転覆1
4月の青空。
国北市の街頭演説にて。
小倉俊介は声を張り上げて群衆に訴える。
「私は衆議院議員、小倉俊介、小倉俊介で、あります。皆様の生活を豊かにできるのは、私だけなのです。清き一票を私に投じてください。
私は衆議院議員小倉俊介、小倉俊介で、あります…」
ひたすら同じことを話す。普段なら熱く答弁しているところだが、今日はこれくらいで十分だ。もちろん理由はある。今日は最高のゲストを向かえる予定なのだ。
「今回は最高のゲストを迎えております。」
選挙関係者が場を盛り立てる。
群衆は「なんだ?」「誰だ?」といっている。報道関係者はカメラのピントを合わせているようだ。
群衆の中には、見慣れないのであろう、SPを見ている者もいる。
小倉は再びマイクを握る。
「今回のゲストは皆様ご存じ、渋原一郎総理です。」
会場が盛り上がる。最近の首相と違い、渋原首相はカリスマ性があり、国民に人気なのだ。小倉自身は彼の力を借りたくなかったが、法務省官僚の不祥事が表沙汰となり、法務大臣として、衆議院選挙に落選するわけにはいかないのだ。
首相を乗せた車両が到着する。車から首相が降りた途端、国民の歓声を受ける。小倉から見ても、さすがと言う他ない。
「どうもこんにちわ。渋原です。」
「ワー」
群衆の中から歓声が上がる。
「国民の皆様。現在、我々健生党は結党以来の危機に瀕しています。消費税、所得税の撤廃を公約に掲げる民生党という詐欺政党がこの日本にもはびこっているのです。消費、所得税を撤廃したところで、国家運営ができるはずがないのです。」
「そうだー」
「詐欺政党は引っ込め!」
小倉は常々、渋原に驚かされる。他の政党を批判すれば、必ずと言っていい程、批判的な野次が飛ぶものだが、渋原の場合は別だ。
そう、感心していたときだった。
「パーン、パーン」
破裂音が聞こえた。
なんだ?
SPが「伏せろ!」
と叫ぶ。
と同時に、前からナイフを持った男が突進してきた。さっき、SPを見ていた男だ。
「民生党万歳!」
そう言って男が斬りかかってきた。私を守るべく、SPが盾となるが、次々と、刺されては悲鳴をあげて倒れていく。こういうときに限って役にたたん奴らめ。男は熟練の戦闘員のように、向かってくるSPを避けたと思えば、刺していく。小倉を警護していたSPの最後の一人が刺された。圧巻だとしか言えない速さだった。ものの、十秒程度だ。最後の一人が悲鳴をあげたところで、隣で演説していた渋原のSPが止めに入った。男は彼の肩にナイフを投げる。さすがは総理の警護というべきか、彼は投げられたナイフの傷を肩に負いながらも、男に突撃する。他の総理のSPも男を止めに入る。小倉は、隣で司会をしていた、選挙関係者が足を負傷しているのを見て思い出した。
『伏せなければ』
そう思ったときには遅かった。既に、最初の銃声で、肩を打たれていたのだ。急に痛みが襲ってくる。しかし、小倉は冷静さを欠くことはなかった。痛みを利用して、驚きで固まっているからだを後ろに倒し、とにかく地面に伏せた。
今回の演説場所が選挙カーの上ではなく、路地であったことが幸いした。
頭上では銃声が鳴り響いている。どうやら、銃声はスナイパーによるものらしく、警察のスナイパーが、敵に銃撃しているようだ。
近くの制服警官が小倉をかばう。と同時に、
「総理ー!」
と叫ぶ声が聞こえた。左肩に傷を負いながらも、目を向けると、渋原総理が、頭を撃ち抜かれて倒れていた。恐らく死んでいるのだろう。脳の処理が追い付かなくなった。狙われているのは私ではなかったのか?なぜ総理が撃たれている?SPの『伏せろ!』という声で、渋原は伏せていたはずだ。この短時間で何が起こったんだ。突然鳴り響いた2発の銃声。信じられない動きで、私のSPを次々と刺していった男。そして、今こうして私の近くで頭を撃たれて死んでいる渋原首相。何がなんだかわからなくなってきた。
小倉はパニックを起こし、警官の
「大丈夫ですか。小倉大臣、小倉大臣!」
という声にも反応できないほど、深く気を失ってしまった。
妻の声で目が覚めた。
「ねぇ返事してよ。お願い。」
妻の嘆願の声だった。
「おう。有美大丈夫だ、心配するな。」
これくらいのことで死んでたまるか。私の長所はしぶといところ。ただそれだけだ。
「ああ、よかった。本当によかった。」
「そんなに心配だったか。いつも俺は誰に襲われても戻ってきてるだろ?」
「でも、渋原首相は死んでしまったのよ。あなただって死んでいたかもしれない。」
「確かにそうだな。心配かけてすまん。」
妻が悲しい顔をしながら、新聞を手渡してくる。どうした?と言おうとしたところで口が塞がった。見出しには、『国北市で殺傷事件 渋原総理大臣及び関係者7人死亡2人軽症』と書いてあった。7人もか。あの事件は薄々気づいていたものの、大変な事件だったようだ。