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悪夢と焦燥

*笑いどころは一切なしのシリアスシーンのみでお送りしております。

ドーザは自分の口からうめき声が漏れ落ちるのを耳障りに聞いた。

「くそっ」

口腔に溜まった唾液を、室内だとも考えずに吐き捨てて――両手でがしりとへたり込んだままのティナの肩をつかみあげる。

「何言ってんだよっ。おまえっ、いま、自分が何をほざいているのか判っているのか?」

――リドリー・ナフサートが死んだ。

 挙句、自殺だなどと言われたところで、ドーザは信じる気持ちと信じられない気持ちとがない交ぜになって、口汚くののしり声を吐き出した。


 自分の足で、自分の意思で逃げ出したんじゃねぇのかよ!

それが、なんでこんな言葉を聞かなくちゃならない?

俺が一年間マーヴェルに付き合っていたのは、こんな結末を知る為じゃねぇっ。

人形みてぇな糞くっだらねぇ人生のあの女が、生きているのを見る為だ。笑っていようが泣いていようがかまわねぇ。箱の中に詰め込まれて、ただ嘘寒いおどおどした顔して親の言いなりになっているだけの人生投げ出して、自分の人生を生きてるんじゃねぇのかよ。

 あの時より泣いていたっていいんだよ。厳しい環境で右往左往していたってかまわねぇ。


ただ、自分って城を自分で守ってりゃ御の字じゃねぇのかよ!


それが何だ。

その全てを投げ出しやがって、てめぇでてめぇの人生終わらせるなんざ糞くっだらねぇ道を選びやがったのかよっ!


 怒りは言葉にさえならず、腹の中でぐるぐるとトグロを巻いた。

泣き笑いのイカレタ女の肩を力任せに揺さぶって、

「どうやって、どうやって死んだってんだよ」

 低く恫喝するように問えば、ティナは唇をわななかせて微笑した。


「どうって、自分で死んだの」

「違うっ。俺が聞きたいのは、てめぇでてめぇの命に終止符を打ちやがった馬鹿女は、どうやって死んだんだって聞いてるんだよ」

 身投げか、首吊りかっ。それとも、服毒か。

苛立ちのままに突きつければ、ティナは不思議そうな顔を向けてくる。


「自分で死んだの」

「だからっ」

「リドリーは、死んだの」

「……見たんだろ? おめぇはそれを、見たんだよな? それとも、手紙か何かか? 誰かが知らせたのか?」

 それならば希望がある。

見ていないのであれば、ただの噂であるのであれば。

 少しだけ見えた光明に、ドーザがさらにティナの肩を揺すると、ティナはただ困ったように口にした。


「見たわ」

 チッと舌打ちが漏れた。

「ならっ、どうやって死んだのか判ってるだろ?」

「――リドリーは、あたしの前で、死んだの……リドリーは、あたしが、マーヴェルを盗ったから、あたしの前で――死んだの」

「だったらどうやって死んだんだっつうんだよっ」


「……死んだ、のよ?」

 ティナは何か見えないものを追うように視線をさまよわせ、自分でも不思議そうに呟いた。


***


 自分はいったい何をしているのだろう――

ルティアは自嘲的な笑みを浮かべ、半眼に伏せた眼差しで一人の男と対峙していた。

もともと自分の内にあったものは報復だ。


 自らの面前で守るべきものを奪われたことの報復。

ルティアにとって守るべきものなどそうありはしない。愛する男。愛する養父――そして、兄。

 事実上の血の関わりはありはしない。

年齢でいえば、ほんの僅かとは言えむしろルティアの方が産まれ月は早い。だが、ルティアにとって竜公爵――当代は元婚約者などである前に、兄だ。

 十一の年齢に引き合わされ、自らの婚約者として示された時にそんな風に相手のことを思うなどと思ってはいなかった。愛も何もない。ただの惰性のみの関係である筈であったものが、今は肉親のように愛しい。


――汚らわしいと思っていたことを思えば、随分とその感情は変わってしまった。

 ルティアが守るべき愛しい存在はたった三名。

その三名の為ならばどんな犠牲すら厭わない。

 幼い頃は、ユリクスだけだった。


面前で父と母とを先代竜公に殺されたあの場面で、咄嗟に幼いルティアを抱きしめ、庇い、あの場から連れ出してくれたユリクス。

 毎夜毎夜、恐ろしい夢ばかり見て泣いていたルティアを、膝に抱いて優しく揺すって眠りに導いてくれた養父だけが全てだった。

――その養父も、実際はルティアをただの手駒のように思っていたとしても、それでもユリクスを愛する気持ちは変わらない。

「竜公っ。私に、竜公に嫁げというのですかっ」

 一瞬膨れ上がった怒りと、憎しみ。

そして、絶望。

 面前に蘇った生々しい獣の姿を、ルティアはあえぐような思いで振り切った。

「ルティア、おまえにはそれが一番ふさわしい。自分がどれ程不安定な立場であるかは判っているだろう?」

 そして、そうすることによってユリクスの地位すら安定することも。

十分、理解できた。


「いやだっ、眠りたくないっ。いやだっ」


 唇の端から泡粒を飛ばし、赤くなった瞳で必死にすがりついてくる男を前に、ルティアは慈愛すら込めた眼差しと瞳とで囁いた。

「大丈夫――一緒にいるわ」

「眠ったら、またあんたが殺されるっ。判るんだ、もう俺には判ってるっ。誰かが俺からあんたを奪うっ。誰かが俺からっ」

 強い力で腰に巻きつけられた腕が更に力を加えてくる。骨すら折られるのではないかという強さを受けながら、ルティアは相手の髪を指先で撫でた。


「眠らなければ、あなたが死ぬわ――もう、三晩もまともに寝ていないじゃない」

勢い良くがばりとあがる顔は、焦燥にあふれていた。

気が触れているといっても過言ではないだろう。ぎょろりと見開かれた目も、涎で汚れた口元も、正常なものなど何も無い。

 ルティアが触れていた髪は、もう幾晩洗われる事も無く放置されているのか――べったりと頭に張り付き、その体からはすえたような香りすら滲む。

 酒の瓶は部屋のあちらこちらに転がり、その瓶を壁に投げつけたのか、部屋の隅には割れた硝子片が時折滲むように見える。

 

「あんたにはあの恐ろしさが判らねぇっ。俺がどんなに逃げろといっても、俺の声はとどかねぇ。誰かが俺から大事なものを奪い去り、俺の前で次々に殺していくあの悪夢をっ」


――おとうさまっ、おかあさまっ。


 叫んでも、叫んでも。

最後に愛する人は殺されてしまう。必死に叫ぶ声に「お父様っ、ルティアだけはっ。貴方の孫娘だけはっ」必死に食い下がる母の声に、あの獣は笑いながら瞳を細めた。

「ああ、忘れるところだった……――私には、孫娘がいたのだったか。あれもすぐにおまえ達と同じ場に送ろう。もう二度と離したりしないよ」


 愛しているよ。


ごぎゅりと母の首をへし折りながら、祖父は母の命の全てを喰らい尽くした。次にその手が幼いルティアへとむけられようとした時「公――その娘は私の娘にございますっ。お間違い下さいませんようにっ」咄嗟にルティアを庇い、抱きしめ、食い下がったユリクスは、当時まだ神殿官としても地位の低い若造でしか無かった。

 本来であればそんな言葉に騙されることは無いだろう。

だが、すでにあの時ルティアの祖父は――先代竜公は、正常な判断などできない程に気が触れていた。

孫娘すら理解できなかったのか、それとも、どうでも良かったのか。他人の心すら読むという悪魔は、それ以上の深追いはしなかった。


――心の深い場所で、あの人もきっとおまえを殺したいとは望まなかったのだろう。

 ユリクスが以前ぽつりとそんな言葉を漏らしたが、そんな甘いことを信じてなどいない。ルティアを殺す代わり、あの獣はユリクスから肩に傷跡を残した。

 丁度、人の手の平の形の火傷のような引き攣れ。

「本当に?」

 ユリクスの言葉に問いかけながら、ユリクスを焼いたのだ。

決してあの恐ろしさは忘れない。ユリクスの悲鳴を。皮膚の、肉の焼ける吐き気がするような匂いと、腹の奥で引き攣れるような感覚を。 


「どうしてだっ、どうして俺はこんな夢を見なけりゃいけねぇっ」


 笑うかのように震わせ、高く上がる怒声をむけられながら、ルティアは微笑した。

「体力が無くなっているのよ、そんなふうに叫んでは駄目」

「なぁっ、助けてくれよっ。助けてくれよぉぉぉっ」


――そう、報復しようと思っていた。

自分の矜持を傷つけたこの男へと。


 先代と当代は違う。違う。違う。

違うという言葉にかぶせるように、同じだと叫ぶものがある。


 変わらず、獣だと。

汚らわしい化け物だと告げるものがある。

他人の命をもてあそび、のうのうと国の守護者であると立つ。

 その能力を自らの快楽の為に使い、殺すことを楽しみ、誰にも咎めることのできない場所でぬくぬくと存在しつづける脅威の化け物。

 すがってくる男を抱きしめ、その腕でゆっくりと背を撫で上げ――ルティアはその身に慣れた独特の感覚、突然その場の支配権全てを掌握するかのように緊張を走らせる相手を、視界に入れた。


「お待ちしておりました」

 

ふわりと風が動く。

それは静謐、神々しくも冷たく、そして――恐怖。

突然場の空気がかわったことに、自分よりもずっと細く、たよりない存在である筈のルティアにすがっていた男はぶるぶると身を震わせ、更に強くルティアをかき抱いた。

「なっ、なっ、おめぇっ、オマッ」

 呂律のまわらなくなった舌。

むき出しになった目は、今にも零れ落ちそうな程に見開かれ――ルティアを掴んだ手、爪がルティアを傷つけた。


 元より狭い部屋だ。

街に居られず、山の中の狩猟小屋にもぐりこんで震えていた男は、その狭い部屋に突如として現れた存在に、悲鳴をあげた。

必死で逃げた男が面前に現れれば、誰しもそうなるに違いなく、相手が自らにとって害あるものであれば尚更だろう。

 ルティアといえどもそれは同じ。


――愛する兄である。


 その思いだけで、対峙ていられるだけだ。

 竜公爵などと思えば、こんな場に、こんな風に対峙てなどいられない。

決して、敵になどできない。

敵にしてはいけない相手。


 ふわりと大気から突然姿を現したのは、幸いなのかそれとも――ルティアにとって不幸であったのか、竜公のみにあらず、その護衛騎士も伴っての出現となった。

 ぐっと喉の奥からせりあがる鉛のような感覚に、ルティアは一瞬だけ泣きたい気持ちになった。


 エルディバルトは動揺をみせず、ただ静かに冷たい眼差しで控え、自らの剣頭に左腕を掛けている。

「くるなっ、化け物っ。化け物ぉっ」

 気が触れたように叫ぶ男に、神官服の青年は苦笑を零して何気ない所作で手を払った。

途端、男はその力をだらりと失い、その場に崩れびたりと固まった。


 声と動きを封じたのだろう。

瞳だけが恐怖の為に血走る様子は、ルティアの心をきしりと刺した。

「何をしているの?」

「――公。慈悲深き私の竜公爵」

 自分の口から出ているというのに、これ程うそ臭い言葉も無い。ルティアは粗末なドレスの腰の辺りで手を結び合わせ、軽く礼を取った。


「この者に施した術を御解きください」

「なぜ?」

「――貴方様が、竜公爵であると同時に、誰よりも臣民へ慈愛を向けるべき神官長であらせられるからにございます。恐ろしい獣ではなく、神獣であるからでございます」


 危うい綱渡りであることは承知している。

それでも、言わずにはいられない。

恐ろしい獣であってはならない。先代と同じものであってはならない。そんなことは、許されない。

「リドリー・ナフサートの為に、神の僕であることを手放すのであれば。私はリドリー・ナフサートすら手にかけなければなりません」

「それは、陛下の命令だから?」

「いいえ。私の意思で――貴方様の御手を、黒き血に染める訳にはいきません」

 微笑を称えるその人を前に、ルティアは必死に言葉が震えないようにと願い、微笑んだ。


「エルディバルト」

 

獣は、微笑んで硬く手を払った。


「ルティアを殺しなさい」






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