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反省と地下牢

――逃げ出して、イヤなことを後々に伸ばして……


あたしはその言葉を口にしながら、更に自分の中で決意を固めていた。

自分のしてしまったことを取り消すことはできないけれど、自分のしてしまったことの謝罪や穴埋めは今からでも、きっと遅くない。

 見ないふりをして捨ててきてしまった自分の人生であったものに向き合って、きちんと決着をつけて。


 そして――ここに、あたしの生きている、今この場所に戻ろう。

一部屋で狭くて、けれど大好きなあたしの部屋。豪快なマイラおばさんの笑い声と、美味しくてあったかい焼きたてのパンの香り。

 アマリージェとアジス君のじゃれあい。

笑って、怒って、優しくて、温かで、抱きしめたら抱きしめ返してくれる、この場所に。


 というしみりとした気持ちをあっさりと打ち砕く単語に虚脱感が飛来した。

地下石牢……

久しぶりに聞いてしまった、なんとまがまがしい単語だろうか。

まさか、また耳にいれるとは思いませんでした。

 前回エルディバルトさんを十日以上も幽閉した恐ろしい場所だ。プラス三日程長く幽閉されていたけれど、それはルティアの趣味だから無視。そして、遥か昔にはジェルドさんまでその餌食になったという、忌々しい場所。

 あたしは怒りを通り越してあきれ果てた。

友人と喧嘩して地下牢に放り込む人間がどこにいるのか。

なんたる傍若無人、なんたる暴君。


「とにかくっ、ちゃんと謝りなさいっ」

「謝らないよ。ぼく悪くないし」

 面前の魔法使いは、拗ねた様子で頭のトップハットを取ると指先でくるくると回しながら唇を尖らせた。

 二十歳過ぎた男が唇をとがらせたって可愛くありませんよ。

「黙らっしゃい。今までだって地下牢に入れられた人で罪らしい罪をおかした人なんて、あたしは知りませんよ。御領主様だって、エルディバルトさんだって」

 御領主様のジェルドさんが地下牢に入れられたのは、あたしを無礼だとかなんとか言ったからだとアマリージェに教えてもらった。しかも、随分と昔の話だ。

 この腐れ頭様のことを、あたしが「魔術師みたい」と言ったことに対して、御領主様が無礼だと憤慨し、その言葉一つで幼い御領主様は地下牢にて三日お過ごしになられた。確かな年齢までは判らないけれど、ずっと以前のことらしいので、幼いジェルドさんの心は酷く傷ついたことだろう。

非道の一言に尽きる。

 そしてエルディバルトさんは――まあ、どうでもいい。

「トビーもいたけどね」

ぼそりと実につまらなそうに言う魔法使いは、帽子から鳩を取り出しこれみよがしにその喉元を撫でて飛ばした。


「トビー? 誰それ」

 聞きなれない名前にあたしが瞳を瞬くと、完全にやる気のない様子を示していた拗ね様は一瞬瞳を見開き、ついで視線を遠くへと向けた。

「キミってわりとそうだよね?」

「なによ? どういう意味?」

「いや、うん――トビーのことは悪いことをしたかもしれない。なんか、可哀想。少し反省した」


 一人で謎の反省をし、うんうんとうなずく男の様子にあたしは眉を潜め――その言葉の意味に気づいた時、全てを誤魔化すように声を荒げた。

「と、とにかくっ。喧嘩如きで石牢に叩き込む人間が悪いんですっ」

 トビーって、トビーって、粉屋のトビー!

あたしってば本当に記憶能力どうかしているのではありませんか?

あたしのせいで酷い目にあった挙句、違う街に引っ越していってしまったトビーのこと、すでに完全に完璧に忘れておりましたっ。

言い訳をさせていただけるのであれば、ここ最近色々ありすぎて、あたしの中の記憶中枢とかがきっともう駄目駄目になっているということにしておいて下さい。

 ああ、あたし本気で酷いよ。


「ルティアだってそのくらいの覚悟はしてぼくに喧嘩を吹っかけた筈だけどね」

「とにかく! いつ、なんどき、何があったとしても石牢はやりすぎ。行くわよっ」

 あたしは未だ羞恥心で体に熱を感じつつ、くるりと身を翻して歩き出したが、お決まりのように「リトル・リィ――反対、こっちだよ?」と逆側の廊下を示された。

「知らないんだから仕方ないでしょう!」


というか、本来そんな場所知りたくもないんですったら。


***


 港町の喧騒が窓から入り込み、どこかから何かが壊れるかのような音すら入り込む。季節を間違えた虫の音が、時折場違いに小さく聞こえ、更に、カカっと僅かな引っかくような音をさせているのは、足に鎖の輪をはめ込まれた猛禽類。

常時数羽、まるで用心棒のように事務所の止まり木で鋭い眼差しを光らせてるのは、海運商が誇る伝達用の鳥だ。

 高さの違う止まり木で悠然と羽を休ませながら、あるものは首を巡らせて人間の気配をうかがい、あるものは餌として与えられたネズミの肉を鋭い嘴で引き裂いていく。

 事務所に在駐している鳥番の男は、つまらなそうに壁に寄りかかり、あふりと大きな欠伸を漏らした。


 その部屋の片隅、ドーザは腹に淀んだものを全て搾り出すように、深く深く息を吐き出した。

 自分がえらく疲弊しているのが判る。

久しぶりに見たティナは、本来の彼女とはまるで別人のように成り果て、最終的にまともな会話を交わすことは適わなかった。

 もともと欲しかった情報である、リドリー・ナフサートの現状を知る手がかりは激しく低い。

いや……死んだ、という言葉を信じるべきだろうか。


 暗澹たる気持ちで港町に戻り、ドーザは水のように味気ない酒を横に一枚の紙片に向かっていた。

 手紙として船に乗せるより、簡単なやりとりであれば鳩や鷹を飛ばすのが一般的だ。そのどちらも数羽飛ばし、精度をあげる。だが、このやりとりには欠点があり、あて先をマーヴェルとしたところで、まずは他の誰かの目を通される。場合によっては商売敵に打ち落とされ、商談関係の情報を奪われることもある。

 機密の保持と言う点ではあまり良い手段ではない。だが、鳥は――特に急使として使う鷹は人間の速度を遥かに上回る。


――リドリー、死んだ。


 のろのろと文字にし、ぐしゃりと握りつぶしていた。

ティナは泣きながら、リドリーは死んだのだと訴えていた。

本来であればその言葉をそのまま信じるべきだろう。

「くそっ」

 だが、ティナはただ見たとだけ言い張るのだ。

リドリーは死んだ。自分で死んだのだ、と。

だが、そんな話を果たして信じていいものか。

 だが、彼女は「何故、どうやってリドリーが死んだのか」ということを示してはくれなかった。ただひたすらに、リドリーは自分で死んだのだと繰り返し、ゆるゆると首を振っていた。

 それは、不自然に。

ドーザは幾度目かの重い溜息を吐き出し「俺は考えるようにゃあ、できちゃいねぇのよ?」とぼやきながら酒へと手を伸ばした。


「ドーザ、船の用意できたようだぞ」

鳥番が窓から外を覗き込み、港の様子を知らせてくれる。

「おー、わりぃな」

「鳥を飛ばすんならさっさとしてくれ」


 その言葉に、ぐしゃりと丸まった紙を睨みつけ、ドーザは肩をすくめた。

――死んだと告げれば、あいつの肩の荷はおりてまっとうな幸せってヤツを探すのかもな。それとも、もっと激しい後悔にあいつ自身が壊れちまうのか?


「悪ィ、鳥はいいや。俺が直接行ってから報告すっからさ」

 丸めた紙には火をつけた。

そうすることでそこに記された文字が――事象が、消えてなくなる訳ではないとしても。


――リドリー、リドリーっ、リドリーの馬鹿っ。

 泣きじゃくるティナは、ドーザの差し出した腕を無遠慮に幾度も叩いた。鍛え抜かれたもりあがる筋肉の前で、そんなものは少しも傷みを伝えない。

だというのに、自分の中のどこかがむしょうに痛んでいた。


「そんなこと、望んじゃないのにっ」


ティナはマーヴェルが好きだった。そんなことは誰でも知っている。

ティナは隠そうとしなかったし、隠しようもなかった。


「おまえが望んだんだろ」

 呆れた口調がぽろりと落ちて、ドーザは苛立ちのままに舌打ちしていた。

「目ぇ逸らしてんじゃねぇぞ? おまえが、この結果を望んだんだ」

 欲しがってはいけなかった筈のものを欲した結果。

それが、間違いなく「今」だった。

「あの馬鹿も悪いし、おまえも悪い。そして――おまえの姉貴だって、悪い」

 逃げたにしろ、死んだにしろ。

あの女も悪い。


――リドリー・ナフサートは死んだ。


「知るか、んなモン」

ドーザは低く吐き出し、前髪をかきあげた。


「すまん、急ぎたいから漕ぎ手増やしてくれ」

事務所の出入り口で声を張り上げれば、船の準備をしていた差配が嫌そうに顔を顰めた。

「高くつきますよ」

「知らねぇよ。マーヴェルのヤツにつけとけ」


***


 起毛の絨毯の上をげしげしと歩きながら、半地下を抜けて更に下――地下石牢と呼ばれる場所は、けれど不思議と底冷えするような寒さは無かった。

 木製の扉を開くと、足元が絨毯から石畳に変わっていた。

階段が続き、うすぼんやりとした暗がりに足を踏み込むことに躊躇したが、あたしは後ろ手に気乗りしていないあほんだら様の手を引っつかみ、ぐいぐいと先へと足を進ませた。

 しかし、その足は二つ目の角を曲がったところで、奥からやってきた人物と危うくぶつかりそうになり危ういところでびたりと泊まった。

 予想外のことに、あたしはぐっと喉の奥で言葉を詰まらせ、そして相手も驚いた様子でその瞳を大きく見開いた。


「まっ――」


 マリー? と声をかけそうになったが、アマリージェは真っ赤な顔をしながら思い切りあたしの口に自分の手を押し付け「静かに!」と言いつけてからあたしの口から手を外し、もう一方の手であたしの手を引いた。

 これから地下におりて行こうとしていたというのに、マリーときたらぐいぐいとあたしを地下から追い出そうとする。

 

 何がしたいのか判らないが、あたしは足に力を込めてぶんぶんっと首を振ってみせた。

「マリー、あたし石牢に用があるんです」

「今は駄目です」

「駄目って」


 駄目って、それこそ駄目ですったら。

あたしが力任せに石牢へとおりて行こうとすると、暗がり――おそらく石牢があると思われる方向から、可愛らしい声が聞こえた。

それはそれは見事な反響音として。


「エディ様、可愛いっ」

「いい加減にしなさいっ。駄目だと言っているだろう!」

「だってぇ、他にすることもありませんものぉ」

「少しは反省しっ、こらっ、やめなさい」

「ルティ忘れてませんわよぉ。公に向かって、妻って!

ルティのこと妻とおっしゃてぇ。もぉ、テレやさんっ」

「ルティアっ、どこ触って……ちょっ、本気でやめさないっ」

「だーれも来ませんたらぁ」


 エルディバルトさんの乙女なピンチを思わせる声に、あたしは血が一気に逆流し、背筋が瞬時にあわ立った。

 面前のアマリージェは怯えた子羊のように半泣きでふるふると身を震わせてあたしを見つめ、その不憫な姿にあたしは彼女の肩を抱きこむようにして走った。


地上の世界へと!


 暗黒の地下牢はもう本当に縁起がよろしくありません。

縁起というか、何というか――何してるんですか、もうルティアの馬鹿っ。ふつふつと煮えたぎるあたしの背後、冷静に地下へと続く扉をぱたりと閉ざしながら、そもそもの元凶である魔術師姿の無法者はふーっと肩で息をついてゆっくりと首を振った。


「なんか、他人のいちゃつき声ってちょっと……微妙だねぇ?

しかもエルって、なんか軽く気持ち悪い――」


 だから、だから、おまえが言うなぁ!

あたしはアマリージェの体をしっかりと抱きしめ、閉ざされた木製の扉を力いっぱい差し示した。


「とりあえず地下牢からは出してあげて」


今たとえ何をしていようとも。


そこっ、イヤそうな顔しない!

あたしだってこんなのに遭遇したくなかったですよっ。





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