第七話
人は「自分が悪だ」と認識した時には、中々動けるものじゃない。だけど「自分が正しい」と思い込んだ時には、何処までも暴走できるものである。いじめの加害者を前にして、「コイツは攻撃しても良いんだ」となったが最後、今度は学校中の生徒が僕の敵になっていった。
「最低」
「ゲス野郎」
「死ねクズ」
「誰かアイツ殺せよ。懸賞金かけようぜ」
学校の裏サイトには、僕の名前と顔写真が貼られ、『人間以下の外道、コイツを殺してくれたら100万円差し上げます』なんて言葉が踊る。真に受ける人間などいないと信じたかったけど、僕はしばらく暗殺者の影に怯え、後ろをチラチラ振り返りながら行動する羽目になった。
もちろんその原因を作ったのは僕だ。自業自得、自縄自縛、因果応報、What goes around comes around……だが待ってほしい。元はと言えば、向こうが僕をいじめていたんじゃないのか?
卵が先か鶏が先か、そんなことを言っても仕方ないのかもしれないけれど。不登校になった生徒は(僕に石を投げたヤツだ)「A太と同じ学校に通いたくない、アイツがいなくなったら学校に来てもいい」と言っているらしい。それで、クラスメイトたちは僕を「退学に追い込もうキャンペーン」を始めた。
駅のホームで電車を待っていると、突然後ろから突き飛ばされる。危うく線路内に落ちそうになり、慌てて振り返ると、クラスメイトたちがニヤニヤしながらこちらを見下ろしているのである。学校のトイレで用を足していると、突然ズボンとパンツを剥ぎ取られ、そのまま窓から投げ捨てられたこともあった。僕は裸にされ、裸の写真や性器の動画を取られ、次々にネット上にアップされた。
あたかも僕自身が作ったようなサイトが立ち上げられ、住所や生年月日など詳細なプロフィールと共に、卑猥な写真が貼られた。一生消えない傷、なんて生易しいものじゃない。僕の心はぐちゃぐちゃにすり潰され、二度と元の形に戻ることはなかった。「デジタルタトゥー」なんて言葉が、まだ本格的に問題視される前の話だ。
キャンペーンの効果はてきめんだった。僕の家の周りを薄気味悪い連中が彷徨き回ったり、家に大量のアダルトグッズが贈られてきたりした。こうなると、親も不審に思わないはずもない。
僕の両親は共働きで、残業や休日出勤も多く、家にいないことの方が多かった。
見咎められた大量のアダルトグッズを、僕は「間違えて注文しちゃった」などと言ってなんとか誤魔化した。ここでもまだ、親にだけはバレたくないと、妙な心理が働いたのだった。
当たり前だ。
自分の恥ずかしい写真が載ったサイトなど親に見つかった日には、何回自殺しても足りないと思った。両親は不審がっていたものの、思春期の我が子の性に対する話題だったので、この事件は有耶無耶になった。
そうこうしているうちに「炎上」は瞬く間に学校中に広まった。
人は自分が優位に立てるものに対して、何処までも残酷に、攻撃的になれるのだと悟った。彼らにとって僕はいじめの加害者であり、極悪人だった。彼らは『正義の味方』で、僕は『叩いてもいい悪役』だった。彼らは自分たちが「正しいことをしている」と信じて疑わなかった。
それから僕は、学校に行くフリをして、公園をブラブラしたり、街の図書館に逃げ込むようになった。それでもまだ、道を歩いていると車が横付けしてきて、知らないオッサンに血相を変えて怒鳴られたり、店に入れないように自動ドアの電源を落とされたりした。キャンペーンは日に日にエスカレートして行った。ちょっとでも大きな物音がすると、ビクビク怯えてしまうくらいには、僕の精神はすっかり参っていた。
この世界の何処にも居場所がなくなってしまった。
それから僕は、死ぬことを真剣に考えるようになった。僕だって死ぬのは怖い。だけど、このまま生き続ける方がよっぽど恐ろしかった。少なくとも、死ねばこの苦しみから解放されるのだ。もしかしたら異世界に転生して、チート能力をもらえるかもしれない。そう思った僕は、トラックの前に飛び出す……勇気はなかったので、ホームセンターで手頃な縄を買ってきた。
涙はもう出なかった。その頃には、悔しさや怒りよりも、恐怖が僕の心を支配していた。もはや自分の部屋で1人いても、気が休まる事はない。天国じゃなくていい。地獄でも、現実よりはよっぽどマシだと思えた。此処じゃない何処かに行けるなら何処でも良かった。
これで最後のつもりで、自室の扉を開けた。部屋に戻ると、机の上に小包が置いてあるのに気が付いた。
小さな、黒い小包だった。
初めはまだアダルトグッズが届いたのかと思った。だが、よくよく見ると、いつか僕が注文したスマートフォンだった。もう注文したことすらすっかり忘れていた。
開けて見ると、メーカーも分からない、黒い長方形の、小型の機械が入っていた。あれだけ欲しがっていたのに、いざこうして手に入れて見ると、何の感慨も湧かなかった。ぼんやりと機体を眺めていると、突然、スマートフォンが光り、ブルブルと震え出した。
「うわっ!?」
僕は思わずスマホを投げ出した。電源も入れてないのに、こっちが何も触ってないのに勝手に動くなんて聞いてない。床の上に転がったスマホを呆然と眺めていると、
『もしも〜し』
聞いたこともない男の声が、画面の向こうから聞こえてきた。僕は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
『もしも〜し? A太くん? 聞こえてますかぁ?』
「……!」
相手は僕の名前を知っていた。ネット上では、僕の名前も顔も晒されていたから、それは不思議なことではない。スピーカーから、ザラついた音声が漏れ聞こえて来た。機械で加工された、甲高い少年のような声だった。
『聞こえてんの? A太くぅ〜ん』
「だ……だれ!?」
僕は声を上ずらせた。
『あ。まだ生きてた』
「誰なの!?」
電話の主は答えず、くっく、と笑った。一体コイツは誰なのか。どうして僕に電話をかけてきたのか。何の用なのか。目的は……
『落ち着けよ。僕はお前の敵じゃねえ』
ゆっくりと、彼はなだめすかすようにそう言った。僕はへたり込んだまま、生唾を飲み込んだ。敵じゃない? そんなはずはない。この世界に、僕の敵じゃない人間などいるはずもない。
『だが勘違いするな。味方って訳でもねえ』
「ど、どどどういう意味……?」
『分からねえのか?』
笑い声はさらに大きくなった。
『知らねえのかよ? 今ネットの裏社会じゃなあ、《いじめられっ子が死ぬかどうか?》に大金が賭けられてんだよ! 大人たちが大真面目に、子供の命でギャンブルしてんのさ!』
「ひ……!?」
『だが、やっぱいつも同じオチじゃつまらねえ……配当も低いしな。だから僕はお前に賭けた』
お前が生き残る方に。
『いいか!? お前は今戦場にいると思え!』
「センジョウ……?」
『みんながお前の命狙ってんだよ! お前がいつ死ぬかいつ死ぬかって、待ち侘びてんのさ。遊び半分、冗談半分でな』
「ジョウダン……?」
『いじめってのはそんなもんさ。気をつけろよ、敵はいつ何処から襲ってくるか分かんねえぞ』
「襲……?」
『そうだ。これはサバイバルなんだよ。みすみす殺されんじゃねえぞ。これから生き残るための学校生活だ』
「サバイバル……生き残る……?」
『僕は金を賭ける。お前は……』
命を賭けろ。
電話の相手は捲し立てるだけ捲し立て、ブツッと通話を切った。
息をするのも忘れ、通話終了の文字を見つめたまま、しばらく僕はその場で凍りついていた。
こうして僕と、『少年X』との関係が始まった。勘の良い読者ならもうお分かりだろう。そう、これは僕の遺書じゃない。さっさと転生してあっちの世界でよろしくやる与太話でも無い。
絶望のさらにその下まで追い込まれた僕が、このどうしようもない現実で、命がけで生き残る物語だ。