第十九話
夜の校舎はシン……と静まり返っていた。片隅に活けられた花を横目で見ながら、大家は誰もいない廊下を1人歩いていた。
「さて……」
校舎全体は広大であったが、生憎ほとんどの教室の鍵は閉まっていて、隠れる場所はそう多くない。とはいえ(やはり、というべきか)窓が一つだけ閉め忘れてあったり、故障中で開けっ放しになった扉もあったりして、何処にも逃げ場がない……という訳ではなさそうだった。
外には大勢の見張りがいるから、こっそり逃げ出そうものならたちまち見つかってしまうだろう。やはり少年はまだこの中にいるのだ。
(自分が逃げる立場だったら……)
大家は少年Aに想いを馳せた。
自分が逃げる立場だったら……何処か鍵の開いている教室に飛び込んで、内側から施錠してしまう。追跡者は先に開いている教室を探すだろうから、それなりに時間を稼げるという寸法だ。
いやむしろその程度はやってもらいたい。これでもし、パニックになってトイレの個室などにいる……何の策もなく袋小路でただただ縮こまっていました……ようなら、がっかりしてその場で射殺してしまいそうだった。
「頼むから……簡単に終わらないでくれよ」
大家は唇を三日月型に歪ませながら廊下をひたひたと歩いた。
幸い(不幸にも、というべきか)トイレや階段の踊り場などに少年Aの姿は見つけられなかった。大家は途中職員室に寄った。鍵を得るためだ。職員室では、担任の何とか(名前を忘れた)が奇怪なオブジェみたいな体勢で血の海に突っ伏していた。
一連の事件の犯人は担任の教師、これで行こう。
マスターキーを弄りながら、大家は頭の中である程度ストーリーを作り上げた。そう……受け持っていたクラスでいじめが発覚し、このままでは出世に響くと恐れた犯人が生徒たちを『教育』。『教育熱心』過ぎて一部の生徒は死んでしまったが、自分に発見され、抵抗されたのでやむなく射殺した……こんなところか。
多少無理のある物語でも、事件が解決するとなれば上も喜んで飛びつくだろう。何よりこっちは証言や証拠を捏造できる立場にあるのだ。口なしの死人よりも、正義感溢れる若き警察官の話を、世間も信じてくれるに違いない。
誰もが自分の容姿と身分に騙される。皆が自分を信じてくれる。
闇の中、大家はひとりほくそ笑んだ。それから生業を活かし、一階から三階までくまなく調べたが、少年は出てこない。ここで初めて彼はおや、と思った。顔を上げると、闇の中に巨大な影が佇んでいる。
「体育館……」
校舎に隣接するように建てられた巨大な建造物が目に入った。二階の渡り廊下から地続きで繋がっており、外に出ずとも入れないこともない。重たい鉄の扉を開き、大家は静まり返った体育館に足を踏み入れた。
見上げるほどの広い空間は、一歩踏み出すごとにキュッ、キュッと足音が大きく響き渡った。誰もいない観客席。無人のバスケットゴール。板張りの上に貼られた様々なカラーテープは、一体どんなスポーツの枠組みだろうか。そのどれもからはみ出して、大家は舞台裏や更衣室を探索する。
しばらく歩き回っていると、建物の奥に、緑色の観音開きの扉……倉庫があるのが目に入った。広い体育館といえども隠れる場所は限られている。近づき手をかけると、倉庫は施錠されていた。マスターキーを使って開錠する。扉を開くと、月明かりが飛び込んで行って、バレーボールの山の麓で頭を抱える少年を照らし出した。
「あ……ぁ……!」
「見ぃつけた」
大家は満面の笑みを浮かべた。少年はブルブルと全身を震えさせ、その顔色は蝋人形のように不健康な白に変色していた。
「中々スリリングな逃避行だったけど……爪が甘いね。まず最初にマスターキーを奪っておくべきだった」
「あ……あぁあ……!?」
「さぁ、こっちにおいで。君はこっち側の人間だ。みんなで一緒に、復讐を成し遂げようよ」
「あぁあ……あぁ」
「みんな一緒だよ。安心しろ、同志は沢山いる。みんな君の味方だよ……君は奴らを恨んじゃいないのか?」
微笑を浮かべ、一歩、また一歩と倉庫の中に足を踏み入れる。
ポケットの中には、当然銃を隠し持っていた。
「ハラスメントやコンプライアンスには事細かく五月蝿いくせにさぁぁああ。これが『いじめ』になると、暴力も恐喝も窃盗も自殺教唆も全部一緒くたに曖昧な言葉で濁されるんだぜ? なあ? 世の中間違ってると思わないか? 奴らを同じ目に遭わせたり、殺したいと思ったことは? 自分の感情の赴くまま、衝動に身を任せれば良いのさ。だからそのテーザー銃を仕舞い給え」
「あああぁああぁ……」
少年は今にも泣き出しそうな顔で、銃口をこちらに向けていた。大家は哀しそうな顔をした。
「撃ってくるんなら、残念だけどこちらも反撃しなくてはならない……おいおい、震えてるじゃないか。それできちんと狙いが定まるのかい?」
見ているだけで哀れだった。奥歯をカタカタと鳴らし、まるでカクテルをシェイクするみたいに手を震わせている。大家はまた一歩少年に近づき、ポケットに手を入れた。彼の影がすうっと倉庫の中に伸びていく。少年はたちまち闇に飲み込まれた。
「……こっち側に来れば、僕がちゃんとその銃の使い方も教えてあげよう。銃だけじゃない。刃物で生きたまま肉を切り裂く悦びも。人間の壊し方も。君にはその資格と才能が……」
撃った。発砲音はそれほどなく、カシャン、という玩具にも似た音が倉庫内に響き渡った。
「…………」
大家は目を見開いた。 ……どうともない。弾は外れ、明後日の方向に飛んで行った。テーザー銃から伸びた、電撃を伝える透明な線が、中空で虚しく揺れている。
「……だから言ったのに」
「……ぁああ!!」
「君がそういう態度なら、仕方ない……」
ため息をつき、大家が銃を取り出す。その時だった。倉庫内で、何やら小さく音がしたかと思うと、
「……何だ!?」
突然彼の上に、重たいものが次々と降り注いできた。
一輪車だった。
一輪車の重さは大体約3kg~5kgある。その中学校には30個から40個くらいの一輪車があったから、全部で90kg~200kgになる計算だ。さらにはその一輪車を掛けておくための棒。それらが雪崩のように自分の上にのし掛かってきたのだから、これはたまったものじゃなかった。
「ぐ……!」
大家は必死に這い出ようとしたが、足に棒が挟まって身動きが取れない。その間に少年が恐る恐る近づいてきて、床に落ちていた銃を拾い上げた。
「くそ……バカな! こんなことが!」
「あぁあ……あ」
大家は悪態をついた。罠だったのだ。まんまと少年の策に嵌ってしまった。
「どうして……!?」
一輪車の下敷きになりながら、大家は顔を引きつらせ、悲痛な呻き声を上げた。
「どうして僕を信じてくれないんだ? 信じてくれ、僕は敵じゃない!」
「ひ……っ!?」
「僕ら同じ目に遭った、同志じゃないか友達じゃないか。僕は君の味方だよ……」
大家が辛うじて首を動かすと、月明かりに照らされた少年の顔が見えた。少年は、ポロポロと涙を流しながら声を絞り出した。
「……っごめんなさい。僕、友達いないんで」




