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安っぽい香水と、安っぽい香料を混ぜた蝋燭と、酒と煙草と踊り子達の汗が籠った臭いがする。
田舎から出てきたばかりの頃はギョッとしたけど、もう慣れっこだ。
兎人族は耳が良過ぎるから、耳に詰めてる程々に音を制限できる穴空き耳栓の違和感も慣れた。
これも最初の頃は既成品の中から適当にサイズを合わせてたけど、今は一応型取りした自分用の物を付けてるしね。
ワーラビットに限らず獣人種族は服を着る必然性が薄いから、ワーラビットだらけの田舎では冬場以外は大体水着みたいな格好をしていて、ステージで水着を飾り立てたような衣装を用意されると恥ずかしいというより悪ふざけしているような気まずさが有ったのも、もう消えた。
獣人主体でもないこのベルソンの町では普段も水着みたいな格好でウロウロはしない。まぁ布地は少ない方だけど・・
とにかく今日もあたしは3番手の位置で踊る。得意のナンバー、ヨカ隊から逃げた男にナッツミルクを売る娘、だ。
慌ただしく始まって、楽しい中盤、そして哀しく終わる。
まぁよくある踊り子の曲だよ。ウケて、踊り易い曲ってやっぱ似てくるからパターンの組み合わせにタイトルの付け方、あとは店や団ごとの衣装や演出やキャスティングの方針が違うって感じ。
でも好き。古典曲なのにちょっとチープで軽くて、ドライ。私の身体に合う感じ。この踊り子酒場、薄の原亭の衣装や演出も好き。
衣装、青いんだ。明るい所で見るとバカみたいに薄っぺらい感じだけど、薄暗い中、点検通路から店に2個だけあるナイフみたいに照らしてくる魔力灯のスポットライトに照らされると、夜空に跳び跳ねるみたい。
あと動き易くて蒸れ難いヤツなんだよ。意外と少なくてね、そういうちゃんとした衣装。長く使わない限定衣装とかテロテロの素材で、ほぼ拘束具みたいなのが多い。皮膚呼吸できないし、うっかりすると擦り傷だらけっ。最悪!
演出も好き、道化の使い方がいい。薄の原劇場では鼠人族の道化を3人雇ってるけど、皆、いい仕事する。
プライベートではそれぞれ不眠症、アル中、意外と高齢で身体ガタガタ、と酷いもんだけど、5人だけの生バンド隊の演奏が鳴り出し、あたし達が踊り出すと、勢い良く袖から舞台前に飛び出してくる。
嘲笑もブーイングもたまに料理に切れっ端を投げ付けられてもなんのそのっ。弾けて賑やかす。
だけど、中盤になると話の筋を真似て冷やかしいたのに段々冷やかしとヨカ隊から逃げた男本人の芝居の区別が曖昧になっていくる。
ここから少しずつあたし達踊り子の踊りはヨカ隊から逃げた男の表現は道化に任せて、それ以外の登場人物に専念してゆく。
後半、道化はヨカ隊の男その者になる。踊り子もナッツミルクを売った女その者になって、それ以外の要素は生バンドの楽曲に任せる。
演劇的になるんだけど、道化は決して舞台には上がらない。曲と踊りが激しくなると段々舞台前の端に下がって、追っ手に掴まるとそのまま捌けちゃうんだ。ストーリー上はヨカ隊から逃げた男はまだ出てくるんだけどね。
そこから結末に向けていなくなった男とあたし達のステージになる。
物語はナッツミルク売りの娘がヨカ隊から逃げた男の処刑を見届けて、
でも翌日からまたナッツミルク売りを始める所で終わる。大好き!
「リンダちゃん最高っ!」
「いいよいいよーっ」
「まだ辞めないでぇーーっっ!!」
声援と御捻りが飛び交い、シレっと役から抜けた顔で袖から出てきた道化が御捻りをぶつけられながら拾いまくる。
汗だくのあたし達は無言で愛想を振り撒いて、袖へと捌けてゆく。
生バンドの5人は約3時間で交代できる。水分取り過ぎるとトイレが近くなるし取らないと脱水症でブッ倒れる。大変。
袖で控えてる若手中心の一番人気の次のチームの野心と勢いでギラギラしてる感じに、3年後に3割残ってない。と内心毒づきながら楽屋に戻る。
ワーラビットだらけ、ここは完全に臭い、だらしないヤツが多いから適当な格好でウロウロしてるヤツばっか。獣人だしね。
と、仲悪いユカユカとナリリンがカチ合わせてる。楽屋一緒にするからだよ・・
「煙草、休憩室で吸えよっ!」
「あぁっ? ナマ言ってんじゃねーよ。臭マ〇コに人参ぶっ込むぞっ?!」
「んなっ、こんちゃらぉーーっっ!!!」
「じゃコリャおぉおおうっっ??!!!」
取っ組み合いになった。因みに、ユカユカは今年31歳。ナリリンは32歳だからね。ウチらロングレッグ族とかと同じ寿命60年くらいの短命種だかんね。
分別、どこに置き忘れてきたのさ?
「・・リンダさん、ホントに再来月一杯で辞めちゃうんですか?」
スッとあたしの太股に手を置いて後輩のマスッチが聞いてきた。
百合っ子なんだよ。そして気が多い。このチームの3割、この劇場の1割の女子が餌食になってんの! 恐っ。
「腰がそろそろ限界だから。それに・・ユカユカとナリリンには言えないけど、もう今年で28だしね」
マスッチの手をスッと退け、穴空き耳栓を抜きながら、こんな台詞を色んな人に言うの何度目だっけ? と思いつつ言った。
辞める、と決まって、実際辞めるまでの期間の長いこと長いこと。
ず~~~~っっっとカーテンコールしてるみたいなのさ。
一応、前列の踊り子の現役だから劇場の裏口から直接帰るワケにもいかない。
それでもよっぽど売れっ子じゃない限り個別に馬車なんて呼べないから、6人1組で、ハーフドワーフばかりの警備も兼ねた従業員達に軽く牽制されてる出待ちのお客さん達に、上手いこと失礼じゃない感じで目を合わせない振る舞いで店で契約してる馬車に乗り込む。
外から見るとわりとカッコいいけど、中は4人乗りだからぎゅうぎゅうなんだよね。
業務用の光量のある窓と庇で光の方向を絞ったランタン付きの簡単な屋根の下の御者は初老のロングレッグ族。
馬車が出た。中には普通のランタンが1つ吊るしてある。あたしを含めて全員シケた、疲れた、飽き飽きした顔。
1人、何かの肉のジャーキーを齧ってる人がいて、その臭いがずっとしてる。
店から離れるとカーテンを少し開けた。
夜のベルソンの町は今日も綺麗。蝋燭やランタンやランプやマナ灯があちこちを照らしている。故郷のワーラビットの郷は夜、暗かった。
過ぎてく景色。夜、眠らず、家に籠らず、活発な人々。不思議なもんで起きてるのに夢の中の登場人物達みたいだった。
ああ、都会がこうして少しずつ私から離れてゆくんだな。
再来月、あたしは故郷のバナイ郷に帰る。親は健在だけど実家の農業は兄が引き継いでる。妹も嫁いでいた。
兄から家の資産の生前分与を済ます必要がある、と手紙が来ていた。税を払うと大した額でもなかった。
もう帰ってこいとは言ってこない辺りがいかにも兄だった。
1人、2人と馬車を降りてゆき、あたしは4人目で降りた。
「寒っ、痛てて・・」
さっ、と吹いた夜風が毛並みと立てた両耳に当たって寒気がして、また少し腰痛を感じた。
アパートの近くまでなるべく灯りと人通りの多い道を選びつつ、馴染みのハーフノームの夫婦がやってるミルクスタンドで、洗った瓶を何本か渡してから売れ残って安売りしてる適当なパンと惣菜とミルクを1瓶買ってく。
アパートまでもう少し。人気が無いのとマナ灯の間隔が広過ぎる通りだけど、ここを数分歩く為だけにランタンを使うのはちょっと抵抗があった。んだけどさ、
「うっう・・」
最悪。ワーラビットは耳が良過ぎる。入ったこともない暗い脇道の路地の奥から、呻き声がした。明らかに怪我とか病気で弱った女の声だ。
護身用に店からマナを込めると軽く電撃を放つ、仕置きの指輪、を渡されてる。
「うっ、ちくしょ・・こんなとこで、死にたくねぇ・・」
口悪い子だ。あたしはため息をつき、
「勘弁してよ」
ボヤいて、ポーチから仕置きの指輪を取り出して嵌めて路地に入っていったんだ。