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人形と水鏡

「リドリー?」

問いかけに、ほわりと笑みを浮かべて、彼女はくすくすと笑った。

ぞくりとするような、寒気のする微笑。

まるで子供のように、無邪気に。


植えられている木の枝ぶりを拝借し、なんとか開いている二階の窓からナフサートの家へと入り込むことに成功したドーザは、屋敷の静けさに顔をしかめた。

 まさか使用人が一人ということもないだろうが、あまりにも生気が無い。

――しかし考えてみれば、今現在この屋敷に滞在している主筋といえば、末の娘のティナのみ。父親は仕事で奔走しているのであろうし、母親は聖都へ行ったまま戻らない。長女は失踪したまま。

 まったくなんという崩壊家庭だろうか。

ドーザは口喧しい自らの母親と、雑多な家とを思い出し、それでも自分の境遇のほうがずっとマシだと結論づけた。

 そしてこそこそと屋敷内をうろつき、三階の一室――目当ての人物を見つけて驚愕した。


「リドリーはぁ、ティナの、おねーちゃんよ?」

「おい」


 外側から鍵をかけられている奇妙な部屋で彼女を見つけることに成功したのだ。

 鍵といったところで、簡単な蝶番だ。

当初は物置かと思ったのだが、中からくすくすと笑い声が聞こえ、おそるおそる鍵をあけて中を見れば、そこに――壁にもたれてクッションを抱きしめる娘が、ぼんやりと笑っていたのだ。

 まるで、壊れた人形のように。


「おまえ……ティナ?」

あまりのことに自分が不法侵入である事実さえ忘れ、ドーザは堂々と相手に問いかけた。そこで悲鳴でもあげられてしまえば、一発で自らの身が危うくなるだろうなどと考えるまでもなく、その光景は異様であった。

 ドーザの知るティナは、豊穣の祭りで女神を演じた愛らしい娘だった。リドリーの髪がさらりと癖の無い髪に対し、ティナの髪は軽くウェーブのかかる明るいブラウン。光の加減で見れば金髪にも赤毛にも見える。

 ふわふわの髪の表面だけを後ろで結い上げ、リボンを当てるような可愛らしい娘であったはずだというのに、ドーザが目にした彼女はやせて――いや、やつれて、その瞳は落ち窪んでいるようにさえ見え、さらに泣きはらした跡が頬に残されている。

 ティナは突然現れたドーザに対し、慌てたり悲鳴をあげたりといった行動には出なかった。

 不思議そうに小首をかしげ、しげしげとしばらく見つめていたかと思えば、ふいに口元に笑みを浮かべた。

「ドーザね――ねぇ、あんた一人?

マーヴェル、最近、来てくれないの」

 言葉を操ると、普通にティナだった。どこか横柄さを持ち、誰からも好かれているという自信を持つ少女。

「リドリーだってきっと寂しがってるのに」

 憤慨するように言うティナに、ドーザは眉を潜めた。

「リドリー?

ここに、リドリーがいるのか?」

 思わず、どこに隠しているのだとでも言うようにドーザは慌てて部屋中を見回してしまった。

 しかし探そうにも、部屋の中はさほど広い訳でもない。

おかれている寝台に、いくつかの家具。テーブルと椅子とが一客づつという、片付けられてはいるものの、どこか空々しい客室のような場で、他に誰かがいるような気配も無い。

「この家に、リドリーがいるっていうのか?」

 まさか!

あまりのことにもう一度確認するように問いかけると、ティナは不思議そうな眼差しを向けてくる。

「リドリー? いるよぉ。ずっと、ずぅっと一緒に、いるよ? ここに」

 ティナはドーザの問いかけに、とんとんっと自分の横を叩いた。まるでまさにそこに人がいるかのように。


 ドーザは、ティナのその仕草に「ティナ?」とおそるおそる話しかけた。


「リドリーはぁ、ティナと一緒に、いるの。ここに、いるよ?」

「おい?」

 ますます眉を潜めるドーザの顔を見て、ティナはどんどん不安そうな表情を浮かべ、まるで小さな生き物でも探すように、ふいにばふりと寝台に掛かるキルトをめくり、枕を持ち上げ、乱暴に叩いた。

「あれ……あれぇ、どこ? リドリー?」

「ティナ?」

「ドーザがいるから隠れたの?  マーヴェルじゃないから、拗ねてるの? ねぇ、どこ――いやよ? 早く、出てきてよぉ」

 だんだんと口調は強く、怒りすら含ませるように激しくなり、ティナは必死になって寝台を叩き、カーテンをめくり、棚を開いた。

「リドリーってばっ」

「ティナっ。おまっ、本当にリドリーがいるのか?」

 何故か鳥肌がたつような気持ちでドーザが言えば、それまで笑っていた笑みがぴたりととまり、その落ち窪んだ瞳からつぅっと涙が落ちた。

「いるってば!  いるのっ。だって、リドリーはいつだってあたしの横にいたんだものっ。だから、今だってちゃんといるのっ。死んで……死んでなんてないんだからっ!」

「なんだよ、これ」

――幼い頃は病弱で、寝たきりだったティナ。

病気から回復したティナは、まるで天使のような容姿に、手に入れた自由に多少我儘な娘になった。

 しかし、今面前にいる娘は、まるで。

 

「いるよねぇ? いなくなったり、しないよねぇ? あたし――」


 ティナは突然悲鳴をあげ、がばりと頭を抱えるようにしてしゃがみこんだ。


「ごめ……ごめんなさい。

あたしが、あたし……あたっ、あたし悪く、ないよぉぉぉ。あたし、あたし悪くないったらっ。リドリーが勝手にっ」

 叫んだ言葉に、階下から「うるさいっ、黙ってくれしっ」という怒鳴り声と同時、だんっと壁を打つ音が響く。

途端、びたりとティナは叫ぶのをやめ、ぺったりと床に座り込んだ。


 つっと流れている涙。

頬に残る涙の跡は、もうずっと消えることの無いもののようにそこに残る。泣きながら、まるで壊れた人形のようにティナは笑った。

 決して綺麗とはいえない、引き連れた微笑。

ドーザは舌打ちし、親指の腹でティナの頬の涙をぬぐいさる。


「あーちきしょうっ、けったくそ悪ィっ。なんだよ、これはっ」

 低く威嚇するような言葉に、ティナは不思議そうに視線をあげた。

「ねぇ、ドーザ。神様だって、自分で死ぬことは駄目だって言うでしょう?

だから――リドリーのほうが、悪いのよ……」


――だって、リドリーは自分で自分を殺したんだもの。


***


「えええっ、だってぼくとエルは違うし」

突如として飛んだあたしの教育的指導に対し、口だけはご立派な聖人君子は傲岸不遜に言い切った。

「違うって、自分が偉いとかそういう話じゃないでしょう」

――他人様に偉そうに説教を垂れる前に、自分の行いを省みなさいよ。

 ルティアが妊娠したら可愛そうとかって、ならば自分のしていることはいったい何だというのでしょうか。なんでルティアの身ばかり心配してるのっ。て、いやいや、言いたいところはそこではなくてですね。


「いやだなー、偉いとかじゃなくて。ぼくとエルは立場が違うもの」

「だからっ」

「だってぼくを押し倒したのは結局リドリーでしょ?」

 あたしはびたりと動きを止めた。

「ぼくなんだかんだって鉄壁の理性でもってリドリーの貞操を守ってきたつもりだけど、あそこまでされたらある意味仕方ないよね。それに、ぼくはリドリーを無理やり引っ張り込んだりしてないよ? お仕事から帰ったらリドリーが待っててくれたんだもの。そりゃ二回目は――って、アレはリドリーの家だったし」

 へらへらと垂れ流される言葉に、あたしが意識を手放してしまいたい気持ちになっていると、うぉっほんっというものすごくわざとらしい咳払いが変態あんぽんたん様の言動を止めた。

 このさいそれがエルディバルトさんといえども神々しい。

何故かものすっごい眼差しであたしのことを睨みつけている気が致しますが、その目が「うちの子を誑かした悪女」という憎しみすら宿っている気がしているような気が思いっきり致しますが、今なら笑って御礼さえ言えそうです。


「公っ。申し訳ありませんがルティアの所在をっ」

「ああ、そうでしたね」

 

その切り替えスイッチは本当にどうなっているのでしょうかね。

もういいから、そのスイッチ動かないように固定しておいて、わりと本気で。

あたしがぎりぎりと殺意さえ覚えつつ奥歯をかみ締めているというのに、神官長モードに移行した男は、さっさと身を翻した。

「ちょっ、どこに行くの?」

「聖水の間。庭の噴水でもいいけど、外寒いからね――水盆があるから、それにルティアの所在を映したほうが話しが早い」

 起毛の絨毯をさくさくと歩く相手をあたしとエルディバルトさんで追いかけていたのだが、あたしは相手の話がいまいち理解できなくて問いかけた。


「水に、ルティアがどこにいるか映るの?」

「場所が確定するわけではないけれど、ルティアの姿は映せると思うよ。ルティアの気配は良く知っているからたどりやすい。誰とも知らない人を探すのは困難なことだけれど、知っている人間であればなんとか捕らえられる。相手が多くの水の近くに居れば尚いい。

 ぼくは水を使う魔法使いだからね。ま、竜峰の水脈が無いとまったく無能だけれど――でも、竜峰の水を含んでさえいれば遠い場所でも水鏡に映し出してみることができる」

 大気中には水分が含まれているからね。

などと説明しながら歩く男の背を見つめ、あたしはぐにぐにと眉を潜めた。

さすが魔法使い。できないことなど無いのではないかという有能っぷりではございますが、あたしはぐいぐいと眉根が更によって行くのを感じてしまう。


「――それって」

「うん?」


「……まさか、その水鏡とやらにあたしを映し出して見た事、なんてないわよね?」

 あたしはおそるおそる問いかけ、はははははっと乾いたような笑いを向けた。

いやいや、いくらなんでもそんなことまでいたしませんわよね? 自意識過剰? 被害妄想?

「――まさかぁ、そんな酷いことぼくがするように見える?」

「そうよね? そんな腐れ外道なことはしないわよね?」


どうしよう――ものすごく「そんな酷いこと」をしそうに見えるんですけど。

あたしの心が濁っているのでしょうか。


 


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