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変態とあたしの攻防。

 襟首にはレース、首筋に細いリボンタイ――黒いシルクハットにステッキ。

彼を一言で表すならば、胡散臭い魔術師。

にっこりと微笑むその唇で、不可思議な呪文を唱えて、帽子の中から兎を引き出し、鳩を飛ばす。

 こんこんっと、反り返った床板をステッキで突付き小首を傾げる。三度目にこんっと床をたたくと、その手からキャンディを一つ、二つ、三つ。

 胡散臭い魔術師は容易く子供達の心をとりこにしてしまう。

そう、子供であれば。


「やぁ、リトル・リィ」

「――リドリーよ、魔術師」

 パン屋の仕事の帰り、売れ残ったパンをバスケットに抱えてアパートに帰宅するあたしに、胡散臭い魔術師はカラフルなパラフィンに包まれたキャンディを一粒取り出し、そのしなやかな指先でくるりとパラフィンをむいて中身をあたしの唇に押し付ける。

――むぐっと、とっさに口をつぐんだ。


「おやおや、リトル・リィ。

キャンディが落ちてしまうよ」

「――」

両手でバスケットを抱えた状態だ。

むぐぐっと口元に更に力をこめる。

それに、この男ときたらいったい何度訂正すれば人の名前を理解するのだろう? あたしはリドリーであって、決してリトル・リィではない。それとも、それは名前ではなくて小さなリィと言いたいのか? だが生憎と、あたしは今年十七になった立派な大人だ。オンナノコは十六で成人なのだから、当然あたしだって立派な大人だ。間違いない。


 それに、身長だって「小さな」なんて言う身長ではないのよ。

小さなリィなんて、むしろ気持ち悪い。

確かに子供の頃は自分のことを、リィねぇなんて言ったものだけどね。

「キャンディは嫌いかな?」

――ヘンタイから食べ物を貰う趣味はないの。

そう言ってやりたいが、生憎と現在無言の攻防中。だが、ふっと魔術師はその手の力を抜いた。途端に唇に掛かっていた圧力が取れて、ほっと息をつく。

 あたしの唇に押し付けた薄桃色のキャンディを、魔術師は親指と中指でつまんでにっこりと微笑むと、自分の口元に運んで尖らせた舌先でいやらしく、舐めた。


「!!!!」

「間接ちゅー」

このヘンタイ!

ぎゃあああっと心の中で悲鳴をあげ、逃げ出したいというのに足がべったりと床に張り付くようにすくんで動けない。

 中指で押し込むようにしてキャンディを口の中に放り込み、最後にはニッと口元を引き結ぶ。

「とても、甘いよ?」

 その時になってやっと足が自由を取り戻し、あたしはバスケットを振りかぶり、力任せに相手の顔に打撃を加えてヘンタイの脇を一目散に駆け出した。

「良い夜を、リトル・リィ」

――振り向かなくともあの馬鹿がひらひらと手を振っているのが想像できる。

そして思い出すように、「ぼくは魔術師じゃなくて、魔法使いだよ」といつもと同じ台詞を叫んでいたが、その言葉に追いつかれるのすら恐れて慌ててアパートの三階にある自室に身を滑り込ませた。

「ううううっ、絶対に引っ越す!早く引っ越す、引っ越すんだってば!」

呪文のように必死に唱えたけれど、生憎とこの言葉は一年くらい毎日のように唱えていることも事実だ。


リドリー・ナフサート。

産まれたのは今暮らしているコンコディアからずっと西にあるセーナムの街。

街を出たのは一年とちょっと前。理由は簡単――逃亡だ。


 あたしはセーナムの街で幸せになれないと悟った。それはもう絶食四日にして悟りを開いた坊主のごとく、悟ったのだ。

 ここにいてはきっと幸せになれない。

だから逃げた。

 大好きな『暗闇の花嫁』(マイジー・アーレトン著作)のように、夜陰に乗じて街を脱出し、列車に馬車を乗り継いでこの街まで流れてきたのだ。


新しい町、新しい家、新しい人達。まるで全てが「しあわせ」のための布石のようだった。そう、あの変態が同じアパートの住民だと気づくまでは。

 やっと肩を上下させて息を整え、呼吸を正常に取り戻す。そうして玄関の扉から離れて一部屋だけの自分の城にほっと息をついた。

 持ってきたバスケットをテーブルに置き、テーブルの脇にある小さな寝台に腰を落とす。売れ残りのパンを食べる気もなれなくて、息をはくようにしてそのまま寝台に背中を預けた。

 魔術師はこの辺りでも有名な「魔術師」だが、それを生業としているのか、それともただの趣味であんな格好でうろついているのか、はっきりいってあたしには判らない。理解しようという気もないし、あの馬鹿が何をしようと無視だ。

 だが、帰宅するといるのだ、螺旋階段に。

おもわずあの変態は二階の住人ではなくて螺旋階段の住人なのではないかと思ってしまう。もしかして家賃が払えなくて部屋に入れないのではないか?

まぁ、部屋から飛び出してくることもあるからそれはないか。

 まったく変態は困る。

しかもあの変態を、この街の人たちは容認しているのだ。腹立たしい。


 もう三度も警備隊の詰め所に苦情を告げたというのに、相手があの魔術師だと知るや、笑って「やー、それ程悪い方じゃないですよ」の一言で片付けられてしまうのだ。

挙句、三度目には溜息なんぞをつきながら「でも、実害が無いと」って、実害が出たら問題でしょう! 今だって害ばっかりなのに、これ以上の害がないと警備隊は手も口も出してくれないのだ! 


いいや、口は出してくれたのかもしれない。

「コーディロイ、ナフサートさんから苦情が出ているのですが。少しばかり善処してくれませんかね?」

と、ころりと転がしたら一目散に転がっていきそうな体型の警備隊員が一応進言してくれた。

 だが、魔術師は――どうやら彼はコーディロイという名前らしいが、記憶に留めておくほどの情報でもないだろう――だが、魔術師はにっこりと人好きのする笑みを浮かべてこんっと持っているステッキで帽子を持ち上げた。

「リトル・リィへの愛情がこぼれてしまうのですよ! ほら、こんな風に」

ぱらぱらと彼の手のひらの中でコンペイトウが溢れた。

「……」

呆然とするあたしの前で、警備隊員は笑いながらそれをつまみ、口の中に放り込み、

「まったくコーディロイは仕方ないなぁ。ちゃんとしまっといてくださいね」

って、何をしまっとれというのか?

――コンペイトウか? コンペイトウをしまっとけばいいのか?


 とりあえずその時にあたしは悟った。

役に立たない!

ここの警備隊員はまったくもって役にたたないのだ。

挙句、馬鹿魔術師があたしへと向けるものを「愛情」と履き違え、「痴話げんかに口は出しません」と以来どれほど苦情を持ち込もうとも、生あったかい眼差しで「やれやれ」という対応しかされなくなってしまった。

「相変わらず仲良しでよいですね」って、いったいいつ、あたしが、この馬鹿と仲良しだったことがあろうか? 皆無だ。絶対、断じて、ない!


――おかしいよ。あたしは、この町に幸せになる為に来たというのに。

 ならば引っ越せば良いだろう。

そう幾度か行動にうつそうとした。

引っ越してしまえばよいのだ。


 パン屋で勤めていて何が良いって、食費が掛からない。売れ残りのパンを幾つかもらって、それを主食にしているから、食べ物には困らない。毎月のお給金だってそれ程高いものではないけれど、確実にそれを貯蓄に回せている。着るものにだって頓着していないし――    

ここの暮らしはあの馬鹿に煩わされることさえなければ、十分幸せの範疇だ。

 だから思い切って引っ越すという行動が取れないのだ。

今日もきっと、溜息一つついて寝台で寝てしまえば――普通の朝がはじまる。


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