先生に出会ってから最後の日まで
学園のどこかで咲く、渡すと必ず恋が叶う花。
それは三年に一度だけ、その花を本当に必要としている人の前に咲く。
この学園には、ずっと昔から伝わる、そんな花の言い伝えがある。
キラキラ太陽に照らされた、若々しい緑が木々を覆う季節。
やっと学校生活に慣れてきた頃だというのに、オレはもう何度目かわからない遅刻に、いつものように担任に呼び出される。
担任が受け持つ教科の資料室。
先生と二人きりで、遅刻のペナルティである資料整理をする。
それはオレにとって、先生と二人きりでいられる唯一の、大切な大切な時間。
「まったく…これで遅刻何回目だ?」
「えーっと、ここで資料整理を手伝った回数…ですかね」
「ふふっ、そりゃそうだな」
オレの返答に、花が咲くように綺麗に笑う先生。その顔が、たまらなく好きだ。
トントントンと、リズム良くファイルが並べられていく。
「先生。この前うわさで聞いたんですけど。先生は、ここの卒業生だったんですね」
「別に隠してた訳じゃ…」
この時間を少しでも長引かせたくて、オレは話題を探す。
「その栞…先生はいつも手帳に挟んでますよね」
「あぁ、この押し花の栞のことか?」
「はい。その花、なんていう花なんですか?」
「名前はわからないけど…三年に一度だけ咲く、必ず恋が叶う花らしい」
先生の顔が綻ぶ。
手元を見つめる先生の目に映るのは、どんな季節の空も似合いそうな、小さな花。
「綺麗…ですね」
「そうだな」
オレは、一日でも早く…先生が誰かに渡してしまう前に…その花を見つけることを決めた。
すべてを凍らせてしまいそうな、灰色の雲が空を塞ぐ季節。
卒業式を明日に控えたオレは、自由登校にも関わらず、学校へ来た。
花を探すことができるのも、明日まで。資料室に来られるのも、明日まで。
花を探さなければと思いながら、足は勝手に資料室へ向かう。
「失礼しまーす」
「おっ、誰かと思ったら遅刻常習犯か」
窓際の、机の向こうで、先生が笑いながら振り向く。
「資料整理屋さんが来ましたよー」
「今日は遅刻もしてないのに時間外労働か?」
先生と二人きりになりたくて、わざと遅刻を繰り返した。花さえあれば、理由を作らなくてもいいのに…
「明日が最後だなーって思って。聖地巡礼?」
「ふふっ、なんだそれは」
「んー、じゃあ、お礼参りとか」
冗談で隠した理由でしか、先生に近づけない。花さえあれば、会いたいって言えるのに…
「ふふっ、お礼参りか。何してくれるんだ?」
「資料整理とか?」
「はははっ、もうプロだもんなぁ。んー、残念だけど今日は間に合ってるんだ」
「だったら肩もみでもしましょうか?」
本棚の前じゃないと、横に並ぶことすらできない。花さえあれば、ずっと隣にいられるのに…
「ふふふっ、じゃあ、お願いしようかな」
笑いながら、先生はコトリと手帳を置く。
開いた手帳の上には、花の栞。
今日も、栞は先生の手元にある。
オレは安心する…けれどすぐに、花が見つからない焦りが上塗りしていく。
先生が誰にも花を渡さなかった三年間。
それはオレが花を探した年月、そして先生を見つめてきた年月。
花が全てを解決してくれる…そう信じていた。
「お、資料整理はプロ級だが、肩もみもなかなか上手いな」
冗談で固めた理由を作らなければ、先生に触れることもできない。花さえあれば、手だって握れるのに…
「お誉めにあずかり光栄です〜次回もご予約お待ちしております〜」
冗談で笑いながらも、オレは手帳の上の栞を、恨めしく見る。
花さえあれば…
「明日は、卒業式か…」
「資料整理も肩もみも、せっかく先生に認めてもらえるようになったのに。もう廃業ですね」
「弟子はいないのか?」
「残念ながら」
「そうか」
花さえあれば…
オレは、この先もずっと先生といられるのに…
花の栞が、手帳の上から落ちた。ひらひら、ひらひらと、何かを伝えるように。
それは、オレの足にコツンと当たる。
「先生、大切な栞が落ちましたよ」
手を伸ばしたオレの目に映るのは、栞の裏…花の無い面。
そこには日に焼けて薄くなった文字がある。
数年前の日付と、Dear…の横には……………
オレの、好きな人の、名前。
「せっ、せ、せん、せ…」
オレは、もしかして…?
栞を見つめる先生の、綺麗な笑顔の、その、やわらかな眼差しの先にいるのは…
「せっ…せん、先生っ、そういえばその恋が叶う花………………誰にも渡さなかったんですね」
「ん?あぁ、違う違う。これは…」
三年に一度だけ咲く、恋が叶う花。どんなにどんなに探しても、オレは見つけられる訳ない。
だって、その相手にはもう、花が、ある…
「明日はもう遅刻するんじゃないぞ」
「………はーい」
後ろから聞こえるいつもの小言に、震える声を抑えながら、いつもの返事をする。
「遅刻したって、明日はもう資料整理は無いんだからなー」
「………は…い…」
バタンと、背後で扉が閉まった。
その音はまるで、オレと先生を区切るようで…終わりの合図のようで……
オレは全力で走り出した。
花を探し続けた年月。先生を見つめ続けた年月。
それは、ありもしない花を探し、届くことのない想いを巡らせた年月だった。
初めて先生に会った入学式から今日までが、身体の一番深いところからあふれてくる。
先生に会いたい、もっと先生の笑顔をみたい、これから先も先生とずっと一緒にいたい…そのために花を探した三年間。
あふれたものは涙となり、幾筋も幾筋も、幾筋も幾筋も頬を伝っていく。
それを拭うことなく、オレは走り続けた。