ある日前世を思い出した悪役令嬢、の妹
「イザベラ様が目を覚まされたの?」
「はい。お見舞いに行かれますか」
「……そうね。ちょうど時間があるから今から行っていいかしら」
「ではそのように手配いたします」
私の腹違いの姉、イザベラ・ヴァルトシュタインはこの国で最も裕福な侯爵家の長女である。今朝方、お庭を散歩中に転んでしまい、運悪く頭を打って意識を無くしていた。そんな彼女のお見舞いを少し躊躇ってしまったのは、私たちの姉妹仲はよろしくないからである。ただこれには、少々込み入った事情があった。
私、アリス・ヴァルトシュタインは6歳まで一般庶民として育った。かつて使用人だった母に侯爵が手を出して生まれたのが私であり、産後の肥立ちが悪く急死した母に代わって母方の祖父母の元で暮らしていたのだ。とりわけ裕福でも貧しくもない普通の町娘だったのだ。けれど4年前にその祖父母が流行り病で亡くなり、途方に暮れていた私を侯爵が迎えに来てそのままこの家に連れてこられた。ちなみにイザベラ様のお母様もその少し前に亡くなったそうだ。
母親を亡くして間もない頃に突然現れた一歳年下の異母妹。仲良くしろというのはいささか無理があるだろう。おまけに父たる侯爵様は仕事が忙しいとかでなかなか家に寄り付かず、屋敷は恐ろしい程に冷え切っていた。
屋敷に来たばかりのころは細々とした悪口陰口嫌がらせがあったものの、腐っても国一の侯爵家。問題行動のある使用人はチクれば監査が入って解雇させられたし、イザベラも当時7歳な上に箱入りお嬢様なので嫌がらせの程もしれているというもの。元気に反発して1年もすれば上手くやるコツも掴んだ。正直、ただの町娘から侯爵令嬢とか美味しすぎるこの環境をみすみす捨てる気は無かった。祖父母を亡くしたばかりでテンションがおかしかったともいう。
なんやかんやで4年も経てば色んな事情が見えてきて、めちゃくちゃ嫌いだったイザベラ様にも同情を覚えるようになった。彼女はとてもプライドが高くナチュラルに見下してくるが、その生い立ちを考えれば自然なことだし、侯爵様に認められようと血の滲むような努力をしていることを知った。まぁそれでも私たちの関係はそんなに改善していない。私が反発しなくなったことで目立ったやり合いが無くなったぐらいか。
けれど、ちょっとずつでいい。いつか距離を縮められたら、本当の家族になれたら。そう、思っていた――この時までは。
「これまで酷いことしてごめんなさい!!今更許されることだとは思ってないわ。でも、どうしても謝らせて欲しいの。それで、出来ればだけど……これからは仲良くしてくれたら嬉しいな」
誰だコイツ。
思わず素が出てしまった。危ない危ない。ここであんぐり大口を開けなかった私を誰か褒めて欲しい。侯爵令嬢歴4年。日々積み重ねてきた努力の賜物である。
でもね、ホントにコイツ誰と思ってしまったのも仕方ないと思うの。私の知っているイザベラ様はこうやって見下している筈の私に頭を下げることなんて絶対しない人だった。そんな申し訳なさそうな表情、初めて見たのですが。
てかそれにしてもさ、これ、絶対頭に異常あるよね?え、意識が混濁してる?な、なるほど……。
確かに見た目は(当たり前だけど)イザベラ様そのもの。腰まであるストレートの銀髪。母譲りだという切長の冷ややかなアイスブルーの瞳。シミひとつなく、手入れの行き届いた色白の肌。美少女という言葉が似合うくらいに整った顔立ちをしていて、同年代の令嬢たちの憧れの存在イザベラ・ヴァルトシュタインその人である。
そこからさらに聞いた話によると、なんでも酷い悪夢を見たとかで、これからは心を入れ替えると決心したのだとか。たかが夢で?と思ったし、ものすごく違和感を抱いたが、結局言い出せないまま部屋を出た。
そしてその日から、本当にイザベラ様は変わった。
私に嫌味を言ったりすることはなくなり、むしろ気味が悪いくらいに優しくなった。これまで必要最低限の関わりしかなかった使用人たちと親しく談笑する姿を見かけた。厨房に入ってお菓子を作ったり、新しいレシピを考案したりし出した。毎朝お庭を走って運動するようになり、護身術を習い始めた。領地の政策について侯爵様に意見し、それ以来侯爵様は家によく帰るようになりイザベラ様と政治のお話をするようになった。
趣味嗜好も変わった。鮮やかな色合いでフリルをふんだんにあしらった愛らしいドレスから、シンプルで装飾の少ないパステルカラーのドレスを着るようになった。肉より野菜を好むようになり、出される料理の味付けも薄くなった。温室で刺繍する姿は無くなり、ピアノの音も聞こえなくなった。
イザベラ様の急激な変化にこの家の誰もが戸惑い、けれども好意的に受け止め、喜んだ。
私にはそれがなぜだか怖く感じた。突然のことについていけなくて、戸惑うばかり。平静を装うのが精一杯で部屋にこもりがちになってしまった。
一度、イザベラ様の専属侍女のひとりに尋ねたことがある。「イザベラ様は変わってしまったけど、恋しくはないの」と。その時、彼女は理解不能といった風に、そんなわけない、と言っていた。
私だけがおかしいらしい。
「やぁ、アリス」
廊下を歩いていた時、柔らかなテノールが私の名を呼んだ。振り向いた先にいらっしゃったのはイザベラ様の婚約者である、レオンハルト様だった。
「お久しぶりでございます。王太子殿下」
私が出歩かないせいで遭遇するのは久しぶりだが、彼は最近よく家に来ている。前なら半年に一度ぐらいの頻度で、手紙で誘いを断られる度にイザベラ様の機嫌が悪くなって八つ当たりされた日々がちょっと懐かしい。八つ当たり自体は誠に遺憾だけど、その原因になんか可愛いなって思っていたんだよね。ま、遺憾だからやり返してたけど。
「そう固くならないでよ。私は将来、君の義兄になるわけだしね」
「ありがとうございます」
殿下は恐れ多くて話しかけたりとか出来ないけれど、優しそうな感じが私の秘かな癒しだった。初めてお会いした当時は、貴族や王族なんてみんな傲慢野郎だと思っていたのでキラキラ優し気王子様オーラに圧倒されたっけ。レオンハルト様は金髪碧目の白馬が似合いそうな正統派イケメン王子なのでちょびっと憧れていた時期もあった。流石に姉の婚約者なのですぐ終わりましたけどね。
「レオンハルト様」
「ベラ、レオンで良いと言っただろう」
イザベラ様が現れ、殿下がふわりと顔を綻ばせる。が、眼福~。ってか、今の発言何ですか!?おめでとうございますイザベラ様!!これはどう考えても脈アリでしょ。私は庶民育ちなので政略結婚とはいえそこに愛があったらいいのにと夢見てしまう。それに、イザベラ様は殿下のことがめちゃくちゃ好きなのだ。温室で花びらの恋占いをしているところを目撃してキュンキュンしたの時は思わず目をかっぴらいたね。だってあの我儘高飛車お嬢様が恋占いとか……。めちゃくちゃ声かけたかった。恋バナしたかった結局そんな勇気は出なかったんだけどさ。
「お忙しいでしょう。無理して来なくて良いんですよ」
「はぁ。存外ベラは頑固なところがあるみたいだね。ここには好きで来ているし、君との婚約を破棄するつもりも全くない」
「レオンハルト様……」
ん?婚約破棄?
会話の内容が上手く飲み込めず、頭が真っ白になる。だってイザベラ様は殿下のことが好きなはずで――
「イザベラ様、私は失礼いたしますね」
とにかくこの場から立ち去りたくて声をかけると、イザベラ様が私のもとへ向かって来て手を取った。
「もう、殿下の前だからってそんな固い呼び方しないで。私たちは家族なんだから、お姉様って呼んでよ、ね?」
「は、はい、お姉様」
気持ち悪い。きもちわるい。キモチワルイ。
私がずっと欲しかった筈の言葉をかけて貰えているというのに、猛烈な吐き気が襲ってくる。足が震えた。冷や汗が背を伝った。すぐにこの手を振りほどきたかった。
そして、私には優しいお姉様が出来たのだった。
私はヴァルトシュタイン家に来てから殆ど家を出たことが無い。おまけに庶民上がりだということもあって、友達がひとりもいなかった。だから私はモヤモヤしたものをひとりで抱え込むことしか出来なかった。
13歳になってしばらくした頃。跡取り息子が不在であるということで、侯爵様が分家から養子をとった。私と同い年でウィリアムという名の彼は薄紫のサラサラした綺麗な髪で、顔は女の子と見紛うくらい可愛らしい少年だった。
ウィリアムはお姉様にすぐ懐き、四六時中一緒に行動していた。私は彼と仲良くなりたかったけれど、あまりお姉様に近づきたくなかったせいで思うようにはいかなかった。あと、普通に同年代の人と接するのが久しぶり過ぎて(イザベラ様は例外)、どうやって喋ればいいかわからなかったというのもある。
けれどその一年後、お姉様が全寮制の王立学園に入学したことを機に少しずつ話すようになった。お姉様がいないことで再び侯爵様が帰ってこなくなったせいでふたりきりになった食事タイム、沈黙に耐え切れず口を開いたのがきっかけだ。ただ、あまりに緊張しすぎてかなり惨いものだったけど。
「きょ、きょうはいいい天気だね」
「……雨降ってますけど」
「Oh(引きこもってるせいで気がつかなかった)」
まぁ、ウィリアムは良い奴だったので、私とお喋りしてくれたし、彼の途中からこの屋敷に来たということや彼も幼い頃に両親を事故で亡くし祖父母に育てられたという境遇に親近感を覚えたことですぐさま意気投合した。
最初の頃、私に話しかけてこなかったのは、私が人嫌いで無口だと誤解していたかららしい。うーん、引きこもってたせいかな。あと、庶民言葉が出ないようになるべく口を閉ざしていたせいかも。
それから、ウィリアムが家に来る前のお姉様の話が聞きたいと言われて、私は変わってしまう前のイザベラ様について沢山話した。
「アリスから聞くお姉様の昔話って、今の性格からじゃちょっと想像つかないですね」
「だよね。でも前は本当にザ・侯爵令嬢って感じでさ。まぁ、そこが憧れるとこではあったんだけどね。それにすっごく可愛いとこもあったんだよ。殿下が来る1時間前から玄関ホールをうろうろしたりしてね。は~、かわいかったなぁ」
胸中に秘めていたイザベラ様ときめきエピソードを語り倒しているうちにお嬢様言葉はどっかに行ってしまったが、まぁふたりきりの時だけなので許して欲しい。
翌年、私たちも学園に入学した。入学早々迷子になるというドジを踏んだりもしたけど、イケメンの先輩が颯爽と現れて助けてくれて事なきを得た。
お姉様は生徒会副会長をしていて、『白薔薇の君』とかいうあだ名で呼ばれているらしい。高嶺の花っぽいのに蓋を開けると誰にでも分け隔てなく気さくに応じるとかで学園中の人気者だった。
そんな彼女と比べるような視線は煩わしかったけれど、友人も出来て、それなりに楽しい日々を送れていると思う。
「ねぇアリス。お姉様の誕生日、何を贈ればいいと思います?」
「え、何が良いかな……あっ!前にお姉様が贔屓にしていた商人を呼んでどんなのが好みか探ったらどうかな」
私たちは休日に外出届を出し、家に商人を呼んだ。その人はかつてはよく家を出入りしていたが、最近はめっきり呼ばれなくなったから何か粗相をしたのではと思っていたらしい。ちょっと心変わりして倹約家になったみたいとフォローした。それから彼を含めて三人で相談し、私は香水を、ウィリアムは髪留めを贈ることにした。香水はイザベラ様の好きな薔薇の香りだ。
イザベラ様と距離を置いたことや友人を得たことで私の心にもゆとりが生まれていた。そのせいか、かつて言われた『仲良くしたい』という言葉を思い出した。このプレゼントを渡して、イザベラお姉様と呼んで良いかと聞いてもいいだろうか。
そして迎えた誕生日。彼女たっての要望で、パーティーは特に親しい人だけを呼んでの小規模なものになった。婚約者である王太子殿下の他に、学園でのご友人が数人。それから私とウィリアムだ。
「あの、お姉様」
「ん?どうかした?」
「本日はお誕生日おめでとうございます。それで、プレゼントを用意したのですが」
「わぁ、ほんとに!?とってもうれしいな。ねぇ今、中見ても良い?」
「もちろんです」
「ありがとう。ええと……こうすい?」
「はい。お姉様の大好きな薔薇の香りで」
言葉は最後まで続かなかった。見間違えかもしれないけれど、その表情が一瞬歪んだように見えたから。何か失敗しただろうか。居た堪れなくなった私は、パーティーの喧騒から逃れるようにバルコニーへと出た。今日の為に髪を高く結い上げたせいで、うなじが冷たい夜風に晒される。今は夏なんだけどなぁ。どうしてこんなに寒いんだろう。
「ここにいたんですね」
「ウィリアム」
「あの髪留めとっても喜んでもらえました。アリスの助言のおかげです。ありがとう」
「……ほんと?」
「ええ」
「そっかぁ。よかった」
「ねぇそこの貴女」
「はい」
「まさかとは思うけど、お姉様の香水使ってない?」
すれ違った時にふわりと鼻を掠めたのは、私が悩みに悩んで選び抜いた香り。あれはめちゃくちゃ高くて、いくら侯爵家の給金がよくてもそうそう手に届く品ではない。まさか泥棒だろうか、なんて嫌な考えが脳裏を過る。
そうして問い詰めて、知ったのは残酷な事実だった。お姉様はその香水を使わないからと、その侍女に下賜したらしい。姉は香水が嫌いで、自分で作った良い香りの石鹸を使用するから不要とのことらしい。
あの時見た表情は見間違えなんかじゃなかったのだ。頭を強く殴られた気がした。私は、わたしは一体なにをしていたんだろう。お姉様が喜んでくれると信じて。馬鹿みたいに――
「アリスの知るイザベラ様と今のイザベラ様は別人かもしれない」
それは、何度も考えたことがある。けれど私以外誰もそんな風に思っていなかったから。だから、私の方がおかしいんじゃないかって思って。それで。
「かつてのイザベラ様の購入履歴を調べました。アリスの言っていたことと齟齬は無い。ひとつ、考えられるのはイザベラ様が実は双子だったりして、片方が亡くなったことでもう片方が成り代わった、とか」
「そっか。そういう可能性もあるのか」
「次の長期休暇、一緒に調べましょう」
「いいの?」
「もちろん」
「……ありがとう」
ウィリアムはイザベラ様を知らない。だから私の頭がおかしくなったとか、全部妄想だとか、そんな風にバッサリ断じる方が容易な筈だ。それでも私の話に真剣に耳を傾けてくれる。信じてくれる。それが嬉しくてたまらなかった。
待ちに待ったサマーバケーション。姉は殿下に招待されて、ご友人たちと別荘に滞在することになったらしい。ウィリアムも誘われたそうだけど、私との約束を優先して断ってくれた。
それから私たちは、イザベラ様の出生時や、変化のあった5年前に重点を絞って調査を進めた。そして目ぼしいものが全く上がらない中で、信じがたいものを見つけた。5年前、お姉様がドレスや宝石、アクセサリーといった私物を一気に売却したという記録だ。その中にはイザベラ様のお母様の形見である品まで含まれていた。
私は母も祖父母も亡くしていて、その形見をすごく大切にしている。失ってしまった家族を、もう二度と会えない家族を、想起させるそれがどれだけ大きなものか。そして私は、イザベラ様がその形見を大切にしていることを知っていた。
やはり姉は、いや、あの女はイザベラ様じゃない。
「許せない」
それからウィリアムと協力して、イザベラ様の物を少しずつ買い戻した。自己満足だってわかってる。イザベラ様だって、嫌って見下していた私に情を傾けられているこの状況を知ったら怒り狂うだろう。それでもせずにはいられなかった。彼女が確かにいたのだと叫びたかったから。
「アリスから話があるなんて珍しいね。どうしたの」
休暇が明けてすぐの日の放課後。私は人気の少ない裏庭にあの女を呼び出した。ウィリアムからは2人きりになるなと言い含められていたけど、どうしてもあの女がイザベラ様の顔で愛想を振りまいているのが許せなくなったのだ。
「これに見覚えはありますか」
見せたのは、イザベラ様の瞳の色と同じアイスブルーの宝石がはめ込まれたペンダント。イザベラ様のお母様の形見の品である。
「うーん、少なくとも私の物では無いと思うけど」
「これはイザベラ様がかつて大切になさっていた、亡くなったお母様の形見です。もっと煌びやかなアクセサリーを好むのに、殿下と会う時や大切なパーティーに参加される時は必ずこれを着けていらっしゃいました。それをあなたは何の感慨も無く売った」
「えっ」
「あなたはイザベラ様じゃない。あなたは誰なの」
「ち、違うの。これにはちゃんと理由があって……」
私とウィリアムの必死の調査の甲斐なく、何もそれらしい証拠は見つからなかった。けれど狼狽え始めたこの女の反応に、確信を強める。そして彼女は、何度か躊躇うような仕草を見せた後、観念したように話し始めた。
曰く、5年前に頭を打ったその日前世を思い出した、と。曰く、その前世の記憶によればこの世界は物語の世界である、と。曰く、その世界では私が主人公の恋愛模様が繰り広げられ、イザベラ様は当て馬ポジションである、と。曰く、このままでは私を虐めたことを断罪されて酷い未来が待っているから、そうならないように頑張ろう、と。
正気を疑った。この女は何を言っているんだ。頭がおかしいとしか考えられない。何が物語だ。何が主人公だ。何が当て馬だ。もしそれが正しいのなら、私を悲劇のヒロインにするために祖父母は殺されたのか。イザベラ様はあの冷たい家で暮らしてこられたのか。殿下も、アンタのご友人たちも、そしてウィリアムも、みんな登場人物だと言いたいのか。
気持ち悪い。ああ、おぞましい。こんな人間を5年間も姉と呼んで来たのかと思うと狂いそうだ。
「あなたがイザベラ様を殺したのですね」
「な、何言って……」
だってそうじゃないか。ただ記憶を思い出したにしては性格が変わりすぎている。アンタがイザベラ様という人格を殺したのだろう。
「イザベラ様は馬鹿みたいに愛想を振りまいたりしない。ヴァルトシュタイン家の令嬢としての誇りを持っていて、努力に裏付けられた自信に満ちていて、高飛車で、我儘で、殿下のことが大好きで、私のことが大っ嫌いで、」
喉が震えた。頭が沸騰しそうだった。イザベラ様がもう、この世にいないということが悲しくて悔しくて苛立って仕方がない。
「だっ、だからちがうの、わたしはほんとに、ちゃんとイザベ「私だけは貴女を絶対に許さない!!!私だけは最期までイザベラを忘れない!!!」
イザベラ様は自分のこと、『私』って言うんだよ。
「これは何の騒ぎだ」
殿下と、この女の取り巻きだった。宰相子息、騎士団長子息、生徒会長、大商人の息子。彼女の話を聞いた上で見てみると、ほんとに陳腐な恋愛小説に出てきそうな人たちだ。どいつもこいつも金と権力を兼ね備えたイケメンたち。
「違うんです!私が全て悪いの。昔、この子に酷いことをしたから。それで、」
「でもそれってさ〜、昔のことなんでしょ〜。今更掘り返すことでも無くな〜い?」
「あんた確かベラの異母妹だっけ?生まれが卑しいと性根も腐るのかな」
「半分血が繋がってるっていう割に全然似てないな」
「アリス、君には失望したよ。良い義妹になると思っていたんだけどね」
レオンハルト様、私の初恋。理想の王子様。あの恋心も予定調和だったのかな。
散々好き勝手喚き散らし、彼らはどこかへ行った。私がその場にしゃがみ込んだまま立ち上がる気力が湧かずにいると、暫くしてウィリアムが現れた。
「……なにがあったんですか、アリス」
膝をついて、目線を合わせてくれる。この人は本当に優しい。
「わたしも、うぃりあむも、でんかも、みんなみんなお話の中のにんげんなんだって」
「……」
「いざべらさま、しんじゃったの」
「今までよく頑張りましたね」
涙が、震えが、止まらなかった。抱きしめられて、私は声を上げて泣いた。
その後の学園生活は少し苦しくなった。私は異母姉であり自分より美しくて優秀なイザベラ様を妬んで虐めたのだという悪評が出回り、こちらがいじめを受けるようになった。持ち物を隠される、悪口を言われる、足を引っかけられる……。あの女が時折出しゃばって下手に私を庇うせいで、『こんなにお優しいイザベラ様を苦しめるなんて』とさらに私の立場が悪くなる。とはいえ、友人たちの殆どはデマに流されずに庇って親交を続けてくれたし、何よりウィリアムが傍にいてくれた。
卒業後、私とウィリアム、いやウィルは結婚した。侯爵様には別荘に居を移してもらい、あの女には早々に王宮に上がってもらった。イザベラ様の部屋は私の記憶を頼りにかつての姿を再現した。そして、イザベラ様の絵を描いた。
腰まで伸びた、真っ直ぐなシルバーの髪。神秘的なホワイトブルー瞳。気が強そうで、不敵な笑みをたたえている。周りには彼女が好きだった真っ赤な薔薇を添えた。貴女は確かに、ここに生きていたのだ。
あの女が今日、王太子妃になるという。結婚式に参列しながら、そこはイザベラ様の居場所だったのに奥歯を嚙み締める。本当は殺そうと思っていた。この手で、復讐してやろう、と。けれども思いとどまったのは、万が一にもイザベラ様が帰ってくるかもしれないと思ったから。その身体だけは確かにイザベラ様のものなのだから。
「あーら、この家全然変わっていないじゃない。それにしてもあの子が今じゃ侯爵夫人だなんて、ねぇ」