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覚悟と謝罪

エルディバルトは肺一杯に息を吸い込み、自らの大剣の柄頭に手を掛けてただ静かにルティアを見つめた。

 主から命じられた言葉は、絶対、だ。

今まで、どんな命令にも従って来た。そう、どんな命令であろうとも。

――そのように忠誠を誓ったのだ。

膝を折り、自らの魂と剣にかけて。 

 死ねと命じられれば、そのようにするつもりもある。

罪無き者達にすら手を掛けることもしよう。父や母、果ては血族に弓引くことすらしよう。


ゆっくりと瞳が伏せられ、もう一度――ルティアを見た。

 質素な衣装に、普段とは違う髪形をして、自分の知らない顔をして、その腕の中に他の男を抱く女。

 口元に、笑みが浮かんだ。


するりと抜き放つ剣がやけに重く感じるが、元より自分は主の剣――心など、不要。

ルティアの瞳には後悔など存在していない。

エルディバルトが自らに剣を向けようと、そこに非難がある訳でもない。ただ青白い顔に、紫色をした唇を僅かに震わせるのみ。


 覚悟を持って、進言したか――


 決意して竜公を諌めようとしたのであれば、否はない。

エルディバルト自身、覚悟を決めた時に、ルティアは口元に笑みを浮かべ、ただ静かにつっと一筋の涙を流した。


っの、愚か者が!


エルディバルトは咄嗟に身を翻し、その場で跪き頭を垂れた。


「申し訳ございませんっ!」


***


 はふーっと白い息が口から漏れる。

アパートの前でいつものように送ってくれたアジス君と別れて、ふっと見上げれば空にはうっすらと星がまたたきはじめていた。

 冬の冷たい空気。

街の外にはちらちらと雪がちらついていて、道の途中には雪がつもっていたりするようだ。あと数日で駅馬車も最終を迎えるということで、街の人たちも【うさぎのパン屋】も慌しい。


――けれど街の中に雪は無い。

「昔は降ったもんだけどねぇ。この辺りは地熱がどうたらって聞いたから、その影響じゃないかね」と、マイラおばさんは言っていたけれど、アマリージェ曰く「尊き人が寒がりだからですわ」だそうだ。

 お空の天気にさえ喧嘩を売りますか、そうですか。

ついでにあたしの部屋の室温もあげていただければありがたいが、そんなことを頼んだら「ぼくの家に来ればいいのにー」といわれるだけだろうと予想はつく。

 冬は燃料費も馬鹿にならない。(きこり)のジェギングさんからは安く薪を譲ってもらえているけれど、石炭のほうがいいのかな。

 でも、冬の間中昼間の暖房まで考えないといけないとなると――やっぱり考えものだ。

あたしは乾いた笑いを浮かべつつ、アパートの入り口から入り螺旋階段の一段目を眺めた。


 あたしの心はずんっと重い。

それは昼間のマイラおばさんの言葉が原因だった。


 マイラおばさんは最近確かにちょっとばかり考えている風だった。

気にはなっていたものの、突っ込んでたずねることはしなかったが――アジス君がとうとう爆発したのだ。

「俺は絶っ対に、イヤだ」

「そんなこと言っても……駅馬車が終わっちまったらそうそう移動なんてできないんだよ」


 突然勃発した口げんかに、さすがに店に出ていたあたしもパンの焼き釜がある店舗奥へと首を向けてしまった。

 幸い店舗に客はいないが、ちょっとアジス君の声が大きすぎる。


「俺は行かないからな。行くならばあちゃんだけで行けよ」

「そんなこと言って、あんた一人で残ってどうするつもりだい? 食事だって洗濯だって一人でできる訳じゃあるまいに」

「できるさっ。幾つだと思ってるんだよ」

「まだ十一歳の子供じゃないかい」

 マイラおばさんがもっともらしく言い切ると、アジス君はカっとした様子でパンの成形用の大理石プレートを思い切り叩いた。

「っ――」

 いや、それ叩いたら痛いよね?

大理石は確かにちょっと柔らかいけど、でも石は石だし、痛いと思いますよ。


「とっ、にかく! 

俺は絶対に帰らない。ばあちゃん一人で行けよなっ」

 アジス君は右手をこっそりと撫でながら言葉をたたきつけると、ふいっと裏手の扉から出て行ってしまった。


 どうにもいたたまれない気持ちで息を潜めていたあたしだったが、奥から溜息をつきつつ店舗へと顔を出したマイラおばさんは、しっかりとあたしを見返した。

「リドリー、あんたにも言っておかないといけないね」

「え、はい?」

「――色々考えたんだけどね、この冬は店を閉めて隣町のターニャのところに行こうと思うんだよ。あの子の妊娠は二度目だけど、もう十年以上も前だしね、冬場だ。今は安静にしてやらないと……色々心配なんだよ」

 その時、咄嗟にあたしの頭の中に飛来したものは「あたしの仕事はどうなるんですか!」という実に利己的な思いだったが、そこはもう勘弁して欲しい。


 頭の中で瞬時に借りているアパートの家賃と、冬の間の増えるだろう光熱費、今までほぼ無しと言っても過言ではない食費について計算した。

――えっと、何とか大丈夫。

 そもそも食費はもともと僅かなものであったし、散財するほうでもない。ただやっぱりこれって昼間も光熱費がかかるし、色々まずいかも。


「勿論、春先には戻るつもりだし、そうなったらパン屋も営業するつもりさ」

「はぁ」

「長いお休みで申し訳ないけど、あさってには店を一旦閉めて、最終の駅馬車で行くよ」


……行くよって、行くよって。

マイラおばさん、物凄く切ないです。


 その後、午後の終わりにはアジス君は店に戻って来てくれたが、マイラおばさんにもう一度「行かないからな」と念を押していた。

 そんなこんなで、アジス君は先ほど軽く愚痴りつつあたしを送ってくれたのだ。


――でも、これはある意味いい機会かもしれない。

あたしはある決意を胸にアパートの螺旋階段をじっと見ていた。

 暖房費に頭を悩ますのであれば、いっそのこと旅費にしてしまおう。更に手痛い出費だけれど、前回の聖都行きではあまりお金は掛からなかったし、往復の旅費くらいはなんとかなる。ずるい手段ではあるけれど、どうにかアレを説得して聖都までは転移扉を使わせてもらって――一度、そう、一度、郷里に戻ろう。

 あたしはある種の覚悟を決めて、うんっとひとつうなずいた。

今まで見たくないと逸らしていたものと、きっちりと向き合おう。

 ティナとマーヴェルに会って、それで笑って言うのだ。

「元気にしてる?」って。それで、あたしは元気だし、今は楽しく暮らしているって言おう。

突然いなくなってゴメンなさいって、ちゃんと。


 あたしは不自然にドキドキする胸元に手をあて、ゆっくりと足を踏み出した。

一階フロアはいつも通り。そして二階フロアも相変わらず。

そう、相変わら、ず?

「おかえり、リトル・リィ」

 普段であれば何が楽しいのか鳩だの飛ばしつつ両手を広げる魔法使いは、扉に寄りかかるようにして小首をかしげ、背に勢いをつけてきちんと立った。

 なんとなく、いつもとはちょっと、違う所作で。


「おかえり、リドリー」

 リトル・リィではなくリドリーと呼ばれると、あたしの中の警戒心がうずく。あたしだって相手があたしを呼ぶのに言い方をかえる時の機微くらい気づいている。この男はあたしにべたべたしたい時や誘惑しようとする時に決まって、リトル・リィではなくてリドリーと名を呼ぶのだ。

 あたしが、ドキリと狼狽するのを承知して。

だというのに、本日の【リドリー】はやや神妙。


「……どうしたの?」

 いや、まさかあたしが考えていることが判っているって訳ではないですよね?

郷里に行くなんていったら、反対されるような気がする。まさかすでにそれを察知しておかしな雰囲気をかもしているとか?


 あたしは後ろめたさからそんなことまで思ってしまった。


「抱きしめていい?」

 やけに静かに笑うその様子に眉を寄せた途端、こちらの応えを待たずに一歩踏み出すようにしてぐいっと引き寄せられた。

持っていたバスケットが音をたてて床板に落ちる。

あああ、あたしの馬鹿ぁ。

はじめっかりきっちり判ってて、挙句警戒までしていたというのに!

そちらに気をとられながら、腰に食い込む思いがけない強い力に、息が止まりそうになった。


「ちょっ、なに? どうしたの?」

 困ったことに、普段の阿呆丸出し状態でないとこちらの勢いが削がれてしまう。普段と同じ対応なら、こちらだって普段と同じように対応できるのに。

 張り手でもグーでもどちらでも!

相手のいつもとは微妙に違う雰囲気に、あたしはどうしていいのか判らずに、おそるおそるその顔を確認しようと身を離そうとしたけれど、しっかりと閉じ込められた腕の中はびくともしない。


「リドリー……」

「何か、あった?」

「――世界はキミだけでできていればいいのにね。ぼくだっていなくていいや。キミだけ、笑っていられる世界なら、それでいいのになぁ」


 なんだこの弱った生き物は!


 あたしは思い切り目を見開き、力任せに体を引き離した。

面前に立つ男の姿は、いつもの阿呆極まりない魔術師の格好。頭にはトップハット。レースをたっぷりと使ったシャツにリボン・タイ。艶やかなビロードの襟飾りに襟首のパイピング。本日は鳩も兎もないけれど、どこからどう見ても滑稽なイカサマ師。

「まだ神官モード?」

「なにそれ?」

「――仕事中?」

「いやだな、ぼくはぼくだよ。いつどんなときも、変わらない」


「病気デスカ?」


 あたしは真剣に心配になった。

――やばい、これで「ちょっと郷里に里帰り」とか言ったら、なんだか物凄く面倒くさい気が致しますよ。


「……病気かも」

「まさかこの寒さでずっと外で待ってたの? バカですか?」

 こんな息すら白くなる廊下で待っていたら、そりゃ具合だって悪くなりますよ。

あたしがあきれ返って見あげれば、しかしそのままの表情で続けた。

「チューしてれたら治ると思う」

「……」

「添い寝してくれたら元気一杯になると思うよっ」


 平常運転ですね。

そのまま無視してバスケットを拾い上げると、ぬけさく様は声を低くし、神妙な様子で言葉を落とした。

「ルティアと喧嘩しちゃった」

「――」

「はじめてだよ」


 深い溜息付きの台詞に、あたしはバスケットを抱えなおしてしげしげと相手を見返した。

「仲直りした?」

「……」


 ふっと苦笑するから、あたしは思い切り眉間に皺を刻み込んだ。

「喧嘩したら、ちゃんと仲直りしないと――あのね、逃げて後々に伸ばすと色々と面倒くさくなるのよ?きちんと向き合って、話し合って、その時に解決しないと、ずぅっと、ずぅっと心の中で淀むんだから」


あたしみたいに。


「ルティアとちゃんと向き合わないと駄目よ」


 偉そうに言える立場では勿論ないけれど。

でも、それが大事だってことはあたしが一番判ってる。

あたしはそっと手を伸ばし、励ますようにとんとっと魔法使いの胸を叩いた。


「これからルティアのところに行こう? あたしも一緒に行くから。

あ、場所わかる?」

 優しい気持ちで告げれば、秀麗な顔立ちの尊き人はつっと視線を逸らして小さくぼそぼそと呟いた。

「え、なに?」


「――地下の、石牢」


またですかっ、このあんぽんたんっ!

 


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