願わくば。
もう見慣れた1LDKの暗い部屋の中の奥で、
あなたの体温を全部に感じながら、時計はもう深夜の2時を過ぎていた。
もう何度目かも分からない彼からのキスは、
今日は少し、煙草の苦い味がしていた。
「苦いね。」
そう呟けば、
「ごめん。飲み会で隣の人が吸ってて、もらい煙草しちゃった。」
「そっか。煙草、吸うのね。知らなかった。」
らしくないと思ったもらい煙草に、
わたしはまだあなたの何かを知らないんだと、
そう思った。
「ごめん、苦手だった?」
「いや、」
否定するように、首を少し右に振って、
次に何をどう伝えようか少し悩んだあと、
「結構好きかも。」
結局嘘はつけずに、
今度は自分から強請るようにあなたの唇を引き寄せた。
「嵌ってるじゃん。」
嗤われながら私は静かに、
無意味に苦い刺激が自分のどこかに刺さってしまっていることを認めざるを得なかった。
朦朧とする火照った全身と心地いい振動の中で、数時間前に話任せに流し込んだウィスキーが軽く頭痛を起こしている。
「...つけていい?」
あなたがそれは小さく、低く、喉の奥の深いところから出したような少し掠れた声で、
私の右耳のそばで、その唇が触れるか触れないか
その感覚さえにも敏感になる中で、
「なにを?」と聞くのも馬鹿馬鹿しいような
熱すぎる吐息と一緒に聞いてきた丁寧な許可に
「好きにしたら?」
そうやって、何でもないような振りをして答えながら
「他に見せる人も、見られて困る人もいないって?」
あなたのその軽口に、内心どこかで
痛いくらいにひどくこみ上げてくる感情があって、
「でも、見えないとこにして。」
セミダブルのベッドの枕元の光が、
あなたの高い鼻筋と骨と筋肉の隆起した身体の陰影だけを私の目に写してきて、
いっそもう感情や思考を停止させた私に、
なにか返事をするわけでもなく、
ただその代わりに
あたかもずっと決めていたかのように、
私の右側の首筋を熱い舌がなぞったあと、
そのままゆっくりと下降していく。
鎖骨のあたりでそれは、
ぎゅっとした短くて長いような、ほんのりとした数回の小さな痛みのあと、
あなたは満足気に顔を上げて、私と目が合う。
「なにその顔、かわいいな。」
停止させたはずの感情はなんだったのか、
わたしには分からないまま。
あなたのその軽い笑い混じりの言葉と、
ほんのりと熱を持った右の鎖骨のあたりに
ただただ、
ただ、
この印を付ける意味を聞けない自分に
苦しくなって
苦しくなって。
「適当なこと言わないでよ」
「適当?そんな風に聞こえた?」
嫌いだ。
「俺は、思ったことを伝えただけだけど。」
そう思えたら、どんなに楽かと。
「うるさいな。」
こんな、ほんの小さな抵抗さえも、
「なんで?」
耳元のほとんど吐息だけのその声に
私はまたいいようにほだされてしまう。
そう伝えれば、
「そんなつもりないよ」と甘くて軽いそのキスに
私はずっとずっと深く落ちていって、
この右の鎖骨のあたりが、元の姿を取り戻したときに
私はまた必ず寂しくなって、
それはあなたもいつだっておんなじで、
互いに堪らなくなって、
「おいで。」
またそうやって、
一度頼ったらもう逃れられない声に、
私は何度でも甘えてしまうんだろう。
寂しいのかな。
なんだかそれすらももう、分からなくなった。
それはそれくらいに、
あなたで満たされてしまう自分がいるせいなんだろう。
互いの寂しさだけで繋がっているあなたと私は、
それ以上でも以下でもなく、
この関係で結局満足できてしまう自分が、
鏡に写る、日に日に褪せていく右の鎖骨の赤黒い跡が、
そこにあなたのものであると証明されているような感覚が、
何よりも、どんなものよりもずっと苦しくて、
何よりも、どんなものよりもずっと互いを充足させてしまう。
無責任にも頼ってしまって、
不本意にも幸せで、
けれど、なぜか、
ずっとずっと変わらずに寂しいままだ。
あなたを、嫌いになれたらいいのに。
願わくば、
あなたを、好きになれたらいいのに。