第十一話
「しかし、人が死なないと動かないなんて、警察稼業は薄情なもんですね」
大家楠生は冗談交じりにそう呟いた。案の定、助手席から高杉近衛の拳骨が飛んでくる。
「馬鹿野郎。動かないんじゃなくて、動けないんだ。1日に何件犯罪が起きてると思ってる」
「えぇと、統計によりますと殺人や放火など凶悪犯罪が1日約11件、暴行や傷害・脅迫などが130件、詐欺や横領が100件に、窃盗が毎日1000件超。それから……」
「認知件数だけでな。表沙汰になった犯罪だけで、それだけの数だ。いくら毎年犯罪件数が減ってるって言ってもヨォ、この国じゃ毎日400人近くの変死体が、碌に調べられもせず火葬場行きだ。安全神話なんて所詮神話だよ。現実じゃ犯罪天国だ」
「だけど、白昼堂々銃を乱射する奴なんていないでしょ? 海外より全然マシでしょ。平和だと思うなあ、日本」
「フン。どうだか……だったら何で、中坊の首がちょん切られてんだよ、え?」
パトカーを走らせ、2人が向かっているのはS市の郊外にある廃寺だった。
地元に住む中学生が殺された。死体は首を切断され、山奥の廃寺に放置されていた。近年稀に見る凶悪犯罪という事で、S県警の捜査一課も色めき立っていた。
「マスコミには格好の餌食にされるでしょうね」
「少なくとも向こう10年はネタにされるだろうな」
助手席で、高杉があからさまに舌打ちした。
「あのこと、公表するんですか?」
「カメラか?」
カメラ、というのは現場で押収された小型の監視カメラのことである。まるで殺人現場を撮影するように、天井裏などに隠されていた2台のカメラ。証拠品には指紋も残されており、隆線数などから、どうも未成年者のものではないかと推測されていた。もっとも、現場は被害者含む複数の児童が出入りしていたので、その時についた指紋かもしれないが……。
「そっちじゃなくて。脅迫文のことです」
「あぁ……」
事件の報道後、S県警に犯行を匂わせるメールや手紙が複数届いた。中には次の犯行予告と思われるものや、自分が犯人なので自首したい、というものもあったが、そのほとんどはガセネタだった。
「ったく、どんだけ暇人が多いんだよ」
「それだけ注目されてる事件ってことですよね」
「万が一犯人が同じ中学生、なんて事になったら大騒ぎだろうな」
かつて、凶悪犯罪が起きた時に「まさか未成年者がこんな非道いことしないだろう」という先入観で、警察の初動捜査が出遅れた苦い経験がある。二度と同じ轍を踏むつもりはなかった。しかし、未成年者への聞き込みや捜査は慎重を期さなければ、それこそ生徒への悪影響がどうのこうのと、各方面から袋叩きにされかねない。
「叩けりゃ何でも良いんだから、彼奴らは」
高杉の愚痴は止まらなかった。昨日から一睡もしていないらしい。大きな事件が起きると、こうなる。普段は温厚な性格なのだが、一旦獲物を前にすると、獣のように神経が研ぎ澄まされていく。何物も見逃すまいと忙しなく動くギョロッとした瞳。少し後退した白髪混じりの短髪。ついたあだ名が『鷹狩り』だった。本人も満更ではない。
パトカーはやがて住宅街を抜け、細い林道に入っていた。木々の隙間から覗く空は雲ひとつなく、憎々しいほど晴れ渡っている。締め切っていた窓を開けると、たちまち草いきれの匂いが車内に押し寄せてきた。
白と黒で彩られたクラウンの屋根に蝉の音が降り注ぐ。田んぼの向こうのあぜ道を、ジャージ姿の部活生がランニングして通り過ぎて行った。殺人事件さえなければ、これほど気分の良い快晴も久しぶりだろう。
「気合い入れろよ、X」
「どうしてですか? タカさん」
大家楠生、名字と名前をくっ付けて、若い警察官の方はXと呼ばれていた。こちらも満更ではない。何だが極秘のプロジェクトか秘密結社めいていて、本人はお気に入りだった。やはり刑事にはあだ名がなくては!
「こう言う事件はな……得てして連鎖するもんだ。早いとこ犯人捕まえねぇと、下手したら連続殺人になるぞ」
「……はい」
爽やかな笑みを浮かべ、楠生は頷いた。パトカーはやがて麓に辿り着き、緩やかな斜面を軽快に登り始めた。
高杉の言葉が現実になるのは、それから数日後の事だった。