶に無いと思いますけれど、問題はありませんね?」

 穏やかな物言いに、ルティアは勢いをつけて視線をあげ泣き笑いの表情で応えた。


「はいっ」


――ルティアを、殺せ。

冷たく言い放たれた言葉。

エルディバルトは主の命令に剣を抜き放ち、しかしぎりぎりでその命令に頭を垂れ、必死の形相で許しを求めた。

「私の妻の不始末なれば、どうぞ咎めは私めにっ」

 エルディバルトは捧げた剣のもち手を返し、その柄頭を主へと差し向けた。その迷いのない行動に、ルティアは一瞬のうちに血の気を失い、声を張り上げようとしたものの、かすれたそれは音にさえならなかった。


 自分に罰が向けられるのは構わない。

その覚悟をしての進言であり、本来妻となる筈であった自分――先代竜公の孫である自分の務め。そうするべきなのだ。

 だというのに、エルディバルトにその罰がむけられるのは絶対に駄目だ。

やっと搾り出した声は、小さくかすれ「イヤ……イヤっ」とまるで子供のようにイヤを繰り返した。

「おまえは黙っていなさい」とエルディバルトの叱責がとぶが、気が狂いそうな気持ちが音になる。

「公。我が慈悲深き主よ――どうぞ、妻への怒りは夫である私の命をもってお心を沈め下さい」

「ちがっ、違いますっ。

その方は私の夫ではありませんっ。私とはっ」

「黙れというのが聞けないかっ」

 怒鳴りあう二人に、彼等の面前に立つ青年は瞳を細めた。


「それでいい――愛する者を奪い、奪われるのは辛い。

ルティア、二度は無いよ。あなたは私の唯一の家族。妹といえど二度はない。もしあるならば……君の目の前でエルディバルトの心臓を引き抜こう。そのほうが数倍も理解してもらえるだろうから」

 さらりと言い、そして続けた。


「しばらく地下牢で反省していなさい」

「はい」

「ああ、エルは命令違反ね。南西の地方砦で人手が足りないそうだから、行きますか?」

「公、公ぅぅぅぅ」


***


 ぽかりと開いた目で天井を見上げながら、霞掛かるような頭で「ああ、俺の家だ」と理解していた。

 自分でも呆れるようなすえた男臭い部屋。

すすけて見えるのは、煙草のヤニだ。

苛々と覗き込んでくるのは、誰だったか……ああ、

「マーヴェルか」

 何しての、おまえ?

幼馴染の一人にして、雇い主の息子は引きつった顔で舌打ちした。

「俺は、おまえがヘマをした挙句に行方不明になったというから、わざわざトンボ帰りでこっちに戻って来たんだよ」

「何言ってるか判らん……」

 それより、なんだか体がだるいし、ぼうっとする。

水分不足だ。水くれよ。

よろよろと手をあげると、ぞんざいにグラスが突きつけられ、思い出すようにマーヴェルが嘆息して体を起こしてくれる。


「どこに行ってた?」

「どこって、家にいたさ」

「居なかったから聞いてるんだ。おまえはこの数日家にいなかった。商会は聖都内の運行を禁じられた。おまえがヘマをしたんだ。その理由を聞きたい」

 体全体がだるさをおぼえ、グラスを受け取った手が震える。よくよく見れば、なんだやたら指が細くなったようだ。

 筋力が落ちて、体の節々が痛む。

「それに……一気に年くったように見える」

「は?」

 言葉を濁す友人に首をかしげ、やっと水を口に含むとまるで十数年水を口にしていなかったかのようにすぅっと染み渡り、ふと……そう、ふと、なんだか物悲しさを覚えて涙がこぼれた。


「どうした?」

「……あいつ、なぁ、あいつどこかな?」

 そう、どうして俺は一人でいるんだ? 起きたのに、どうして一緒にいるのがマーヴェルなんだろうか。

 ぽっかりと突然穴があいたことに気づいて、きょろきょろと辺りを見回した。

じわじわと不安が湧き上がる。

名前すら判らない。その姿もわからない。けれど、自分がナニかを失ったことは現実的に自分に襲い掛かる。


「あいつ?」

「俺の隣にいたあいつだよ。あいつ、あれ……誰だっけ」

――大丈夫、大丈夫……もう休みなさい。共にいるから。見ていてあげるから。

 優しい声と、手のひらの感覚。

手から水の無くなったグラスを落として、突然寂しくて悲しくて、どうしようもない気持ちで寝台からわたわたと転げ落ちた。


「なぁっ、出てきてくれよっ」

――眠れるように、してあげるから。

「なぁぁっ」

 漠然とした不安が体全体を締め上げて、必死に、必死に叫んでも……その記憶すら、どこか曖昧にむなしく部屋に響き渡り、心配気なマーヴェルの腕が肩を抱いた。


「悪かった。少し、休もう。話は後でいいから、少し休んだほうがいい」

「なぁっ、あいつどこいっちまったんだよぉ」

 

なぁ!  


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