第十二話
「何処行ってたんだ」
大家が扉を開けると、すでにPTA総会は始まっていた。壁際に立っていた高杉が遅れて来た後輩をジロリと睨み上げる。
「すみません、ちょっと電話を」
「何処に電話していた?」
「プライベートな電話で……すみません」
「私用なら後にしろ。仕事中だぞ」
胸ポケットに黒いスマートフォンを仕舞いながら、大家は苦笑いを浮かべた。高杉が舌打ちした。まさか彼も、大勢の保護者がいる前で拳骨を飛ばす訳にも行かない。
「まさかお前……そこまで計算してやってる訳じゃねえよな?」
「何がですか?」
「フン……まぁいい」
会議が紛糾しているので、高杉も小声で注意するに留めた。
校舎と校舎の間、普段は多目的ホールとして使われている一角に、私立中学の保護者たちが勢揃いしていた。窓際には机とパイプ椅子が並べられており、校長や教頭、担任など学校関係者がずらりと座っている。
「……ですので、生徒たちの精神面の負担を考え、一週間ほど休校にする事に致しました。その間の授業に関しましては、オンラインで開催致しますので、え〜、決して強制ではなく、任意でのご参加を……」
「一週間?」
保護者の1人、強面の中年男性が低い唸り声を上げた。
「短すぎる。事件が解決するまでだろう?」
「そうよ! それで同じような不幸が繰り返されたらどうするの!?」
「学校側の警備体制はどうなってるんだ? 敷地内は安全なんだろうな?」
「それは、そのぉ〜……」
急に原稿になかったことを聞かれ、しどろもどろになる校長に大家は同情した。一時期4万件を超えていた学校犯罪も、監視カメラの導入や危機管理マニュアルの作成などもあり、近年は年間1万件前後と減少している。しかし、開かれた施設である以上、侵入が容易いのは否めない。
・学校は防犯意識が低く、門や窓など何処かしら開けっ放しになっている
・ノートパソコンやタブレット、楽器にスポーツ用具など、高額な品が多い
・隠れる場所が多く、万が一教師に見つかっても、忙しいのか、業者を装っておけば簡単に見逃してくれる
……などと供述する犯人も少なくない。警備員を置いている学校もあるが、それでも全体の1割に満たない。
「それで万が一、我が子に被害が及んだら何にもならんでしょうが!」
怒号が響き渡り、そうだそうだ、という騒めきがホールを埋め尽くした。
「掲示板の件はどうなったんですか?」
今度は神経質そうな、痩せた眼鏡の男が鋭い声を上げた。
「被害者のS君は、一時期掲示板の誹謗中傷を苦に不登校になっていた……とワイドショーでやっていましたが」
これに苦い顔をしたのは高杉だった。捜査情報は遮断していたつもりだったが、メディアは目敏く掲示板の書き込みを発見して、それをさも既成事実かのように大々的に報道してしまった。今ではこうして一般人が知っているレベルにまで浸透している。こうした先入観や思い込みは、返って捜査の邪魔になるのだが……。
「担任の平井です」
固まっている校長からマイクをもぎ取り、屈強な体つきの男が立ち上がった。
「掲示板の件に関しましては、以前話しました通り、当該生徒に厳重注意し、その後彼も十分反省しまして、書き込みには至っていません。今回の事件との関わりについては、警察にお任せしております」
平井と名乗る男はちらりと大家たちの方を見た。その一言で、昂ぶっていた怒気が一挙に大家と高杉に向けられることとなった。恐怖、悲哀、敵意。様々な感情を乗せた視線が、矢のように飛んできて2人に突き刺さる。刃物を持った犯人と対峙した時とはまた違う緊張感を大家は感じた。
「一体警察の捜査はどうなっとるのかね!?」
誰かが口火を切り、それが合図となった。
「もう事件発生から5日も経ってる! ニュースじゃ、警察はまだ何にも掴んでないようにやってるがね!」
「早く犯人を捕まえてくれよ!」
「このままじゃ不安で、夜も眠れませんわ!」
「一体いつになったら解決するんだ!? 真面目にやってるのか!?」
「もちろん真面目にやってますよ」
雪崩のように押し寄せる怒号に、高杉が一歩も怯まずに唸った。
「だからこうして此処まで足を運んどる訳です。もしかしたらこの中に犯人がいるかも知れませんからな」
「な……!?」
その一言で、強面の中年男性も、神経質眼鏡も、ヒステリック女史も一瞬息を飲んだ。まさか、自分たちが疑われているとは思いもしなかったのだろう。高杉は威圧感のある大きな瞳で、じっと保護者を見渡した。鷹に睨まれた獲物はきっとこんな顔をしているに違いない、と、大家は横で苦笑を堪えた。
「まさか……そんな」
「保護者がそんなことするはずないでしょう!?」
「は……犯人は、そのいじめっ子じゃないんですか?」
誰かが沈黙を破り、再び声を震わせた。
「TVで言っていましたよ。著名な専門家が言ってました。元警察官とか……元警察官ですよ」
「私も! 有名なコメンテーターが断言してました。ネットでも皆言ってます。その、書き込みをしていたA君が怪しいって」
「有名人の意見をいちいち真に受けるのは一向に構いませんが」
大体TVやラジオには台本がある。高杉が肩をすくめた。
「しかし、『アイツが怪しいからアイツが犯人』というのは、現代じゃ成立しませんな。DNA鑑定に指紋照合……最近の犯人は魔女裁判で決まる訳ではないので」
「捜査は何処まで進んでるんですか?」
今度は脂ぎった太っちょが下手くそな作り笑いをしながら立ち上がった。
「ねぇ、教えてくださいよ。我々はある意味被害者で、これから皆で協力して、劣悪な殺人鬼から家族を守っていかなくちゃいけない。ねえ、我々が出来ることなら何でも協力しますから」
「ならばご協力していただきましょう」
高杉が待ってましたとばかりに顎を引いた。
「あなた方のお子さん……被害に遭われた生徒と特に親しかった数名に、任意で事情聴取をお願いしたい」
「な……!?」
再び、蜂の巣を突いたような騒ぎがホールに谺した。やっぱりそのAって奴が犯人だったんだ。子供が子供を殺すなんて、そんな。うちの子に限って。いや、分からんぞ、最近は物騒だからな。〇〇さんの言う通りだったね。俺の息子を疑うのか! あぁ、どうしましょう。こんなことになるなんて……。
「私は」
様々な意見が噴出したが、気がつくと1人の真面目そうな若い女性が立っていた。少し緊張気味で、しかし毅然とした表情で訥々と口を開く。
「私は子供たちを信じています。彼らには未来があり、夢や希望に満ち溢れている。今回の事件で、むしろ私たちは彼らを守ってあげなくてはいけないと思います。きっと不安がってます。きっと怖がってます。元々悪い子なんていないんです。根はとても良い子たちばっかりで……」
「奥さん。私ァ」
高杉がボリボリとこめかみを掻いた。
「元々どういう人間だ、なんて私にゃどうでも良い話です。性善説や性悪説にも興味がない。どれだけ評判が良い善人だろうが、どれだけ成功を重ねた功労者だろうが、あっという間に犯罪者になった人間を大勢見てきました。元々の性格や年齢、性別なんてどうでも良い。犯人が悪いことをしたから私たちが出てきた、それだけの話です」
「…………」
女性は今にも泣き出しそうな顔で座り込んでしまった。
「あの、事情聴取と言っても、警察署に呼び出すとかそういう感じではありませんので」
会場を醒めた空気が支配しつつあった。ブスッとした表情を崩さない高杉に代わって、大家が慌てて横から助け舟を出した。
「こちらの空き教室を借りれたらなと思っています。それに、保護者同伴でも全然構いませんので。2〜3点、確認したい事項がありまして」
「2〜3点?」
「ええ。すぐ終わります。それから……」
不安げな顔をする保護者に向けて、大家は精一杯爽やかな笑顔を振りまいた。高杉が鼻息を荒くし、大家にだけ聞こえるようにボソリと呟いた。
「それから指紋も採取させてもらわないとな」
さてこれは困った事になった、と大家は内心頭を抱えた。