とある動物園にて
岩佐康は無人駅に降り立った。白いコートに黒い鞄を片手に持っている。
30歳で平凡な顔つきであった。どこかくたびれた雰囲気がある。秋風に吹かれてどこかふらふらしていそうだった。
今回彼が田舎の町に降り立ったのには理由がある。それはSNSでアップされていた人物が目当てであった。
その人は田舎の山奥にある無名の動物園でミニコンサートを開催しているのだ。SNSのクラウドファンディングで集めた金で珍しい動物を購入し、施設内を改良したため、そのお披露目のためである。
丸場津動物園といい、さびれた看板にろくに整備されていない森の中にあった。
それなりに広い駐車場には自動車やマイクロバスなどが止まっている。男が多く大半が眼鏡をかけていた。手には高級そうなカメラやビデオカメラを持っている。
コンサートの主役は演歌歌手だ。康と同じ30歳の秋本美咲である。
金髪を肩までそろえており、整った顔立ちであった。父親が白人系アメリカ人で、母親は日本人だ。とびきりの美少女であったが、あまりに美少女過ぎて周囲から浮いていたのだ。男には狙われ、女には妬まれていた。
なぜそれを知っているのかといえば、康と美咲は幼馴染であった。小中高と同じ学校で同じクラスを過ごしていた。美咲は孤立しており、康はぼっちであった。月とスッポンほどに差があるが、不思議にウマがあった。その関係は今でも続いている。
さて入場料を払うと広場に来た。簡易的に作られたステージに、簡易的に作られた席には大勢の客でにぎわっていた。全員美咲のファンである。昔と違ってSNSの力は安易に人を多く集められた。
「皆さん! 本日集まっていただきありがとうございます!!」
美咲がステージに上がった。彼女は30歳でも若々しさを保っている。彼女は独身でいつも筋力トレーニングや食事制限をしていたからだ。それに色恋沙汰には縁がなく、今まで浮ついた話が一切なかった。
美咲はブラウン色のカジュアルな服を着ていた。紺色のレディースパンツをはいており、黒のブーツを履いていた。演歌歌手といっても着物を着ているわけではないのだ。
美咲が立つと観客は盛り上がっていた。往年のファンだけでなく、興味本位で覗きに来た一見の客も多い。ステージの横にはCDやグッズを売るスペースがあった。売り子は彼女の個人事務所の事務員だ。
「美咲ちゃん、かわいいー!!」
「スケベな老害社長なんかに負けるな―!!」
「テレビに出れなくても、ネットがあるから平気だぜ!!」
観客が叫んでいる。実は美咲は一年前所属していた芸能事務所を辞めたのだ。というか一方的に首にされたのである。事務所の社長が彼女に体の関係を望んだので、それをつっぱねたのだ。
おかげで彼女は芸能界を干されたのである。それまでそこそこ売れていた彼女だが、テレビやラジオ、雑誌の仕事は一切キャンセルされてしまったのだ。権力に逆らう者は徹底的に排除する空気は現代でも色濃く残っており、決して消えることはないだろう。
しかし今は時代が違う。SNSの力は偉大だ。動画配信などは芸能事務所の力など及ばない。動画配信で稼いでいる芸能人の方が多くなる一方だ。もちろん視聴者を飽きさせない工夫が必要になるが。
美咲の動画チャンネルはそれなりに多かった。権力に逆らう彼女に同情する者も多いが、彼女の歌唱力に惹かれる人間も多い。
康は遠くで彼女の歌に聞きほれていた。女の哀愁を歌で表現しており、陳腐な歌詞だが涙腺が緩みそうになる。やはり彼女の歌声は素晴らしい。そう思うと頬から涙が伝った。
☆
「おーい康~」
コンサートが終わり、観客たちは動物園の動物を見学し始めた。クラウドファンディングで購入した動物を一目見るためだ。それに施設内の写真を撮り、SNSにアップする作業もしている。
康は美咲を見て満足したので帰ろうとしたが、美咲に捕まってしまったのだ。
「康ひさしぶりじゃん。元気してた?」
「……俺が元気そうに見えるかよ」
「見えないね。それになんでこんな田舎のさびれた動物園に来てるのさ。おっかし~♪」
そのさびれた動物園にコンサートを開いたお前はどうなんだと、康は心の中でつっこみをいれる。
彼女は割と口が悪い。ファンはそれを承知している。それでも康は周りを見回すが、ちょうど周囲には人がいなかった。
「お前な。今のは問題発言だぞ、SNSにアップされたらどうするんだ?」
「いないとわかっているから言ってんだよ。大体仕事一筋のあんたがここに来るってことは、事務所辞めたんでしょ?」
「……」
康は沈黙を守っている。つまり肯定したも同然だ。
「大方、社長に抗議して首にされたんでしょ? まったくあたしなんか放置すればよかったのに」
「別にお前のためじゃないよ……」
「あはっ、やっぱりあたしのためなんだ!! まったくあんたの一途さには頭が下がるわ!!」
美咲はけらけら笑っている。高校時代は友達がおらず、康以外つるむことがなかった。この歳まで独身でいることは縁がなかったのだろう。康自身も同じであった。
ここまで明るく笑っているのは初めて見た気がした。
「……だって社長の奴、暴力団を使ってお前を潰してやると毎日喚いているんだ。止めるのは当然だろ?」
「つーか社長ってもう80歳だよね~。孫ほどのあたしに手を出すなんてお盛んすぎでしょうが。周囲の連中は止める気がないのかしらね?」
「今の時代を作った立役者のつもりなんだよ。息子の方は父親が死んだらお前らを戻してやると約束してくれたんだ」
息子は50歳のまともな人間だ。今の時代に暴力団を使うなど狂人になりかけた父親よりも凡人だが、美咲のやり方も大事だと思っている。
「まあ、今のスタッフはあたしに同情してついてきてくれたんだよね。でなきゃあたしはホームレスになっていたわ」
「……お前みたいな美人がホームレスになってみろ。一斉に男たちが群がってくるぞ」
「あはっ! あたしのこと心配してくれてるんだ!! ありがとさん!!」
そう言って美咲は康に後ろから抱きついた。こういう子供っぽさは30になっても変わらない。
「つーか、なんでお前は演歌歌手を目指したんだ? お前ならもっと派手な仕事が出来ただろう?」
「そんなのつまんないじゃん。人のまねをしないから面白いんだよ。当時の社長も賛成してくれたしね。今じゃ色情餓鬼に憑りつかれたのか、所属タレントを片っ端から食い散らかそうとしてるもの」
「事務所も今は苦しいんだ。昔みたいにテレビや映画だけじゃ食っていけないんだよ。動画配信にも力を入れるべきなのに、社長は異常なまでに反対していたからな」
康はため息をついた。社長は悪人ではないのだが、変化を忌み嫌っていた。歳をとりすぎたのか、思考が固くなっている。新しいものはすべて敵だと思いこんでいるのだ。
美咲はテレビに出れなくても動画で活躍していることが気に喰わないらしい。そもそもサイトは外国の物だから日本人がいくら脅迫をしても馬耳東風である。それで余計社長は怒りっぽくなっているのだ。血管が切れて死ぬのも遠くないと思われる。
「あのさ、ちょっとこっちに来ない?」
そう言って美咲は康を人の来ない物陰に連れ込んだ。暗い森の中にある木造の物置で、長い間誰も使っていない様子であった。
「こんなところに連れ込んできて、何をするつもりだよ? スタッフが心配しているだろ?」
「ああ、スタッフにはメッセージを送っているから平気だよ。今はお休みの時間だしね」
そう言って美咲は康に抱きついた。そして唇を合わせる。あまりにも唐突な行為に康は目を丸くした。
しばらく唇を合わせる時間を過ごすと、ぽんと唇を離した。よだれがたれる。
「おっ、お前いきなり何を!!」
「ファーストキス」
康は右袖で口を拭うと、美咲の言葉に耳を疑った。
「それ、冗談、だろ?」
「冗談じゃ、ないよ」
再び美咲が抱き着いた。康の心臓音が高まっている。頭がくらくらしてきた。
「本当はさ、あんたに振り向いてほしかったんだ」
美咲が頬を染めながら声を絞り出した。こんな弱気な美咲は初めてだと康は思った。
「あんたってさ。あたしがアプローチをしても無視しているじゃん。だから芸能界に入って振り向かせようとしたら、あんたうちの事務所のマネージャーになったじゃん。東大出たのにキャリアの道を蹴ってさ」
「そっ、そりゃあ、幼馴染のお前が心配だからさ……」
「嘘つき。あんた実家で大喧嘩したんでしょ? それで親から勘当されたって聞いたし」
それは本当の事であった。康は勉強の虫で東大に入学し、卒業したがよりにもよって芸能事務所へ就職したのだ。父親は激怒し、康をぼこぼこに殴った後、息子を家から追い出したのである。
「お前だって似たようなもんだろ? 親父さんは病死したし、おふくろさんも逃げたじゃないか」
「あいつらなんかどうでもいいの。それよりあたしはあんたが無茶しすぎて怖いんだよ。十数年も一緒にいたのに手を出さなかったじゃん」
「タレントは商品だ。社員が商品に手を付けるわけにはいかないだろ?」
康が言い訳をすると美咲は怒った。そしてそばにある毛布の上に押し倒す。たまったほこりが舞い上がり、けほけほと咳をした。
美咲は馬乗りになる。
「今日は逃がさないよ。ここで逃がしたらあんたは一生あたしに手を出さないもんね。ここに来たのはあたしのマネージャーになるためでしょ? 事務の子があんたを誘ったって言ってたしね」
それも本当である。事務所を辞めたことを知った美咲のスタッフが、康を誘ったのである。経理が得意なスタッフがいるが、仕事を探すのなら経験者が一番だと思ったのだろう。
「えへへ……。良い香り。こんないい女が近くにいたのに、欲情しないなんて、変態じゃないの?」
「へっ、変態なんかじゃ……」
そう言って美咲は康ののしかかると、強引に唇を奪った。まるで女豹である。康は無力な草食動物であった。
「演歌の道は遠く険しいものだよ。今の動画でも演歌よりあたしの美しさしか賛辞しないコメントが多いんだ。あんたが支えてくれれば、怖いものなしだよ」
美咲は服を脱いだ。ぺろりと唇を舐める。まるで肉食獣のような目で見つめる。
「ちなみにあたしは初めてだから。あんたのマイクで歌わせてもらうからね」
☆
数時間後、二人は物置の外を出た。康の顔は魂が抜けたように惚けていた。逆に美咲はつやつやしている。
「おまえ、初めてが俺でいいのか?」
康がジト目で訴えると、美咲はからっとした声で答えた。
「いいのよ。それに事務所じゃ初物はあたしだけなのよね。他は相手がいるし、子供までいるんだからね。他の人は早く相手を見つけろと言われてるのさ」
康は目をそらした。男女の交わりは女の方が度胸がいい。女々しい態度に美咲はイライラしていた。
「そうだ。今日は危険日なんだよね。もしかしたら一発で命中しているかも。責任取ってよね」
「なっ!!」
顔面蒼白になる康だが美咲は爆笑していた。
「冗談だよ!! けどあたしの初めてをもらったんだから、責任は取ってもらうからね」
美咲の顔は朗らかであった。康は頭を抱えたが心のどこかで大丈夫と思える気がした。
後日、社長は脳溢血で死亡したが、美咲たちは事務所に戻るつもりはなかった。
代わりにテレビドラマには出られるようになったという。そのドラマは大ヒットした。
コミック快楽天のホムンクルス先生を意識しました。
ホムンクルス先生は純愛ものが得意で、私もファンです。
快楽天のコンセプトは恋人を作りたくなるというのがあります。
この小説を読んで恋人を作りたくなることを期待しております。